あなたの婚約者は、わたしではなかったのですか?

りこりー

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「どこから話そうか……」
「全てお聞かせください。あなたが知っていること全部を。わたしだけ蚊帳の外なのはもういい加減嫌です」

 オリヴィアが不満そうに答えると、ジークヴァルトは「そうだな」と答え、彼女の手を静かに握った。
 ジークヴァルトは真剣な彼女の眼差しを見て覚悟が出来ているのだと察するも、一連の騒動で彼女の心が弱っていることを彼なりに心配しているのだろう。
 オリヴィアはジークヴァルトに手を握られると、僅かではあるが表情が緩んだ。
 それを見て彼も話す覚悟を決めたようだ。

「途中で聞くのが辛くなったら、すぐに言ってくれ」
「わたしのことなら、ご心配なさらず」

「それが心配なんだ。お前は私の前ではいつも強がろうとする。今日はそうしないと約束して欲しい」
「……分かりました。お約束します」

 オリヴィアは突然そんな約束を求められて、少し戸惑っていた。
 だけど、こんな時でも普段と変わらず彼女のことを気遣ってくれる彼の優しさが素直に嬉しかった。 
 この瞬間は、お互いの気持ちが通じ合っているようにオリヴィアは感じていた。

(聞くのは少し怖いけど、昨日とは違う。今はジーク様が傍にいてくれるからきっと大丈夫よ)

 ジークヴァルトは暫くの間確認でもしているのか、オリヴィアの顔をじっと見つめていた。
 そして納得出来たのか彼は小さく頷くと、静かに語り始めた。

「それでは本題に入ろうか。昨夜と今し方、二度もお前のことを狙おうとしていた者達は、恐らくは教会の手のもので間違いない」
「やっぱり、今回のことには教会側が関わっているんですね」

(だけど、どうして教会が? 私の立場を奪ってまで、リーゼル様を持ち上げたい理由は何なのかしら)

「これはあくまでも私の考えだが、ここ数百年、いやもっとなのかもしれないが、この国は平和だった。大きな天災もなければ、伝染病などの流行病もなかったし、魔物が凶暴化するなんてことも起こらなかった。まさに平和そのものだったんだ」
「それって文献に書かれていることですか?」

「ああ。さすがに数百年もの間生き延びることは不可能だし、過去のことは書物などで確認するくらいしか出来ないからな」
「……たしかに。夜会の時にも言っていましたよね。聖女が現れるのは三百年振りだと……」

 オリヴィアは昨日のことを思い出すかのように答えた。

「果たしてどうだろうな。本当に三百年前に聖女は存在していたのだろうか……。故意的に改ざんされているとしたら、話しはまるきり変わってくる」
「え? それはどういう……」
 
 突然ジークヴァルトが予想外な発言をし、オリヴィアは驚いたように問いかけた。

(ジーク様は聖女そのものの存在を疑っているの……?)

「先程も言ったとおり、数百年前に起こったことは、今を生きる人間には知り得ない情報だ。今となっては過去の文献を見て、それを信じることしか出来ない。実際問題として、過去に戻れる方法なんてないのだからな」

 オリヴィアは静かに話しを聞いていたが、頭の中はかなり混乱していた。
 王宮内に保管されている文献ともなれば、記している者は間違いなく王宮に勤める文官ということになるはずだ。
 誤情報を書き記す意図が分からない。
 そんなことをすれば、国にとっては混乱しか生まないはずだ。

(混乱を生ませて喜ぶ者なんて、敵国くらいよね。でも今は戦争なんてこの辺では一切起こっていないわ。何百年も前から周辺国とは同盟だって結ばれているはずだし……)

「ジーク様がどうしてそのような考えをお持ちになったのか、そこが良く分かりません」
「比べるものがなければ、私だって何も疑わなかっただろうな。リーゼル嬢が突然聖女として現れて、王宮内は災難が起こるのではないかと混乱し始めた。しかし実際に王都周辺に騎士を派遣したが、目に見える変化は一切認められなかった。おかしいとは思わないか?」

「でも、リーゼル様が突然聖女として現れたように、災難も本当に突然起こるのではないでしょうか?」
「確実に無いとは言えないが、確率で言えば相当低いと考えている」

「何故、そこまで言い切れるのですか?」

 オリヴィアは怪訝そうな顔を浮かべ答えた。
 もっとたしかな文献が残っているとでも言うのだろうか。
 自信たっぷりに言うジークヴァルトに、オリヴィアは疑問を呈していた。

「何か起こる前には必ず前兆が起こるはずだ。リヴィは、私がイヴァンと友人関係であるこは知っているよな」
「はい」

「彼に尋ねてみたんだ。アルティナ帝国では過去に聖女の存在はあったのか、そして災難が起こったのかとな」

(なるほど。比べるものというのは、他国のことを言っていたのね)

「答えられる範囲の返答を求めたわけだが、彼の国では聖女と呼ばれる存在自体いないらしい。世界を守る女神の神話はあるそうだが……。そして天災については小規模のものは幾度か起こっているようだが、世界規模の災難については彼の知る限りでは神話の中でしか起こっていないと言っていたな」
「それって……」

 オリヴィアはその言葉を聞いて、表情を引き攣らせた。

「イヴァンの意見を全て鵜呑みにするつもりはないが、その話を陛下にも伝えた。怪しい動きはいくつか把握しているが、肝心な証拠になるものが一切出ていない。それが見つからない限り、こちらも手を出せない。しかも相手は教会だ、その上此方の行動が読まれては今後更に動きづらくなってしまうからな」

(たしかに……、難しいところね)

「そこで陛下からある提案をされたんだ。彼等を油断させるために、極力リヴィとの距離を取り、私達の関係が上手くいっていないように見せかけてはどうかとな。そのように私が動けば敵も新たな動きを見せて来ると考えられたし、何よりもリヴィから敵意が逸れると考えた」
「……っ、それでは……今までのことは全て、真意を確かめるための芝居だったとでも言うのですか!?」

「まあ、結果的にはそうなるな……」
「…………」

 ジークヴァルトが認めると、オリヴィアは言葉を無くした。
 彼女の知らないところでこんな計画が進んでいるなんて夢にも思っていなかったし、それならば今までオリヴィアが抱いたあの不安の日々は一体何だったのだろうと思うと、可笑しくて笑いが溢れてきてしまう。

「はは……ふふっ」
「リヴィ?」

 突然笑い出したオリヴィアにジークヴァルトは戸惑った顔を向けていた。
 目が合うと彼女はジークヴァルトのことを、激しく睨み付けた。

「酷いわっ!! わたしが今までどれだけ悩んで来たと思っているの!?」
「……すまない」

 オリヴィアの怒りの形相に、ジークヴァルトは驚いている様子だった。

「ジーク様はいつもそう、わたしには何も伝えてくれないっ! あなたが何も教えてくれないから、わたしはずっと不安で……。リーゼルさんに奪われてしまうのではないかって怖くて……。わたしが感じていた不安は、全てあなたのせいだわ」
「……分かっている。昨日母上に言われて、漸く気付いた。私はリヴィの身の安全ばかり考えて、一番大切なお前の心を置き去りにしてしまったのだと」

 オリヴィアは怒りをぶつけると、彼は反省したような、後悔を滲ませるように答えた。

「お前が私の婚約者という重圧を感じて、無理を続けていることは以前から気付いていた。その結果、体を壊してしまった。無理を続ければ、いつかそんな日が来るのでは無いかと心配していたのに……、分かっていたのに、私はそれを止められなかった。リヴィが無理をし続けることも、弱音を吐けない状況を作らせてしまったのも、全て力が及ばない私のせいだ」
「それは、わたしが勝手にしたことで……」

 ジークヴァルトの悔いるように話す姿がとても痛々しく見えて、オリヴィアが声をかけるも、彼は「いいんだ」と弱々しく笑っていた。
 そんな姿を見てしまうと、オリヴィアの胸は締め付けられるように苦しく感じた。

 彼もまたオリヴィアと同様に深く思い悩んでいたのだということを、彼女は初めて知った。
 こんな風に直接口に出して言われることなんて今まで無かったので、オリヴィアは気付かなかった。

「漸く体調が戻り王都に帰ってきたというのに、新たな問題に巻き込んでしまえば、また同じことが起こるかもしれないと思ったんだ。しかも今回はお前に悪意を持った連中までいるのだからな。だからこそ少しでもその者からリヴィの存在を遠ざけたかった……」
「あれは、わたしを守るため……だったんですか?」

「事情を隠していたことは今となっては後悔しているが、あの時はそれが一番良い方法だと思っていた。お前のことだから、話せば必ず気にするだろう?」
「……っ」

 オリヴィアはその通りだと感じていた。
 このジークヴァルトという男は、本当に彼女の性格を良く知っている。
 それは幼い頃からずっと傍にいて、彼女の事を見守ってくれていたからこそ、分かることなのではないのだろうか。

 何も知れされなかった彼女は、ジークヴァルトの言葉を素直に受け入れて待つことにした。
 その結果、裏切られたと勘違いして心が壊れかけてしまった。
 しかし、もしあの時彼が本当のことを話していたとしたら、今ここにオリヴィアはいなかったかもしれない。
 公爵令嬢でもある彼女を二度も誘拐しようとした者達だ。
 非道な行為だって躊躇ちゅうちょせず行っていたかもしれない。

 二人はお互いのことを気遣い、正しいと考えて行動していた。
 それが最悪な形ですれ違ってしまったのだろう。

「わたし達って、ばかですね」

 オリヴィアは自嘲するように笑った。
 彼の性格は分かっていたはずなのに、最後まで信じ切ることが出来なかった。
 いつだってジークヴァルトはオリヴィアの体のことを心配してくれていたのに。
 誰よりも彼女を見ていてくれたのに。
 不安に負けて、見失ってしまった。

「本当にな。これでは敵の思惑通りだ」
「悔しいですね……」

「そうだな。半分は私のせいでもあるが、リヴィを二度も怖がらせたのだから、その報いは必ず負わせる。もう甘い考えは捨てる」

 ジークヴァルトの瞳からは殺気のようなものを感じて、オリヴィアはゾクッと体を震わせた。
 こんなにも怒りを表に出す、彼の姿を見たのは初めてのことだった。

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