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15. 好奇心猫をも殺す

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 サーシャは後宮の中をあまり歩き回らない。平民上がりだなんだと因縁をつけられる可能性があるからだ。出入りの多いソフィアを考慮して、カンラン宮は後宮の出口から一番近いため、サーシャは後宮内をうろうろせずに、外に出て用を済ますことが可能となっていた。
 今日も買い物のために外の市場に行こうと足を向けた。しかし、カンラン宮を出てしばらくすると、ジュリア様御一行がたむろっていた。サーシャは邪魔だなぁと思ったが、特売の時間が迫っていたため、さっと礼をして通ることにした。すると、ジュリア様自らサーシャにドンとぶつかってきた。
「ジュリア様に何をなさるのよ」
「ジュリア様は妊娠してんのよ。大事なお身体なの!」
「あなた、ソフィア様の侍女じゃない。聞きましたよ。有名なスリだったらしいじゃない。今、何か盗ったんじゃないの?」
 ジュリアが引き連れていた侍女が口々に言った。これが姦しいというものだろうか。
「私は何も盗っていません」
「あら、本当かしら調べなさい!」
 侍女が命じると、警備の人間が次々と現れて、サーシャを捕らえた。侍女が近づいてサーシャの懐をまさぐった。
「ほらでた、こんなに!」
 サーシャの覚えのないイヤリングやネックレスなどの装飾品が出てきた。侍女達は懐をまさぐりながら装飾品をねじ込み、それらを取り出すという乱暴な方法で、サーシャが盗みを働いたように見せかけた。
「これ、全部ジュリア様のではありませんか?」
「あら、これは……。ソフィアさんに命令されたんですね。これあの人が欲しがったやつですもの」
 ジュリア達は杜撰な手口でサーシャに罪を被せていたが、どのような方法でも、ジュリアの味方のみで構成されているこの場において、ソフィアの命令でサーシャがジュリアの物を盗んだとすることは容易であった。
「こんな泥棒猫、牢に入れてしまいましょう。それに、殿下にこのことを包み隠さず、お話しないとねぇ」
 サーシャはやばいことになったぞと思った。自分ではどうにもできないため、ソフィアを呼ばなければならないと感じた。サーシャは身を捩らせ、ソフィアに貰ったあの装置のスイッチをなんとか押した。右手の袖口に入れていたのだ。
 ボタンを押すと三秒後、ソフィアが現れた。薬草を手に持ち、大きなリュックを背負っていた。靴は泥だらけで、服のそこらには葉っぱが乗っていた。山歩きをしていたのだろう。
「誰よ。あなた、無礼者!ひっ捕えなさい」
 ジュリアの侍女は叫んだ。
「この方はソフィア様です!!!」
 サーシャも負けじと叫んだ。
「私はこの侍女の主、ソフィアです」
 ソフィアはこんな格好で、すみませんねとにこやかに笑った。
「ジュリアさん、何があったのですか?」
「この侍女がジュリア様の装飾品を盗んだんです!」
「とぼけないでください!ソフィア様の指示でしょう!」
「よくも身重のジュリア様に乱暴を!」
 三人の侍女が口々に言った。
「信じられませんが、あたくし思い出しましたの。あのお茶会の時、物欲しげに見てましたもんね。このイヤリング」
 ジュリアは突然のソフィアの登場に驚いたが、すぐに立て直した。
「確かに見てましたが、それは要りませんよ」
 ソフィアは少し眉間に皺を寄せて続けた。
「そのイヤリングは翡翠のものですか?」
「ええ、そうですわ。その中でも選りすぐりのものを使っていましてよ」
 だから、あなたが欲しがるのも仕方がないですねとジュリアは言った。
「その、誠に残念ですけれど、それは偽物ですよ。素人ながら石の類には詳しいんです」
「な、なんですって!!」
 ジュリアは間抜けな顔を晒した。
「ふふふ、念の為調べた方がいいかもしれませんよ。私があの時見ていてのは今のことが理由です。ですから、私は偽物を身につけているあなたから装飾品を盗んだりはしませんよ」
「……!」
 ジュリアはわなわなと震えた。
「それに不自然ですね。こんなにたくさんの量を持ち歩いてるなんて。いっぺんに売るとすぐ足が付きますよ。平民育ちのサーシャならあなた方と違ってわかるはずです」
 黙りこくっているジュリア御一行をソフィアはにっこり見た。
「お疑いならば、詳しく調べてみましょう。魔法省の道具を借りれば、この装飾品を誰が盗んだのか、わかりますよ」
「ソ、ソフィアさん、そこまでする必要があって?」
「あります。サーシャの名誉のためです」
「こんな子の?」
 ジュリアとソフィアの価値観は違った。ジュリアにとって王侯貴族のみが自分と同じ人間であり、それ以外は見下していた。
「あなたが何を言いたいのか分かりませんが、私の侍女に濡れ衣を着せて、乱暴を働いているのですよ。詳しく調べたくもなります。もし、この場で済ませたいのならば、私が後追い魔法をやりましょうか?その装飾品がどのような経路を辿ってこの場所にあるのか、短時間ならば分かりますよ。私は魔法が得意なので」
 ソフィアはさあどうするとジュリアを睨んだ。
「やりますか?ジュリアさん」
「いいえ、結構よ。私の勘違いでしたわ!」
 さすがに引き際をわかっていた。ジュリアらはそそくさと帰ろうとしたが、ソフィアは止まらなかった。
「勘違いでここまでおやりになられて、それですますつもりですか?ひどいですね。あなたはサーシャと私に酷い濡れ衣を着せたのですよ」
「で、でも、その女を雇ってるそっちにだって責があります!下町では有名な盗人だったそうではありませんか?」
 ジュリア様のせいだけではありませんと忠実な侍女は叫んだ。
「サーシャは皇太子殿下、皇太子妃殿下に許可をいただいてここで働いてもらっています。あなた方と同様にですよ。それを疑うというのですか?」
 ソフィアはにっこりとジュリアを見た。
「ソフィアさん、お許しください。勘違いとは言え、無礼を働きましたわ」
 ジュリアはソフィアに最敬礼をした。こうでもしないとソフィアは止まらないと判断した。
「ジュリアさん、サーシャには?」
「なぜ、あたくしが?」
「な、ぜ?」
「うう……、わかりました。サーシャさんも申し訳ありませんでした」
 ジュリアはサーシャにも同様の礼をサッと行った。
「ソフィア様、もう、このようなことがなければいいのです」
「それもそうだね」
 サーシャはやりすぎじゃないか?と思い、ソフィアを止めようとした。しかし、曖昧な制止ではソフィアは止まらない。
「ジュリアさん、何をかけます?」
「はい?」
「もう金輪際、私やサーシャに何もしないということに何をかけられますか?」
 ジュリアは信じられないものを見るようにソフィアを見上げた。
「ジュリアさん、何でも構いませんよ。ただし覚悟が感じられるものがいいですねぇ」
「そのようなことをせずとも、もうなにもいたしませんわ!!」
「左様ですか。私はあなたのことをよく知らないので、保証が欲しいのです。もうなさらないというのならば、何をかけてもよいでしょう?お金?宝石?身分?それとも……?」
「……何が言いたいのよ」
「ふふふ、あなたの持ち物で一番覚悟が感じられるものにしてくださいね」
「……命を、ええ、命を懸けますわ!それでよいのでしょう?」
「ええ、素晴らしいお覚悟です。感銘を受けました」
 ソフィアは満足したように息を吐いた。
「ジュリアさんの侍女の方々、あなた方がやっても、同様ですよ」
 ソフィアはお身体を大事にしてくださいねと言って、サーシャを連れ、立ち去った。
 残されたジュリアはガタガタと震えていた。
「も、もう、もうあんな女に関わらないわ!!」
 ジュリアは自分や侍女に言い聞かせるように叫んだ。






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