美しい希

みぽにょ

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プロローグ

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内側の窓に現れる無数の水滴。
人差し指でその一つに触れた途端、それは連なるように下へと垂れていった。
濡れた人差し指を見つめ、親指と擦り合わせる。冷たい感触を持ち、軽く身震いを起こしながら、周りを見渡した。
引っ越してきて三日目の朝。ガムテープが貼ったダンボールは大量に積まれたまま、隅に置かれていた。階段を上がって一番奥の部屋、これから自分の部屋になると想定されるこの小さな一室にも、段ボールは一つを除いて閉じたままだった。


「おーい、美希。準備できたら降りてこーい」
下の玄関先から聞こえた声に「はぁーい」と軽い返事をして、私は鏡台の前に立った。
熊のイラストが書かれた陳腐な箱から、銀のネックレスを取り出した。髪の毛を適当に束ね、鏡に写る首を眺めた。そこにつけられたネックレスを握りしめて軽く目を閉じる。

……これがあれば、何があっても大丈夫。
正面に黒のピックが見えるように位置を整え、私は再度荷物を確認した。部屋のドアを閉じ、私は急な階段をリズム良く駆け下りた。

「いってきます、お母さん」

リビングに飾られた写真にきちんと挨拶をして、もふもふの黒ブーツに足を入れた。
さむっ。玄関を出るとすぐに、外の温度に眉を寄せる。思った以上に寒い。

「美希、今日の主役は美希なんだから、しっかりと体に気をつけろよ」
父が車庫から白の軽自動車を出し、ウィンドウの隙間から顔を出す。
身形を整えているつもりなんだろうが、後ろ髪がいつもに増して癖が目立っている。のりの入ったネクタイにスーツ姿を纏っているのに、軽くメイクをほどこして髭を綺麗に整えているのに、なぜか髪型はこのザマだ。気づいていないのか、それともそのまま放置しているのか。どこかしら抜けているこの性格に、私は未だ可笑しく思う。

「わかってるって。お父さんこそ、身だしなみ、きちんとしてよね」
父の髪を指差し、「その寝癖」と付け足す。
助手席に腰掛けると、エンジンの振動が微かに感じられる。車内は暖房がまだ全体に行き渡っておらず、私の体はいっそう縮み込まった。シートベルトを背後から引っ張る。
「な、なに言ってる、ちゃんと整えてるじゃないか」
私の指摘にとぼけるそぶりを見せる父。どうやら図星のようだ。髪も家でさくっと整えて行けばいいのに。
シートベルトを背後から引っ張る。その様子を目視し、父は車を走らせた。
雪の降る中、私たちの車は高速道路を走って山梨から東京へ行く。反対車線には実家に帰省しようとする家族が東京から各方面に行くためかなりの渋滞だった。少しずつ動く車の先には、山ばかりでどれも雪に覆われて頂上は白くなっていた。


「美希、後部座席にある保冷かばんの中にサンドウィッチが入っているから、それを食べなさい」
お父さんはランダムに流れる音楽をかけ始めた。ポップな音楽に、父の言葉に自然とノリが出る。
後ろに手を伸ばすと、同時にシートベルトが体に合わせて伸びる。後席に置かれた保冷かばんの持ち手を掴み、膝の上に置いた。
「うわ、なに入ってるの。めちゃ重いんだけど」
かばんを持ち上げた途端に、私の手が垂れ下がってしまった。思った以上に重過ぎる。サンドウィッチだけかと思ってたのに、なに入れているんだ。
「お茶は必要だろうし、休憩時間につまめるスナックも必要かと思ってな。チョコにグミにクッキーとかランダムに買ってきたやつをいっぱい入れてきたんだよ」
チャックを開き、雑に入っているお菓子をみて納得する。道理で重いわけだ。ポリバックかなんかにまとめて入れたらいいものの、この雑な性格は一向に直ろうとしない。
「あ、食べカスこぼすなよ。大事な大事な、愛車だから」
「はいはい。分かってますよ。膝の上でゆっくりときれいに食べますのでご安心ください。あ、でも急ブレーキとかされたら無理だから。それは勘弁してね」
呆れ口調で、私は適当にそれをあしらう。父の車愛にはもう慣れたことだ。筋金の車好きだということに、最初は意外性に多少の驚きがあったが。
目の前に四台のフェラーリのミニチュアカーがフロントガラス前に並べられている。以前に有名なレーサーが乗っていた車だと言っていたが、私は車の知識が皆無であるし、全く興味がないので分からない。暇さえあればF1をテレビで見て大はしゃぎしたり、私が何か相談に乗ってもらう時はよく車を例えにしたり、日に日にリビングや廊下などに車の模型や写真が飾られているのを見て好きなんだと気付いた。
それに気づけただけでも少しは距離が縮まったように感じられる。でも、まだ知らないこと、たくさんあるんだろうな。


「……今日、彼、見に来てくれるよね?」
咀嚼したサンドウィッチを飲み込み、私は静かに呟いた。
「そりゃ、来るだろ。あの人と一緒に夢見た舞台だろ?それが叶う日なんだから、見に来ないわけがないだろう」
その言葉は、私の気持ちを幾分安心させた。
カーオーディオから流れ出した歌に耳を傾ける。イントロから感じられる彼のギターの音色。それは私の心を妙に落ち着かせた。
「お、やっぱこの曲いいよな?」
父が隣から自慢げに聞いてきた。いつもならその自慢げな父の態度を、私は軽くあしらうのだが、この曲ではそうはしない。父と彼が共作したこの曲には、感慨深いものがあるからだ。
「そうだね」と呟きながら口先を僅かに上げ、私は窓の外を見る。
沢山の経験をさせてくれた二年。
その恩返しを、私は今日の舞台で届くことができるだろうか。
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