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time.31
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嬉しいのか悲しいのかわからない。
「ふ、ふざけるなよっ、あばずれがっ!!」
緑川さんが怒りの捨て台詞を吐いてその場を立ち去るまで、
ずっと千晃くんの柔らかくて甘い唇が触れていた。
忘れたくて忘れられなくて。
何度も何度も夢に見た。
感触も温かさも、甘さも触れ方も、
全部覚えてる。
千晃くんの吐息。耳の後ろを撫でる指。
伏せた長いまつ毛。辿るように触れる唇。
私は全部覚えてる。
あの頃と同じ優しいキス。
大好きな千晃くんのキス。
だけど。
「…行ったよ」
優しい千晃くんの唇が離れた。
千晃くんは、私のことを思い出したわけじゃない。
彼氏のフリをして、ストーカー気質の勘違い男性から助けてくれただけ。
つまり。
単なる人助けで、
このキスは千晃くんにとって大したことじゃない。
ていうか。
意味はない。
「どうも、ありが、…」
お礼を言おうとしたら、不意に涙が零れ落ちた。
千晃くんだけど、千晃くんじゃない。
「…ここ?」
千晃くんが心配そうにのぞき込んでくるから、慌てて首を横に振る。
「や、…安心したら、急に、…」
口調が言い訳がましくなって、涙が次々溢れ出る。
そんな簡単に好きって言わないで。
そんな簡単にキスしないで。
千晃くんにとっては無意味でも。
私にとっては、…
千晃くんを見れなくて、視線を逸らせたら、その先に高野チーフの姿が見えた。
「あ、…」
肩で息をしている。髪が乱れている。
会社帰りの姿のまま。
急いで来てくれたみたいに。
湿り気のある一陣の風が夜の雑踏の中を吹き抜けた。
声を上げた私の視線を追って、千晃くんも降り向く。
視線が絡み合う。
沈黙は、にこやかなチーフの声で破られた。
「ああ、…どうも」
高野チーフは、何事もなかったかのように当たり障りのない挨拶をして、私と千晃くんの脇を通り過ぎた。
「…こんばんは」
千晃くんが返した律儀な声が、耳をすり抜けていく。
暮れ落ちた街の向こうに、チーフの背中が遠ざかる。
闇に伸びる人影。通りを横切る自転車。
点滅する信号機。
シャッターを閉める店舗。
瞬く間に、チーフの姿が離れて行く。
待って。
涙を拭って、千晃くんに向き直った。
いろいろ頭がぐちゃぐちゃだけど。
「助けてくれてありがとう!」
とりあえず、千晃くんに頭を下げて、駆け出した。
「ふ、ふざけるなよっ、あばずれがっ!!」
緑川さんが怒りの捨て台詞を吐いてその場を立ち去るまで、
ずっと千晃くんの柔らかくて甘い唇が触れていた。
忘れたくて忘れられなくて。
何度も何度も夢に見た。
感触も温かさも、甘さも触れ方も、
全部覚えてる。
千晃くんの吐息。耳の後ろを撫でる指。
伏せた長いまつ毛。辿るように触れる唇。
私は全部覚えてる。
あの頃と同じ優しいキス。
大好きな千晃くんのキス。
だけど。
「…行ったよ」
優しい千晃くんの唇が離れた。
千晃くんは、私のことを思い出したわけじゃない。
彼氏のフリをして、ストーカー気質の勘違い男性から助けてくれただけ。
つまり。
単なる人助けで、
このキスは千晃くんにとって大したことじゃない。
ていうか。
意味はない。
「どうも、ありが、…」
お礼を言おうとしたら、不意に涙が零れ落ちた。
千晃くんだけど、千晃くんじゃない。
「…ここ?」
千晃くんが心配そうにのぞき込んでくるから、慌てて首を横に振る。
「や、…安心したら、急に、…」
口調が言い訳がましくなって、涙が次々溢れ出る。
そんな簡単に好きって言わないで。
そんな簡単にキスしないで。
千晃くんにとっては無意味でも。
私にとっては、…
千晃くんを見れなくて、視線を逸らせたら、その先に高野チーフの姿が見えた。
「あ、…」
肩で息をしている。髪が乱れている。
会社帰りの姿のまま。
急いで来てくれたみたいに。
湿り気のある一陣の風が夜の雑踏の中を吹き抜けた。
声を上げた私の視線を追って、千晃くんも降り向く。
視線が絡み合う。
沈黙は、にこやかなチーフの声で破られた。
「ああ、…どうも」
高野チーフは、何事もなかったかのように当たり障りのない挨拶をして、私と千晃くんの脇を通り過ぎた。
「…こんばんは」
千晃くんが返した律儀な声が、耳をすり抜けていく。
暮れ落ちた街の向こうに、チーフの背中が遠ざかる。
闇に伸びる人影。通りを横切る自転車。
点滅する信号機。
シャッターを閉める店舗。
瞬く間に、チーフの姿が離れて行く。
待って。
涙を拭って、千晃くんに向き直った。
いろいろ頭がぐちゃぐちゃだけど。
「助けてくれてありがとう!」
とりあえず、千晃くんに頭を下げて、駆け出した。
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