時間を止めて ~忘れられない元カレは完璧な容姿と天性の才能を持つ世界一残酷な人でした 【完結】

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涙が止まらない。

催涙スプレーを吸い込んでしまったのかもしれない。
溢れる涙で目の前が霞む。
顔中ヒリヒリして心臓が痛い。

片方のパンプスがないから、走りにくくて、もう一方も脱ぎ捨てた。

足を止めたら後ろから掴みかかられるような気がして、
振り向くこともできず、泣きながら走った。

追いかけてくる足音と喚き声が聞こえた気がして、
身体がすくんで足がもつれた。

エレベータホールに行き着いたけれど、
足を止めるのも密閉空間も怖くて、階段を駆け上がった。

息が切れる。呼吸が苦しい。目の前が見えない。
恐怖と混乱と悲しみが渦巻いている。

『お前は強いな』

チーフはそう言ってくれたけど、全然強くない。

泣いてばかりで、
せっかく任せてもらった仕事もろくに出来ない。
大事な会議一つまともに参加できない。

みんながしっかり仕事している時に、
こんなところを裸足で走っている自分がみじめで悲しい。

やむを得なかったとはいえ、他人を攻撃した事実が重い。
緑川さんの狂ったような絶叫が頭から離れない。

『…こんなに愛してるのに』

どうしてこんなことになっちゃったんだろう。
思わせぶりなことをしちゃったんだろうか。

ここまで緑川さんを追い詰めるようなことを。

螺旋状の階段をひたすら走って、どうにか3階までたどり着き、見慣れたフロアに出た。

皆さんが通常通り働いているのを目にしたら、
なんだか力が抜けてへたり込んでしまった。

そうだ。通報しなきゃ。

息が切れて声が出ない。

上着のポケットからスマートフォンを取り出そうとしたら、
手が震えて床に落とし、遠くへ滑らせてしまった。

もう。
本当にダメ過ぎて涙が止まらない。
自分が滑稽で嫌になる。

鼻をすすり上げながら床を這って、スマートフォンに手を伸ばしたら、
きれいに磨かれた革靴がものすごい勢いで近づいてきて、目の前で止まり、

「どうした!?」

かがみこんで膝をつくと、そのまま私を腕の中に包み込んだ。

こなれたスーツ。大きくて温かい身体。
力強くて優しい腕。低くて柔らかい声。

絶望の淵にいる時に、いつも差し伸べてくれる手。

『何があっても、お前の味方でいてやる』

私を信じて、私を守って、私を包み込んでくれる。

「…チーフ」

高野チーフが息を弾ませて、私をのぞき込んでいる。
薄いヘーゼルの瞳が痛そうに細められた。

チーフの顔を見たら、急激に安心感に満たされて、緊張の糸が切れた。
目の前が暗くなって全身の力が抜ける。

「佐倉⁉」

チーフの慌てたような声がして、力強い腕が私を抱きとめる。

「みどり、か、…」

不審者情報を早く通報しなきゃいけないのに、口が動かない。

「おいっ」

チーフがいる。
もう。大丈夫。

と思ったのを最後に、意識が遠のいた。
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