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feel.2
03.
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「それは怪我が治ってからのお楽しみにするか」
私の怪我を心配して出してくれた車は、濃いブラウンに彩られた重厚感のある内装で、座り心地の良いクッションはかすかに革の匂いがする。
運転席に座った榊さんが左腕を伸ばして、私の頭の上に手をのせる。
この場所は。
この簡単に触れられる距離は。
私の場所ではない。
座り心地は最高なのに、なんとなく落ち着かない。
榊さんに何て返すのが正解なのか分からない。
返答に詰まっていると、榊さんが私の頭にのせた手を優しくバウンドさせた。
軽く返せればいいのに。
まともに人付き合いをしてこなかった報いがこれだ。
『気が重いかもしれませんが、自分を変えてみましょう。新たな喜びと幸せをもたらしてくれるでしょう』
「たの、…しみ、でふ」
OK, チョロりの。
これがいわゆる社交辞令ってやつですよ。
「…うん」
なんなら噛んだけども、榊さんがものすごく優しい顔をして満足そうにうなずいたので、それなりに正解だったんだと思った。
「じゃ、行くか」
ハンドルを握る横顔が絵になる。
折り返した袖口からのぞく手首が色っぽく映るのはどうしてだろう。
「…お前んち」
榊さんに言われると、何でも意味深な気がするのはどうしてだろう。
低くセクシーに響く声が耳を侵食して心臓を打ちのめす。
昼下がりの街中を高級車が滑るように走る。
滑らかなハンドルさばきなのに身体に力が入ってしまう。
考えてみれば。
男の人に送ってもらうのも初めてかもしれない。
当たり前に座れる助手席があるって、なんて幸せなことなんだろう。
知らなかった。
車内にいると、ほのかにバラの匂いがする。
見たことのない奥様は、イングリッシュガーデンが似合うに違いないと思った。
こういう時。思い知らされる。
頼れる友だちも家族ももちろん恋人もそばにいない自分を。
一人には慣れていると思っていたけれど。
慣れることと願うことは別なのかもしれない。
いつかは。もしかしたら。こんな私でも。
病院で目覚める前に見た夢を思い出して自嘲した。
ありえない。
鎧を外せるのは、奇跡。
あの奇跡だけは、何があっても絶対に失くしたくない。
アパート近くの駐車場に車を停めて、車を降りた榊さんがどこまでもスマートに私の荷物を持ってくれた。
何から何まで申し訳なく思いながら、この後どうするのが正解なのか、榊さんの顔色をうかがってみたけれど、何も書かれていなかった。
今更だけど。
手伝ってくれるって言ってなかった?
え。それってつまり、どういうこと?
急に芽生えた疑問が頭の中をぐるぐる回って、榊さんから目を逸らせずにいたら、
ふいに手を取られた。
疑問は一瞬にしてすべて消えてなくなり、頭の中はただただ真っ白になった。
私の怪我を心配して出してくれた車は、濃いブラウンに彩られた重厚感のある内装で、座り心地の良いクッションはかすかに革の匂いがする。
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この場所は。
この簡単に触れられる距離は。
私の場所ではない。
座り心地は最高なのに、なんとなく落ち着かない。
榊さんに何て返すのが正解なのか分からない。
返答に詰まっていると、榊さんが私の頭にのせた手を優しくバウンドさせた。
軽く返せればいいのに。
まともに人付き合いをしてこなかった報いがこれだ。
『気が重いかもしれませんが、自分を変えてみましょう。新たな喜びと幸せをもたらしてくれるでしょう』
「たの、…しみ、でふ」
OK, チョロりの。
これがいわゆる社交辞令ってやつですよ。
「…うん」
なんなら噛んだけども、榊さんがものすごく優しい顔をして満足そうにうなずいたので、それなりに正解だったんだと思った。
「じゃ、行くか」
ハンドルを握る横顔が絵になる。
折り返した袖口からのぞく手首が色っぽく映るのはどうしてだろう。
「…お前んち」
榊さんに言われると、何でも意味深な気がするのはどうしてだろう。
低くセクシーに響く声が耳を侵食して心臓を打ちのめす。
昼下がりの街中を高級車が滑るように走る。
滑らかなハンドルさばきなのに身体に力が入ってしまう。
考えてみれば。
男の人に送ってもらうのも初めてかもしれない。
当たり前に座れる助手席があるって、なんて幸せなことなんだろう。
知らなかった。
車内にいると、ほのかにバラの匂いがする。
見たことのない奥様は、イングリッシュガーデンが似合うに違いないと思った。
こういう時。思い知らされる。
頼れる友だちも家族ももちろん恋人もそばにいない自分を。
一人には慣れていると思っていたけれど。
慣れることと願うことは別なのかもしれない。
いつかは。もしかしたら。こんな私でも。
病院で目覚める前に見た夢を思い出して自嘲した。
ありえない。
鎧を外せるのは、奇跡。
あの奇跡だけは、何があっても絶対に失くしたくない。
アパート近くの駐車場に車を停めて、車を降りた榊さんがどこまでもスマートに私の荷物を持ってくれた。
何から何まで申し訳なく思いながら、この後どうするのが正解なのか、榊さんの顔色をうかがってみたけれど、何も書かれていなかった。
今更だけど。
手伝ってくれるって言ってなかった?
え。それってつまり、どういうこと?
急に芽生えた疑問が頭の中をぐるぐる回って、榊さんから目を逸らせずにいたら、
ふいに手を取られた。
疑問は一瞬にしてすべて消えてなくなり、頭の中はただただ真っ白になった。
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