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Unbelievable!
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降り出した春の雨は細く、まだ勢いも弱かった。
嵐と灯理は傘を並べて歩き、嵐は濡れないようにハンドタオルを被せたランタンを胸に抱えている。
そして嵐は、他に誰も通らなさそうな路地の街灯の下で足を止めた。
まだその明かりは糸のような雨に反射して軌跡を浮かべるばかりで、光を球体に綴じてはいなかった。
「露包んでいませんね……」
しょんぼり、という擬態語が似合う仕草で、嵐は肩を落とした。
「もうちょい雨が強くならないとな。ま、雲は厚いし、すぐに土砂降りになるな、これは」
空窺ったまま視線を上に向けて予測を言った灯理は、隣から差すような視線を感じて、目線を真横に移した。
その視線の先で。嵐がきらきらと目を輝かせていた。
「なに?」
「灯理さん、雨がどうなるかわかるんですかっ。すごいですね、魔法使いですかっ」
「あー、はいはい」
普通、田舎者の方が天気の行方を知るのが得意なんじゃないのかという皮肉を胸に仕舞って、灯理は嵐からの尊敬の眼差しから逃れそうと、街灯に視線を固定した。
嵐もそれに倣って街灯を見上げ、ビニール傘の中でランタンが濡れないように位置を調整してからタオルを取った。
透明なビニール傘なら、その向こうに露包む街灯もランタンから見えるだろうと嵐は考えたのだ。
「早く見たいね。あなたの名前の由来になった景色を」
生き物にそうするようにランタンに語り掛ける嵐を、灯理はそっと覗き見た。
「……ルームメイトとしては、万々歳だな」
灯理の呟きは、雨奏でる音に掻き消されて本人の耳にも届かなかった。
やがて、灯理の判断した通り、雨は激しさを増し、視界は雨粒で埋まっていく。
ぼぅっと、二人が見上げた街灯が明かりの広がりを狭めて、光を膨らませた。
雨の移り変わりで、光が収縮するのと膨張するのが同時に起きるのだと、嵐はこの時初めて知った。
もうすぐ街灯が露包むと思い、嵐はランタンを慎重に掲げて、少しでもその光景が見やすいようにと近づける。
「嵐? おい、嵐、どこ行った!?」
慌てた様子の灯理の声が、硝子の壁を隔てたみたいに遠くに聞こえた。
今まさに掲げたはずのランタンが見当たらなくて、ただ握った拳だけが嵐の視界にある。
その先の景色は、雨降る暗闇でも、露包む街灯でもなく、曇りガラスの壁だった。
「え?」
嵐は自分がどこにいるのか分からなくて、辺りを見渡した。
夢なんだろうか。
それは鳥籠のような、昔話に出て来るお姫様を幽閉する塔の中のような場所だった。
黒くて滑らかな屈曲した柱と柱の間、四方に曇りガラスが嵌め殺しにされている。
きっとあのランタンの中に入ったら、こんな感じなんだろうなと、嵐は思った。
どうすればいいのか分からなくて、嵐は曇りガラスの壁に両手を付いた。ひんやりと雨の気配と冷たさが手のひらに伝わってくる。
「誰だ、お前」
灯理の声が、曇りガラスを震わせた。
この向こうに彼がいるのは確からしい。
嵐は無意識に灯理を求めて、顔を曇りガラスに近づける。
嵐の吐息が、曇りガラスを湿らせて、ほんの少しだけ外の光景を透かして見せた。
そうしてできた小さな覗き穴の向こうには、巨人のように大きく見える灯理がいた。
嵐は浮遊感にさらされた。
灯理の姿が遠ざかり、嵐は顔を巡らせて追いかけるが、反対側から近づく別の人物の姿に顔を戻す。
それは灯理と同じように大きな大きな女性で、なんとなく嵐は自分に似た顔だと思った。
でも、髪はしっとりと煌めく銀色で、瞳は濡れた夜の闇みたいに深い漆黒で、肌は人形のように白かった。彼女の着ている真白の浴衣が雨で肌にぴたりと張り付いていて、ほっそりとした体のシルエットが浮かび上がって厭らしい。
「私は露包むよ。露包むの未言巫女。やっと、外で出れた。やっと、貴方に会えた、灯理」
しっとりと濡れた唇が、熱っぽい言葉を二人に届けた。
それから、嵐が立つ床が大きく揺れて、嵐はぺたんと座って柱にしがみ付く。
そして嵐が入っているこれを、露包むと名乗った巨人は握ったままくるくると回っているらしい。
景色が吹き飛んでは戻ってきて、ジェットコースターみたいな加速度が嵐を翻弄した。
そしてその絶叫マシーンは不意に止まり、また露包むというらしい彼女は、嵐にキスしそうな勢いで顔を近付けた。
「よろしくね、嵐。貴女と私は、存在を一つにした位相共体、相説くものとなったの。わかりやすく言えば、貴女の周囲が露包む時、私と貴女の存在は入れ替わる。私は外へ、貴女は私の代わりにランタンの中へ」
「はい?」
意味が全く分からないけれど、何やらとんでもないことを言われているらしいとは理解出来た。
それでもランタンの中にいるせいで、手も足も出ないし、声も届かない嵐に対して、露包むは勝ち誇るように、慈しむように微笑みを向けた。
「これから私たちはお互いを繋げて、存在を共有するの。どうかよろしくね、私の新しい別存在さん」
これからどうなるのか、嵐には全く分からなくて、泣きたくなってきた。
その顔が誰にも見られないようにするように、露包むの唇が、曇りガラス越しに嵐の全身を抱き止めた。
嵐と灯理は傘を並べて歩き、嵐は濡れないようにハンドタオルを被せたランタンを胸に抱えている。
そして嵐は、他に誰も通らなさそうな路地の街灯の下で足を止めた。
まだその明かりは糸のような雨に反射して軌跡を浮かべるばかりで、光を球体に綴じてはいなかった。
「露包んでいませんね……」
しょんぼり、という擬態語が似合う仕草で、嵐は肩を落とした。
「もうちょい雨が強くならないとな。ま、雲は厚いし、すぐに土砂降りになるな、これは」
空窺ったまま視線を上に向けて予測を言った灯理は、隣から差すような視線を感じて、目線を真横に移した。
その視線の先で。嵐がきらきらと目を輝かせていた。
「なに?」
「灯理さん、雨がどうなるかわかるんですかっ。すごいですね、魔法使いですかっ」
「あー、はいはい」
普通、田舎者の方が天気の行方を知るのが得意なんじゃないのかという皮肉を胸に仕舞って、灯理は嵐からの尊敬の眼差しから逃れそうと、街灯に視線を固定した。
嵐もそれに倣って街灯を見上げ、ビニール傘の中でランタンが濡れないように位置を調整してからタオルを取った。
透明なビニール傘なら、その向こうに露包む街灯もランタンから見えるだろうと嵐は考えたのだ。
「早く見たいね。あなたの名前の由来になった景色を」
生き物にそうするようにランタンに語り掛ける嵐を、灯理はそっと覗き見た。
「……ルームメイトとしては、万々歳だな」
灯理の呟きは、雨奏でる音に掻き消されて本人の耳にも届かなかった。
やがて、灯理の判断した通り、雨は激しさを増し、視界は雨粒で埋まっていく。
ぼぅっと、二人が見上げた街灯が明かりの広がりを狭めて、光を膨らませた。
雨の移り変わりで、光が収縮するのと膨張するのが同時に起きるのだと、嵐はこの時初めて知った。
もうすぐ街灯が露包むと思い、嵐はランタンを慎重に掲げて、少しでもその光景が見やすいようにと近づける。
「嵐? おい、嵐、どこ行った!?」
慌てた様子の灯理の声が、硝子の壁を隔てたみたいに遠くに聞こえた。
今まさに掲げたはずのランタンが見当たらなくて、ただ握った拳だけが嵐の視界にある。
その先の景色は、雨降る暗闇でも、露包む街灯でもなく、曇りガラスの壁だった。
「え?」
嵐は自分がどこにいるのか分からなくて、辺りを見渡した。
夢なんだろうか。
それは鳥籠のような、昔話に出て来るお姫様を幽閉する塔の中のような場所だった。
黒くて滑らかな屈曲した柱と柱の間、四方に曇りガラスが嵌め殺しにされている。
きっとあのランタンの中に入ったら、こんな感じなんだろうなと、嵐は思った。
どうすればいいのか分からなくて、嵐は曇りガラスの壁に両手を付いた。ひんやりと雨の気配と冷たさが手のひらに伝わってくる。
「誰だ、お前」
灯理の声が、曇りガラスを震わせた。
この向こうに彼がいるのは確からしい。
嵐は無意識に灯理を求めて、顔を曇りガラスに近づける。
嵐の吐息が、曇りガラスを湿らせて、ほんの少しだけ外の光景を透かして見せた。
そうしてできた小さな覗き穴の向こうには、巨人のように大きく見える灯理がいた。
嵐は浮遊感にさらされた。
灯理の姿が遠ざかり、嵐は顔を巡らせて追いかけるが、反対側から近づく別の人物の姿に顔を戻す。
それは灯理と同じように大きな大きな女性で、なんとなく嵐は自分に似た顔だと思った。
でも、髪はしっとりと煌めく銀色で、瞳は濡れた夜の闇みたいに深い漆黒で、肌は人形のように白かった。彼女の着ている真白の浴衣が雨で肌にぴたりと張り付いていて、ほっそりとした体のシルエットが浮かび上がって厭らしい。
「私は露包むよ。露包むの未言巫女。やっと、外で出れた。やっと、貴方に会えた、灯理」
しっとりと濡れた唇が、熱っぽい言葉を二人に届けた。
それから、嵐が立つ床が大きく揺れて、嵐はぺたんと座って柱にしがみ付く。
そして嵐が入っているこれを、露包むと名乗った巨人は握ったままくるくると回っているらしい。
景色が吹き飛んでは戻ってきて、ジェットコースターみたいな加速度が嵐を翻弄した。
そしてその絶叫マシーンは不意に止まり、また露包むというらしい彼女は、嵐にキスしそうな勢いで顔を近付けた。
「よろしくね、嵐。貴女と私は、存在を一つにした位相共体、相説くものとなったの。わかりやすく言えば、貴女の周囲が露包む時、私と貴女の存在は入れ替わる。私は外へ、貴女は私の代わりにランタンの中へ」
「はい?」
意味が全く分からないけれど、何やらとんでもないことを言われているらしいとは理解出来た。
それでもランタンの中にいるせいで、手も足も出ないし、声も届かない嵐に対して、露包むは勝ち誇るように、慈しむように微笑みを向けた。
「これから私たちはお互いを繋げて、存在を共有するの。どうかよろしくね、私の新しい別存在さん」
これからどうなるのか、嵐には全く分からなくて、泣きたくなってきた。
その顔が誰にも見られないようにするように、露包むの唇が、曇りガラス越しに嵐の全身を抱き止めた。
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