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You are glad to feel my happiness
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「それで別に二人が家を使う訳でもないのに、アカリは実家に帰るんだ?」
仕事中なのにプライベートに首突っ込んでくるの、本当にどうにかしてくんねえかな、この上司、と灯理は心の奥底から思った。
灯理はパソコンのキーボードを叩きながら、真面目な勤労でもって玲の言葉を黙殺する。
来客があったために土曜日に事務所が開けられたが、関連する手続きと後処理さえ片付ければもう仕事を終えられるというのに、玲のやる気がなくて――というか、従業員への好奇心にやる気が負けているせいで、ちっとも作業が進まない。
二重の意味で灯理は玲の相手をする気持ちが消え失せていて、作業に没頭している姿を見せ付ける。
灯理がしているのは、依頼主が決めたデザイン案から実際に必要となる資材を抜き出し、見積もりを作成する前準備だ。どうせ見積もりの発注をしようにも卸業者が休みなので、必要なものをリストアップすれば今日は十分なのだ。
この作業にはあと三十分も掛からないだろうから、終わったら玲が手を付けていない事務処理を奪って終わらせれば退勤できる。
「ちょっとー、無視しないでよー。そんなに急がなくても、まだお昼前よ?」
休日に出勤をした時は大抵、玲が昼食を奢ってくれる。裏を返せば、昼過ぎまで仕事になることが多いのだ。
それに無理して早く終わらせても、時給制の灯理は収入が減ってしまうだけだ。玲はその辺りも気にして、灯理に休憩を挟ませては勤務時間を調整して月収入が安定するように心掛けてくれている。
それに関しては灯理も感謝はしているのだが、今回ばかりは灯理の気をそらす話題が酷かった。
「もー。アカリが相手してくれないって、嵐ちゃんにメッセージ送っちゃおうかな?」
「……デートの邪魔になるだろうが、自重しろ、このダメ上司」
「うわ、ガチで怒らないでよ。ほんとにやらないってば。いや、目がマジで怖いから、ごめん、謝るから、ほんとに」
暗闇の中で猛獣が獲物を狙うような剣呑な視線で刺されて、さすがに玲も口を噤んだ。
「そんなに嵐ちゃんが大事なのねぇ」
玲が頬に手を当てて、しみじみと呟く。
そこで、灯理は何も口に含んでいないのに、胸を詰まらせて咳きこむ。
「あなたって本当に、損する性格ね、いつもいつも」
「……自覚はあるんで塩塗らんでください」
別方向から来た精神ダメージに灯理は陥落して、キーボードの上に突っ伏した。
そうして手が止ると、頭は勝手に仕事でないことに考えを巡らせてしまう。
嵐は迷子になってないかとか。
アホなこと言って彼氏に愛想尽かされてないかとか。
キスをするのに、いい場所は見つけられただろうか、とか。
別に灯理が心配しなくていいことを心配してしまうのは、性格なのだろう。もしくは、惚れた弱みか。
「万が一にも、嵐ちゃんが彼氏を連れ込むところを見たくないのね」
「そうですけど、なにか」
「あら。珍しく素直ね。いいことよ」
そうは言われても、灯理にはこれっぽっちもいいことには思えなかった。
嵐は能天気だから灯理の感情に気付いていないのは、当人にだってよく分かっていた。こんな調子でばったり彼氏と出くわそうものなら、どんな勘違いをされるか分かったもんじゃない。
嵐に灯理から離れるように告げ口されるのは構わないが、もしも嵐の浮気を疑われて別れるとかいう事態になったら、首を括りたくなる自信があった。
「あーーー。だいじょうぶ? なんだったら、仕事の後にウチに来る?」
「ぜったいいやだ」
灯理が落ち込んでいる様子を見て玲は心配をしてくれるのだが、そのケアの方法が酷く問題だった。
好きな女に手を出せないからって他の女のところに行くとか、控えめに言っても最低だと灯理は思う。
玲には、雇って貰っていることもそうだし、デザインのことも教えてもらっているし、悩みの相談も、灯理が自分ではどうしようもない感情を取り除くのにも、本当にいろんな面で甘えさせてもらっているのは、重々承知の上だが、こんな時まで変に構わないでそっとしておいてほしい。
「玲さんより、キャラメルに癒されたい気分なんですよ」
「まぁ。こんな美人をふるなんて、ひどい子ね」
灯理が実家で飼っているポメラニアンを引き合いに出して言い逃れすれば、玲も灯理を子ども扱いして茶化す。
「でも」
それなのに、玲は言葉を接いで真面目な表情を作った。
「もっと自分の幸せも考えなさい。こんなに苦しんで、報われないで不幸を甘んじるなんて、もう二度としなくていいんだから。ううん、本当だったら、一度だってしなくていいのよ」
玲の声で鼓膜を震わせた灯理は、伏せたままだった顔を重たそうに持ち上げた。
パソコンの画面を映す愛鏡は、けれども、手の届かない者を映しているかのように、底が見えなくて、曖昧に凪いでいる。
「しなくてよくても、自分でそうするのを選んでるんですよ。………………いまは」
灯理はいつだって、周りから間違った生き方をしていると言われてきた。
大学にも行かず、就職もしないで、祖父の兄を慕って同じようにランタンを作る職人を目指し、誰も頼らずに家を飛び出した。
親の金で大学に行って、ランタンを作ることも出来ただろう。
就職をして働き、趣味でランタンを作ることも出来ただろう。
ランタンを作ることなんて諦めてしまうことだって出来るのだ。
それでも、灯理は自分で、自分の生き方を決めた。誰に諭されても、貶されても、願われても、全て振りほどいて、今の生き方を自分で決めて歩んでいる。
だから。灯理には。
「イラついても、イヤでも、苦しくても、後悔はしてないです。どんなに幸せなんだって、後悔しながら生きてたら虚しいと思うんですよ、俺は」
ぽつぽつと、雨点すように灯理は語る。乾いた大地を濡らして固めてより確かにして、染み込んだ水がいずれ種を芽吹かせるようにして。
「あと、まぁ。自分でもバカで不幸でどうしようもないのは知ってますけど、その。えーと。あー……嵐が幸せなので、今のとこ一番嬉しいんで」
とても言いにくそうに。
火照る顔を玲から背けて。
恥ずかしさで今にも消えそうになりながら。
それでもはっきりと、灯理は自分の素直な気持ちを言葉にした。
きょとんと、玲は目を丸くする。それから、くつくつと喉に笑いが沸き上がってきた。
「やだ、アカリが可愛いんだけど。今日、ウチに来ない?」
「俺の話聞いてましたかね!?」
情欲に濡れた声で誘われて身の危険を感じた灯理は、あらん限りの声を張り上げた。
仕事中なのにプライベートに首突っ込んでくるの、本当にどうにかしてくんねえかな、この上司、と灯理は心の奥底から思った。
灯理はパソコンのキーボードを叩きながら、真面目な勤労でもって玲の言葉を黙殺する。
来客があったために土曜日に事務所が開けられたが、関連する手続きと後処理さえ片付ければもう仕事を終えられるというのに、玲のやる気がなくて――というか、従業員への好奇心にやる気が負けているせいで、ちっとも作業が進まない。
二重の意味で灯理は玲の相手をする気持ちが消え失せていて、作業に没頭している姿を見せ付ける。
灯理がしているのは、依頼主が決めたデザイン案から実際に必要となる資材を抜き出し、見積もりを作成する前準備だ。どうせ見積もりの発注をしようにも卸業者が休みなので、必要なものをリストアップすれば今日は十分なのだ。
この作業にはあと三十分も掛からないだろうから、終わったら玲が手を付けていない事務処理を奪って終わらせれば退勤できる。
「ちょっとー、無視しないでよー。そんなに急がなくても、まだお昼前よ?」
休日に出勤をした時は大抵、玲が昼食を奢ってくれる。裏を返せば、昼過ぎまで仕事になることが多いのだ。
それに無理して早く終わらせても、時給制の灯理は収入が減ってしまうだけだ。玲はその辺りも気にして、灯理に休憩を挟ませては勤務時間を調整して月収入が安定するように心掛けてくれている。
それに関しては灯理も感謝はしているのだが、今回ばかりは灯理の気をそらす話題が酷かった。
「もー。アカリが相手してくれないって、嵐ちゃんにメッセージ送っちゃおうかな?」
「……デートの邪魔になるだろうが、自重しろ、このダメ上司」
「うわ、ガチで怒らないでよ。ほんとにやらないってば。いや、目がマジで怖いから、ごめん、謝るから、ほんとに」
暗闇の中で猛獣が獲物を狙うような剣呑な視線で刺されて、さすがに玲も口を噤んだ。
「そんなに嵐ちゃんが大事なのねぇ」
玲が頬に手を当てて、しみじみと呟く。
そこで、灯理は何も口に含んでいないのに、胸を詰まらせて咳きこむ。
「あなたって本当に、損する性格ね、いつもいつも」
「……自覚はあるんで塩塗らんでください」
別方向から来た精神ダメージに灯理は陥落して、キーボードの上に突っ伏した。
そうして手が止ると、頭は勝手に仕事でないことに考えを巡らせてしまう。
嵐は迷子になってないかとか。
アホなこと言って彼氏に愛想尽かされてないかとか。
キスをするのに、いい場所は見つけられただろうか、とか。
別に灯理が心配しなくていいことを心配してしまうのは、性格なのだろう。もしくは、惚れた弱みか。
「万が一にも、嵐ちゃんが彼氏を連れ込むところを見たくないのね」
「そうですけど、なにか」
「あら。珍しく素直ね。いいことよ」
そうは言われても、灯理にはこれっぽっちもいいことには思えなかった。
嵐は能天気だから灯理の感情に気付いていないのは、当人にだってよく分かっていた。こんな調子でばったり彼氏と出くわそうものなら、どんな勘違いをされるか分かったもんじゃない。
嵐に灯理から離れるように告げ口されるのは構わないが、もしも嵐の浮気を疑われて別れるとかいう事態になったら、首を括りたくなる自信があった。
「あーーー。だいじょうぶ? なんだったら、仕事の後にウチに来る?」
「ぜったいいやだ」
灯理が落ち込んでいる様子を見て玲は心配をしてくれるのだが、そのケアの方法が酷く問題だった。
好きな女に手を出せないからって他の女のところに行くとか、控えめに言っても最低だと灯理は思う。
玲には、雇って貰っていることもそうだし、デザインのことも教えてもらっているし、悩みの相談も、灯理が自分ではどうしようもない感情を取り除くのにも、本当にいろんな面で甘えさせてもらっているのは、重々承知の上だが、こんな時まで変に構わないでそっとしておいてほしい。
「玲さんより、キャラメルに癒されたい気分なんですよ」
「まぁ。こんな美人をふるなんて、ひどい子ね」
灯理が実家で飼っているポメラニアンを引き合いに出して言い逃れすれば、玲も灯理を子ども扱いして茶化す。
「でも」
それなのに、玲は言葉を接いで真面目な表情を作った。
「もっと自分の幸せも考えなさい。こんなに苦しんで、報われないで不幸を甘んじるなんて、もう二度としなくていいんだから。ううん、本当だったら、一度だってしなくていいのよ」
玲の声で鼓膜を震わせた灯理は、伏せたままだった顔を重たそうに持ち上げた。
パソコンの画面を映す愛鏡は、けれども、手の届かない者を映しているかのように、底が見えなくて、曖昧に凪いでいる。
「しなくてよくても、自分でそうするのを選んでるんですよ。………………いまは」
灯理はいつだって、周りから間違った生き方をしていると言われてきた。
大学にも行かず、就職もしないで、祖父の兄を慕って同じようにランタンを作る職人を目指し、誰も頼らずに家を飛び出した。
親の金で大学に行って、ランタンを作ることも出来ただろう。
就職をして働き、趣味でランタンを作ることも出来ただろう。
ランタンを作ることなんて諦めてしまうことだって出来るのだ。
それでも、灯理は自分で、自分の生き方を決めた。誰に諭されても、貶されても、願われても、全て振りほどいて、今の生き方を自分で決めて歩んでいる。
だから。灯理には。
「イラついても、イヤでも、苦しくても、後悔はしてないです。どんなに幸せなんだって、後悔しながら生きてたら虚しいと思うんですよ、俺は」
ぽつぽつと、雨点すように灯理は語る。乾いた大地を濡らして固めてより確かにして、染み込んだ水がいずれ種を芽吹かせるようにして。
「あと、まぁ。自分でもバカで不幸でどうしようもないのは知ってますけど、その。えーと。あー……嵐が幸せなので、今のとこ一番嬉しいんで」
とても言いにくそうに。
火照る顔を玲から背けて。
恥ずかしさで今にも消えそうになりながら。
それでもはっきりと、灯理は自分の素直な気持ちを言葉にした。
きょとんと、玲は目を丸くする。それから、くつくつと喉に笑いが沸き上がってきた。
「やだ、アカリが可愛いんだけど。今日、ウチに来ない?」
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