露包むランタン

奈月遥

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I don't like dad!

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 客人だからと先にお風呂を頂いて髪を乾かして出てきた灯理とうりは、居間で一人胡坐を掻いてお猪口を傾けているらんの父を見掛けた。
 嵐は灯理と入れ替わりで入浴しており、母親の方は台所で洗い物をしている気配がする。
「おお、灯理君。もし良かったら付き合ってくれないか?」
「はい、喜んで」
 嵐の父がお猪口を上に掲げるので、灯理は愛想良くはにかんで対面に腰を降ろした。
 テーブルの上に乗っているのは地酒の瓶だが、一緒に嵐の母の手料理も並んでいるので晩酌の話し相手くらいは務まるだろう。
「あはは、こんなおじさんの相手してくれるなんて、本当に優しい子だ。ちょっと待ってくれよ。母さん、灯理君にもお猪口を出すよ」
 嵐の父は手を畳に付いて立ち上がり、灯理が止める間もなく台所に向かってしまった。
 灯理が腰を浮かせて自分で動こうとした時にはもう、嵐の父は焼き物のお猪口を一つ手に包んで帰ってきていた。
「ああ、いい、いい。座ってなさい。お客さんなんだから」
「あ、はい、ありがとうございます」
 灯理は自分の父親と違い、自分で台所に入り客の食器を持ってくる嵐の父に不慣れ故の戸惑いで挙動不審になる。
 この年代で奥さんを顎で使わない人もいるのかと感動さえ覚えた。
 感情が渦巻いて動けないでいる灯理の前に、嵐の父が手ずから注いでくれた杯が、トンとテーブルに置かれた。
「さ、まずは乾杯だ」
 嵐の父が目元を少し降ろして自分のお猪口を目線の上に掲げる。
 灯理が慌てて形だけ真似た頃には、嵐の父の喉を地酒が通り抜けていた。
「うん、うまい。いやぁ、こんなにも早く娘の彼氏と酒を酌み交わせるなんて、生きてて良かったなぁ」
 しみじみと酒を味わう嵐の父親に灯理は大袈裟だなと表情を崩した。
 嵐くらいに可愛ければ大学生活の内に恋人が出来ないなんて、まず有り得ない。
 夕食の時もそうであったけれど、嵐の父親も感情が昂らなければとても人のいい方だった。灯理に対して感動と感謝の想いが妙に強く、また娘は溺愛して呆れられているが、それが合っても人格者だと判断出来る。
 ふぅ、とこれまでの分が回ったのか、嵐の父が酒吹さかぶいた。
「や、嵐は随分と君に甘えて迷惑を掛けているのは聞いているがね。フラれてすぐに言い寄るなど、礼儀のなってない娘で、重ね重ね済まない」
 その辺りも話していたのかと知って、灯理はバツが悪そうに生乾きの頭を掻く。責められてはいないが、元来腰が低い灯理はどうにも立場が弱い。
「それに、未言みこと、というのは私には良く分からないが、それも君のせいではないだろう。余り気に病まないでくれたまえ」
 嵐の父が切り出した話に灯理は目を見開いた。
「聞いているんですか。露包つゆつつむの……ランタンのことを」
「ああ。もう察しているかもしれないが、家のかみさんは何でも堂々と話す人でね。ゴールデンウイークでも嵐の入れ代わりは見てないから全く理解はできないが、まぁ、ふうも嵐も嘘をつかないのは知っているから、そういうこともあるんだろうと思っているよ」
 聞いただけで相手を信じられる程の絆に灯理は衝撃を受けた。
 常識の範疇に納まらなくて、事実を見た訳でもない、そんな怪奇現象に娘が巻き込まれていると知って、それを納得し、その上で原因を嵐に手渡した灯理に何の嫌悪も抱かずに接してくれる。灯理はどうしても自分の父親と比べてしまって、こんなに懐の広い父親を持つ嵐が羨ましく思う。
「嵐が今、とても幸福なのは見ていれば分かる。これでも親だからね。そして、君を見ていれば、きっとずっと未来まで嵐を大切にしてくれるとも分かる。これでも職場でいろんな部下を持ったからね。人を見る目ばかりは、奥さんにも褒められるんだ」
 嵐の父親が悪戯小僧みたいに口元を緩めて笑みを浮かべた。
 灯理は、舌が乾いて張り付き、言葉が返せない。黙ったままでいるのが、とても申し訳なかった。
「つまりだ。娘をこれからも幸せにしてほしいというお願いと、娘がこれからも迷惑を掛けるねという謝罪の先払いと……あと、君のような素敵な青年も、どうか健やかに幸せになってほしいとおじさんは思っているんだ。ほら、呑んで! 若者が遠慮なんかしちゃーいかん。飛騨の山が磨いた酒はうまいぞ。東京ではなかなか呑めん!」
 嵐の父親に促されても灯理は体が震えてお猪口を取れなかった。
 手を膝に置いたまま、腕を突っ張っていないと体が崩れ落ちそうだった。
 気付けば、灯理は自分でも良く分からないままに、ぽろぽろと泣いていた。
「うっ……くっ、すみ、すみません、こんな……なさけなく、て……」
 そんな灯理のかねろうとして、とっくに堰が切れた姿を、嵐の父親は柔らかく目を細めて見守る。
「情けないものか、人一人幸せにできるなんて、そう出来るもんじゃない。それが家の娘なんだから、むしろ君を誇らしくも思うよ。そんな立場ではないが、まぁ、大人が偉ぶってと笑ってくれていいんだが」
「そんな、俺、嵐に幸せになってほしくて……全部、俺の、勝手な、わがままで……」
「我儘でうちの娘をあんなに笑顔にしてくれたのか。きっとあの子も、君よりもっと泣いて喚いただろうに。そうだろう?」
 嵐の父親に肩を叩かれ、灯理は力なく頷いた。
 泣きじゃくる嵐の姿を思い出すだけで胸が引き裂かれる。
 いつしか嵐が好きだからと認めながら、それなのに彼女の幸福のために隣にいた別人にその場所を明け渡してしまっていた。
 そしてそこが開いたら、すぐに居座った。誰にも卑怯だとは言われなくても、灯理自身が自分の行いに罪の念を抱いていた。
 世界がどのように善悪を定めようとも、罪とは自ら架したモノこそが何よりも重いのだ。
「ありがとう。嵐のためにそんなに苦しんでくれた君は、どうか、どうか幸せになってくれ。娘を支える人は、幸福でいてくれた方が親は安心出来る」
 その言葉を限りに、嵐の父親は黙って灯理の零す雫を見守った。
 灯理は止められない自分が情けなく思いながら、胸の奥に安堵の気持ちがあるのを実感する。
 それは、初めて親に迎えられたような心地にも思えた。
「あーーーーー! ちょっと! お父さん、なに、灯理さん泣かしてんの!」
 しんみりとした空気は、風呂上がりの嵐の絶叫にいとも容易く打ち破られた。
 灯理が顔を上げるより早く、その体が嵐に抱きすくめられた。
「あたしの灯理さん泣かせるとかさいてい! きらい! お父さんなんか、だいっっっきらい!」
「ぐはっ!」
 力いっぱいのだいきらいを娘から投げ付けられて、父親は胸を押さえて仰け反った。
「ら、らん、ちが、そうじゃなくて、これは」
 しどろもどろと灯理が涙の訳を説明しようとするが、怒り心頭の嵐は聞く耳を持っていなかった。
「わるいお父さんから、灯理さんはあたしが守るから! こっち!」
 灯理は場違いにも嵐が守ってくれると聞いて嬉しくなってしまって。
 勘違いした嵐に引っ張られるままに寝室へと匿われるのだった。
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