露包むランタン

奈月遥

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Under one unit of clouds

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 リビングに二つの旅行鞄が開かれて中途半端に荷物を詰められていた。
 灯理とうりらんは明後日の出発に控えてアメリカ行きのためを準備をしていたのだけれど、今はテーブルに置いたある物を囲って頭を悩ませている。
「めぅ……やっぱり鞄にはもう入らないよう。別で持っていけない?」
「追加の荷物は別料金だぞ。金払うれいさんにどう説明するんだよ」
「めぇぇーうぅ……あかりさんの、ランタンを、向こうで売るとか……」
 灯理から目を逸らして言っている辺り、嵐も自分の提案が現実味を帯びていないのは分かっているだろう。きゅっと胸に手を当てて縮こまっている。
「置いていくしかないよな……くっそ、全然頭から抜けてた。最近、雨降らなかったからなぁ」
 灯理はもう一度テーブルの上に置いたランタンを見た。
 曇りガラスが嵌められたそのランタンは所々にきらりと雨粒の形をした石が飾られている。デザインは質素で静けさを感じるのに、造りがとても丁寧で、銘品という趣を感じさせた。
 詰まるところ、露包つゆつつむのランタンをどうするのか、という手立てが思い浮かばず行き詰っているのだ。
 だが持って行かないにしても、この不可思議な嵐と未言巫女みことみことの入れ代わり現象を起こすランタンがどう機能するのかが未知数なのだ。
 アメリカで嵐のいるところで雨が降ったらどうなるのか、置いていった家の周囲で降ったらどうなるのか、それが不明だったから嵐の帰省の時には灯理はレンタカーで持っていく判断をした。
 それと分の悪いことに明後日からの一週間で天気は崩れている。秋雨前線が例年の通りの発達を見せていて今日だってもう何時降り出してもおかしくない曇り空だ。
 露包むのランタンについて分かっているのは、暗い時間に雨が降って、街灯が露包んだ時に嵐との入れ代わりが起こるということだけだ。どのくらいの閾値で発生するのかとか、距離はどうなのかとか、そもそも何かしたら入れ代わりが制御できるのかとか、全く分かっていない。
 嵐が我が子を母が抱くようにして露包むのランタンを抱え上げた。
「困っちゃうね……」
「アメリカとは時差もあるからな……仕事中に入れ代わったら、本気で困るぞ。嵐だって通訳してもらわないといけないんだし」
 そう、玲が経費で嵐の旅費を負担してくれるのは、嵐にも向こうで仕事を宛がわれているからだ。
 今までは現地で日本語の出来る通訳を雇っていたが、今回は嵐に玲とクライアントとのコミュニケーションを橋渡ししてもらう予定だ。
 一日目は様子見で問題があれば次の日からはいつも通りに現地の通訳を見繕うと玲は話していたが、それは安全策の話だ。
 それに嵐だって今回通訳を任せられたことに対して強い意欲を燃やしている。しんにお願いもして、知り合いの英語話者と通話をしたり、通訳経験のある梓《あずさ》にレクチャーを受けたりと、しっかりと学んで準備している。
「いっそ、壊したら解決する……?」
「灯理さん、落ち着いて。どうしてそこでそんなに短絡的になっちゃうの」
 悩む時間は惜しいからいっそ行動しろ、という信条で生きている灯理が解決しない問題に思考を放棄して物騒なことを言うから、嵐は身を捻って露包むのランタンを灯理の視界から逃がした。
「だって、嵐の方が大事だし」
「人命優先して。今、それ言われても嬉しくないから」
「未言巫女は人命なのか……?」
「そこで悩まないで。とにかく、壊すのはダメって前も言ったでしょ。泣くよ」
「うっ。わかった、壊さない、絶対に」
「よし」
 ふぅ、と息をついて嵐はランタンをテーブルに戻した。見た目よりも軽いけれど手を滑らして落とすのは嫌だった。
 灯理は頭を掻いてソファに寝そべった。
 嵐が灯理の額に手を当てて思った通りに熱が出ているのをむ。
「灯理さん、知恵熱出してる」
「あー、嵐の手がひんやりして気持ちいー」
「熱さましシート出す?」
「ん。いや、そこまではしなくて平気だ。たぶん」
 灯理も熱を出して不調になってしまって嵐としては不安と心配が二倍に膨れ上がった気分だった。
 困ったな、と露包むのランタンを振り返って見た時、嵐の脳裏にひやりとした感覚が降った。
 言葉にできないけれど、それは確かなものだと感じられる。
「あ、これ。代わる」
「え?」
 嵐の漏らした呟きに体を起こした灯理は、もう入れ代わった露包むの未言巫女の白い肌しか見付けられなかった。
 意識して耳を澄ませば確かにさらさらと淑雨しとめらしい音が耳紛みみまぎれている。
「随分と思い悩んでるみたいだけど、流石のわたしも国を越えて力は発揮出来ないわよ」
「え?」
 そして露包むの未言巫女が何でもないように二人がぐるぐると迷っていた問題の答えをあっさりと口にした。
「え、いや、教えてくれよ、そういうこと」
「だって、聞かれていないし、そんな味気ない説明するよりは、灯理と湿やかな触れ合いをしたかったんですもの」
 自分本位な主張をしつつ、露包むは灯理の髪に指を滑り込ませた。
 露包むの指は嵐よりもさらに冷たく、灯理は茹だった頭の熱どころか生きるのに必要な体温までもまれていく気分になり背筋を冷やした。
「まて、とりあえず、教えろ。本当にアメリカに行ったら効果は出ないんだな?」
「ええ。厳密には決まっていないけれど、そうね、わたしのランタンと嵐が違う雲の下にいるなら、どちらの周囲で露包んだとしても、入れ代われないわ」
 訊かれれば露包むは素直に答えてくれる。
 その手は灯理の喉を降って鎖骨に指を辿らせているけども。
「違う雲ってなんだよ」
「違う雲は、違う雲よ。繋がりを持ってない雲、かしらね。アメリカと日本では、流石に雲も一つ同じにはならないでしょう」
 分かるような、それでいて曖昧で、人間には当てにならない基準だ。
 そのあやふやさが未言の神秘を担っているのかもしれない。
「でも、お前、イギリスで嵐のお母さんと会っていたって言ったよな?」
「ええ、でも、それは、そうね。わたしと同じだけど、同じではないというか」
「どういうことだ?」
 灯理は露包むの言う言葉にまた頭に熱が上がってきた。
 露包むの手のひらが柔らかく灯理の首を絞めるように絡まり頸動脈が冷やされる。
「わたし、という言葉は誰が使っても一人称という意味を持つけど、使う人によって指し示す人物は違うわ。言葉ってそういうもの。例えば、ある泉から水を汲みましょう。その汲まれた水も泉に残った水も、同じ泉の水。だけどそれらは明確に二つと区別ができる。ふうにあった露包むはわたしではないけれど、露包むであるの。水には意識がないかもしれないけれど、露包むの未言巫女には共有した意識があるから、風と会ったのも真実で、わたしが風と会っていないのも事実なのよ」
「なるほど、まったくわからん」
 灯理は水を組むくだりまでは頑張って付いていったが、そこから先は完全に頭が拒否して鼓膜から先の神経を伝わせられなかった。
「現象だけを言うと、アメリカで露包むの未言巫女が出て来ても、それは嵐と入れ代わることはないわ」
「んー……納得するほど理解出来ないが、嵐が困らないなら、まぁ、いいか」
「灯理、貴方、嵐にとって良ければ何でも良いんでしょ」
 灯理は図星を付かれて顔をソファに向けて隠そうとしたけれど、露包むはするりと指を差し込んで中指で頬を押して位置を戻させた。
「嵐を大切にしてくれるのは、わたしを大切にしてくれるよりももっと嬉しいから、そのままでいいわよ」
「お前は嵐のなんなんだ」
「だから、お姉さんだって、初めから言っているじゃない」
 しっとりと微笑む露包むの微笑みは確かに慈愛が溢れ出ていて、灯理は露包まれるように納得させられてしまった。
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