露包むランタン

奈月遥

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Cherry candies

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らん、嵐、起きろ」
 青空を進む機内の中、灯理とうりはシートから上半身をだらりと伸ばして抱き着いている嵐の肩を揺さぶった。
「ふあ、めぇ、灯理さん、もっと食べる……」
 寝惚けた嵐がもしゃもしゃと灯理の服を口に含んだ。
 灯理は愛しそうに目を細めてから、嵐の大福みたいな弾力の頬を抓り引っ張った。
「起きろ、ばか娘。人の服食うんじゃない」
「めう! いひゃい、いひゃい!」
 痛みに意識を釣り上げられた嵐は唾液の糸を引いて体を起こした。
 三列シートで灯理を挟んで嵐の反対に座っていたれいが赤い唇に人差し指を当てて二人に見せる。
「他のお客さんもいるから、静かにね」
「め……ごめんなさい」
「ほら、着陸するから、またシートベルト絞めろ」
 嵐は灯理に手助けされながら腰にシートベルトを巻く。
 それで体を固定して灯理が頷いてくれるのを見てから、太陽の光が飛び込む窓の外に顔を向ける。
 初めての飛行機が海外旅行になった嵐は海岸線に沿って海を切る大陸の縁を見下ろした。
「わぁ!」
 嵐が歓声を上げるのを聞いて灯理は微笑ましく思いながらシートに背中を預ける。
 ランディングの衝撃が来るまで、灯理は体の力を抜いて真昼の日射しに途切れがちな夢波ゆめなみに身を委ねた。
 それから三人が搭乗した飛行機は定刻通りにサンフランシスコ国際空港に到着した。
「夜に出て、飛行機で眠って、もう真昼です。これが時差……」
 嵐は経過時間の自覚と実際に身を置いている景色とのギャップに戸惑っている。
 飛行機の中で熟睡せず仮眠と映画鑑賞で徹夜をしていた灯理は、大きく欠伸をして目を擦った。
「ちなみに嵐ちゃんの感覚でいうと、今は昨日の昼間よ。ふあぁあ」
 玲も嵐に解説を挟んで口を手で隠して欠伸する。
「時間が巻き戻ってる……魔法?」
「時差だよ。お前、さっき自分で言ったろうが」
 キャリーバッグを転がして先頭を歩く玲が黄色いタクシーを見付け、スマートフォンのアプリと見合わせた。
 玲自身が呼んだタクシーに間違いないのを確かめて彼女はタクシーの運転手に手を上げて合図を送る。
 玲がスマートフォンの画面を見せると運転手は頷いて運転席に乗った。
 灯理がトランクを開けて三人の荷物を詰め込んでいる間に、嵐は玲に手を取られて後部座席に乗せられた。
 遅れて灯理が助手席のドアを自分で開けて乗り込む。
「All right?」
「オーケー」
 灯理がシートベルトを締めたのを見た運転手が流暢に問い掛け、灯理は堅苦しい発音で返す。
 短いやり取りだけど、嵐はアナウンスじゃない生の英語に胸がどきどきした。
 大学で聞くよりも雑な英語だけれど逆にそれが日常の言葉に感じられる。
「ふぅ。アプリだと日本語で打ったのを勝手に翻訳してくれるから楽よね」
 玲が眠そうに瞼を瞬かせて固い皮張りのシートに背中を擦り合わせた。
 嵐は便利だなという気持ちと勿体ないなという気持ちを混ぜ合わせて玲の握るスマートフォンを見る。
 タクシーはこちらからお願いをしなくても予め送信されていた目的地まで届けてくれる。
 相手が英語の不自由な日本人だと分かっているのか、運転手もラジオに耳を傾けるばかりで口を開かない。
[ホテルまで、結構かかりますか?]
 嵐は我慢が出来なくて、英語を運転手に差し向けた。
 バックミラー越しに運転手が目を見開いたのが嵐にも確認出来た。
[なんだ、お嬢ちゃんは小綺麗だけどちゃんと英語が話せるのかい。日本人にしちゃ、堂々とした発音だ]
[ありがとう。大学で勉強してるの]
[ははっ。そう言って七面鳥よりも酷い鳴き声をよく聞かされるよ]
[じゃあ、あたしはストリートのインコくらい?]
[いいね、そのジョークのセンスは嫌いじゃない]
 嵐が運転手を会話するのを灯理はちらちらと不安を滲ませた目で盗み見ている。
 灯理には二人が何を話しているか分からないから、嵐がいらないことを吹き込まれていないか心配なのだ。
 玲もじっと嵐の顔を見詰めているけれど割って入る英語力を持ち合わせていない。
[弟君は、お姉ちゃんがヤンキーにいやらしいことを言われてないか不安みたいだ]
[彼は弟じゃないよ、あたしの彼氏なの]
[ヒュー! なんだい、年下好みか。顔はともかく、体はそんなにセクシーなのに]
[残念、それも間違い。彼はあたしより二つも年上]
[ありゃま。ちくしょう、やっぱ日本人は童顔ばっかだ、これで補導されないなんて信じられないね。お嬢ちゃん、大人をからかっているなら、そう言ってくれよ]
[本当ですー]
 嵐は、ベー、とピンクの舌をバックミラーに映した。
 それを見た運転手は愉快そうに笑いを車内に響かせる。
 空港から三十分少々、ずっと海岸線に沿って走ったタクシーが停車した。
[ありがとうございます。これ、チップです]
 嵐は空港で両替して貰った玲からのお小遣いからお札を二枚、運転手に差し出した。
 運転手はそれを一瞥して肩を竦める。
[うちはチップもアプリ精算だよ、お嬢ちゃん]
[あたしと喋ってくれた分。アプリ使ってるの、あたしじゃないから、受け取って]
 嵐は後部座席からアクリル板に挿し込んだ手を振ってお札を揺らす。
 運転手はじっとそれを見詰め、ポッケに手を突っ込んでから嵐の手からお札を受け取る。
 その代わりに嵐の手に何かが握らされた。
 灯理はぎょっとして肩と腰を浮かし運転手を睨む。
「待って、あかりさん、ちゃんと何か訊くから」
 嵐が英語で何をくれたのか問い質す。きちんと握り込んだ手は引っ込めず、すぐに相手に押し付け返せるように警戒を見せる。
 運転手は鼻を鳴らした。
「Just candy」
 嵐は手のひらを開く。その包みは鮮烈なピンクだった。
「嵐、なんだって?」
 灯理の声は怯えで焦り、嵐を急かす。
 その灯理に見せ付けるように運転手はもう一つ同じ包みをポケットから出して赤く透明な粒を口に放り込んだ。
「Cherry taste」
 運転手は嵐に向けて、にやっと口元を持ち上げた。
 嵐もにこやかに、yaと笑顔を返す。
「飴玉くれるって。サクランボ味」
 灯理はじっと嵐の手のひらに乗った包みを見て、それから頬で飴玉を転がす運転手の顔を見る。
「サンキュー」
 最後まで拙い英語のような日本語を使う灯理に、運転手はさらにもう一つ、キャンディの入った包み紙を取り出して灯理に向けて放り投げた。
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