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2.恋はするものではない。いつしか落ちるものだ
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昔、平氏の目を逃れ、三四郎という源氏の若武者が島に隠れ住んでいた。この三四郎こそ、後白河天皇の家臣、藤原成親の一味の者であった。
治承元(一一七七)年、藤原成親、平康頼、西光、俊寛らは平家打倒を誓い、東山鹿ヶ谷にて討伐のための密議を開いた。
このなかの一人、蔵人(天皇の秘書的役職)源行網の密告により西光は殺害され、成親とその一味は遠流の刑となり、もくろみは失敗に終わったのだ。
そんななか、三四郎はひそかに頼朝と通じ、源氏一門の団結と決起に心血を注いでいた。ところが三四郎の行動は、韮山の山木判官らの知るところとなった。
危機感を抱いた三四郎はいったん仁科に引きあげ、堂ヶ島の中ノ島にひそんだのだ。
当時から島は干潮時に陸続きとなって行き来でき、また上げ潮の際には中州を閉ざすことで知られていた。
まさか天然の要塞ともいえる無人島にひそんでいるとは敵も思うまい。三四郎はしばし雌伏に耐え、時節の到来をしずかに待っていたのである。
時同じころ、仁科庄の豪族、瀬尾行信は、三四郎の人望と志に感銘をうけ、陰ながら三四郎を支援し、願望成就を祈っていた。
行信には、十六になる小雪という美しい娘がいた。
小雪もまた、毎日瀬浜が潮を引くのを待っては、三四郎のもとへ食料をとどけたり、身のまわりの世話をするため、足繁く通っていた。
恋はするものではない。いつしか落ちるものだ。
磁力のように二人は惹かれあう仲となった。瀬浜の干潮時のかぎられた逢瀬は、若い男女にとって、このうえない至福のひとときだった。
しかしながら、満ち足りた日々も長続きはしない。
頼朝はついに機が熟したと、山木判官、堤信康らを夜討ちにかけるべく、ここに源氏再興の狼煙をあげた。
それは治承四(一一八〇)年のこと。この意思表明は夜のうちに行信のところへ伝えられた。
密使を知った小雪は衝撃をうけた。
愛する男の晴れの出陣がきたという喜び。同時にそれは愛しい人との別離を意味するのだ。
三四郎に書状を届けるため、小雪はとるものもとりあえず、外へとび出した。
夜も明けきらぬうちに、上げ潮になりつつある瀬浜を走った。つぎに潮が引くまで待っていられなかった。
が、その判断は若さゆえの勇み足だった。
刻々と潮は満ち、小雪がやっと中州のなかほどまで来たときには、すでに封鎖されたも同然だった。
容赦なく波が押しよせた。小雪は書状を胸に抱えふんばった。たちまちわらじが流された。
裸足で必死に渡ろうとした。
が、小雪の抵抗はあえなかった。
ひときわ大きな怒涛が襲ってきて、波が引いたとき、そこに彼女の姿はなかった。
朝日が白々と輝きはじめたころ、可憐な小雪の亡骸が岸に打ちあげられた。三四郎の慟哭は聞くにたえなかったことだろう。
その後、三四郎の運命がどうなかったかは、知る者はいない。
「報われない恋か」と、間宮さんは沈んだ声で言った。「昭和の歌謡曲じゃあるまいし、結ばれる仲よりも、引き裂かれるそれの方が人を惹きつけてやまないんだろうが、当人たちにとっちゃたまんないな。あまりにも救われない」
「だよね」わたしも声を落とした。「けっして道ならぬ恋でもなかったのに、おたがい好きあっていたのに、一緒になれないなんて残酷すぎる。いくら争いのたえない時代だからって」
わたしたちの逢瀬のときも、残すところあとわずかだった。
上げ潮を迎えるように日曜、つまり今日の午後九時すぎには離れ離れになってしまう。
間宮さんは仕事の都合で、月に一度か二度、会えるかどうかだ。
わたし自身、小雪のように命を落とすわけではないが、比喩的な意味で死んだも同然だ。
それほど彼のいない日常は侘しく、ドライフラワーみたいにしおれ、色あせていた。明日からまた機械の一部に組みこまれたかのようなモノクロームの暮らしがはじまるのだ。
三四郎島の伝説は、まるでわたしたちの将来を暗示しているかのようだ。
いずれこの恋も儚く終わるのは見えていた。
やっぱりこんな話をするんじゃなかったと、苦々しく思えてきた。
彼は影絵となった三四郎島を見つめていたが、わたしの方を向き、あごをしゃくった。
「いまなら島までつながってる。旧約聖書に出てくる海を切り開いたモーゼみたいに」と、力強く言った。眼が熱っぽく輝いていた。「いっちょ、行ってみようじゃないか。灯りはないが、なんとかなるだろ」
「いまから? 足を踏みはずしたらあぶないわ」
「大丈夫。月も出てて味方してくれる。それに記念になるだろ。仕事仕事とかまけてて、旅行につれていけなかったからね。ちょっとした冒険のつもりさ。子供のころから、男どもは無茶をしたもんだ。その延長。あぶないと思ったら引き返すまでだよ」
わたしは戸惑いを隠せない。いくら地元出身とはいえ、このトンボロ現象がどれほどの時間、続くのか知らないのだ。すでに潮は満ちはじめているのではないか。白波がさっきより目立つような気がした。三四郎島にたどりついたはいいが、島に取り残されてしまう恐れだってあるのに。
「もしものことがあったらって考えないの」
「心配性だな。やばいと思ったら、さっさと撤収すりゃいいじゃないか。長居するつもりはないさ。ちょっと島に渡り、当時の三四郎と小雪に思いを馳せるだけだよ。時間がゆるすなら、二人の冥福を祈ろうじゃないか」と言い、フォークダンスみたくわたしの手を取った。「どうか僕たちの恋が実りますようにってな」
それは虫がよすぎる話だ。
とはいえ、ここにきて間宮さんへの思いが熱く募ってきた。たしかに一度ぐらい、こんな冒険をおかしてもいいのではないか。
わたしたちはおたがい口数が少なく、言葉足らずだった。
それゆえ最近は引っ込み思案で、心の芯まで深く踏み込めなかった。もしかしたら島へ渡り、三四郎と小雪の気持ちに重ねれば、なにかが見い出せるかもしれない。クールすぎては、ほんとうに手に入れたい宝物を逃がしてしまうことがある。激情に身をまかせなくては、つかめないものがある。
いままさにその瞬間なんだと思う。
身体の内側から突きあげてくるしずかな情熱。生まれてこのかた味わったことのない烈しい衝動につき動かされるまま進むのも、ときには必要ではないか。
……もっともそれは同時に、小雪の届かぬ想い同様、悲劇しか待ち受けていないのかもしれないのだが。
治承元(一一七七)年、藤原成親、平康頼、西光、俊寛らは平家打倒を誓い、東山鹿ヶ谷にて討伐のための密議を開いた。
このなかの一人、蔵人(天皇の秘書的役職)源行網の密告により西光は殺害され、成親とその一味は遠流の刑となり、もくろみは失敗に終わったのだ。
そんななか、三四郎はひそかに頼朝と通じ、源氏一門の団結と決起に心血を注いでいた。ところが三四郎の行動は、韮山の山木判官らの知るところとなった。
危機感を抱いた三四郎はいったん仁科に引きあげ、堂ヶ島の中ノ島にひそんだのだ。
当時から島は干潮時に陸続きとなって行き来でき、また上げ潮の際には中州を閉ざすことで知られていた。
まさか天然の要塞ともいえる無人島にひそんでいるとは敵も思うまい。三四郎はしばし雌伏に耐え、時節の到来をしずかに待っていたのである。
時同じころ、仁科庄の豪族、瀬尾行信は、三四郎の人望と志に感銘をうけ、陰ながら三四郎を支援し、願望成就を祈っていた。
行信には、十六になる小雪という美しい娘がいた。
小雪もまた、毎日瀬浜が潮を引くのを待っては、三四郎のもとへ食料をとどけたり、身のまわりの世話をするため、足繁く通っていた。
恋はするものではない。いつしか落ちるものだ。
磁力のように二人は惹かれあう仲となった。瀬浜の干潮時のかぎられた逢瀬は、若い男女にとって、このうえない至福のひとときだった。
しかしながら、満ち足りた日々も長続きはしない。
頼朝はついに機が熟したと、山木判官、堤信康らを夜討ちにかけるべく、ここに源氏再興の狼煙をあげた。
それは治承四(一一八〇)年のこと。この意思表明は夜のうちに行信のところへ伝えられた。
密使を知った小雪は衝撃をうけた。
愛する男の晴れの出陣がきたという喜び。同時にそれは愛しい人との別離を意味するのだ。
三四郎に書状を届けるため、小雪はとるものもとりあえず、外へとび出した。
夜も明けきらぬうちに、上げ潮になりつつある瀬浜を走った。つぎに潮が引くまで待っていられなかった。
が、その判断は若さゆえの勇み足だった。
刻々と潮は満ち、小雪がやっと中州のなかほどまで来たときには、すでに封鎖されたも同然だった。
容赦なく波が押しよせた。小雪は書状を胸に抱えふんばった。たちまちわらじが流された。
裸足で必死に渡ろうとした。
が、小雪の抵抗はあえなかった。
ひときわ大きな怒涛が襲ってきて、波が引いたとき、そこに彼女の姿はなかった。
朝日が白々と輝きはじめたころ、可憐な小雪の亡骸が岸に打ちあげられた。三四郎の慟哭は聞くにたえなかったことだろう。
その後、三四郎の運命がどうなかったかは、知る者はいない。
「報われない恋か」と、間宮さんは沈んだ声で言った。「昭和の歌謡曲じゃあるまいし、結ばれる仲よりも、引き裂かれるそれの方が人を惹きつけてやまないんだろうが、当人たちにとっちゃたまんないな。あまりにも救われない」
「だよね」わたしも声を落とした。「けっして道ならぬ恋でもなかったのに、おたがい好きあっていたのに、一緒になれないなんて残酷すぎる。いくら争いのたえない時代だからって」
わたしたちの逢瀬のときも、残すところあとわずかだった。
上げ潮を迎えるように日曜、つまり今日の午後九時すぎには離れ離れになってしまう。
間宮さんは仕事の都合で、月に一度か二度、会えるかどうかだ。
わたし自身、小雪のように命を落とすわけではないが、比喩的な意味で死んだも同然だ。
それほど彼のいない日常は侘しく、ドライフラワーみたいにしおれ、色あせていた。明日からまた機械の一部に組みこまれたかのようなモノクロームの暮らしがはじまるのだ。
三四郎島の伝説は、まるでわたしたちの将来を暗示しているかのようだ。
いずれこの恋も儚く終わるのは見えていた。
やっぱりこんな話をするんじゃなかったと、苦々しく思えてきた。
彼は影絵となった三四郎島を見つめていたが、わたしの方を向き、あごをしゃくった。
「いまなら島までつながってる。旧約聖書に出てくる海を切り開いたモーゼみたいに」と、力強く言った。眼が熱っぽく輝いていた。「いっちょ、行ってみようじゃないか。灯りはないが、なんとかなるだろ」
「いまから? 足を踏みはずしたらあぶないわ」
「大丈夫。月も出てて味方してくれる。それに記念になるだろ。仕事仕事とかまけてて、旅行につれていけなかったからね。ちょっとした冒険のつもりさ。子供のころから、男どもは無茶をしたもんだ。その延長。あぶないと思ったら引き返すまでだよ」
わたしは戸惑いを隠せない。いくら地元出身とはいえ、このトンボロ現象がどれほどの時間、続くのか知らないのだ。すでに潮は満ちはじめているのではないか。白波がさっきより目立つような気がした。三四郎島にたどりついたはいいが、島に取り残されてしまう恐れだってあるのに。
「もしものことがあったらって考えないの」
「心配性だな。やばいと思ったら、さっさと撤収すりゃいいじゃないか。長居するつもりはないさ。ちょっと島に渡り、当時の三四郎と小雪に思いを馳せるだけだよ。時間がゆるすなら、二人の冥福を祈ろうじゃないか」と言い、フォークダンスみたくわたしの手を取った。「どうか僕たちの恋が実りますようにってな」
それは虫がよすぎる話だ。
とはいえ、ここにきて間宮さんへの思いが熱く募ってきた。たしかに一度ぐらい、こんな冒険をおかしてもいいのではないか。
わたしたちはおたがい口数が少なく、言葉足らずだった。
それゆえ最近は引っ込み思案で、心の芯まで深く踏み込めなかった。もしかしたら島へ渡り、三四郎と小雪の気持ちに重ねれば、なにかが見い出せるかもしれない。クールすぎては、ほんとうに手に入れたい宝物を逃がしてしまうことがある。激情に身をまかせなくては、つかめないものがある。
いままさにその瞬間なんだと思う。
身体の内側から突きあげてくるしずかな情熱。生まれてこのかた味わったことのない烈しい衝動につき動かされるまま進むのも、ときには必要ではないか。
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