婚約破棄はokですが、復縁要請は却下します!

桃瀬ももな

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「……鬼だ。この男は、正真正銘の悪魔だわ」

翌朝の執務室。

私は一通の手紙を握りしめ、ワナワナと震えていた。

手紙の差出人は、我が父バルト公爵。

昨日の元婚約者(ジェラルド)との直接対決の後、実家から早馬で届いたものだ。

文面は簡潔だった。

『ジェラルドがそちらで騒いでいるようだな。我が国の恥だ。
 早急に奴を納得させ、完全なる撤退をさせろ。
 期限は三日。
 もし失敗した場合、お前への報酬として用意していた【最高級ラグドール(生後三ヶ月・ブルーアイ)】は、親戚のメアリおばさんに譲渡する。
 以上』

「……メアリおばさんだと!?」

私は思わず叫んだ。

メアリおばさんは「猫可愛がり」の語源のような人だ。
猫にフリフリの服を着せ、香水を振りかけ、異常に甘やかしてブクブクに太らせる「猫の尊厳破壊者」として知られている。

あんなところに送られたら、私の可愛いラグドール(予定)が、ただの毛玉ボールになってしまう!

「……どうした、ニオ。朝から殺気立っているが」

クライヴ殿下が、引きつった顔でこちらを見ている。

「殿下。緊急ミッションが発生しました」

私は眼鏡を指で押し上げた。

「ジェラルド殿下を、三日以内にこの国から追い出します。それも、強制送還ではなく、本人の意志で『もう二度と来るか!』と思わせて」

「ほう? それは願ってもないが……どうするつもりだ?」

「『現実』を見せつけます。彼が捨てたものが、どれほどの価値を持っていたか。骨の髄まで理解させてやります」

私はニヤリと笑った。
その笑みは、きっと悪役令嬢そのものだったに違いない。

          ◇

一方その頃。
城下町のメインストリート。

ジェラルド殿下とリリナ嬢は、お忍び(変装なし)で街を歩いていた。

昨日の今日で帰国するのはプライドが許さず、「この国の欠点を見つけてやる」と意気込んで視察に出たのだ。

「見ていろ、リリナ。ニオが関わっている国だ。きっと街の中は冷たく、活気のない場所に違いない」

「そうですぅ! きっとみんな、ニオ様の毒舌に怯えて暮らしてるんですよぉ」

二人は意地悪な視点で街を見渡した。

しかし。

「……いらっしゃいませー! 新鮮な野菜だよ!」

「こちらの申請書、手続きは五分で終わりますよー!」

街は活気に満ち溢れていた。
道行く人々は笑顔で、商店街は賑わい、役所の窓口には行列すらない。

「な、なんだこれは……」

ジェラルド殿下は呆然と立ち尽くした。

「なぜこんなにスムーズなんだ? 我が国の役所など、申請一つに三時間は待たされるのに……」

彼はふと、役所の掲示板に貼られたポスターに目を留めた。

『行政改革実施中!
 ~書類のハンコは一つまで。無駄な承認フローは廃止しました~
 発案者:特別補佐官 N.B』

「N.B……? ニオ・バルトか!?」

ジェラルド殿下の顔色がサッと変わる。

「書類の簡素化……承認フローの廃止……。これ、ニオが去年に提案してきたやつじゃないか!」

彼の脳裏に、当時の記憶が蘇る。

『ジェラルド様。公務の効率化のため、判子の数を減らしませんか?』
『うるさいな! 伝統だぞ! 判子が多いほど権威があるんだ!』
『……そうですか(チッ)』

あの時、ニオが舌打ちした理由が、今になって分かった。

「そ、そんな……まさか、あいつの言っていたことは正しかったのか?」

さらに二人が歩くと、今度は大きな広場に出た。
そこには新しい水路が整備され、綺麗な水が流れている。

石碑にはこう刻まれていた。
『この水路の設計により、下町への給水効率が200%向上しました。
 監修:特別補佐官 N.B』

「これも……!」

ジェラルド殿下は膝から崩れ落ちそうになった。

『ジェラルド様。下町の衛生環境改善のため、水路の設計を見直すべきです』
『後だ後だ! それよりリリナとのデート服を選んでくれ!』
『……優先順位がおかしいですね(ゴミを見る目)』

「くそっ……! あいつ、僕の国でもこれをやろうとしていたのか……!」

街を見れば見るほど、そこかしこに「ニオの痕跡」があった。
合理的で、無駄がなく、そして確実に民の生活を豊かにしている政策の数々。

それらは全て、かつて彼が「可愛げがない」「小うるさい」と切り捨てた提案そのものだった。

「ジェラルド様ぁ? どうしたんですかぁ? 顔色悪いですけどぉ」

リリナ嬢が不思議そうに覗き込む。

「……リリナ。僕たちは、とんでもない過ちを犯したのかもしれない」

「え?」

「ニオは……ただの『口うるさい女』じゃなかった。あいつは、国を動かすエンジンだったんだ」

ジェラルド殿下は震える声で呟いた。
失った魚の大きさに、ようやく気づき始めたのだ。

だが、トドメはこれからだった。

「――おや? あれは……」

人だかりの向こう。
視察に訪れていたクライヴ殿下と、その隣を歩くニオの姿が見えた。

ジェラルド殿下は慌てて物陰に隠れ、様子を窺った。

ニオはいつもの無表情で、手元のバインダーを見ながら何かを説明している。
クライヴ殿下はそれを真剣に聞き、時折頷き、そして――笑った。

氷の皇太子と呼ばれた男が、ニオの言葉に破顔したのだ。

『……また殿下は。そうやって予算を誤魔化そうとしても無駄ですよ』
『ばれたか。君の目は節穴ではないな』
『私の眼鏡は高性能レンズですので。……ですが、こちらの案なら予算内に収まります』
『ほう! さすがだな。採用だ』

二人の間には、阿吽の呼吸があった。
信頼と、敬意と、そして何よりも「楽しそう」な空気が流れている。

ニオもまた、ジェラルドの前では見せたことのない表情をしていた。
口元に微かな笑みを浮かべ、生き生きとしている。

「あんな顔……見たことない」

ジェラルド殿下は愕然とした。

僕といた時のニオは、いつも能面のように無表情で、疲れ切っていた。
それは僕が、彼女の話を聞かず、彼女の能力を否定し続けていたからだ。

「僕が……輝きを奪っていたのか?」

隣にいるリリナ嬢を見る。
彼女は「あ~ん、私もアレ食べたいぃ!」と屋台の串焼きを指差して騒いでいる。

可愛い。確かに可愛い。
だが、それだけだ。
彼女に国の予算を任せられるか?
外交の助言を求められるか?
……答えは否だ。

僕は、ダイヤモンドを捨てて、ガラス玉を拾ったのだ。

その事実は、鋭い刃となってジェラルド殿下のプライドを切り裂いた。

「……帰ろう」

ジェラルド殿下は力なく呟いた。

「えっ? もう帰るんですかぁ?」

「ああ。……これ以上ここにいたら、僕は自分が惨めすぎて死んでしまいそうだ」

「よく分かんないけどぉ、じゃあお土産買って帰りましょ!」

はしゃぐリリナ嬢の声が、今は耳障りだった。

ジェラルド殿下は背を向けた。
その背中は、来た時よりも一回り小さく見えた。

          ◇

「……帰りましたね」

広場の隅で、私は眼鏡の位置を直した。

「ああ。随分と小さくなって帰っていったな」

クライヴ殿下も、遠ざかるジェラルド殿下の背中を見送っていた。

実は、この「偶然の遭遇」も計算済みだ。
彼らが街に出たと報告を受け、わざわざ彼らのルート上に先回りして「充実した仕事風景」を見せつけたのだ。
いわゆる「見せつけ婚」ならぬ「見せつけ労働」である。

「これで、もう妙なちょっかいはかけてこないでしょう」

「少し寂しい気もするがな。……まあ、君が私の元に残るなら、それでいい」

殿下は満足そうに頷いた。

「さて、ニオ。作戦成功だ。褒美は何がいい?」

「決まっています」

私は空を見上げ、ガッツポーズをした。

「猫です! これで私のラグドールは守られました!」

「……君の優先順位は、相変わらずブレないな」

殿下は呆れつつも、優しく微笑んだ。

こうして。
元婚約者ジェラルド殿下は、自らの愚かさを噛み締めながら撤退した。
リリナ嬢も連れ去られ、私の周囲にようやく平穏が訪れた……はずだった。

だが。
物語はここで終わらない。

ジェラルド殿下の心に芽生えたのは「諦め」ではなく、歪んだ「執着」だったとしたら?
そして、隣国の繁栄を面白く思わない「第三の勢力」が動き出したとしたら?

数日後。
私の元に、今度は本当に笑えない報告が舞い込むことになる。

「ニオ様! 大変です!」

執務室に飛び込んできたセバスの顔色は、かつてないほど蒼白だった。
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