婚約破棄はokですが、復縁要請は却下します!

桃瀬ももな

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「――送別会、ですか?」

私は執務室で、呆れた声を上げた。

セバスが持ってきた「緊急の報告」とは、ジェラルド殿下たちからの要求事項だった。

「はい。ジェラルド殿下より『最後に我が国と貴国の友好の証として、盛大な送別会を開催せよ。それがなければ帰国しない』との通達が」

「……あいつ、まだ居座る気か」

クライヴ殿下がこめかみを押さえる。

「友好の証? どの口が言っているのでしょう。彼らが滞在するだけで、我が国の空気清浄機(私)のフィルターが汚れるというのに」

「全くだ。……だが、これで最後だと言うなら、開催してさっさと追い出すのが得策か」

「費用対効果(コストパフォーマンス)を考えると腹立たしいですが、『手切れ金』代わりの宴と思えば安いものです」

私は即座に電卓を叩き、最低予算でのプランを練り始めた。

「料理は野菜中心(肉削減)、酒は二級品を高級デキャンタに入れ替え、音楽は宮廷楽団の練習生を使いましょう。これで予算の七割をカットできます」

「……君、本当に公爵令嬢か? 闇商人のような手腕だな」

「褒め言葉として受け取っておきます」

こうして、私たちの貴重な夜を捧げる「厄介払いパーティ」の開催が決定した。

          ◇

その夜。王宮のテラス付きサロン。

「ジェラルド様ぁ、このお肉おいしいですぅ~!」

「うむ。やはり僕をもてなすために、最高級の食材を用意したようだな」

会場の中央では、ジェラルド殿下とリリナ嬢がご満悦で食事を楽しんでいた。
その肉が、実は「大豆ミート(代替肉)」であることも知らずに。

私は壁際で、ノンアルコールの葡萄ジュースを片手にその様子を眺めていた。

(……馬鹿舌で助かりました)

早く終わらないだろうか。
私の頭の中は、明日のスケジュールのことでいっぱいだった。
実は、隣国との通商条約に関する重要書類に、まだ目を通していない箇所があるのだ。

「……ニオ」

ふと、背後から声をかけられた。
クライヴ殿下だ。
夜会服を着こなした姿は、悔しいけれど絵になる。
周囲の令嬢たちがうっとりと見惚れているのが視界に入る。

「少し、いいか? ……風に当たりたい」

殿下は目配せをした。
その視線の先は、人がいないバルコニーだ。

「……承知しました」

私は察した。
「退屈だから付き合え」という意味ではない。
殿下の懐が、不自然に膨らんでいる。
あれは間違いなく――書類だ。

私たちは目立たないように会場を抜け出し、夜風の吹き抜けるバルコニーへと出た。

「ふぅ……。中は香水の匂いがきつくて敵わん」

殿下は大きく息を吐き、手すりに寄りかかった。
月明かりが、銀色の髪を美しく照らす。
ロマンチックなシチュエーションだ。
普通の恋愛小説なら、ここで甘い言葉の一つも交わされるだろう。

だが、私たちは違う。

「……持ってきたか?」

「はい、ここに」

殿下は懐から書類の束を取り出し、私は太腿に巻き付けていたガーターベルトから小型のペンライトを取り出した。

「準備がいいな」

「暗所作業は慣れていますので」

私たちはバルコニーの隅、外からは死角になる影に身を潜めた。
そして、二つの頭を突き合わせるようにして書類を広げた。

「ここだ。条約の第5条。『関税の撤廃品目』についてだが」

「……ふむ。小麦と鉄鉱石が含まれていますね。これでは我が国の第一次産業が打撃を受けます」

「やはりそう思うか。向こうの宰相がしれっと紛れ込ませたらしい」

「修正液はありますか? ……いえ、黒で塗りつぶして『不可』と書き直しましょう」

端から見れば、月夜のバルコニーで身を寄せ合う男女。
顔と顔の距離は数センチ。
吐息がかかるほどの至近距離だ。

しかし、交わされている会話は極めて色気のない「貿易摩擦」の話である。

「……君の字は読みやすいな。暗闇でも判別できる」

「殿下の字は乱雑です。もう少し丁寧に書いてください。読解に3秒のロスが生じます」

「うるさいな。……で、ここの数字だが」

殿下がさらに顔を近づけてくる。
ペンライトの小さな明かりを頼りに、細かい数字を追うためだ。
私の肩に殿下の手が触れる。

「……近いですよ、殿下」

「仕方ないだろう。老眼ではないが、文字が小さい」

「紙の節約のためにフォントサイズを下げたんです」

そんな、色気もへったくれもない会話をしていた、その時だった。

バンッ!!

バルコニーの窓が、勢いよく開け放たれた。

「――見つけましたよぉ! ニオ様!」

甲高い声。
強烈なローズの香り。

リリナ嬢だ。
その後ろには、顔を赤くしたジェラルド殿下もいる。

「……チッ」

私は思わず舌打ちをして、素早く書類を背後に隠した。
殿下も瞬時に直立不動の姿勢に戻る。

「……何だ。ノックもなしに」

殿下が不機嫌そうに振り返る。
しかし、リリナ嬢の目には、今の私たちの姿が別の意味で映ったようだ。

「ひどいっ! クライヴ様、ニオ様をいじめていたんですね!?」

「……はい?」

「私、見ちゃいましたぁ! 暗がりで、ニオ様を壁に追い詰めて……無理やり迫っていたじゃないですかぁ!」

リリナ嬢の脳内フィルターは、どうやら「高性能な妄想変換機能」がついているらしい。

私たちが「書類を見るために身を寄せていた」姿が、彼女には「嫌がるニオを無理やり口説く(あるいは叱責する)殿下」に見えたようだ。

「助けてあげなきゃ! ジェラルド様!」

「お、おお! 待っていろニオ! 今すぐその暴君から救い出してやる!」

ジェラルド殿下が正義の味方気取りで割って入ってくる。
私と殿下の間に強引に割り込み、私を背に庇った。

「クライヴ皇太子! 恥を知れ! いくら自分の部下だからといって、嫌がる女性に強引に迫るとは!」

「……は?」

クライヴ殿下の目が点になっている。

「ニオもニオだ! なぜ抵抗しない! ……まさか、弱みを握られているのか? 『契約違反だ』とか脅されて、体で償えとでも言われたのか!?」

「…………」

想像力が豊かすぎて、逆に感心するレベルだ。
私は眼鏡を外し、眉間を揉んだ。

「……あの、ジェラルド殿下」

「安心しろ、ニオ! 僕がいる限り、これ以上好きにはさせない! さあ、僕の胸に飛び込んでこい!」

ジェラルド殿下が両手を広げる。
その顔は「どうだ、見直したか」と言わんばかりのドヤ顔だ。

私は深いため息をつき、背後に隠していた『書類』を取り出した。

「……何を勘違いされているのですか」

「え?」

「見て分かりませんか? 私たちは仕事をしていたのです」

私はペンライトで書類を照らした。
そこには『関税撤廃品目リスト』という、ロマンスの欠片もない文字が並んでいる。

「し、仕事……?」

ジェラルド殿下が固まる。
リリナ嬢も目を丸くする。

「こんな暗いところで!? 二人きりで!?」

「会場内はうるさくて集中できませんので。それに、これは極秘資料です。盗み見されないよう、暗がりを選んだまでのこと」

私は冷淡に告げた。

「貴方がたのような『愛だの恋だの』で脳内が満たされている方々とは違い、私たちは一分一秒を惜しんで国益について議論していたのです。……それを『いかがわしい行為』と誤解されるとは、心外ですね」

「そ、そんな……」

「それに、もし仮に殿下が私に迫っていたとして」

私は一歩前に出た。

「私が拒絶するとでも?」

「え?」

「殿下は有能で、顔も良く、資産もあり、何より私の『定時退社』を保証してくださる最高のパートナーです。迫られたら、条件次第では前向きに検討しますよ?」

「なっ……!」

ジェラルド殿下がショックでよろめく。
後ろでクライヴ殿下が「……ほう、検討してくれるのか?」と小声で反応しているが、今は無視だ。

「リリナさん。貴女の目は節穴ですか? それとも、自分がいつも『壁際でいちゃついている』から、他人もそうだと思うのですか?」

「ひ、ひどいぃ……! 私、心配してあげたのにぃ!」

「心配ご無用。……邪魔ですので、あちらに行っていてください。まだ第五項の修正が終わっていませんので」

シッシッ、と手で払う。

完全に空気が読めない闖入者(ちんにゅうしゃ)扱いされ、ジェラルド殿下とリリナ嬢は顔を見合わせた。

「く、くそっ……! また恥をかかされた!」

「もうやだぁ! 帰るぅ!」

リリナ嬢が泣き出し、ジェラルド殿下がそれを追ってバルコニーから出ていく。

「……ふぅ。やっと静かになりましたね」

私は書類に向き直った。

「……ニオ」

「はい。第五項の続きですが」

「さっきの言葉」

殿下が私の顔を覗き込む。
月明かりの下、その青い瞳が妖しく光っていた。

「『条件次第では検討する』というのは、本気か?」

「……」

私は一瞬言葉に詰まった。
ただの売り言葉に買い言葉だったのだが、殿下の顔が妙に真剣だ。

「……条件1。残業なし」

「クリアしている」

「条件2。休日の完全確保」

「善処している」

「条件3。……毎朝、美味しい紅茶を淹れてくれること」

「……練習しておこう」

殿下はふわりと笑った。
その笑顔は、今まで見たどの笑顔よりも柔らかく、そして少しだけ甘かった。

「……続きをしよう、ニオ。今夜は月が綺麗だ」

「……文字が読みやすくて助かりますね」

私は照れ隠しに素っ気なく答え、視線を書類に戻した。
心臓の音が、少しだけ早くなっているのを気づかれないように。

こうして。
送別会の夜は、勘違いと、少しの進展(?)を残して更けていった。

そして翌日。
ついにジェラルド殿下とリリナ嬢が帰国する日がやってくる。
しかし、最後の最後で、リリナ嬢が「とんでもない置き土産」を残していくことなど、この時の私はまだ知らなかった。
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