婚約破棄はokですが、復縁要請は却下します!

桃瀬ももな

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「――本日は晴天なり。収益予測も晴天なり」

クリフォード王国、王都大聖堂。

ステンドグラスから七色の光が降り注ぐ中、私はバージンロードの入り口で、深呼吸と共に計算機(脳内)を叩いていた。

視界の先には、祭壇で待つクライヴ殿下の姿。
そして、その周囲を埋め尽くす招待客たち。

さらに、二階のバルコニー席(有料S席・金貨十枚)も満員御礼。
三階の立ち見席(A席・金貨五枚)からは、双眼鏡を持った令嬢たちが身を乗り出している。

「……素晴らしい。座席稼働率120%です」

私はブーケの下で、小さくガッツポーズをした。
この瞬間の「視聴率」は最高潮に達しているはずだ。
放映権料のインセンティブがチャリンチャリンと入ってくる音が聞こえるようだ。

「……ニオ。顔がニヤけているぞ。品位を保て」

隣に並ぶ父、バルト公爵が小声で囁く。
今日の彼は、私のエスコート役だ。
黒の礼服をビシッと着こなし、見た目だけは理想的な父親に見える。

「失礼しました、お父様。損益分岐点を超えた安堵感が出ました」

「ふん。まだだ。……この後の『CMタイム』でさらに稼ぐ」

「……は?」

父の不穏な言葉を聞き流す間もなく、パイプオルガンが荘厳な音色を奏で始めた。
入場開始の合図だ。

「行くぞ。……転ぶなよ。そのドレスは『広告契約』付きだ。汚したら違約金が発生する」

「分かっています。このネックレスもレンタル品ですから、落としたら私の老後資金が吹っ飛びます」

私たちは一歩ずつ、純白の絨毯の上を歩き出した。

          ◇

祭壇の前。

クライヴ殿下は、白銀のタキシードに身を包み、絵画のように美しく佇んでいた。
私たちが近づくと、彼は緊張した面持ちで、けれど嬉しそうに微笑んだ。

「……綺麗だ、ニオ」

殿下が手を差し伸べる。

「ありがとうございます。殿下も、メイクのノリが良いですね。昨夜の深酒の影響は見られません」

私は父の手から離れ、殿下の手を取った。

「……こういう時は『貴方も素敵です』と言うものだぞ」

「事実を述べたまでです。素材(顔)が良いので、補正(メイク)が楽で助かります」

小声で軽口を叩き合いながら、私たちは祭壇の前に並んだ。

司祭様が咳払いをする。

「えー、これより、クライヴ・クリフォード皇太子殿下と、ニオ・バルト公爵令嬢の結婚の儀を執り行います」

厳かな空気が流れる。
魔導カメラのレンズが一斉にこちらを向く。
世界中が注目する、世紀の瞬か――

「――ちょっと待ったぁ!!」

その空気をぶち壊したのは、あろうことか、私の背後に立っていた父だった。

「なっ……!?」

殿下が驚いて振り返る。
司祭様も目を白黒させている。

「バ、バルト公爵? いかがなされましたか? 今は神聖な儀式の最中で……」

「神聖だからこそだ! 今、この瞬間こそ、視聴率(注目度)が最も高いピークタイム!」

父は懐から一枚のフリップボードを取り出し、魔導カメラに向かって掲げた。

「えー、ここで臨時ニュースならぬ、臨時コマーシャルをお伝えします!」

「はあああ!?」

会場中がどよめく。

父はマイクを奪い取り、朗々と読み上げ始めた。

「本日の結婚式は、ご覧のスポンサーの提供でお送りしております!
 まず、新婦のドレスを提供いただいた『ロイヤル・シルク商会』!
 『軽くて丈夫、泥汚れも一拭き!』がキャッチコピーです!
 続いて、新郎の整髪料を提供いただいた『ダンディ・コスメティクス』!
 『風速五十メートルの台風でも崩れない』最強のセット力!」

「ちょ、お父様!? 何を!?」

私が止めようとするが、父は止まらない。

「さらに! この素晴らしい式場の装花は『ガーデン・オブ・エデン』様より!
 そして、二人の未来を照らす照明機材は『マジック・ライト工業』様より提供いただいております!
 今なら、画面の前の皆様限定で、全商品20%オフクーポンを配布中! 合言葉は『ニオ様万歳』!」

シャキーン!
父がカメラに向かって決めポーズを取る。

シーン……。

大聖堂が静まり返る。
いや、一周回って感動すら生まれているのか、あるいは呆気に取られすぎて反応できないのか。

「……おい、ニオ」

殿下が引きつった笑顔で私を見た。

「これは……君の演出か?」

「違います! これは『お父様の独断(サプライズ)』です!」

私は頭を抱えた。
確かに「黒字化」を目指せとは言った。
言ったが、まさか式のド真ん中に生CMを挟むとは。
プライドというものがないのか、この親子は。

「……ふっ、くくく」

殿下が震え出した。
怒るかと思いきや、彼は肩を揺らして笑い出した。

「ははは! 最高だ! さすが君の父親だ!」

「殿下!?」

「ここまで徹底されると、もはや清々しいな! ……いいだろう、乗ってやる!」

殿下はカメラに向かい、自分の髪をサラリとかき上げた。

「私の髪型が気に入った諸君! 『ダンディ・コスメティクス』をよろしく頼む!」

「キャーッ!!」

バルコニー席の令嬢たちが悲鳴を上げて倒れた。
宣伝効果、抜群である。

「……はぁ。もう好きにしてください」

私は諦めて溜息をついた。
まあ、これでスポンサー料が倍増するなら、老後資金の足しにはなるだろう。

          ◇

CMタイム(約三分)が終わり、ようやく式が再開された。
空気は完全にバラエティ番組のそれだが、まあいい。

「コホン。……では、誓いの言葉を」

司祭様が気を取り直して尋ねる。

「新郎、クライヴ・クリフォード。
 汝は、この者を妻とし、病める時も、健やかなる時も、これを愛し、敬い、慰め、助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」

殿下は私を真っ直ぐに見つめた。
その瞳には、先ほどの笑いの色はなく、深い愛情だけが宿っていた。

「誓います。
 ……たとえ彼女が、どんなに金にがめつくとも。
 どんなに口が悪くとも。
 そして、どんなに私の寿命を縮めるようなトラブルを持ち込もうとも。
 私は彼女の『計算』の全てを受け入れ、生涯のパートナーとして共に歩むことを誓います」

「……」

余計な修飾語が多い気もするが、まあ合格点だ。

「新婦、ニオ・バルト。
 汝は、この者を夫とし……(以下略)……誓いますか?」

「はい、誓います」

私は即答した。

「……ただし」

「えっ?」

司祭様がまた固まる。

「病める時は適切な医療機関へ搬送し、健やかなる時は労働に従事させます。
 彼を愛し(資産価値を認め)、敬い(上司として)、慰め(タルトを与え)、助け(業務効率化し)、その命ある限り、定時退社を守り抜くことを誓います」

ざわっ。
会場がどよめく。
「定時退社」という単語が結婚式の誓いに混入したのは、史上初だろう。

「……ぷっ」

殿下が吹き出した。

「君らしい誓いだ。……最高だよ」

「では、誓いの口付けを」

司祭様が、もうどうにでもなれという顔で促した。

いよいよだ。
クライマックス。
視聴率が最高潮に達する瞬間。

殿下がベールをゆっくりと持ち上げる。
私たちの距離が縮まる。

十センチ。
五センチ。

殿下の吐息がかかる距離で、私は小声で囁いた。

「……殿下。警告(アラート)です」

「ん? なんだ?」

「この口紅、一本金貨三枚もする高級品です。……食べないでくださいね」

「……」

殿下の動きが一瞬止まる。

「……君は、この期に及んで」

殿下は呆れたように眉を下げ、そして――意地悪く笑った。

「雰囲気というものを学べ。……請求書なら、後でいくらでも払ってやる」

「えっ」

言うが早いか、殿下は私の唇を塞いだ。

チュッ。

「ん……ッ」

それは、私の想定していた「形式的なフレンチキス」ではなかった。
深く、熱く、そして長い。

十秒。
二十秒。

(……ちょ、長いです! 延長料金が発生しますよ!)

私は心の中で抗議したが、殿下は離してくれない。
むしろ、腰に回された腕が強くなる。

会場からは「ヒューヒュー!」という冷やかしと、「キャー!」という黄色い声援、そして父の「いいぞ! 視聴率うなぎ登りだ!」という実況が聞こえる。

思考が溶ける。
計算ができない。
口紅の値段なんて、どうでもよくなってくる。

(……ああ、これは)

私の心臓が、今日一番の大きな音を立てた。
眼精疲労でも、不整脈でもない。

これは、「幸福」という名のバグだ。

ようやく唇が離れた時、私は息も絶え絶えになっていた。
殿下は満足げに笑い、私の耳元で囁いた。

「……どうだ。口紅の味はしなかったぞ?」

「……詐欺です。追加料金、金貨百枚です」

「安いものだ」

殿下は私の手を取り、高々と掲げた。

「皆様! 紹介しよう!
 我が最愛の妻にして、この国最強の『宰相(予定)』……ニオ・クリフォードだ!」

ワァァァァァッ!!

割れんばかりの拍手と歓声。
天井からは、演出用の花びら(スポンサー提供)が降り注ぐ。

私は眩しい光の中で、観念したように微笑んだ。

「……やれやれ。名前まで変わってしまいましたね」

ニオ・クリフォード。
悪くない響きだ。

私は隣で笑う夫(パートナー)を見上げた。

「これから忙しくなりますよ、あなた。……まずはこの式の収支報告書の作成からですからね」

「ああ。望むところだ。……一生かけて、君の計算に付き合うよ」

こうして。
私の「悪役令嬢」としての物語は終わりを告げ、
「がめつい皇太子妃」としての、新たな伝説の幕が上がったのである。

めでたし、めでたし。
(※ただし、この後の披露宴で父が『ニオの使用済みハンカチ』をオークションにかけて、私が飛び蹴りをする事件は、また別のお話)
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