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セドリック殿下から届いた「復縁要求(という名の再雇用通告)」の手紙。
ハンスに返事を託した後、私の手元にはその忌々しい現物が残っていた。
「……。……。……」
私は無言で、机の上の羊皮紙を見つめる。
「どうした、カタリア。まだそのゴミに未練でもあるのか? それとも、あの男の低俗な香水に毒されたか」
背後から、レオナード閣下が氷のような声をかけてくる。
彼の手には、私が先ほど「肩が凝った」とこぼしたのを覚えていたのか、どこから持ってきたのか高級なマッサージオイルが握られていた。
「まさか。未練など一ゴルド分もありませんわ。ただ、この紙……。最高級の『月光羊皮紙』を使っているのが許せなくて」
「紙の質が?」
「ええ。一枚で銀貨三枚はする代物ですわ。こんな価値のある素材に、あんな無価値な文字列を書き連ねるなんて、資源の冒涜(ぼうとく)ですわよ。あのアホンダラ殿下、予算がないと言いながら、こういうところだけは無駄に贅沢をするんですから」
私はペン先で、手紙の端をツンと突いた。
「燃やしてしまえ。灰になれば、二度と君の視界に入ることもない」
「燃やす? 閣下、それは非合理的ですわ。燃焼による熱エネルギーは大したことがありませんし、何よりこの強烈な香水が気化して、部屋中に充満します。化学兵器並みの不快指数になりますわよ」
「……では、どうするつもりだ」
私はニヤリと笑い、デスクの横に置いてある「試作品」を引き寄せた。
それは、私がジャックさんの店での機密情報(レシピ)管理のために開発させた、手動式の細断機――いわゆるシュレッダーである。
「これを使いますわ。閣下、見ていてちょうだい。これが私の、過去に対する清算(デットエクイティスワップ)です」
私はセドリックの手紙を、シュレッダーの投入口に差し込んだ。
バリバリ、バリバリバリ……。
手動のハンドルを回すたびに、殿下の尊大な署名も、リリア様への謝罪要求も、すべてが細長い短冊状のゴミへと変わっていく。
「おお……。あの不快な文章が、見る影もなくなっていくな」
「ええ。こうして物理的に細分化すれば、もはや単なるパルプの破片。……ハンス!」
「ここに、お嬢様」
影から音もなく現れたハンスに、私はシュレッダーのダストボックスを突き出した。
「これ、どうしましょう。肥料にするには香水が有害すぎるわね」
「そうですね。……では、これを詰めて、王宮へ『贈り物』として送り返しましょうか。中身は『殿下が我が事務所へ捨てていかれた、大量の不要物です』という添え書きをして」
「いいわね。送料はあちら持ち(着払い)で指定してちょうだい」
ハンスが楽しそうにゴミの山を回収していく。
レオナード閣下は、その光景を眺めながら、ようやく満足げに頷いた。
「……徹底しているな。だが、それがいい。君に捨てられた者は、塵一つ残らず排除されるというわけか」
「当たり前ですわ。私の脳のメモリは、未来の利益のために空けておかねばなりませんから。過去の負債を保管しておくスペースなんて、一バイトもありませんの」
私はスッキリした気分で、新しい白紙の書類を広げた。
「さて、閣下。不快なノイズは消去されました。お仕事の話に戻りましょう。大公領の北部で計画している『魔導鉄道』の資材調達ルートですが、現行の案だと中間マージンが三パーセントほど……」
「……待て、カタリア」
レオナード閣下が、私のペンを握る手の上から、そっと自分の手を重ねてきた。
「仕事も重要だが、先ほどの『メンテナンス』を忘れていないか? 君の肩の筋肉が、過剰なストレスにより硬化している。これは長期的な労働生産性を著しく低下させる要因だ」
「……閣下。マッサージなら、専門の侍女を呼べばよろしいのではありませんか? 閣下の時給でそんなことをするのは、資源の不適切な配分ですわ」
「いいえ。これは『最高権力者による直接慰労』だ。これ以上のインセンティブ(動機付け)はないはずだ」
閣下は有無を言わさぬ力強さで、私の背後に回り込んだ。
大きな、そして温かい手が私の肩を包み込む。
「……。……。……あ。……そこ、意外と効きますわね」
「だろう? 君の体のツボは、すべて把握している。……君がどれだけ数字で武装していても、この肩の凝りだけは嘘をつけないな」
「……くっ。……不覚ですわ……」
私は手帳に顔を埋め、微かに声を漏らした。シュレッダーにかけたはずの「心の隙間」に、彼の手の温もりが、じわじわと流れ込んでくる。
……困ったわね。
セドリック殿下への「怒り」という燃焼エネルギーよりも、レオナード閣下への「信頼」という蓄積エネルギーの方が、遥かに制御不能になりつつある。
「……閣下。……その。マッサージのお礼ですが。……次の休暇の時、またあの市場の肉串を食べに行ってもよろしくてよ?」
「……。……。ああ。予算は無限に用意しておこう」
氷の能面が、背後で優しく緩む気配がした。
私の人生の貸借対照表に、「幸福感」という名の無形資産が、また一項目追加された瞬間だった。
ハンスに返事を託した後、私の手元にはその忌々しい現物が残っていた。
「……。……。……」
私は無言で、机の上の羊皮紙を見つめる。
「どうした、カタリア。まだそのゴミに未練でもあるのか? それとも、あの男の低俗な香水に毒されたか」
背後から、レオナード閣下が氷のような声をかけてくる。
彼の手には、私が先ほど「肩が凝った」とこぼしたのを覚えていたのか、どこから持ってきたのか高級なマッサージオイルが握られていた。
「まさか。未練など一ゴルド分もありませんわ。ただ、この紙……。最高級の『月光羊皮紙』を使っているのが許せなくて」
「紙の質が?」
「ええ。一枚で銀貨三枚はする代物ですわ。こんな価値のある素材に、あんな無価値な文字列を書き連ねるなんて、資源の冒涜(ぼうとく)ですわよ。あのアホンダラ殿下、予算がないと言いながら、こういうところだけは無駄に贅沢をするんですから」
私はペン先で、手紙の端をツンと突いた。
「燃やしてしまえ。灰になれば、二度と君の視界に入ることもない」
「燃やす? 閣下、それは非合理的ですわ。燃焼による熱エネルギーは大したことがありませんし、何よりこの強烈な香水が気化して、部屋中に充満します。化学兵器並みの不快指数になりますわよ」
「……では、どうするつもりだ」
私はニヤリと笑い、デスクの横に置いてある「試作品」を引き寄せた。
それは、私がジャックさんの店での機密情報(レシピ)管理のために開発させた、手動式の細断機――いわゆるシュレッダーである。
「これを使いますわ。閣下、見ていてちょうだい。これが私の、過去に対する清算(デットエクイティスワップ)です」
私はセドリックの手紙を、シュレッダーの投入口に差し込んだ。
バリバリ、バリバリバリ……。
手動のハンドルを回すたびに、殿下の尊大な署名も、リリア様への謝罪要求も、すべてが細長い短冊状のゴミへと変わっていく。
「おお……。あの不快な文章が、見る影もなくなっていくな」
「ええ。こうして物理的に細分化すれば、もはや単なるパルプの破片。……ハンス!」
「ここに、お嬢様」
影から音もなく現れたハンスに、私はシュレッダーのダストボックスを突き出した。
「これ、どうしましょう。肥料にするには香水が有害すぎるわね」
「そうですね。……では、これを詰めて、王宮へ『贈り物』として送り返しましょうか。中身は『殿下が我が事務所へ捨てていかれた、大量の不要物です』という添え書きをして」
「いいわね。送料はあちら持ち(着払い)で指定してちょうだい」
ハンスが楽しそうにゴミの山を回収していく。
レオナード閣下は、その光景を眺めながら、ようやく満足げに頷いた。
「……徹底しているな。だが、それがいい。君に捨てられた者は、塵一つ残らず排除されるというわけか」
「当たり前ですわ。私の脳のメモリは、未来の利益のために空けておかねばなりませんから。過去の負債を保管しておくスペースなんて、一バイトもありませんの」
私はスッキリした気分で、新しい白紙の書類を広げた。
「さて、閣下。不快なノイズは消去されました。お仕事の話に戻りましょう。大公領の北部で計画している『魔導鉄道』の資材調達ルートですが、現行の案だと中間マージンが三パーセントほど……」
「……待て、カタリア」
レオナード閣下が、私のペンを握る手の上から、そっと自分の手を重ねてきた。
「仕事も重要だが、先ほどの『メンテナンス』を忘れていないか? 君の肩の筋肉が、過剰なストレスにより硬化している。これは長期的な労働生産性を著しく低下させる要因だ」
「……閣下。マッサージなら、専門の侍女を呼べばよろしいのではありませんか? 閣下の時給でそんなことをするのは、資源の不適切な配分ですわ」
「いいえ。これは『最高権力者による直接慰労』だ。これ以上のインセンティブ(動機付け)はないはずだ」
閣下は有無を言わさぬ力強さで、私の背後に回り込んだ。
大きな、そして温かい手が私の肩を包み込む。
「……。……。……あ。……そこ、意外と効きますわね」
「だろう? 君の体のツボは、すべて把握している。……君がどれだけ数字で武装していても、この肩の凝りだけは嘘をつけないな」
「……くっ。……不覚ですわ……」
私は手帳に顔を埋め、微かに声を漏らした。シュレッダーにかけたはずの「心の隙間」に、彼の手の温もりが、じわじわと流れ込んでくる。
……困ったわね。
セドリック殿下への「怒り」という燃焼エネルギーよりも、レオナード閣下への「信頼」という蓄積エネルギーの方が、遥かに制御不能になりつつある。
「……閣下。……その。マッサージのお礼ですが。……次の休暇の時、またあの市場の肉串を食べに行ってもよろしくてよ?」
「……。……。ああ。予算は無限に用意しておこう」
氷の能面が、背後で優しく緩む気配がした。
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