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王都への「猪の頭蓋骨」送付という、歴史に残る嫌がらせを完遂したナタリー。
彼女は今、清々しい朝の光を浴びながら、要塞の玄関先で入念なストレッチを行っていました。
「ふぅ……! 今日も広背筋が最高の目覚めを告げているわ。ねえ、アン。準備はいいかしら?」
「ナタリー様。……準備も何も、これから行くのは『ピクニック』だと伺っておりましたが。なぜ私たちが、背の高さほどもある巨大なリュックを背負わされているのですか?」
アンは、膝をガクガクと震わせながら、大量の鉄板と食料が詰まった荷物を指差しました。
ナタリーは、自身の腕に巻かれた特注の「重り入りブレスレット」をキラリと光らせて笑いました。
「あら、アン。ただ歩くだけなんて、人生の時間の無駄遣いよ。日常生活のすべてをトレーニングに変える……それこそが、自由を勝ち取った女のたしなみというものですわ。さあ、旦那様! 出発しましょう!」
要塞の奥から現れたルードヴィヒは、もはや驚くことすら忘れた様子で、片手で巨大な木箱を担いでいました。
中には、本日のメインディッシュである「岩猪の熟成生肉(十キロ)」が氷詰めにされています。
「……ああ。この先のクリスタル湖まで、通常の足なら一時間だが、ナタリーの提案する『負荷ルート』で行けば三時間はかかるだろうな」
「負荷ルート? そんな恐ろしい単語、ピクニックの辞書には載っておりませんわよ!」
アンの悲鳴をBGMに、一行は要塞を出発しました。
道なき道を切り開き、急斜面を登り、時には岩壁を這い上がる。
それはピクニックというよりは、精鋭部隊の行軍に近い光景でした。
「見てください、旦那様! あの斜面を登る際の、あなたの腓腹筋(ひふくきん)! 岩を掴むたびに、大腿部が力強く脈動して……ああ、眼福ですわ!」
「……ナタリー。お前、さっきから俺の足ばかり見ていて、崖から落ちそうになっているぞ。ほら、手を出せ」
ルードヴィヒが大きな手を差し伸べると、ナタリーはその手をギュッと握りしめました。
手袋越しでも伝わる、圧倒的な握力と体温。
「……ありがとうございます。でも、助けていただく必要はありませんわ。今の接触で、私の前腕筋がさらなるやる気を出しましたもの!」
「……そうか。なら、もう少しこのまま登るか」
ルードヴィヒは、ナタリーの手を離すどころか、より強く握りしめて歩みを進めました。
ようやく辿り着いたクリスタル湖は、その名の通り、透き通った青い水面が周囲の雪山を鏡のように映し出す、絶景の地でした。
「……わあ。綺麗……。空気が美味しくて、肺胞のひとつひとつが洗浄されていくようですわ」
「だろうな。ここは俺の領地で一番、静かな場所だ」
ルードヴィヒは担いでいた木箱を下ろすと、手際よく石を積み上げ、焚き火の準備を始めました。
ナタリーも負けじと、リュックから特大のフライパンを取り出しました。
「さあ、調理開始よ! アン、高タンパク低脂質のタレを持ってきて! 今日はこの絶景をスパイスに、筋肉を喜ばせてあげるわ!」
「はいはい……。私はこの、絶景よりも美味しそうな『お肉』を焼くことに専念いたしますわ」
湖畔に、肉が焼ける芳醇な香りが漂い始めます。
ナタリーとルードヴィヒは、湖のほとりの岩場に腰を下ろし、焼き上がったばかりの肉塊を交互に口へ運びました。
「……美味いな。王都の小洒落たレストランで出てくる、ソースまみれの肉とは大違いだ」
「ええ。噛めば噛むほど、生命のエネルギーが溢れ出してきますわ。……ねえ、旦那様。王都を捨ててここに来たこと、一度も後悔していないわ。だって、こんなに素晴らしい筋肉……いえ、景色に囲まれているんですもの」
ナタリーは、肉を咀嚼しながら、ルードヴィヒの肩にそっと頭を預けました。
ルードヴィヒは驚いたように一瞬体を硬くしましたが、すぐにリラックスして、彼女の肩を抱き寄せました。
「……俺もだ。お前が来るまでのこの領地は、ただの『守るべき場所』でしかなかった。だが今は……。……次は、あそこの山頂でピクニックをするか?」
「山頂! いいですわね。標高が高い分、酸素が薄くなって心肺機能の強化に最適ですわ!」
「……ふっ。やはり、そう来ると思ったよ」
ルードヴィヒは、ナタリーの髪を愛おしそうに撫でました。
恋愛映画のようなロマンチックな会話の半分以上が筋肉の話で占められていても、二人にとってはこれが「最高に甘い時間」なのです。
「……ナタリー様。旦那様。お熱いところ申し訳ありませんが、その『酸素が薄い場所での筋トレ』の話、私を抜きで進めていただけませんでしょうか? 私の体力は、今まさに限界値を下回っておりますの」
アンの冷めた声が響きましたが、ナタリーは満面の笑みで振り返りました。
「何を言っているの、アン! 限界こそが、成長の始まりなのよ! さあ、食べた後は湖を三往復……いえ、まずはスクワットの百回から始めましょう!」
「「…………」」
湖畔の静寂は、ナタリーの掛け声によって一瞬で打ち破られました。
それでも、三人の顔には(アンを除いて)明るい笑顔が浮かんでいました。
王都という籠を抜け出し、北の荒野で手に入れた、本当の自由。
ナタリー・エヴァンスのピクニックは、筋肉と愛と、少しばかりのスパルタ教育と共に、賑やかに続いていくのでした。
彼女は今、清々しい朝の光を浴びながら、要塞の玄関先で入念なストレッチを行っていました。
「ふぅ……! 今日も広背筋が最高の目覚めを告げているわ。ねえ、アン。準備はいいかしら?」
「ナタリー様。……準備も何も、これから行くのは『ピクニック』だと伺っておりましたが。なぜ私たちが、背の高さほどもある巨大なリュックを背負わされているのですか?」
アンは、膝をガクガクと震わせながら、大量の鉄板と食料が詰まった荷物を指差しました。
ナタリーは、自身の腕に巻かれた特注の「重り入りブレスレット」をキラリと光らせて笑いました。
「あら、アン。ただ歩くだけなんて、人生の時間の無駄遣いよ。日常生活のすべてをトレーニングに変える……それこそが、自由を勝ち取った女のたしなみというものですわ。さあ、旦那様! 出発しましょう!」
要塞の奥から現れたルードヴィヒは、もはや驚くことすら忘れた様子で、片手で巨大な木箱を担いでいました。
中には、本日のメインディッシュである「岩猪の熟成生肉(十キロ)」が氷詰めにされています。
「……ああ。この先のクリスタル湖まで、通常の足なら一時間だが、ナタリーの提案する『負荷ルート』で行けば三時間はかかるだろうな」
「負荷ルート? そんな恐ろしい単語、ピクニックの辞書には載っておりませんわよ!」
アンの悲鳴をBGMに、一行は要塞を出発しました。
道なき道を切り開き、急斜面を登り、時には岩壁を這い上がる。
それはピクニックというよりは、精鋭部隊の行軍に近い光景でした。
「見てください、旦那様! あの斜面を登る際の、あなたの腓腹筋(ひふくきん)! 岩を掴むたびに、大腿部が力強く脈動して……ああ、眼福ですわ!」
「……ナタリー。お前、さっきから俺の足ばかり見ていて、崖から落ちそうになっているぞ。ほら、手を出せ」
ルードヴィヒが大きな手を差し伸べると、ナタリーはその手をギュッと握りしめました。
手袋越しでも伝わる、圧倒的な握力と体温。
「……ありがとうございます。でも、助けていただく必要はありませんわ。今の接触で、私の前腕筋がさらなるやる気を出しましたもの!」
「……そうか。なら、もう少しこのまま登るか」
ルードヴィヒは、ナタリーの手を離すどころか、より強く握りしめて歩みを進めました。
ようやく辿り着いたクリスタル湖は、その名の通り、透き通った青い水面が周囲の雪山を鏡のように映し出す、絶景の地でした。
「……わあ。綺麗……。空気が美味しくて、肺胞のひとつひとつが洗浄されていくようですわ」
「だろうな。ここは俺の領地で一番、静かな場所だ」
ルードヴィヒは担いでいた木箱を下ろすと、手際よく石を積み上げ、焚き火の準備を始めました。
ナタリーも負けじと、リュックから特大のフライパンを取り出しました。
「さあ、調理開始よ! アン、高タンパク低脂質のタレを持ってきて! 今日はこの絶景をスパイスに、筋肉を喜ばせてあげるわ!」
「はいはい……。私はこの、絶景よりも美味しそうな『お肉』を焼くことに専念いたしますわ」
湖畔に、肉が焼ける芳醇な香りが漂い始めます。
ナタリーとルードヴィヒは、湖のほとりの岩場に腰を下ろし、焼き上がったばかりの肉塊を交互に口へ運びました。
「……美味いな。王都の小洒落たレストランで出てくる、ソースまみれの肉とは大違いだ」
「ええ。噛めば噛むほど、生命のエネルギーが溢れ出してきますわ。……ねえ、旦那様。王都を捨ててここに来たこと、一度も後悔していないわ。だって、こんなに素晴らしい筋肉……いえ、景色に囲まれているんですもの」
ナタリーは、肉を咀嚼しながら、ルードヴィヒの肩にそっと頭を預けました。
ルードヴィヒは驚いたように一瞬体を硬くしましたが、すぐにリラックスして、彼女の肩を抱き寄せました。
「……俺もだ。お前が来るまでのこの領地は、ただの『守るべき場所』でしかなかった。だが今は……。……次は、あそこの山頂でピクニックをするか?」
「山頂! いいですわね。標高が高い分、酸素が薄くなって心肺機能の強化に最適ですわ!」
「……ふっ。やはり、そう来ると思ったよ」
ルードヴィヒは、ナタリーの髪を愛おしそうに撫でました。
恋愛映画のようなロマンチックな会話の半分以上が筋肉の話で占められていても、二人にとってはこれが「最高に甘い時間」なのです。
「……ナタリー様。旦那様。お熱いところ申し訳ありませんが、その『酸素が薄い場所での筋トレ』の話、私を抜きで進めていただけませんでしょうか? 私の体力は、今まさに限界値を下回っておりますの」
アンの冷めた声が響きましたが、ナタリーは満面の笑みで振り返りました。
「何を言っているの、アン! 限界こそが、成長の始まりなのよ! さあ、食べた後は湖を三往復……いえ、まずはスクワットの百回から始めましょう!」
「「…………」」
湖畔の静寂は、ナタリーの掛け声によって一瞬で打ち破られました。
それでも、三人の顔には(アンを除いて)明るい笑顔が浮かんでいました。
王都という籠を抜け出し、北の荒野で手に入れた、本当の自由。
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