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王都、ジュリアン王子の私室。
かつては薔薇の香りに包まれていたその部屋は、今や積み上げられた督促状と、未処理の書類から放たれるインクの匂いで充満していました。
「ああ……リリィ。もう限界だ。宮廷画家には逃げられ、新作のポエム集を刷る紙すら買えない。これでは僕の美しさが世界に伝わらないじゃないか!」
ジュリアンは鏡の前でやつれた顔をさすりながら、情けなく嘆きました。
その隣で、リリィは爪を磨きながら冷ややかな目で彼を見つめています。
「ジュリアン様、いつまでもメソメソしないでくださいまし。ナタリーという『金の成る木』を失ったのなら、新しい木を植えればよろしいのですわ」
「新しい木? そんな簡単に言うけれど、誰がナタリーの代わりを……」
リリィはニヤリと口角を上げ、懐から怪しげな光を放つ魔道具を取り出しました。
それは、古道具屋で「聖なる奇跡を演出できる」という触れ込みで売られていた、光魔法の増幅器でした。
「いいですか、殿下。民衆は分かりやすい『奇跡』に弱いものです。私が『真実の愛に目覚めた聖女』として覚醒したことにすれば、教会からの寄進も、貴族たちからの献金も思いのままですわ」
「り、リリィが聖女に……? だが、君は魔法の適性なんて……」
「そんなもの、演出次第ですわ! そして、その聖女の力を奪おうとしているのが、北の辺境で黒狼をたぶらかしている『魔女ナタリー』だということにすれば……」
リリィの瞳に、どす黒い執念が宿ります。
彼女にとって、ナタリーが北の地で幸せに暮らしているという噂は、耐え難い屈辱だったのです。
「……なるほど。ナタリーを魔女として捕らえれば、彼女の隠し資産も、ベルンハルト領の豊かな資源も、すべて僕たちのものというわけか!」
「ええ。正義は常に、光り輝く聖女……つまり、この私にあるのですわ。ふふ、ふふふふ!」
二人の醜悪な笑い声が、陰りゆく王宮に響き渡りました。
一週間後。
ベルンハルト要塞の食堂では、ナタリーが山盛りの鶏胸肉と格闘していました。
「ふぅ。やっぱり、北の鶏は身が引き締まっていて最高ですわね。咀嚼するだけで顎の筋肉が歓喜の歌を歌っているわ!」
「ナタリー様、お食事中に筋肉の合唱を聴くのはやめていただけますか? ……それより、バルカス様が血相を変えてこちらへ向かっておりますわよ」
アンが指差す先から、バルカスが数枚のビラを手に持って飛び込んできました。
「ナタリー様! 旦那様! 大変なニュースが飛び込んできましたぞ! 王都で、あの男爵令嬢が『聖女』として認定されたというのです!」
「聖女? あのアブラムシのようなリリィ様が?」
ナタリーは、肉を飲み込みながら首を傾げました。
「ええ、それだけではありません。そのビラを読んでください。……『聖女の力を吸い取る北の魔女、ナタリーを断罪せよ』と書かれています!」
ナタリーはビラをひったくるようにして目を通しました。
そこには、リリィが光に包まれて祈りを捧げる挿絵と共に、ナタリーがいかに邪悪な手段でルードヴィヒを操り、国を滅ぼそうとしているかが、扇情的な文章で綴られていました。
「……魔女。私が、魔女?」
ナタリーの顔から、一瞬だけ表情が消えました。
ルードヴィヒが怒りに震え、腰の剣に手をかけます。
「……ふざけるな。ナタリーのどこが魔女だ。こんなデタラメを信じる奴がどこにいる!」
「でも旦那様、王都の民衆は既にこれを信じ込み、ナタリー様を捕らえろと暴動寸前だそうです。教会も重い腰を上げ、調査騎士団を派遣するとか……」
バルカスの言葉に、室内は重苦しい沈黙に包まれました。
しかし、その沈黙を破ったのは、ナタリーの乾いた笑い声でした。
「……あっはっは! 面白いわ、リリィ様! あんなチャチな光の魔道具で聖女を演じようなんて、思考回路までフリルで埋まっているのかしら!」
「ナタリー? 笑い事ではないぞ。これは国家規模の糾弾だ」
ルードヴィヒが心配そうに覗き込みましたが、ナタリーはテーブルをドンと叩いて立ち上がりました。
「いいですか、旦那様。彼女の言う『聖女の力』なんて、ただのビタミン不足による幻覚のようなものですわ。それに比べて、私のこの筋肉は、真実そのもの! 邪悪な魔法を跳ね返すのは、いつだって強固な物理防御ですのよ!」
ナタリーは、自身の二の腕を誇示するように袖をまくりました。
「聖女だか洗浄だか知りませんが、私を魔女と呼ぶのなら、受けて立ちましょう。ただし、私の呪いは少々手厳しいわよ? ……さあ、アン! 王都へ向かう準備をなさい! あんなペテン師に、本物の『力(物理)』が何たるかを教育してあげなくては!」
「ナタリー様、今度は何をされるおつもりで……?」
「簡単よ。聖女の奇跡とやらを、私のフライパンですべて叩き割ってあげるの。……旦那様、私を王都の裁判まで連れて行ってくださる? あなたのその『黒狼の軍勢』を、最高の舞台装置としてお借りしたいわ」
ルードヴィヒは、ナタリーの不敵な笑みを見て、自分の中の不安が霧散していくのを感じました。
この女を敵に回した王都の連中こそ、今すぐ逃げ出すべきなのだと確信したからです。
「……ああ。お前の望むままに。北の精鋭一千、いつでも動かせるぞ。ナタリー、お前が『魔女』なら、俺は喜んでその魔女に仕える騎士になろう」
「ふふ、嬉しいわ。でも旦那様、魔女の騎士にしては少し大胸筋が足りなくてよ? 王都に着くまでに、さらなるハードトレーニングを課してあげますわね!」
「……それだけは、魔女の呪いよりも恐ろしいな」
こうして、ナタリーたちの平穏な日々は終わりを告げ、物語は最大の決戦の地、王都へと再び舞台を移すことになったのでした。
不穏な影を、自慢の筋肉でなぎ倒すために。
かつては薔薇の香りに包まれていたその部屋は、今や積み上げられた督促状と、未処理の書類から放たれるインクの匂いで充満していました。
「ああ……リリィ。もう限界だ。宮廷画家には逃げられ、新作のポエム集を刷る紙すら買えない。これでは僕の美しさが世界に伝わらないじゃないか!」
ジュリアンは鏡の前でやつれた顔をさすりながら、情けなく嘆きました。
その隣で、リリィは爪を磨きながら冷ややかな目で彼を見つめています。
「ジュリアン様、いつまでもメソメソしないでくださいまし。ナタリーという『金の成る木』を失ったのなら、新しい木を植えればよろしいのですわ」
「新しい木? そんな簡単に言うけれど、誰がナタリーの代わりを……」
リリィはニヤリと口角を上げ、懐から怪しげな光を放つ魔道具を取り出しました。
それは、古道具屋で「聖なる奇跡を演出できる」という触れ込みで売られていた、光魔法の増幅器でした。
「いいですか、殿下。民衆は分かりやすい『奇跡』に弱いものです。私が『真実の愛に目覚めた聖女』として覚醒したことにすれば、教会からの寄進も、貴族たちからの献金も思いのままですわ」
「り、リリィが聖女に……? だが、君は魔法の適性なんて……」
「そんなもの、演出次第ですわ! そして、その聖女の力を奪おうとしているのが、北の辺境で黒狼をたぶらかしている『魔女ナタリー』だということにすれば……」
リリィの瞳に、どす黒い執念が宿ります。
彼女にとって、ナタリーが北の地で幸せに暮らしているという噂は、耐え難い屈辱だったのです。
「……なるほど。ナタリーを魔女として捕らえれば、彼女の隠し資産も、ベルンハルト領の豊かな資源も、すべて僕たちのものというわけか!」
「ええ。正義は常に、光り輝く聖女……つまり、この私にあるのですわ。ふふ、ふふふふ!」
二人の醜悪な笑い声が、陰りゆく王宮に響き渡りました。
一週間後。
ベルンハルト要塞の食堂では、ナタリーが山盛りの鶏胸肉と格闘していました。
「ふぅ。やっぱり、北の鶏は身が引き締まっていて最高ですわね。咀嚼するだけで顎の筋肉が歓喜の歌を歌っているわ!」
「ナタリー様、お食事中に筋肉の合唱を聴くのはやめていただけますか? ……それより、バルカス様が血相を変えてこちらへ向かっておりますわよ」
アンが指差す先から、バルカスが数枚のビラを手に持って飛び込んできました。
「ナタリー様! 旦那様! 大変なニュースが飛び込んできましたぞ! 王都で、あの男爵令嬢が『聖女』として認定されたというのです!」
「聖女? あのアブラムシのようなリリィ様が?」
ナタリーは、肉を飲み込みながら首を傾げました。
「ええ、それだけではありません。そのビラを読んでください。……『聖女の力を吸い取る北の魔女、ナタリーを断罪せよ』と書かれています!」
ナタリーはビラをひったくるようにして目を通しました。
そこには、リリィが光に包まれて祈りを捧げる挿絵と共に、ナタリーがいかに邪悪な手段でルードヴィヒを操り、国を滅ぼそうとしているかが、扇情的な文章で綴られていました。
「……魔女。私が、魔女?」
ナタリーの顔から、一瞬だけ表情が消えました。
ルードヴィヒが怒りに震え、腰の剣に手をかけます。
「……ふざけるな。ナタリーのどこが魔女だ。こんなデタラメを信じる奴がどこにいる!」
「でも旦那様、王都の民衆は既にこれを信じ込み、ナタリー様を捕らえろと暴動寸前だそうです。教会も重い腰を上げ、調査騎士団を派遣するとか……」
バルカスの言葉に、室内は重苦しい沈黙に包まれました。
しかし、その沈黙を破ったのは、ナタリーの乾いた笑い声でした。
「……あっはっは! 面白いわ、リリィ様! あんなチャチな光の魔道具で聖女を演じようなんて、思考回路までフリルで埋まっているのかしら!」
「ナタリー? 笑い事ではないぞ。これは国家規模の糾弾だ」
ルードヴィヒが心配そうに覗き込みましたが、ナタリーはテーブルをドンと叩いて立ち上がりました。
「いいですか、旦那様。彼女の言う『聖女の力』なんて、ただのビタミン不足による幻覚のようなものですわ。それに比べて、私のこの筋肉は、真実そのもの! 邪悪な魔法を跳ね返すのは、いつだって強固な物理防御ですのよ!」
ナタリーは、自身の二の腕を誇示するように袖をまくりました。
「聖女だか洗浄だか知りませんが、私を魔女と呼ぶのなら、受けて立ちましょう。ただし、私の呪いは少々手厳しいわよ? ……さあ、アン! 王都へ向かう準備をなさい! あんなペテン師に、本物の『力(物理)』が何たるかを教育してあげなくては!」
「ナタリー様、今度は何をされるおつもりで……?」
「簡単よ。聖女の奇跡とやらを、私のフライパンですべて叩き割ってあげるの。……旦那様、私を王都の裁判まで連れて行ってくださる? あなたのその『黒狼の軍勢』を、最高の舞台装置としてお借りしたいわ」
ルードヴィヒは、ナタリーの不敵な笑みを見て、自分の中の不安が霧散していくのを感じました。
この女を敵に回した王都の連中こそ、今すぐ逃げ出すべきなのだと確信したからです。
「……ああ。お前の望むままに。北の精鋭一千、いつでも動かせるぞ。ナタリー、お前が『魔女』なら、俺は喜んでその魔女に仕える騎士になろう」
「ふふ、嬉しいわ。でも旦那様、魔女の騎士にしては少し大胸筋が足りなくてよ? 王都に着くまでに、さらなるハードトレーニングを課してあげますわね!」
「……それだけは、魔女の呪いよりも恐ろしいな」
こうして、ナタリーたちの平穏な日々は終わりを告げ、物語は最大の決戦の地、王都へと再び舞台を移すことになったのでした。
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