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王都での騒乱をすべて筋肉と爆笑で塗り替えたナタリーたちは、再び北の大地へと向かう帰路についていました。
豪華な馬車の車内。行きとは違い、そこには奇妙な「静寂」が流れていました。
ナタリーは窓の外を眺めながら、指先だけで行える前腕筋のトレーニングに勤しんでいましたが、対面に座るルードヴィヒの視線が、かつてないほど熱く、そして真剣であることに気づきました。
「……旦那様。さっきから私の指の動きをじっと見つめて、何か新しい指相撲の必勝法でも思いつきましたの? それとも、私の指の関節に潜む可能性に目覚めてしまったかしら」
ナタリーが冗談めかして笑うと、ルードヴィヒは腕を組み、ふっと視線を落としてから、再び彼女の瞳を真っ直ぐに射抜きました。
「……いや。指相撲のことではない。ナタリー、お前と出会ってから、俺の世界は驚くほど騒がしく、そして温かくなった」
「あら。北の地は冷えますものね。私の熱血指導で体温が上がったのなら、師匠冥利に尽きますわ」
「そうじゃない。……いや、それもあるが、もっと根本的な話だ」
ルードヴィヒは意を決したように座り直し、ナタリーの手をそっと取りました。
彼の大きな掌は、戦い抜いてきた証である硬いペンだこや傷跡がありましたが、その包み込むような優しさは、どんなシルクの布よりも心地よくナタリーの肌に馴染みました。
「ナタリー。王都での裁判で、お前は言ったな。『一度ゴミ箱に捨てたものは拾わない』と。……そして俺に、『あなたの隣を選んだ』と言ってくれた」
「ええ、本心ですわ。あのナルシスト王子の細腕に抱かれるくらいなら、あなたのその大胸筋を枕にして永遠の眠りにつく方が、どれだけ健康的か計り知れませんもの」
「ふっ、お前らしいな。……だが、俺は改めて聞きたい。契約結婚という名目ではなく、一人の男として、俺をお前の隣に置くことを、心から許してくれるか?」
ルードヴィヒの瞳には、ダジャレを練習していた時の迷いや、戦場での殺気などは一切ありませんでした。
そこにあるのは、剥き出しの、誠実な「熱」でした。
ナタリーは、自身の心拍数が急上昇するのを感じました。
それはスクワットを百回こなした後のような、激しくも心地よい動悸。
(な、何かしら。この、全身の細胞が一斉に歓喜のスクワットを始めているような感覚は……。これが、吊り橋効果ではない、本物の『真実の愛』という現象なのかしら!?)
ナタリーは深く息を吸い込み、逃げ出したくなるような照れ臭さを、腹筋の力でねじ伏せました。
「……ルードヴィヒ様。あなたは、私が変な女だということは既にご存知のはずよ。四六時中筋肉の話をし、食事のメニューをタンパク質量で決め、挙句の果てに元ライバルを筋肉キャンプに送り込むような……そんな、淑女の欠片もない女ですわよ?」
「ああ、知っている。最高に面白くて、最高に強くて……そして、誰よりも自分自身に対して誠実な女だ。俺は、お前のその『魂の仕上がり』に惚れたんだ」
魂の、仕上がり。
その言葉が、ナタリーの胸の奥に一番深く突き刺さりました。
外見や地位、あるいは便利な能力ではなく、自分のあり方そのものを肯定された瞬間。
「……困りましたわね。そんな殺し文句を言われては、私の心臓という名の筋肉が、あなた以外を受け付けなくなってしまいますわ」
ナタリーは、握られた手をぎゅっと握り返しました。
「いいわ、ルードヴィヒ様。契約は、ここで破棄しましょう」
ルードヴィヒの顔が一瞬こわばりましたが、ナタリーは満面の笑みで続けました。
「これからは契約ではなく、私の『専属パートナー』として、私の隣を死守してちょうだい。もちろん、毎日の筋肉チェックと、新作ギャグの検閲は義務ですけれど。……不満かしら?」
ルードヴィヒは、まるで少年のような、晴れやかで眩しい笑顔を見せました。
彼はナタリーの手を引き寄せ、その甲に誓いの、そして深い愛の籠もった口づけを落としました。
「不満などあるはずがない。……お前の隣こそが、俺の生涯の戦場であり、安らぎの場だ。愛しているよ、ナタリー」
「……私も。あなたのその、丸太のような二の腕と同じくらい、愛していますわ」
馬車の揺れの中で、二人の影が重なりました。
それは、婚約破棄から始まった波乱の物語が、一つの「真実」に辿り着いた瞬間でした。
その光景を、御者台の近くで聞き耳を立てていたアンが、ハンカチで目元を拭いながら呟きました。
「……ようやくですわね。でも、愛の告白にまで『二の腕』を引き合いに出すあたり、やっぱりあのお嬢様は、最後まであのお嬢様ですわ」
北へ向かう街道。
夕日に照らされた馬車の中には、かつてないほど甘く、そして(筋肉的に)熱い空気が満ち溢れていました。
二人の新しい人生は、今ここから、力強く踏み出されたのです。
豪華な馬車の車内。行きとは違い、そこには奇妙な「静寂」が流れていました。
ナタリーは窓の外を眺めながら、指先だけで行える前腕筋のトレーニングに勤しんでいましたが、対面に座るルードヴィヒの視線が、かつてないほど熱く、そして真剣であることに気づきました。
「……旦那様。さっきから私の指の動きをじっと見つめて、何か新しい指相撲の必勝法でも思いつきましたの? それとも、私の指の関節に潜む可能性に目覚めてしまったかしら」
ナタリーが冗談めかして笑うと、ルードヴィヒは腕を組み、ふっと視線を落としてから、再び彼女の瞳を真っ直ぐに射抜きました。
「……いや。指相撲のことではない。ナタリー、お前と出会ってから、俺の世界は驚くほど騒がしく、そして温かくなった」
「あら。北の地は冷えますものね。私の熱血指導で体温が上がったのなら、師匠冥利に尽きますわ」
「そうじゃない。……いや、それもあるが、もっと根本的な話だ」
ルードヴィヒは意を決したように座り直し、ナタリーの手をそっと取りました。
彼の大きな掌は、戦い抜いてきた証である硬いペンだこや傷跡がありましたが、その包み込むような優しさは、どんなシルクの布よりも心地よくナタリーの肌に馴染みました。
「ナタリー。王都での裁判で、お前は言ったな。『一度ゴミ箱に捨てたものは拾わない』と。……そして俺に、『あなたの隣を選んだ』と言ってくれた」
「ええ、本心ですわ。あのナルシスト王子の細腕に抱かれるくらいなら、あなたのその大胸筋を枕にして永遠の眠りにつく方が、どれだけ健康的か計り知れませんもの」
「ふっ、お前らしいな。……だが、俺は改めて聞きたい。契約結婚という名目ではなく、一人の男として、俺をお前の隣に置くことを、心から許してくれるか?」
ルードヴィヒの瞳には、ダジャレを練習していた時の迷いや、戦場での殺気などは一切ありませんでした。
そこにあるのは、剥き出しの、誠実な「熱」でした。
ナタリーは、自身の心拍数が急上昇するのを感じました。
それはスクワットを百回こなした後のような、激しくも心地よい動悸。
(な、何かしら。この、全身の細胞が一斉に歓喜のスクワットを始めているような感覚は……。これが、吊り橋効果ではない、本物の『真実の愛』という現象なのかしら!?)
ナタリーは深く息を吸い込み、逃げ出したくなるような照れ臭さを、腹筋の力でねじ伏せました。
「……ルードヴィヒ様。あなたは、私が変な女だということは既にご存知のはずよ。四六時中筋肉の話をし、食事のメニューをタンパク質量で決め、挙句の果てに元ライバルを筋肉キャンプに送り込むような……そんな、淑女の欠片もない女ですわよ?」
「ああ、知っている。最高に面白くて、最高に強くて……そして、誰よりも自分自身に対して誠実な女だ。俺は、お前のその『魂の仕上がり』に惚れたんだ」
魂の、仕上がり。
その言葉が、ナタリーの胸の奥に一番深く突き刺さりました。
外見や地位、あるいは便利な能力ではなく、自分のあり方そのものを肯定された瞬間。
「……困りましたわね。そんな殺し文句を言われては、私の心臓という名の筋肉が、あなた以外を受け付けなくなってしまいますわ」
ナタリーは、握られた手をぎゅっと握り返しました。
「いいわ、ルードヴィヒ様。契約は、ここで破棄しましょう」
ルードヴィヒの顔が一瞬こわばりましたが、ナタリーは満面の笑みで続けました。
「これからは契約ではなく、私の『専属パートナー』として、私の隣を死守してちょうだい。もちろん、毎日の筋肉チェックと、新作ギャグの検閲は義務ですけれど。……不満かしら?」
ルードヴィヒは、まるで少年のような、晴れやかで眩しい笑顔を見せました。
彼はナタリーの手を引き寄せ、その甲に誓いの、そして深い愛の籠もった口づけを落としました。
「不満などあるはずがない。……お前の隣こそが、俺の生涯の戦場であり、安らぎの場だ。愛しているよ、ナタリー」
「……私も。あなたのその、丸太のような二の腕と同じくらい、愛していますわ」
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それは、婚約破棄から始まった波乱の物語が、一つの「真実」に辿り着いた瞬間でした。
その光景を、御者台の近くで聞き耳を立てていたアンが、ハンカチで目元を拭いながら呟きました。
「……ようやくですわね。でも、愛の告白にまで『二の腕』を引き合いに出すあたり、やっぱりあのお嬢様は、最後まであのお嬢様ですわ」
北へ向かう街道。
夕日に照らされた馬車の中には、かつてないほど甘く、そして(筋肉的に)熱い空気が満ち溢れていました。
二人の新しい人生は、今ここから、力強く踏み出されたのです。
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