婚約破棄、万歳!悪役令嬢は変人辺境伯に拾われて。

桃瀬ももな

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爆笑の渦が引いた後の大聖堂。
すべてを失い、ボロ雑巾のように床にへたり込んでいたリリィが、突然、狂ったように笑い出しました。


「あはは……! あはははは! 何よそれ、何なのよその茶番! 筋肉? ダジャレ? そんなふざけた理由で、私の完璧な計画が壊されたっていうの!?」


リリィは立ち上がり、振り乱した髪の間から、血走った目でナタリーを睨みつけました。
その手には、壊れた魔道具から抜き取った、鋭く尖った魔石の破片が握られています。


「ナタリー! あんたさえ、あんたさえいなければ! 私は贅沢三昧の王妃として、一生遊んで暮らせたはずなのに! あんたが全部、全部奪ったのよ!」


「奪った? 言葉を慎んでください。私はただ、あなたが勝手に背負い込んでいた『嘘』という名の重石を、フライパンで叩き割って差し上げただけですわ」


ナタリーは動じず、真っ直ぐにリリィを見据えました。
しかし、リリィは既に自制心を失っていました。


「死ね! 魔女ナタリー! あんたのその余裕そうな面を、ズタズタにしてやるわ!」


リリィは叫びながら、ナタリーの胸元目がけて飛びかかりました。
周囲の衛兵たちが悲鳴を上げ、ルードヴィヒが剣に手をかけたその瞬間。


「……ふんっ!」


ナタリーは避けるどころか、一歩前へ踏み込みました。
そして、リリィが振り下ろした腕を、まるでおもちゃを扱うような軽やかさで、パシィィィンと素手で受け止めたのです。


「……っ!? な、なによこれ、動かない……!?」


「リリィ様。あなたの今の攻撃、広背筋(こうはいきん)が全く使えていませんわ。ただ腕の力だけで振り回しても、私のこの『鍛え抜かれた前腕筋』を突破することなど、万に一つもありません」


ナタリーはリリィの手首を掴んだまま、彼女をじりじりと壁際まで押し込みました。
リリィは恐怖で顔を強張らせ、必死に抵抗しますが、ナタリーの腕は岩のように微動だにしません。


「離して! 痛い、痛いわよ! この野蛮な女!」


「痛い? いいえ、これは『目覚めの刺激』ですわ。リリィ様、あなたは今まで、自分の足で大地を踏みしめて生きたことがありますの? 誰かの袖に縋り、嘘で塗り固めた階段を登り……そんな不安定な場所で、何が手に入るとお思いだったの?」


ナタリーは、リリィの顔のすぐ横の壁を、空いた方の拳でドンッ! と叩きました。
凄まじい風圧と衝撃音に、リリィの悲鳴が喉の奥で止まりました。


「いいですか。本当の幸せというものはね、誰かに与えられるものではありません。己の肉体を追い込み、限界を超えた先に見える……あの、乳酸が溜まっていく時の悦び! そして、翌朝の心地よい筋肉痛! それこそが、裏切ることのない唯一の真実なんですわよ!」


「な……何を、何を言っているの……? 筋肉痛が幸せだなんて、頭がおかしいわ……」


リリィの目から、ポロポロと本物の涙が溢れ出しました。
それは、悔しさではなく、あまりにも自分とは違う次元で生きるナタリーへの、圧倒的な敗北感からくるものでした。


「あなたは……自由で、いいわね。私は、いつだって誰かに気に入られなきゃいけなくて、お腹が空いても令嬢らしく振る舞わなきゃいけなくて……。そんなの、もう疲れたわよ……」


リリィは魔石を落とし、その場に力なく座り込みました。
ナタリーはそれを見て、ふっと表情を和らげ、彼女の肩をポンと叩きました。


「……お疲れ様。嘘をつくためのエネルギーを、スクワット百回分に回していれば、今頃あなたはもっと素敵な大腿筋を手に入れていたでしょうに」


ナタリーは、懐から一枚のカードを取り出し、リリィの手に握らせました。


「……これは?」


「北のベルンハルト領にある、『更生筋肉キャンプ』の招待状よ。あそこなら、過去も嘘も関係ありません。あるのは、自分自身と、向き合うべき鉄の重りだけ。……もし、本気で自分を変えたいと思うなら、いらっしゃい。私が、あなたを『嘘つき聖女』から『鉄腕令嬢』に育て上げてあげますわ」


リリィは、涙で濡れた顔を上げ、ナタリーの手の中のカードをじっと見つめました。
かつてのライバルから差し出された、あまりにも脳筋で、しかしこれ以上なく誠実な救いの手。


「……更生、キャンプ……? そこに行けば、私も……あなたみたいに、図太くなれるの?」


「ええ。腹筋が割れる頃には、ジュリアン殿下のポエムなんて、鼻をかむ紙くらいにしか思わなくなりますわよ」


リリィは一瞬、呆気に取られたような顔をしましたが、やがて「ふふっ……あはは!」と、今度は清々しい笑い声を上げました。


「……わかったわ。行くわよ。行って、あんたのその生意気な二の腕よりも太い腕を手に入れて、いつか必ず見返してやるんだから!」


「その意気よ、リリィ様! 期待しているわ!」


こうして、王都を揺るがした偽聖女騒動は、予想外の「新入隊員」の確保という形で幕を閉じました。
改心したリリィの背中には、もう卑屈な影はありません。
そこには、新しい筋肉(きぼう)を目指して歩み出そうとする、一人の女性の意志が芽生えていたのでした。


「……ナタリー。お前、本当に誰に対しても容赦がないな。……だが、そんなお前だからこそ、俺は……」


ルードヴィヒが横で苦笑しながら、ナタリーの腰を抱き寄せました。
ナタリーは満足げに頷き、リリィの旅立ち……という名の地獄の特訓への門出を、温かく見送るのでした。
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