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大聖堂の審問ホールは、かつてない静寂に包まれていました。
王子の醜態とリリィのペテンが暴かれ、もはや裁判の正当性は風前の灯火です。
しかし、教会の権威を守ろうとする老枢機卿が、震える指でナタリーを指差しました。
「……ま、待て! 魔道具が偽物だったとしても、ナタリー・エヴァンスが辺境伯を惑わし、この神聖な場を武力で威圧している事実は変わらん! この『北の黒狼』を見ろ! この殺気、これこそが魔女に操られた獣の証拠ではないか!」
確かに、ルードヴィヒが立っているだけで、周囲の衛兵たちは蛇に睨まれた蛙のように硬直しています。
その圧倒的な武の威圧感は、平和な王都の人間からすれば「恐怖」そのものでした。
ナタリーは、隣に立つルードヴィヒを見上げ、不敵な笑みを浮かべました。
「……旦那様。聞こえました? あちらの御老体は、あなたのその素晴らしい広背筋を『獣の証拠』だなんて仰っていますわよ。心外ですわね」
「……ああ。俺がただの恐ろしい男だと思われているのは、俺の不徳の致すところ。……そして、俺たちの『特訓』の成果を見せる絶好の機会というわけだな、ナタリー」
ルードヴィヒはゆっくりと一歩前へ出ました。
その拍子に、石畳が「ミシリ」と音を立てます。
枢機卿は「ひっ!」と短い悲鳴を上げて椅子から転げ落ちそうになりました。
「いいか、王都の者共よ。俺はナタリーに操られているのではない。彼女から、この閉ざされた北の地に必要な『光』を学んだのだ」
ルードヴィヒは、おもむろに深く腰を落としました。
それは、かつて地下練兵場でナタリーが指導した「爆笑を生むための理想的なフォーム」でした。
大腿四頭筋がはち切れんばかりに膨らみ、全身の筋肉が極限まで緊張します。
「な、なんだ!? 今から魔法でも放つつもりか!」
「……いくぞ。……布団が、吹っ飛んだ!!」
ルードヴィヒの咆哮が、大聖堂の天井を震わせました。
単なるダジャレではありません。
彼の鍛え抜かれた横隔膜から放たれた音波は、物理的な衝撃波となってホールのカーテンを激しく揺らし、文字通り「吹っ飛ばした」のです。
「…………え?」
「…………は?」
会場全体が、文字通り凍りつきました。
あまりにも強そうな男が、あまりにも真剣な顔で、あまりにも古典的で、あまりにも面白くないことを叫んだ。
そのギャップの巨大さに、人々の脳が処理しきれずにフリーズしています。
しかし、ナタリーだけは満足げに腕を組み、深く頷きました。
「素晴らしいわ、旦那様! 今の『吹っ飛んだ』の瞬間、僧帽筋(そうぼうきん)が理想的な収縮を見せましたわ! 音のキレも最高よ!」
「……まだだ、ナタリー。もう一発いくぞ。……電話に、誰も出んわ!!」
ルードヴィヒは今度は、片手で受話器を持つような(この世界にはないはずの)謎のポーズを決め、広背筋を波打たせながら絶叫しました。
その凄まじい「筋肉の説得力」に、最前列にいた衛兵が、堪えきれずに「ぶふっ……!」と噴き出しました。
「……ぷ、くくく! なんだよそれ! あんなに強そうなのに、言ってることめちゃくちゃだよ!」
一人が笑い始めると、それは瞬く間にホール全体へと伝染していきました。
「あっはっは! 辺境伯、何やってんだよ!」「あの顔でダジャレ!? お腹痛い!」「魔女に操られてるって……あんな面白い魔術があるかよ!」
民衆の笑い声が、枢機卿の怒声も王子の叫びもかき消していきました。
恐怖は、笑いによって完全に上書きされたのです。
「……見たか、枢機卿。俺を操っているのは呪いではない。ナタリーが俺にくれた『ユーモア』という名の筋肉だ。……これでも、彼女を魔女と呼ぶか?」
ルードヴィヒが、少しだけ照れくさそうに、しかし誇らしげに胸を張りました。
その胸板は、笑いすぎて涙を流す民衆にとって、もはや恐怖の象徴ではなく、「面白い領主様」の頼もしい盾に見えていました。
枢機卿は、もはや反論する気力も失い、ぐったりと椅子に沈み込みました。
魔女が、あんなにも不器用で、あんなにも平和な「笑いの特訓」に時間を費やすはずがない。
それは、いかなる証言よりも雄弁に、ナタリーの無実を証明していました。
「……判定は決まりましたわね。殿下、それから枢機卿。私の無実は、この会場の『笑筋(しょうきん)』の動きが証明していますわ」
ナタリーは勝ち誇ったように、フライパンを肩に担ぎ直しました。
「さあ、旦那様! 王都での初舞台は大成功よ。……でも、最後の『出んわ』の時、少し右の腹斜筋が緩んでいたわ。帰ったら百回追加ね!」
「……ああ、喜んで受けよう。お前の指導なら、どんな苦行も甘い蜜のようなものだ」
二人のやり取りに、会場は温かい拍手と笑いに包まれました。
裁判は、一人の男の「筋肉を無駄遣いしたギャグ」によって、劇的な幕引きを迎えたのです。
こうしてナタリーは、名実ともに「魔女」の汚名を物理的に粉砕し、北の地の英雄として王都の歴史にその名を(半分は笑い話として)刻んだのでした。
王子の醜態とリリィのペテンが暴かれ、もはや裁判の正当性は風前の灯火です。
しかし、教会の権威を守ろうとする老枢機卿が、震える指でナタリーを指差しました。
「……ま、待て! 魔道具が偽物だったとしても、ナタリー・エヴァンスが辺境伯を惑わし、この神聖な場を武力で威圧している事実は変わらん! この『北の黒狼』を見ろ! この殺気、これこそが魔女に操られた獣の証拠ではないか!」
確かに、ルードヴィヒが立っているだけで、周囲の衛兵たちは蛇に睨まれた蛙のように硬直しています。
その圧倒的な武の威圧感は、平和な王都の人間からすれば「恐怖」そのものでした。
ナタリーは、隣に立つルードヴィヒを見上げ、不敵な笑みを浮かべました。
「……旦那様。聞こえました? あちらの御老体は、あなたのその素晴らしい広背筋を『獣の証拠』だなんて仰っていますわよ。心外ですわね」
「……ああ。俺がただの恐ろしい男だと思われているのは、俺の不徳の致すところ。……そして、俺たちの『特訓』の成果を見せる絶好の機会というわけだな、ナタリー」
ルードヴィヒはゆっくりと一歩前へ出ました。
その拍子に、石畳が「ミシリ」と音を立てます。
枢機卿は「ひっ!」と短い悲鳴を上げて椅子から転げ落ちそうになりました。
「いいか、王都の者共よ。俺はナタリーに操られているのではない。彼女から、この閉ざされた北の地に必要な『光』を学んだのだ」
ルードヴィヒは、おもむろに深く腰を落としました。
それは、かつて地下練兵場でナタリーが指導した「爆笑を生むための理想的なフォーム」でした。
大腿四頭筋がはち切れんばかりに膨らみ、全身の筋肉が極限まで緊張します。
「な、なんだ!? 今から魔法でも放つつもりか!」
「……いくぞ。……布団が、吹っ飛んだ!!」
ルードヴィヒの咆哮が、大聖堂の天井を震わせました。
単なるダジャレではありません。
彼の鍛え抜かれた横隔膜から放たれた音波は、物理的な衝撃波となってホールのカーテンを激しく揺らし、文字通り「吹っ飛ばした」のです。
「…………え?」
「…………は?」
会場全体が、文字通り凍りつきました。
あまりにも強そうな男が、あまりにも真剣な顔で、あまりにも古典的で、あまりにも面白くないことを叫んだ。
そのギャップの巨大さに、人々の脳が処理しきれずにフリーズしています。
しかし、ナタリーだけは満足げに腕を組み、深く頷きました。
「素晴らしいわ、旦那様! 今の『吹っ飛んだ』の瞬間、僧帽筋(そうぼうきん)が理想的な収縮を見せましたわ! 音のキレも最高よ!」
「……まだだ、ナタリー。もう一発いくぞ。……電話に、誰も出んわ!!」
ルードヴィヒは今度は、片手で受話器を持つような(この世界にはないはずの)謎のポーズを決め、広背筋を波打たせながら絶叫しました。
その凄まじい「筋肉の説得力」に、最前列にいた衛兵が、堪えきれずに「ぶふっ……!」と噴き出しました。
「……ぷ、くくく! なんだよそれ! あんなに強そうなのに、言ってることめちゃくちゃだよ!」
一人が笑い始めると、それは瞬く間にホール全体へと伝染していきました。
「あっはっは! 辺境伯、何やってんだよ!」「あの顔でダジャレ!? お腹痛い!」「魔女に操られてるって……あんな面白い魔術があるかよ!」
民衆の笑い声が、枢機卿の怒声も王子の叫びもかき消していきました。
恐怖は、笑いによって完全に上書きされたのです。
「……見たか、枢機卿。俺を操っているのは呪いではない。ナタリーが俺にくれた『ユーモア』という名の筋肉だ。……これでも、彼女を魔女と呼ぶか?」
ルードヴィヒが、少しだけ照れくさそうに、しかし誇らしげに胸を張りました。
その胸板は、笑いすぎて涙を流す民衆にとって、もはや恐怖の象徴ではなく、「面白い領主様」の頼もしい盾に見えていました。
枢機卿は、もはや反論する気力も失い、ぐったりと椅子に沈み込みました。
魔女が、あんなにも不器用で、あんなにも平和な「笑いの特訓」に時間を費やすはずがない。
それは、いかなる証言よりも雄弁に、ナタリーの無実を証明していました。
「……判定は決まりましたわね。殿下、それから枢機卿。私の無実は、この会場の『笑筋(しょうきん)』の動きが証明していますわ」
ナタリーは勝ち誇ったように、フライパンを肩に担ぎ直しました。
「さあ、旦那様! 王都での初舞台は大成功よ。……でも、最後の『出んわ』の時、少し右の腹斜筋が緩んでいたわ。帰ったら百回追加ね!」
「……ああ、喜んで受けよう。お前の指導なら、どんな苦行も甘い蜜のようなものだ」
二人のやり取りに、会場は温かい拍手と笑いに包まれました。
裁判は、一人の男の「筋肉を無駄遣いしたギャグ」によって、劇的な幕引きを迎えたのです。
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