運命は変わる。「婚約破棄だ!」と王子が叫んだ瞬間。

桃瀬ももな

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「東部戦線、第三防衛ラインが決壊! 魔獣の群れが市街地へ向かっています!」

「避難誘導の状況は!?」

「遅れています! 荷馬車が足りません!」

深夜の宰相執務室は、怒号が飛び交う戦場と化していた。

壁一面に貼られた巨大な地図。

その前で、私とジークフリートは並んで立ち、次々と入ってくる伝令をさばいていた。

「荷馬車が足りないなら、貴族の私有馬車を徴発しなさい! 『拒否したら反逆罪で資産凍結』と脅せば貸すでしょう!」

私が叫ぶと、伝令兵が「は、はいっ!」と敬礼して走っていく。

「第七魔法部隊、現地到着!」

「よし、火属性魔法で防壁を作れ。森への延焼は防げよ。風魔法使いを三名、消火班として待機させろ」

ジークフリートが的確な指示を飛ばす。

私たちの連携は完璧だった。

情報は瞬時に共有され、最適解が導き出され、現場へ命令が飛ぶ。

まるで一つの巨大な頭脳となったかのような全能感。

(いける。このペースなら、夜明けまでには鎮圧できる)

私は地図上の駒を動かしながら、勝利への計算式を弾き出していた。

しかし。

その計算を根本から狂わせる「バグ」が、部屋の隅に存在していた。

「あわわわ……大変だ、大変だ……!」

カイル王子である。

彼は邪魔にならないよう部屋の隅に追いやられていたが、何もしないことに耐えられなくなったらしい。

「僕も……僕も何かせねば! 次期国王として、民を守らねば!」

彼は勝手に通信用の魔道具(トランシーバーのようなもの)を拾い上げた。

「あー、あー! こちらカイル! 現地の騎士団、聞こえるか!」

『は、はい! こちら最前線です! 殿下、ご指示を!』

現場の騎士が応答してしまった。

カイルは張り切って叫んだ。

「魔獣が怖いのは分かる! だが、恐れるな! 攻撃こそ最大の防御だ! 全軍、突撃(チャージ)せよ!」

『えっ? しかし現在は防衛ラインの維持が最優先で……』

「王族命令だ! 行け! 勇気を見せろ! 愛と勇気は勝つ!」

『は、はっ! 全軍突撃ぃぃぃ!』

「馬鹿っ……!!」

私とジークフリートが同時に振り返った時には、手遅れだった。

地図上の駒――防衛ラインを固めていた騎士団のマーカーが、バラバラに敵陣へ突っ込んでいく。

直後、悲鳴のような報告が入った。

「ほ、報告! 騎士団が突出した隙を突かれ、防御網に穴が開きました! 魔獣の別働隊が、無防備になった補給部隊を襲撃しています!」

「補給部隊!? そこには食料と予備の武器が……!」

「壊滅状態です! 物資が……物資が燃えています!」

執務室が凍りついた。

補給が断たれれば、前線は干上がる。

最悪の展開だ。

「……やってくれたな、殿下」

ジークフリートが、感情の抜け落ちた声で呟いた。

カイルは青ざめて魔道具を取り落とした。

「え……いや、僕は……勇気を……」

「貴方の勇気が、兵士の命と物資をドブに捨てたんだ!!」

ジークフリートの怒声に、カイルが「ひいっ」と縮み上がる。

しかし、今は彼を叱責している時間すら惜しい。

私は即座に頭を切り替えた。

(補給線の再構築が必要。でも、現場は混乱している。通常の命令系統では間に合わない)

地図を見る。

ここから戦場までは、早馬で二時間。

だが、私の知る抜け道を使えば、一時間で着く。

そして現場で直接指揮を執れば、散逸した物資をかき集め、三十分で立て直せる自信がある。

私はドレスの裾をまくり上げ、壁にかけてあったジークフリートの予備のマントを羽織った。

「閣下」

「……アスカ?」

「私が行きます」

私は手短に告げた。

「現場へ飛びます。補給部隊の生き残りを再編し、私が直接指揮を執って物資を前線へ届けます」

「な……」

ジークフリートが目を見開いた。

「何を言っている! 君は文官だぞ! 戦場に出るなど……」

「デスクワークだけが仕事ではありません。現場が回らなければ、ここでの指揮も無意味です。計算上、私が動くのが最も生存率が高い」

私は机の上の短剣を懐に入れた。

「留守は任せましたよ。カイル殿下には猿ぐつわを噛ませておいてください」

「待て!」

私が扉に向かおうとした瞬間、ジークフリートが回り込み、立ちはだかった。

「どいてください、時間がありません」

「行かせない!」

彼は両手を広げ、扉を塞いだ。

その表情は必死だった。

いつもの冷静な宰相の顔ではない。

ただの、余裕のない男の顔だ。

「閣下、非効率です。今ここで議論している間に、被害は拡大して……」

「知ったことか!」

ジークフリートが叫んだ。

その声の大きさに、私は驚いて足を止めた。

「被害? 拡大すればいい! 金で解決できるならいくらでも積む! 建物なら建て直せばいい!」

彼は私の肩を掴み、強く揺さぶった。

「だが、君は代わりがきかないんだぞ!?」

「……私なら大丈夫です。護身術も心得ていますし、防御の指輪もあります」

「万が一だ! 流れ矢が当たるかもしれない! 魔獣の爪が届くかもしれない! そんな危険な場所に、君を送れるわけがないだろう!」

「しかし、私が動かなければ、多くの兵士が死にます」

「それでもだ!」

彼の理屈は破綻していた。

宰相として、一人の部下のリスクと、数百の兵士の命を天秤にかければ、答えは明白なはずだ。

なのに、彼はその天秤を蹴り飛ばしている。

「アスカ……頼む。行かないでくれ」

ジークフリートの声が震えていた。

彼は私の肩に額を押し付け、懇願するように囁いた。

「君がいなくなったら……私は、どうやって息をすればいいんだ」

「……閣下」

「仕事のパートナーだからじゃない。有能だからでもない。……君だからだ」

熱い吐息がかかる。

「君を失うくらいなら、私は宰相なんて辞める。国なんてどうでもいい」

その言葉は、重かった。

私の胸の奥にある、冷徹な計算機がエラーを起こすほどに。

(……この人、本気で言ってる)

国を背負う男が、国よりも私を選ぼうとしている。

それは政治家としては失格だが、一人の男としては……どうしようもなく、愛おしい愚かさだった。

私は小さく息を吐いた。

そして、彼の背中に手を回し、ポンポンと叩いた。

「……分かりました」

「え?」

「現場行きは中止します。……貴方がそこまで言うなら、仕方ありません」

ジークフリートが顔を上げる。

安堵の色が広がる。

「アスカ……」

「その代わり」

私は彼の目を見据え、ニヤリと笑った。

「ここから遠隔で、現場を立て直してみせます。……私の声を届ける手段はありますか?」

ジークフリートは一瞬きょとんとして、すぐに力強く頷いた。

「ある。全軍への拡張魔法通信だ。私の魔力を全て使えば、君の声を戦場の隅々まで届けられる」

「十分です。……では、やりましょう」

私は彼から離れ、カイル王子が落とした魔道具を拾い上げた。

ジークフリートが私の背中に手を当てる。

膨大な魔力が流れ込んでくるのが分かった。

『……あー、あー。テス、テス』

私の声が、魔力を帯びて増幅される。

これは今、戦場にいる数千の兵士たちの脳内に直接響いているはずだ。

私は深呼吸をして、腹の底からドスの効いた声を出した。

『全軍、注目!!』

ビリビリと空気が震える。

『私は宰相補佐官、アスカ・フォン・ローゼンである! これより、現場の指揮権を一時的に掌握する!』

執務室の窓ガラスが共鳴するほどの声量。

『補給部隊! 貴様ら、荷馬車が燃えたくらいで泣き言を言うな! 武器がないなら、魔獣の牙を折って使え! 食料がないなら、倒した魔獣を焼け! 現地調達だ!』

隣でカイル王子が「ひぇっ、野蛮……」と呟くが無視する。

『前線の騎士団! 下がったら給料三割カットだと思え! 逆に、一歩でも進めば特別ボーナスを支給する! 私のポケットマネーからだ! 金貨が欲しい奴は剣を振るえ!』

『魔法部隊! 火力が足りない! 残業続きのストレスを、すべて魔獣にぶつけなさい! 明日は特別休暇にしてやるから、今は死ぬ気で燃やせ!』

アメとムチ。

そして、何よりも「金」と「休暇」という現実的な報酬。

それが、疲弊した兵士たちの士気を爆発的に跳ね上げた。

魔道具の向こうから、地鳴りのような歓声(ウォー!)が聞こえてくる。

『うおおお! ボーナスだぁぁ!』

『休暇だ! 休暇のために殺せぇぇ!』

『アスカ様についていくぞぉぉ!』

戦況のマーカーが、一気に押し戻し始めた。

劣勢だった戦線が、欲望という名の燃料を得て、反転攻勢に出る。

「……すごい」

ジークフリートが呆然と呟いた。

「君は……ジャンヌ・ダルクか何かか?」

「いいえ。ただの労働組合の代表です」

私は通信を切り、ふうと汗を拭った。

「どうですか、閣下。これなら私が現場に行かなくても解決です」

ジークフリートは私を見つめ、やがて吹き出した。

「くくっ……はははは! 最高だ! やはり君は最高だ!」

彼は私を抱きしめ、クルクルと回した。

「おい、ちょっと! 目が回ります!」

「愛しているぞ、アスカ! 君こそが私の勝利の女神だ!」

「はいはい、分かりましたから下ろしてください! まだ事後処理が残っています!」

戦場の危機は去った。

しかし、この一件で明確になったことが二つある。

一つは、カイル王子の無能さが極まったこと。

そしてもう一つは、ジークフリートの私への執着が、もはや「安全圏」を超えて引き返せないところまで来ているということだ。

(……この男、私のこととなるとポンコツになるわね)

抱きしめられながら、私はまんざらでもない気持ちで、彼の背中を叩いた。

これが「業務提携」の崩壊の始まりだとは、まだ認めたくなかったけれど。
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