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アルスター公爵家とピーチベル辺境伯家が結ばれてから、数年の月日が流れました。
かつて「悪役令嬢」と呼ばれた私は、今や「桃色の国母」として、この国の農業と経済の頂点に立っています。
今日も私は、夫となったアルスター様の領地に新設された「国立桃中央研究所」で、新作の糖度チェックに余念がありません。
「……モモカ。あまり根を詰めすぎるな。今日の分の『極・改(きわみ・かい)』の検品は、私がすでに終わらせてある」
背後から優しく声をかけてきたのは、以前にも増して精悍さを増したアルスター様です。
彼は私の肩にそっと手を置き、私が抱えていた重い収穫籠をひょいと持ち上げました。
「あら、アルスター様。お忙しいのにありがとうございます。でも、この『桃色一号』は、従来品よりも果肉の弾力が三%向上しているはずなんですの。私の指で確かめないと気が済みませんわ」
「三%か……。相変わらず君の『合理性』は、もはや神の領域だな。だが、少しは休め。今日は、王都から定期報告が届く日だろう?」
公爵様の言葉に、私は作業の手を止めました。
定期報告。それは、ピーチベル領の更生施設……もとい、農園で働く「ある男」の近況報告のことです。
研究所の窓から下を見下ろすと、そこには見事な手つきで桃の剪定(せんてい)を行う男の姿がありました。
「……よし、この枝だ。この角度で切れば、来年はもっと大きな実がなる。……おい、リリア! あそこの灌水装置が詰まっているぞ。早く直してこい!」
叫んでいるのは、かつての王太子、セドリックさんです。
今や彼は、廃嫡された王子の面影など微塵もなく、日焼けした肌に逞しい筋肉を纏った、領内屈指の「桃職人」へと変貌を遂げていました。
「分かってるわよ、セドリック! あんたこそ、そっちの木の袋掛けが甘いわよ! 一ミリの隙間も許さないって言ったでしょうが!」
リリアさんも、今や農園の現場監督として、セドリックさんを尻に敷きながらバリバリと働いています。
二人のやり取りを見ていると、かつての婚約破棄騒動が、遠い昔の喜劇のように思えてきます。
「……ふふ。セドリック様も、ようやく『本物の価値』を見つけられたようですわね。あんなに泥を嫌っていた方が、今や土の香りを褒め称えているんですもの」
「ああ。人は桃によって救われる。君が証明した通りだ」
アルスター様が、私を窓際から引き寄せ、優しく抱きしめました。
彼の胸からは、いつも少しだけ桃の缶詰の甘い香りがします。
「モモカ。王家との確執も、今や『桃の分配率』をめぐる平和な議論に変わった。……君が望んだ世界は、これで完成したのか?」
私は、彼の腕の中で、満開の桃の花が揺れる丘を見渡しました。
「いいえ、まだまだですわ。次は、隣国との国境沿いに『桃の平和街道』を作る予定です。……桃を食べている間は、誰も剣を握る気になんてなれませんもの」
「……ふっ、世界平和すらも桃で成し遂げるつもりか。……いいだろう。公爵家は、そのための予算をいくらでも捻出しよう」
公爵様は、私の額に誓いのキスを落としました。
かつて私を捨てた王子も。
私を笑った貴族たちも。
今は皆、私の手のひらの上で、甘い桃の香りに包まれて幸せに暮らしています。
悪役令嬢としての物語は、ここで終わります。
でも、私と桃、そして愛する人たちとの「桃色」の日常は、これからもずっと、この大地に深く根を張って続いていくのです。
「さあ、アルスター様! のんびりしている暇はありませんわ。次は『冬でも生で食べられる超・黄金桃』の交配実験ですわよ!」
「……やれやれ。君の情熱という名の糖度は、一生下がることはなさそうだな」
私たちは手を取り合い、春の光が降り注ぐ農園へと、力強く歩み出しました。
この国に、不毛な争いはもうありません。
あるのは、とろけるような甘さと、みんなの笑顔だけ。
かつて「悪役令嬢」と呼ばれた私は、今や「桃色の国母」として、この国の農業と経済の頂点に立っています。
今日も私は、夫となったアルスター様の領地に新設された「国立桃中央研究所」で、新作の糖度チェックに余念がありません。
「……モモカ。あまり根を詰めすぎるな。今日の分の『極・改(きわみ・かい)』の検品は、私がすでに終わらせてある」
背後から優しく声をかけてきたのは、以前にも増して精悍さを増したアルスター様です。
彼は私の肩にそっと手を置き、私が抱えていた重い収穫籠をひょいと持ち上げました。
「あら、アルスター様。お忙しいのにありがとうございます。でも、この『桃色一号』は、従来品よりも果肉の弾力が三%向上しているはずなんですの。私の指で確かめないと気が済みませんわ」
「三%か……。相変わらず君の『合理性』は、もはや神の領域だな。だが、少しは休め。今日は、王都から定期報告が届く日だろう?」
公爵様の言葉に、私は作業の手を止めました。
定期報告。それは、ピーチベル領の更生施設……もとい、農園で働く「ある男」の近況報告のことです。
研究所の窓から下を見下ろすと、そこには見事な手つきで桃の剪定(せんてい)を行う男の姿がありました。
「……よし、この枝だ。この角度で切れば、来年はもっと大きな実がなる。……おい、リリア! あそこの灌水装置が詰まっているぞ。早く直してこい!」
叫んでいるのは、かつての王太子、セドリックさんです。
今や彼は、廃嫡された王子の面影など微塵もなく、日焼けした肌に逞しい筋肉を纏った、領内屈指の「桃職人」へと変貌を遂げていました。
「分かってるわよ、セドリック! あんたこそ、そっちの木の袋掛けが甘いわよ! 一ミリの隙間も許さないって言ったでしょうが!」
リリアさんも、今や農園の現場監督として、セドリックさんを尻に敷きながらバリバリと働いています。
二人のやり取りを見ていると、かつての婚約破棄騒動が、遠い昔の喜劇のように思えてきます。
「……ふふ。セドリック様も、ようやく『本物の価値』を見つけられたようですわね。あんなに泥を嫌っていた方が、今や土の香りを褒め称えているんですもの」
「ああ。人は桃によって救われる。君が証明した通りだ」
アルスター様が、私を窓際から引き寄せ、優しく抱きしめました。
彼の胸からは、いつも少しだけ桃の缶詰の甘い香りがします。
「モモカ。王家との確執も、今や『桃の分配率』をめぐる平和な議論に変わった。……君が望んだ世界は、これで完成したのか?」
私は、彼の腕の中で、満開の桃の花が揺れる丘を見渡しました。
「いいえ、まだまだですわ。次は、隣国との国境沿いに『桃の平和街道』を作る予定です。……桃を食べている間は、誰も剣を握る気になんてなれませんもの」
「……ふっ、世界平和すらも桃で成し遂げるつもりか。……いいだろう。公爵家は、そのための予算をいくらでも捻出しよう」
公爵様は、私の額に誓いのキスを落としました。
かつて私を捨てた王子も。
私を笑った貴族たちも。
今は皆、私の手のひらの上で、甘い桃の香りに包まれて幸せに暮らしています。
悪役令嬢としての物語は、ここで終わります。
でも、私と桃、そして愛する人たちとの「桃色」の日常は、これからもずっと、この大地に深く根を張って続いていくのです。
「さあ、アルスター様! のんびりしている暇はありませんわ。次は『冬でも生で食べられる超・黄金桃』の交配実験ですわよ!」
「……やれやれ。君の情熱という名の糖度は、一生下がることはなさそうだな」
私たちは手を取り合い、春の光が降り注ぐ農園へと、力強く歩み出しました。
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あるのは、とろけるような甘さと、みんなの笑顔だけ。
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