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「――以上をもちまして、キュール・フォン・ラズワルドの爵位継承権、ならびに公爵家籍の完全抹消を認める。これより、其方はただの『キュール』として、自由な平民の身となることを宣言する」
王宮の執務室。国王陛下の重々しい宣言と共に、机の上に置かれた豪華な羊皮紙に真っ赤な王印が押された。
パタン、というその小さな音は、私にとって教会の鐘の音よりも清々しく、自由の産声のように聞こえた。
「……ふぅ。やっと、やっと終わりましたわ。これで私も、晴れて正真正銘の『根無し草』ですわね!」
私は大きく伸びをして、目の前の国王陛下に不敵な笑みを浮かべた。
陛下は疲れ果てたように椅子に深くもたれかかり、隣で震えている私の父――ラズワルド公爵をジロリと睨みつけた。
「ラズワルド公。其方も納得したな? これだけの損害補填と不正の証拠を突きつけられて、まだ娘を『家の道具』として留めるつもりではあるまいな?」
「……は、はい。……ぐぬぬ。まさか、あんなに大人しかった娘が、これほどまでの『悪知恵』を働かせていたとは……」
父様は、私が突きつけた「公爵家の裏帳簿(改訂版)」を握りしめ、顔を青くしたり赤くしたりしている。
私はそんな父様に、とびきり優雅な、けれど冷ややかなカーテシーを披露した。
「父様。大人しかったのではなく、機会を伺っていただけですわ。……今日まで育てていただいた恩は、この『帳簿の隠蔽工作解除』という形で返させていただきました。これからは、シャルロットにでも期待してくださいましね」
「……キュール、お前……。本当に、戻ってくる気はないのか?」
「ええ、微塵もございませんわ。……私の城は、油の匂いがする厨房だけですの」
私が言い放つと、部屋の扉が勢いよく開いた。
入ってきたのは、銀色の甲冑を輝かせ、誰よりも凛々しい顔をしたゼノン様だ。
「――陛下。手続きが完了したと聞き、お迎えに上がりました」
ゼノン様は私の隣に立つと、ごく自然に私の腰に手を回した。
その独占欲に溢れた動きに、父様が目を見開く。
「ゼ、ゼノン騎士団長!? 貴殿、まさか我が娘と……」
「『我が娘』ではありません。彼女は今、この瞬間から『自由なキュール』だ。……そして、私の騎士団にとって、そして私自身にとって、唯一無二の伴侶となる女性だ」
ゼノン様の宣言に、国王陛下がニヤリと口角を上げた。
「左様。公爵、諦めるのだな。……キュールよ。其方には平民の身分を与えるが、同時に『国家財務特別顧問』ならびに『王立騎士団食堂総監』という、我が国初の特別官職に任命する。……給与は、騎士団長と同等。これでお前の『自由』の経済基盤は盤石だろう?」
「……陛下。貴方も案外、人使いが荒いですわね。……でも、いいでしょう。その給与があれば、最高級のフライパンが毎月買えますもの」
私は陛下から手渡された『特別官職任命状』を、まるで優勝旗のように高く掲げた。
その光景を見ていた王宮の文官たちが、感極まったように拍手し始める。
「おめでとうございます、キュール様……いえ、総監閣下!」
「これで私たちの胃袋と、国の財布は守られました!」
王宮中が、かつての「悪役令嬢」の門出を祝うという奇妙な、けれど温かな空気に包まれる。
私はゼノン様に促され、執務室を後にした。
廊下では、アリスター殿下とリアナさんが、大きな花束(……ではなく、なぜか高級なハムの詰め合わせ)を持って待っていた。
「キュール! ……あー、その。……おめでとう。……私は、その……貴様の自由を尊重することにした。……だから、たまには私の城へも遊びに来て、あの……おにぎりを作ってくれ!」
「殿下。……まだそんなことをおっしゃいますの? ……リアナさん、あとはよろしくてよ?」
「お任せください、お師匠様! 殿下には、これから『自炊』の厳しさをしっかり叩き込みますわ!」
リアナさんは力強く頷き、殿下の腕を掴んで引きずっていった。
どうやら、あちらもあちらで新しい絆(という名の教育的指導)が芽生えているらしい。
王宮の正門を出ると、夕日が街をオレンジ色に染めていた。
私は一度だけ振り返り、巨大な王宮を見上げた。
「……十年間。あの中に閉じ込められていたのが、嘘のようですわ」
「……これからは、どこへでも行ける。……そして、どこへ行こうとお前の隣には私がいる」
ゼノン様が、私の手をギュッと握りしめた。
騎士団長としての強靭な手。けれど、その指先はわずかに震えていた。
「……ゼノン様。……私、本当は少しだけ怖かったんですのよ。……名門の令嬢という肩書きを捨てて、本当に独りでやっていけるのかしらって」
「独りではないと言っているだろう。……それに、お前のその『悪役顔』で、泣き言は似合わないぞ」
「……あら。……失礼ですわね。これは、最高の勝利を噛み締めている『女王の顔』ですわ!」
私は彼の胸に顔を埋め、思い切り笑った。
自由の重み。自由の甘み。
それは、私がこれまでに作ってきたどんな料理よりも、奥深く、芳醇な味がした。
「さあ、ゼノン様! 騎士団に戻りましょう。……今夜は、私の門出を祝って、最高に脂っこくて美味しい唐揚げの山を作って差し上げますわ!」
「……ああ。……お前の『自由』を、心ゆくまで味わせてもらおう」
私たちは二人、夕闇に溶け込むように、新しい家へと歩き出した。
悪役令嬢キュールは、今日、死んだ。
そして、料理と数字と騎士を愛する『キュール』が、本当の意味で生まれたのだ。
王宮の執務室。国王陛下の重々しい宣言と共に、机の上に置かれた豪華な羊皮紙に真っ赤な王印が押された。
パタン、というその小さな音は、私にとって教会の鐘の音よりも清々しく、自由の産声のように聞こえた。
「……ふぅ。やっと、やっと終わりましたわ。これで私も、晴れて正真正銘の『根無し草』ですわね!」
私は大きく伸びをして、目の前の国王陛下に不敵な笑みを浮かべた。
陛下は疲れ果てたように椅子に深くもたれかかり、隣で震えている私の父――ラズワルド公爵をジロリと睨みつけた。
「ラズワルド公。其方も納得したな? これだけの損害補填と不正の証拠を突きつけられて、まだ娘を『家の道具』として留めるつもりではあるまいな?」
「……は、はい。……ぐぬぬ。まさか、あんなに大人しかった娘が、これほどまでの『悪知恵』を働かせていたとは……」
父様は、私が突きつけた「公爵家の裏帳簿(改訂版)」を握りしめ、顔を青くしたり赤くしたりしている。
私はそんな父様に、とびきり優雅な、けれど冷ややかなカーテシーを披露した。
「父様。大人しかったのではなく、機会を伺っていただけですわ。……今日まで育てていただいた恩は、この『帳簿の隠蔽工作解除』という形で返させていただきました。これからは、シャルロットにでも期待してくださいましね」
「……キュール、お前……。本当に、戻ってくる気はないのか?」
「ええ、微塵もございませんわ。……私の城は、油の匂いがする厨房だけですの」
私が言い放つと、部屋の扉が勢いよく開いた。
入ってきたのは、銀色の甲冑を輝かせ、誰よりも凛々しい顔をしたゼノン様だ。
「――陛下。手続きが完了したと聞き、お迎えに上がりました」
ゼノン様は私の隣に立つと、ごく自然に私の腰に手を回した。
その独占欲に溢れた動きに、父様が目を見開く。
「ゼ、ゼノン騎士団長!? 貴殿、まさか我が娘と……」
「『我が娘』ではありません。彼女は今、この瞬間から『自由なキュール』だ。……そして、私の騎士団にとって、そして私自身にとって、唯一無二の伴侶となる女性だ」
ゼノン様の宣言に、国王陛下がニヤリと口角を上げた。
「左様。公爵、諦めるのだな。……キュールよ。其方には平民の身分を与えるが、同時に『国家財務特別顧問』ならびに『王立騎士団食堂総監』という、我が国初の特別官職に任命する。……給与は、騎士団長と同等。これでお前の『自由』の経済基盤は盤石だろう?」
「……陛下。貴方も案外、人使いが荒いですわね。……でも、いいでしょう。その給与があれば、最高級のフライパンが毎月買えますもの」
私は陛下から手渡された『特別官職任命状』を、まるで優勝旗のように高く掲げた。
その光景を見ていた王宮の文官たちが、感極まったように拍手し始める。
「おめでとうございます、キュール様……いえ、総監閣下!」
「これで私たちの胃袋と、国の財布は守られました!」
王宮中が、かつての「悪役令嬢」の門出を祝うという奇妙な、けれど温かな空気に包まれる。
私はゼノン様に促され、執務室を後にした。
廊下では、アリスター殿下とリアナさんが、大きな花束(……ではなく、なぜか高級なハムの詰め合わせ)を持って待っていた。
「キュール! ……あー、その。……おめでとう。……私は、その……貴様の自由を尊重することにした。……だから、たまには私の城へも遊びに来て、あの……おにぎりを作ってくれ!」
「殿下。……まだそんなことをおっしゃいますの? ……リアナさん、あとはよろしくてよ?」
「お任せください、お師匠様! 殿下には、これから『自炊』の厳しさをしっかり叩き込みますわ!」
リアナさんは力強く頷き、殿下の腕を掴んで引きずっていった。
どうやら、あちらもあちらで新しい絆(という名の教育的指導)が芽生えているらしい。
王宮の正門を出ると、夕日が街をオレンジ色に染めていた。
私は一度だけ振り返り、巨大な王宮を見上げた。
「……十年間。あの中に閉じ込められていたのが、嘘のようですわ」
「……これからは、どこへでも行ける。……そして、どこへ行こうとお前の隣には私がいる」
ゼノン様が、私の手をギュッと握りしめた。
騎士団長としての強靭な手。けれど、その指先はわずかに震えていた。
「……ゼノン様。……私、本当は少しだけ怖かったんですのよ。……名門の令嬢という肩書きを捨てて、本当に独りでやっていけるのかしらって」
「独りではないと言っているだろう。……それに、お前のその『悪役顔』で、泣き言は似合わないぞ」
「……あら。……失礼ですわね。これは、最高の勝利を噛み締めている『女王の顔』ですわ!」
私は彼の胸に顔を埋め、思い切り笑った。
自由の重み。自由の甘み。
それは、私がこれまでに作ってきたどんな料理よりも、奥深く、芳醇な味がした。
「さあ、ゼノン様! 騎士団に戻りましょう。……今夜は、私の門出を祝って、最高に脂っこくて美味しい唐揚げの山を作って差し上げますわ!」
「……ああ。……お前の『自由』を、心ゆくまで味わせてもらおう」
私たちは二人、夕闇に溶け込むように、新しい家へと歩き出した。
悪役令嬢キュールは、今日、死んだ。
そして、料理と数字と騎士を愛する『キュール』が、本当の意味で生まれたのだ。
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