婚約破棄されました悪役令嬢、可愛がりルートを爆走中

桃瀬ももな

文字の大きさ
9 / 28

9

しおりを挟む
「……モルニャ。起きろ。朝食の時間だ。今日はお前の好きな、西の海で獲れた最高級の銀鱗鮭を空輸させた」

カーテンが勢いよく開けられ、まばゆい朝日が部屋に差し込みました。
私は、シルクの巨大クッション——通称『特製モルニャちぐら』——の中で、芋虫のように丸まっていました。

「……あと、五分。あと五分だけ、二度寝という名の深海へ潜らせてくださいな、カイル様……」

「ならん。お前のために、料理長が夜通し小骨を抜いていたのだ。鮮度が落ちる前に食べろ」

視界の端に、軍服を完璧に着こなしたカイル様の姿が映ります。
この方、朝からどうしてそんなに無駄に格好いいのでしょうか。
しかも、その手には何やら黄金に輝くお盆が握られています。

「ほら、一口食べてみろ。あーん、だ」

「……はぁ!? カイル様、私、一応これでも(元)公爵令嬢ですわよ? 自分で食べることくらい……はむっ!」

差し出された銀箸の先にある鮭の身を、抗えずに口にしてしまいました。
その瞬間、私の脳内に大海原が広がりました。

「……っ! 美味しい……! 脂の乗りが、昨日までのものとは次元が違いますわ! 噛まなくても溶けていく……これ、お魚の形をしたバターですの?」

「気に入ったか。ならば、全部食べさせてやろう。……よし、いい子だ。次はこれだ」

カイル様は、まるで雛鳥に餌をやる親鳥のような、あるいは子猫にミルクを与える飼い主のような慈愛に満ちた表情で、次々と鮭を口に運んできます。
氷の公爵という二つ名は、今この瞬間、完全に崩壊していました。

「……ふぅ。お腹いっぱいですわ。満足ですわ……にゃあ」

「……っ。今、言ったな? もう一度言ってくれ、モルニャ」

「言いませんわよ。空耳ですわ」

食後の満足感に浸っていると、カイル様が懐から一本の銀色の櫛を取り出しました。
それは、細工が細かく、持ち手には猫の肉球のようなエメラルドが埋め込まれています。

「……なんだか、不穏な道具が出てきましたわね?」

「尋問の一環だ。髪を解かせろ。……お前の髪は、放っておくとすぐに絡まるからな」

カイル様は私の背後に回り込むと、膝の上に私の頭を乗せました。
いわゆる、膝枕の状態ですわ!

「ちょ、カイル様! これはさすがに不敬……というか、近すぎますわ!」

「黙っていろ。これは、主(あるじ)としての義務だ」

銀の櫛が、私の髪をゆっくりと通ります。
カイル様の手つきは驚くほど丁寧で、地肌に触れる指先が心地よい熱を持っていました。

「……ふふ、くすぐったいですわ……。でも、気持ちいい……」

「そうか。……モルニャ、お前は本当に、私の手の中に収まりが良いな」

カイル様の低い声が、頭のてっぺんから響いてきます。
櫛が通るたびに、私の意識はふわふわと綿菓子のように溶けていきました。
これが公爵流の拷問なら、私は喜んで全ての秘密を白状してしまいそうですわ。

「……カイル様。私、このままここにいても、よろしいのかしら」

「当たり前だ。お前を逃がす選択肢など、最初から私の辞書にはない」

「でも、私は悪役令嬢として国を追われた身。いつか、貴方にご迷惑をかけてしまうかも……」

私が少しだけ真面目なトーンで言うと、カイル様の櫛を持つ手が止まりました。
彼は私の顔を覗き込み、その青い瞳に強い意志を宿して告げたのです。

「迷惑? ……フン。お前を養う程度の財力も、守るための武力も、私は持ち合わせているつもりだ。それに……」

カイル様は私の額に、指先で優しく触れました。

「お前がいない生活など、今の私には想像できん。お前が『モルニャ』と名乗るたび、私は救われているのだからな」

「……カイル様……」

「だから、余計な心配はするな。お前はただ、ここで美味い魚を食べ、日向ぼっこをしていればいい。……わかったな?」

「……はい。わかりましたわ。……ですわにゃ」

「……っ! 今の、もう一度!」

「絶対嫌ですわ!」

私はカイル様の膝から飛び起きると、窓際の陽だまりへと逃げ込みました。
追いかけてくるカイル様の足音を聞きながら、私は確信しました。

公爵邸での『飼育生活』は、想像を絶するほど甘くて、抗いがたい中毒性に満ちているということを。
私の元婚約者であるアトラス殿下が、今頃どんな顔をしているかなんて、もう一秒も思い出す必要はなさそうですわね。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】物置小屋の魔法使いの娘~父の再婚相手と義妹に家を追い出され、婚約者には捨てられた。でも、私は……

buchi
恋愛
大公爵家の父が再婚して新しくやって来たのは、義母と義妹。当たり前のようにダーナの部屋を取り上げ、義妹のマチルダのものに。そして社交界への出入りを禁止し、館の隣の物置小屋に移動するよう命じた。ダーナは亡くなった母の血を受け継いで魔法が使えた。これまでは使う必要がなかった。だけど、汚い小屋に閉じ込められた時は、使用人がいるので自粛していた魔法力を存分に使った。魔法力のことは、母と母と同じ国から嫁いできた王妃様だけが知る秘密だった。 みすぼらしい物置小屋はパラダイスに。だけど、ある晩、王太子殿下のフィルがダーナを心配になってやって来て……

旦那様には愛人がいますが気にしません。

りつ
恋愛
 イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。 ※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

「平民なんて無理」と捨てたくせに、私が国の英雄になった途端、態度変わりすぎじゃない?

ほーみ
恋愛
「婚約は破棄させてもらうよ、アリア」  冷ややかな声が玉座の間に響く。  騎士として従軍していた私は、戦地から帰還してすぐにこの場に呼び出された。泥に汚れた鎧を着たまま、目の前には王族や貴族たちがずらりと並び、中央に立つのは私の婚約者だった第二王子・レオナルド。  彼の瞳には、かつての優しさのかけらもない。 「君のような平民出身者とは、これ以上関わるべきではないと判断した」  周囲の貴族たちがくすくすと笑い声を漏らす。

聖女解任ですか?畏まりました(はい、喜んでっ!)

ゆきりん(安室 雪)
恋愛
私はマリア、職業は大聖女。ダグラス王国の聖女のトップだ。そんな私にある日災難(婚約者)が災難(難癖を付け)を呼び、聖女を解任された。やった〜っ!悩み事が全て無くなったから、2度と聖女の職には戻らないわよっ!? 元聖女がやっと手に入れた自由を満喫するお話しです。

【完結】記憶が戻ったら〜孤独な妻は英雄夫の変わらぬ溺愛に溶かされる〜

凛蓮月@騎士の夫〜発売中です
恋愛
【完全完結しました。ご愛読頂きありがとうございます!】  公爵令嬢カトリーナ・オールディスは、王太子デーヴィドの婚約者であった。  だが、カトリーナを良く思っていなかったデーヴィドは真実の愛を見つけたと言って婚約破棄した上、カトリーナが最も嫌う醜悪伯爵──ディートリヒ・ランゲの元へ嫁げと命令した。  ディートリヒは『救国の英雄』として知られる王国騎士団副団長。だが、顔には数年前の戦で負った大きな傷があった為社交界では『醜悪伯爵』と侮蔑されていた。  嫌がったカトリーナは逃げる途中階段で足を踏み外し転げ落ちる。  ──目覚めたカトリーナは、一切の記憶を失っていた。  王太子命令による望まぬ婚姻ではあったが仲良くするカトリーナとディートリヒ。  カトリーナに想いを寄せていた彼にとってこの婚姻は一生に一度の奇跡だったのだ。 (記憶を取り戻したい) (どうかこのままで……)  だが、それも長くは続かず──。 【HOTランキング1位頂きました。ありがとうございます!】 ※このお話は、以前投稿したものを大幅に加筆修正したものです。 ※中編版、短編版はpixivに移動させています。 ※小説家になろう、ベリーズカフェでも掲載しています。 ※ 魔法等は出てきませんが、作者独自の異世界のお話です。現実世界とは異なります。(異世界語を翻訳しているような感覚です)

婚約破棄されたけど、どうして王子が泣きながら戻ってくるんですか?

ほーみ
恋愛
「――よって、リリアーヌ・アルフェン嬢との婚約は、ここに破棄とする!」  華やかな夜会の真っ最中。  王子の口から堂々と告げられたその言葉に、場は静まり返った。 「……あ、そうなんですね」  私はにこやかにワイングラスを口元に運ぶ。周囲の貴族たちがどよめく中、口をぽかんと開けたままの王子に、私は笑顔でさらに一言添えた。 「で? 次のご予定は?」 「……は?」

たいした苦悩じゃないのよね?

ぽんぽこ狸
恋愛
 シェリルは、朝の日課である魔力の奉納をおこなった。    潤沢に満ちていた魔力はあっという間に吸い出され、すっからかんになって体が酷く重たくなり、足元はふらつき気分も悪い。  それでもこれはとても重要な役目であり、体にどれだけ負担がかかろうとも唯一無二の人々を守ることができる仕事だった。  けれども婚約者であるアルバートは、体が自由に動かない苦痛もシェリルの気持ちも理解せずに、幼いころからやっているという事実を盾にして「たいしたことない癖に、大袈裟だ」と罵る。  彼の友人は、シェリルの仕事に理解を示してアルバートを窘めようとするが怒鳴り散らして聞く耳を持たない。その様子を見てやっとシェリルは彼の真意に気がついたのだった。

処理中です...