婚約破棄されました悪役令嬢、可愛がりルートを爆走中

桃瀬ももな

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社交界での「お魚お披露目パーティー」から一夜明け。
公爵邸の朝は、いつにも増して静まり返っていました。
理由は明白。主であるカイル様が、執務室で彫刻のように固まったまま、一歩も出てこないからです。

「……セバス。私は、重大な過ちを犯しているのかもしれん」

「閣下。重大な過ちとは、昨夜、皇帝陛下の前でモルニャ様の食べ残した魚の皮を『これは宝物だ』と言って懐に収めようとしたことでしょうか?」

「……。それもそうだが、もっと根源的な問題だ」

カイル様は、眉間に深い皺を寄せ、組んだ指に顎を乗せました。
その視線の先には、庭で日向ぼっこをしながら、蝶々を追いかけて(物理的に跳ね回って)いる私の姿があります。

「私は、モルニャを愛している。それは間違いない。だが……」

「だが?」

「この感情は、果たして『女性』に対する愛なのか。それとも、極上の『猫』に対する愛着なのか。……分からなくなってきたのだ」

カイル様は、真剣そのものの顔で絶望を口にしました。
執事のセバス様は、もはやツッコミを入れる気力も失ったようで、無言で紅茶を注いでいます。

「モルニャが『にゃ』と言えば、私の心臓は止まりそうになる。彼女が喉を撫でろと催促すれば、全財産を投げ打ってでも応えたくなる。……だが、これは私が幼い頃に飼っていた猫、タマに見せていた愛情と何が違うのだ?」

「閣下。タマにドレスを着せて夜会に連れて行ったことはございませんよね?」

「当たり前だ。タマは全裸が一番美しかったからな。……いや、そういう話ではない!」

カイル様はガタッと椅子を蹴立てて立ち上がりました。
そして、そのままの勢いで庭へと飛び出していったのです。

一方、その頃の私は。

「……ふんぬっ! ……あ、逃げられましたわ。今日の蝶々は、なかなか俊敏ですわね」

私は、生垣の上に着地し、ドレスの裾を整えました。
そこへ、息を切らしたカイル様が血相を変えて現れたのです。

「モルニャ! 動くな!」

「あら、カイル様。どうなさいましたの? そんなに怖い顔をして。もしやお魚の在庫が切れました?」

「魚の話ではない! ……お前、今すぐそこから降りて、私の前に立て」

私は首を傾げながらも、ひらりと地面に飛び降りました。
カイル様は、私の肩をがっしりと掴み、至近距離で私の顔を覗き込んできます。

「……カイル、様? 顔が近いですわ。心臓の音が、ここまで聞こえてきそうですわよ」

「黙っていろ。……確認するのだ。お前が、ただの『愛らしい生き物』なのか、それとも一人の『女』なのかを」

カイル様の青い瞳が、熱を帯びて揺れています。
彼は、震える指先で私の唇をなぞりました。
その感触は驚くほど熱く、私の胸の中に、今まで感じたことのない妙なざわつきが生まれました。

「……モルニャ。お前は、私に撫でられるのが好きなのか?」

「……ええ。嫌いではありませんわ。カイル様の手、大きくて温かくて、安心しますもの」

「では、これはどうだ?」

カイル様は、撫でるのではなく、私の頬を包み込み、ゆっくりと顔を近づけてきました。
鼻先が触れ合いそうな距離。
彼の吐息が、私の肌をくすぐります。

「(……あ、これ、お魚をもらう時の距離感ではありませんわね)」

私は、無意識に目を閉じてしまいました。
そのまま、唇に柔らかいものが触れるのを待っていたのですが。

「……っ、ぐふっ……!!」

不意にカイル様が変な声を上げて、私を突き放しました。
目を開けると、彼は顔を真っ赤にして、鼻を抑えてうずくまっているではありませんか。

「カイル様!? どうなさいましたの!?」

「……あまりの……あまりの尊さに……鼻血が……。……やはり、お前は猫だ。神が遣わした、人類を滅ぼすための可愛すぎる猫なのだ……!」

「……違いますわよ。公爵令嬢ですわよ」

カイル様は「愛か、猫か」という哲学的な悩みの答えを出す前に、自らのキャパシティを超えてしまったようです。
セバス様が遠くから「あーあ、また始まった」という顔で、救急箱を持って歩いてくるのが見えました。

「……カイル様。貴方、本当にルードルフ帝国最強の軍人なんですの? ただの『極度の猫アレルギー(精神的)』ではありませんこと?」

「アレルギーではない! 過剰反応だ! ……モルニャ、お前、今夜は私の膝の上で寝ろ! 荒療治だ!」

「それはただの、貴方の役得ではありませんこと?」

結局、カイル様の悩みは解決しないまま。
ですが、突き放された時の少しの寂しさと、近づいた時の高鳴りを、私は確かに覚えていました。

「(……ふふ。カイル様。私が猫でも、人間でも、貴方の側を離れるつもりはありませんわよ。……お魚、美味しいですし)」

私は、うずくまるカイル様の背中を、猫をあやすように優しくポンポンと叩きました。
カイル様の「猫可愛がりルート」が、いつの間にか「全力片思いルート」へと分岐し始めていることに、屋敷中の誰もが気づき始めていた、そんな春の日の午後でした。
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