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『翼とヒナゲシと赤き心臓』24
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24
ぱん、ぱん、ぱん、と乾いた音がした。
「お見事だ。アンタレスの稼働実験は見事に成功した。まさか新たなる超人の誕生を目にするとはね」
ぬいぐるみのような手袋で白王が手を叩く。言葉の上では褒めているようで、その実全く感情の籠らない声。
その姿が消える。途端、腹部への食い込むような衝撃。抵抗出来ない。意識が保てない。
「これでお前を逃がす事は出来なくなった。探偵尾賀叉反、是が非でもお前を連れて行く。我らが結社の元へと」
倒れ込んでいく体。淡々とした白王の言葉を耳にしながら、叉反の意識は闇に閉ざされていった。
探偵の体が崩れ落ち、白王がそれを受け止めた。少年の冷たい瞳が叉反と、その向こうに倒れ込んだ男を見比べる。
「本当に驚いたよ。カウンターモンストロ、まさか超獣態までも元に戻してみせるとは」
白王の傍らで電光が弾け出す。瞬く間に緑電が繋がり、四足獣の姿を象る。小柄な、一匹の虎。白王はその上に、探偵の体を放り投げる。
「運んでおけ。僕はそこの女を連れて帰る」
電流が紐のように叉反の体を拘束し、緑電の虎は頷くとくるり背を向けて走り出す。
「……」
覚悟を決めたように、レベッカが立ち上がる。手に、あの小さな拳銃を持っている。電撃を放つ銃を。
「……待てよ」
俺はポケットのドライバーを掴んで、立ち上がる。見ればわかる。勝ち目はない。最悪の状況がさらに悪くなりやがった。
「あんたは逃げろ。ここは俺が何とかする」
無理矢理レベッカを後ろにやって、俺は言った。
白王は顔色一つ変えなかった。
「どけ、失敗野郎。無駄な時間を使わせるな」
ばちばちと手袋の爪から電流が弾ける。緑電。あまりのプレッシャーに内臓が底冷えする。俺は一般市民だ。こんなわけわからない凶暴な子供の相手なんざとても出来ない――
なんて事は、もう言ってられない。今、俺が踏ん張らなきゃ後ろの女が攫われる。元を糺せば俺は巻き込まれただけだが、それでも不逞の輩に女が連れて行かれるのを見過ごすほど人でなしじゃない。
ドライバーを構え、俺は言った。
「馬鹿言えよ。どかしたきゃ屋上の時みたいにやってみりゃいい、子猫ちゃ――」
爪先から雷が迸り、俺の顔面を撃ち抜いた。脳天が焼ける。くそ! こんなん死んじまうに決まってる。皮膚が音を立てて焦げていく。ドライバーが手から滑り落ちる。体は姿勢を保てず倒れる。
「どけって言っただろ」
俺の体を白王は屑ゴミのように払う。地面に転がった。クソガキの足がレベッカへと向かう。
「レベッカ・シャーレイ・アンダーソン。お前は無駄な時間を取らせるなよ。余計な事さえしなければ死体を増やさずに済むんだ」
ふざけんな。もう俺が死んだものだと思っていやがる。顔こそ黒焦げだが、俺はまだ生きている。すぐ死ぬ予定もない。
「馬鹿言わないで。もう二度と貴方達の手伝いをするのは御免よ。トビも探偵もわたしが助けてみせる」
「口先だけはご立派な先生だ」
脳髄を電流が走る。案の定だ。遠くから響く爆音に紛れて、静かに俺の頭部に緑電が走る。
クソガキめ、そのお喋りが命取りだ……!
「さあ、その銃を捨てろ。さもなくば――」
頭部が治癒する中、俺は白王目がけて手の中のスイッチを押した。射出音とともに飛来する刃が白王を直撃する。
「……あ?」
掠れた声で少年の視線がこちらを見た瞬間、俺は叫んだ。
「逃げろ、レベッカ!!」
レベッカが一瞬戸惑った顔を見せる。馬鹿野郎、早く行け。近くのバールを拾い、俺は突っ込む。一分も稼げないかもしれない。いや、逃げるきっかけさえ作れればいい!
「早くしろ!! 行けえ!!」
あらん限りの声で叫び、俺は白王の頭部目がけてバールを振り下ろす。視界の端で赤い髪が揺れた。そうだ、さっさと行け!
振り下ろしたバールが止まった衝撃に、俺はつんのめりそうになる。バールは曲がっていた。手袋の甲が受け止めていた。
ナイフの刀身を体から抜き取り、白王が下から俺を睨みつける。どうみたってそこらの中坊くらいのクソガキなのに、その身に纏った気配はガキのそれじゃない。今さらながら、やばい奴に喧嘩売っちまった。
ナイフがつけた傷口に緑電が走る。俺は動けないでいた。目の前のガキが放つ強烈な凄み。殺気に取り込まれて。
「スペツナズナイフなんて、似合わない武器を持っているんだな」
静かに、極めて静かに奴の口が動く。
「……ちょっとしたコネでね」
まったく俺も大したもんだ。この状況で、こんな軽口が叩けるなんて――
「言ったよな……無駄な時間を取らせるなと!」
白王の体が瞬時に緑電に包まれる。次の瞬間、物凄い力で俺は引っ張られ、投げ飛ばされる。体は瓦礫の山へと激突し、背骨が砕け散るような痛みが襲ってくる。
白王は獣人へと変身していた。頭部は白虎となり、逞しい上半身と人間の腕らしくありながら、太く、爪はまるで本物の虎のように化した二本の腕が見える。
ばちばちと音が鳴る。俺の体はまだ持つらしい。即座に血が止まり、治癒が始まる。
「超再生ぐらいは起こったか。よりにもよってその程度で、この僕の邪魔をしようとはね」
瞬速。奴にしてみりゃステップを踏んだくらいかもしれない。だが、目にもとまらぬ速さで白王は俺に近付き、胸倉を掴み上げる。
「これ以上お前相手にモンストロを無駄には出来ない。二度と再生出来ないように徹底的に破壊してやる」
岩石で潰されてるのかと思うほどの圧力で喉首が締め付けられる。再生が……たぶんこれ間に合ってねえ。ああ、死ぬ。駄目だ死ぬ!
「――――……はああああっ!」
女の叫び声が聞こえた。白王の頭部に瓦礫が叩き付けられ、砕け散る。ぴくりともしない。だが白王を攻撃した彼女は、何かを奴の胴体へ突き刺した。俄かに、掴まれていた腕の力が抜ける。ばたりと、俺は床に落ちる。途端に喉の奥から血がせり上がってくる。顔を向けた地面が真っ赤に染まる。
「……はあ、はあ」
レベッカが荒い息をついた。白王は跪くような格好のまま沈黙している。
「お前、何で逃げてねえんだ」
俺の言葉に、レベッカは必死の形相で俺を睨み返す。
「貴方を置いて逃げられるわけないでしょ! さあ早く立って。この鎮静剤でも効くかどうか」
レベッカの体が不意に吹き飛ぶ。白王の尻尾が揺れ動いていた。次いで衝撃が俺を襲う。再び瓦礫の山へ叩き付けられる。
「……本当に、舐められたものだな」
背に刺さった注射器を捨て、白王が立ち上がる。
「今さら鎮静剤如きでどうにか出来ると思っているとはね。だがまあ、自ら戻ってきたのは良い心がけだ。もうこれ以上、煩わされたくないからね」
白王の足が倒れたレベッカへと向かう。待ちやがれ、とそう言いかけるが、直前、白王が無造作に向けた指先から放たれた電撃が体を打つ。
「動くなよ。どうせお前はもうお終いだ。せめて最期ぐらいは静かに迎えろよ」
白王がレベッカの体を抱き上げる。奴が、俺を見た。屋上の時と同じく、無感情の瞳で。
「ばいばい、失敗野郎」
俺は声を上げる。だが、もう体が言う事を聞かない。
足音が遠ざかっていく。瓦礫の山を背に、俺は立ち上がる事が出来なかった。
――……何時間も意識を失っていた気がする。だが、目を覚ました俺が見たのは、さっきまでと変わらない光景だった。瓦礫の山。流した血の痕。いなくなったガキ。いなくなった女。まだ瓦礫の下敷きになってないって事は、そう時間は経っていまい。
失敗した。
度重なる怪我と疲労とで重くなった体で、そんな事を考えた。
いや、手は尽くしたんだ。あんな化け物みたいな野郎相手に俺はうまく立ち回った。あのままあいつが逃げ出してりゃ、少なくとも攫われる事だけはなかった。何で戻ってきやがったんだ。俺は、逃げろって言ったのに。だいたい俺は……
「俺は巻き込まれたんだ……」
元々、俺には関係ない話だ。
そっと、身を起こす。痛むところはない。案の定、俺の中のモンストロとやらが治癒したようだ。体力は尽きかけているが、歩くくらいは出来る。
ゆっくりと起き上がり、俺は一歩を踏み出す。
行こう。今ならまだ、ぎりぎり助かるかもしれない。出口はわからないが、もしかしたらどこかが壊れていて外へ出られるかも。
それに、死ぬならそれはそれだ。今さら街に戻って何になる。生きてて、何だって言うんだ。どいつもこいつも俺の事なんか歯牙にもかけちゃいない。またあのねぐらのようなアパートに戻って、今までみたいな生活に戻るのか? それなら、いっそ……。
一歩、二歩。俺は進む。
瓦礫によって灰色になった床の上に、何かが転がっているのが見えた。ついさっき白王を殴って折れ曲がった、バールだ。俺もどうかしてる。あんなんであいつを止めようとしていたんだから。
こつん、と爪先で何かを蹴っ飛ばした。
黒い、小さな銃。あいつが持っていた銃だ。レベッカ。
――失敗した。
見捨てられなくて、無我夢中でやって、俺は失敗した。元から無理だったのかもしれない。相手はガキだっていうのに、あんまりにも強すぎる。俺には無理だった。ろくでなしの、この俺には。
逃げたってどうにもならない、と昔言われた。
逃げを繰り返すなとも、同じく言われた。
冗談じゃねえ。逃げるしかなかったんだ。あの終わった街の工場で、馬鹿にされながら生きて、俺に何があった? ナユタに行くしかなかった。俺は俺の生活を変えるしかなかった。逃げというなら、そう、逃げだ。戦略的撤退だ。
変えられると思った。ここでなら。
でも、何も変わりゃしなかった。この街に来ても、俺の力はどこにも届かない。いつか、何かのきっかけがあって、俺の力が発揮されるその機会が来るのだと、そう思っていた。でも、そんなものは結局なかった。
目の前の人間一人助けられず、今死ぬか、あとで死ぬかという未来しか見えない。
俺には何もない。何も出来ない。力なんて持っていない、ただの、ろくでなしだ。何の価値もない、ただの。
「おい」
いつの間にか座り込んでいた俺の頭に、誰かの影が差していた。俺は顔を上げる。その瞬間、横っ面をぶん殴られる。絞りカスみたいな、そんな情けない声が出て、俺は地面に倒れる。が、途端に胸倉を掴み上げられた。
知らない男だ。ほぼ全裸だが、体中びっしりと鱗が生えている。興奮しているようだが顔色が悪い。
「あんた、は……?」
「俺に口を利くんじゃねえ。食い殺すぞ、ガキが」
歯を剥き出しにして、男は言った。吐息に異様な臭いがする。歯に肉片や血がこびりついている。
「あんた……さっきの鰐か。あの、ばかでかい……」
「何わけわかんねえ事言ってやがる。鰐だと。このスガロ様に向かってそんな口を利いて生きていた奴はいねえ。いいか、ガキ。簡潔に聞くぞ、レベッカと白王はどこだ。さあ、言え!」
消えたよ、そう言ってやりたかったが声にならない。暗い感情が俺の喉を封じたかのようだ。俺は助けられなかった。俺は、失敗したんだ。
――俺に怒鳴り返した必死な顔の女。俺を助けに来てくれた女。
舌打ちとともに、スガロという男は俺を地面に投げ捨てた。
「ち。知らねえか。役に立たねえガキだ。せめて俺に喰われて死ね。この屑野郎が」
スガロが顔の前に手をやった。逃げなきゃ。直感的にそう思う。このままじゃ殺される。
いや、もういいか。どうせ俺には何も出来ない。死ぬのは、もうあまり怖くない。ここで終わりにしてくれるっていうのなら――……
「イクシー――」
――女の言葉が甦る。耳鳴りみたいに。
ああ、くそ。
こいつ……臭うな。
次の瞬間、顔の前にやった掌ごと、俺は左拳で男を殴り飛ばしていた。完全に不意を突かれたらしいスガロはさっきの俺以上に情けない声を上げてよろめく。
「……っ、てめえ!」
「臭いんだよ、おっさん。あんたからは俺と同じろくでなしの臭いがしやがる」
殴った左拳が痛む。下手にやると指の骨が折れそうだ。だが、俺の怪我はすぐに治る。幸か不幸か、そういう体になっちまった。
「そうかガキ。てめえ、苦しんで死にてえらしいな。いいだろう、てめえは食う前に全身の骨という骨をぶち折ってやるぜ。首は最後だ。最後まで痛い思いをしながら俺に許しを――」
「うるせえってんだ、おっさん。俺がどんなにろくでなしでもな、同じろくでなしには殺されてやらねえよ。つべこべ言わずにかかってきやがれ」
スガロの額に血管が浮き上がる。瞬く間に蹴りが飛んできた。格闘家みたいな堂に入った蹴りだ。喰らったらやばい。それはわかる。だが、迫力不足だ。俺は後ろへ跳んでそいつを躱す。相手も手慣れたように、すかさず追って拳を放ってくる。俺は地面に落ちていたある物を拾い上げ、それを放り投げて相手の拳を迎撃する。
「うぐぁっ!」
バールを殴ったスガロを俺は再び左拳でぶん殴る。骨の芯まで痛みが響く。それでもスガロは倒れない。
「てめえ、調子に乗るなよ!」
再びスガロの拳が動く。胴体を狙われている。俺は咄嗟に身を引こうとして、直後に左足に衝撃を受ける。一発で立てなくなるほどの痛み。次いで腹部への大打撃。体がくの字に折れ曲がる。くそったれ。フェイントなんざかけてきやがって!
「馬鹿な野郎だ。そんなカスみたいなパンチしか出来ねえで、何でこんなところにいやがる。とっとと逃げ出しちまえば死なずに済んだのによ」
スガロがバールを拾った。どうやらあれで殴ってくるつもりらしい。ずんずんと、こちらに近づいてくる。
逃げときゃよかった、ね……。
「……あいつは、逃げなかったよ」
そっと、ポケットに手を入れる。すぐ傍にまでやってきたスガロに、俺はそう言ってやる。
「ああ? 誰の話だよ」
俺はポケットの中のそれを掴む。
「――あんたがお探しの彼女だよ、おっさん!」
直後、投げつけた灰ブロックがスガロの頭部に命中し、
「な……このクソッ!」
渾身の力で叩き付けた鳶の手の一撃が、スガロの顔を三度打ち抜いた。
「ぐう……っ、てめえ――」
呻き声を上げたスガロはよろめき、足を滑らせ、瓦礫の散らばる床へと転倒する。
そのまま、男は立ち上がらない。血は出ていないし、何よりこのおっさんもモンストロが体に入っている。気を失ったようだが、死んではいないだろう。
呼吸が乱れた。俺は深く息を吸い、汗を拭う。
『貴方を置いて逃げられるわけないでしょ!』
……あいつは戻ってきた。俺を見捨てれば逃げられたのに。
「何を……馬鹿な事を考えていたんだ、俺は」
自分が恥ずかしくなる。命を救ってもらっておいて、その相手を見捨てようとするなんて。
「逃げらんねえ。逃げちゃ駄目だ」
連れ去られてから、まだそんなに時間は経っていない。今からでも追わなければ。たとえ、俺一人だったとしても。
「行かなきゃ」
呟き、俺は歩き出す。しかし、どうする? 追うにしても、まずはここを出る方法を探さないと。それに、どうやって二人の跡を追えば。
そういえば爆発音がしない。断続的だった震動も今は止まっているようだ。これは、もしや……。
俺の思考は、しかし耳に届いたある音によって遮られた。もう嫌になるくらい聞いた放電音。次の瞬間、足を掴まれた俺はそのまま引きずり倒される。
「殺す、殺スッ……! 俺を侮る奴は皆殺してヤルッ!」
重たい体が俺の上に伸しかかる。微弱な電流がスガロの体の上で弾けている。まだ動くってのか。くそ、何とかしなきゃ。これ以上、こいつに関わる時間はないってのに!
「死ネェ! その頭丸齧りだァッ!」
血走った目のスガロが狂ったように口を開く。こいつ、まさかこのまま俺を喰うつもりか!? 反撃しようと腕を動かす。駄目だ。両肩を押さえつけられている!
肉を目にした獣のように、スガロが俺に喰らい付く――
いや、スガロの歯は俺には届かなかった。不意に脱力したスガロは何者かによって、俺の上からどかされる。
「お前……」
「大丈夫か、トビ」
傷だらけ男はそう言いながら俺に手を差し伸べる。俺はそっと右手を上げる。左手は痛んでいて力が入らない。
鳶の手を掴み、叉反は俺を引っ張り上げた。
叉反の姿はさっきまでの変身したものではなく、普通のそれに戻っていた。
「状況は……聞くまでもないようだな」
「探偵、レベッカは……」
言うべき事は決まっているはずなのに、言葉は上手く出てこない。
「あいつは連れて行かれた。……とても敵わなかった。でも」
切れ切れに俺は続ける。気持ちがせり上がってくる。
「俺は行かなきゃならない。あいつを助けたいんだ。助けてもらったのに、このまま見捨てていくなんて、そんなのは絶対に駄目だ」
俺は探偵を見た。その黒い両目がじっと俺を見返す。たとえ何を言われても、俺は俺の意志を示さなきゃならない。それが、俺のけじめだ。
「頼む、探偵。俺と一緒に来てくれ! 俺の命はどうなってもいい、だから、どうかあいつを! あいつを助けてくれ!」
探偵が目を閉じた。言い様のない緊張が急にもたげる。いや、今更なんだ。失態を詰られようが、ぶん殴られようが、俺は――
「さっきの変身のせいで、俺もあまり余力がない」
静かに、探偵は言った。
「白王相手に、お前を庇いながらレベッカを取り戻すのは不可能だ。自分の身は自分で守ってもらう事になる」
覚悟の上だ。守ってもらう気なんてさらさらない。
「さらに言えば、手が足りない。俺一人で彼女の奪還と仁の捜索をするのは困難だろう」
叉反が俺を見た。真剣な瞳で。
「俺を手伝ってくれ、トビ。今はお前が必要だ」
探偵は言った。血管の中で熱を帯びた、言い様のない感情が沸き立ってくる。これは、この感覚を何と言えばいいのか。心の底から力が湧いてくるような、この気持ちは。
――奮い立つ、だ。
「ああ。任せろ、探偵」
叉反は頷いた。真剣そのものの顔が、どこか微笑んでいるようにも見えた。
だが、それも一瞬だ。
「行こう。すぐにでも二人に追いつくんだ」
ぱん、ぱん、ぱん、と乾いた音がした。
「お見事だ。アンタレスの稼働実験は見事に成功した。まさか新たなる超人の誕生を目にするとはね」
ぬいぐるみのような手袋で白王が手を叩く。言葉の上では褒めているようで、その実全く感情の籠らない声。
その姿が消える。途端、腹部への食い込むような衝撃。抵抗出来ない。意識が保てない。
「これでお前を逃がす事は出来なくなった。探偵尾賀叉反、是が非でもお前を連れて行く。我らが結社の元へと」
倒れ込んでいく体。淡々とした白王の言葉を耳にしながら、叉反の意識は闇に閉ざされていった。
探偵の体が崩れ落ち、白王がそれを受け止めた。少年の冷たい瞳が叉反と、その向こうに倒れ込んだ男を見比べる。
「本当に驚いたよ。カウンターモンストロ、まさか超獣態までも元に戻してみせるとは」
白王の傍らで電光が弾け出す。瞬く間に緑電が繋がり、四足獣の姿を象る。小柄な、一匹の虎。白王はその上に、探偵の体を放り投げる。
「運んでおけ。僕はそこの女を連れて帰る」
電流が紐のように叉反の体を拘束し、緑電の虎は頷くとくるり背を向けて走り出す。
「……」
覚悟を決めたように、レベッカが立ち上がる。手に、あの小さな拳銃を持っている。電撃を放つ銃を。
「……待てよ」
俺はポケットのドライバーを掴んで、立ち上がる。見ればわかる。勝ち目はない。最悪の状況がさらに悪くなりやがった。
「あんたは逃げろ。ここは俺が何とかする」
無理矢理レベッカを後ろにやって、俺は言った。
白王は顔色一つ変えなかった。
「どけ、失敗野郎。無駄な時間を使わせるな」
ばちばちと手袋の爪から電流が弾ける。緑電。あまりのプレッシャーに内臓が底冷えする。俺は一般市民だ。こんなわけわからない凶暴な子供の相手なんざとても出来ない――
なんて事は、もう言ってられない。今、俺が踏ん張らなきゃ後ろの女が攫われる。元を糺せば俺は巻き込まれただけだが、それでも不逞の輩に女が連れて行かれるのを見過ごすほど人でなしじゃない。
ドライバーを構え、俺は言った。
「馬鹿言えよ。どかしたきゃ屋上の時みたいにやってみりゃいい、子猫ちゃ――」
爪先から雷が迸り、俺の顔面を撃ち抜いた。脳天が焼ける。くそ! こんなん死んじまうに決まってる。皮膚が音を立てて焦げていく。ドライバーが手から滑り落ちる。体は姿勢を保てず倒れる。
「どけって言っただろ」
俺の体を白王は屑ゴミのように払う。地面に転がった。クソガキの足がレベッカへと向かう。
「レベッカ・シャーレイ・アンダーソン。お前は無駄な時間を取らせるなよ。余計な事さえしなければ死体を増やさずに済むんだ」
ふざけんな。もう俺が死んだものだと思っていやがる。顔こそ黒焦げだが、俺はまだ生きている。すぐ死ぬ予定もない。
「馬鹿言わないで。もう二度と貴方達の手伝いをするのは御免よ。トビも探偵もわたしが助けてみせる」
「口先だけはご立派な先生だ」
脳髄を電流が走る。案の定だ。遠くから響く爆音に紛れて、静かに俺の頭部に緑電が走る。
クソガキめ、そのお喋りが命取りだ……!
「さあ、その銃を捨てろ。さもなくば――」
頭部が治癒する中、俺は白王目がけて手の中のスイッチを押した。射出音とともに飛来する刃が白王を直撃する。
「……あ?」
掠れた声で少年の視線がこちらを見た瞬間、俺は叫んだ。
「逃げろ、レベッカ!!」
レベッカが一瞬戸惑った顔を見せる。馬鹿野郎、早く行け。近くのバールを拾い、俺は突っ込む。一分も稼げないかもしれない。いや、逃げるきっかけさえ作れればいい!
「早くしろ!! 行けえ!!」
あらん限りの声で叫び、俺は白王の頭部目がけてバールを振り下ろす。視界の端で赤い髪が揺れた。そうだ、さっさと行け!
振り下ろしたバールが止まった衝撃に、俺はつんのめりそうになる。バールは曲がっていた。手袋の甲が受け止めていた。
ナイフの刀身を体から抜き取り、白王が下から俺を睨みつける。どうみたってそこらの中坊くらいのクソガキなのに、その身に纏った気配はガキのそれじゃない。今さらながら、やばい奴に喧嘩売っちまった。
ナイフがつけた傷口に緑電が走る。俺は動けないでいた。目の前のガキが放つ強烈な凄み。殺気に取り込まれて。
「スペツナズナイフなんて、似合わない武器を持っているんだな」
静かに、極めて静かに奴の口が動く。
「……ちょっとしたコネでね」
まったく俺も大したもんだ。この状況で、こんな軽口が叩けるなんて――
「言ったよな……無駄な時間を取らせるなと!」
白王の体が瞬時に緑電に包まれる。次の瞬間、物凄い力で俺は引っ張られ、投げ飛ばされる。体は瓦礫の山へと激突し、背骨が砕け散るような痛みが襲ってくる。
白王は獣人へと変身していた。頭部は白虎となり、逞しい上半身と人間の腕らしくありながら、太く、爪はまるで本物の虎のように化した二本の腕が見える。
ばちばちと音が鳴る。俺の体はまだ持つらしい。即座に血が止まり、治癒が始まる。
「超再生ぐらいは起こったか。よりにもよってその程度で、この僕の邪魔をしようとはね」
瞬速。奴にしてみりゃステップを踏んだくらいかもしれない。だが、目にもとまらぬ速さで白王は俺に近付き、胸倉を掴み上げる。
「これ以上お前相手にモンストロを無駄には出来ない。二度と再生出来ないように徹底的に破壊してやる」
岩石で潰されてるのかと思うほどの圧力で喉首が締め付けられる。再生が……たぶんこれ間に合ってねえ。ああ、死ぬ。駄目だ死ぬ!
「――――……はああああっ!」
女の叫び声が聞こえた。白王の頭部に瓦礫が叩き付けられ、砕け散る。ぴくりともしない。だが白王を攻撃した彼女は、何かを奴の胴体へ突き刺した。俄かに、掴まれていた腕の力が抜ける。ばたりと、俺は床に落ちる。途端に喉の奥から血がせり上がってくる。顔を向けた地面が真っ赤に染まる。
「……はあ、はあ」
レベッカが荒い息をついた。白王は跪くような格好のまま沈黙している。
「お前、何で逃げてねえんだ」
俺の言葉に、レベッカは必死の形相で俺を睨み返す。
「貴方を置いて逃げられるわけないでしょ! さあ早く立って。この鎮静剤でも効くかどうか」
レベッカの体が不意に吹き飛ぶ。白王の尻尾が揺れ動いていた。次いで衝撃が俺を襲う。再び瓦礫の山へ叩き付けられる。
「……本当に、舐められたものだな」
背に刺さった注射器を捨て、白王が立ち上がる。
「今さら鎮静剤如きでどうにか出来ると思っているとはね。だがまあ、自ら戻ってきたのは良い心がけだ。もうこれ以上、煩わされたくないからね」
白王の足が倒れたレベッカへと向かう。待ちやがれ、とそう言いかけるが、直前、白王が無造作に向けた指先から放たれた電撃が体を打つ。
「動くなよ。どうせお前はもうお終いだ。せめて最期ぐらいは静かに迎えろよ」
白王がレベッカの体を抱き上げる。奴が、俺を見た。屋上の時と同じく、無感情の瞳で。
「ばいばい、失敗野郎」
俺は声を上げる。だが、もう体が言う事を聞かない。
足音が遠ざかっていく。瓦礫の山を背に、俺は立ち上がる事が出来なかった。
――……何時間も意識を失っていた気がする。だが、目を覚ました俺が見たのは、さっきまでと変わらない光景だった。瓦礫の山。流した血の痕。いなくなったガキ。いなくなった女。まだ瓦礫の下敷きになってないって事は、そう時間は経っていまい。
失敗した。
度重なる怪我と疲労とで重くなった体で、そんな事を考えた。
いや、手は尽くしたんだ。あんな化け物みたいな野郎相手に俺はうまく立ち回った。あのままあいつが逃げ出してりゃ、少なくとも攫われる事だけはなかった。何で戻ってきやがったんだ。俺は、逃げろって言ったのに。だいたい俺は……
「俺は巻き込まれたんだ……」
元々、俺には関係ない話だ。
そっと、身を起こす。痛むところはない。案の定、俺の中のモンストロとやらが治癒したようだ。体力は尽きかけているが、歩くくらいは出来る。
ゆっくりと起き上がり、俺は一歩を踏み出す。
行こう。今ならまだ、ぎりぎり助かるかもしれない。出口はわからないが、もしかしたらどこかが壊れていて外へ出られるかも。
それに、死ぬならそれはそれだ。今さら街に戻って何になる。生きてて、何だって言うんだ。どいつもこいつも俺の事なんか歯牙にもかけちゃいない。またあのねぐらのようなアパートに戻って、今までみたいな生活に戻るのか? それなら、いっそ……。
一歩、二歩。俺は進む。
瓦礫によって灰色になった床の上に、何かが転がっているのが見えた。ついさっき白王を殴って折れ曲がった、バールだ。俺もどうかしてる。あんなんであいつを止めようとしていたんだから。
こつん、と爪先で何かを蹴っ飛ばした。
黒い、小さな銃。あいつが持っていた銃だ。レベッカ。
――失敗した。
見捨てられなくて、無我夢中でやって、俺は失敗した。元から無理だったのかもしれない。相手はガキだっていうのに、あんまりにも強すぎる。俺には無理だった。ろくでなしの、この俺には。
逃げたってどうにもならない、と昔言われた。
逃げを繰り返すなとも、同じく言われた。
冗談じゃねえ。逃げるしかなかったんだ。あの終わった街の工場で、馬鹿にされながら生きて、俺に何があった? ナユタに行くしかなかった。俺は俺の生活を変えるしかなかった。逃げというなら、そう、逃げだ。戦略的撤退だ。
変えられると思った。ここでなら。
でも、何も変わりゃしなかった。この街に来ても、俺の力はどこにも届かない。いつか、何かのきっかけがあって、俺の力が発揮されるその機会が来るのだと、そう思っていた。でも、そんなものは結局なかった。
目の前の人間一人助けられず、今死ぬか、あとで死ぬかという未来しか見えない。
俺には何もない。何も出来ない。力なんて持っていない、ただの、ろくでなしだ。何の価値もない、ただの。
「おい」
いつの間にか座り込んでいた俺の頭に、誰かの影が差していた。俺は顔を上げる。その瞬間、横っ面をぶん殴られる。絞りカスみたいな、そんな情けない声が出て、俺は地面に倒れる。が、途端に胸倉を掴み上げられた。
知らない男だ。ほぼ全裸だが、体中びっしりと鱗が生えている。興奮しているようだが顔色が悪い。
「あんた、は……?」
「俺に口を利くんじゃねえ。食い殺すぞ、ガキが」
歯を剥き出しにして、男は言った。吐息に異様な臭いがする。歯に肉片や血がこびりついている。
「あんた……さっきの鰐か。あの、ばかでかい……」
「何わけわかんねえ事言ってやがる。鰐だと。このスガロ様に向かってそんな口を利いて生きていた奴はいねえ。いいか、ガキ。簡潔に聞くぞ、レベッカと白王はどこだ。さあ、言え!」
消えたよ、そう言ってやりたかったが声にならない。暗い感情が俺の喉を封じたかのようだ。俺は助けられなかった。俺は、失敗したんだ。
――俺に怒鳴り返した必死な顔の女。俺を助けに来てくれた女。
舌打ちとともに、スガロという男は俺を地面に投げ捨てた。
「ち。知らねえか。役に立たねえガキだ。せめて俺に喰われて死ね。この屑野郎が」
スガロが顔の前に手をやった。逃げなきゃ。直感的にそう思う。このままじゃ殺される。
いや、もういいか。どうせ俺には何も出来ない。死ぬのは、もうあまり怖くない。ここで終わりにしてくれるっていうのなら――……
「イクシー――」
――女の言葉が甦る。耳鳴りみたいに。
ああ、くそ。
こいつ……臭うな。
次の瞬間、顔の前にやった掌ごと、俺は左拳で男を殴り飛ばしていた。完全に不意を突かれたらしいスガロはさっきの俺以上に情けない声を上げてよろめく。
「……っ、てめえ!」
「臭いんだよ、おっさん。あんたからは俺と同じろくでなしの臭いがしやがる」
殴った左拳が痛む。下手にやると指の骨が折れそうだ。だが、俺の怪我はすぐに治る。幸か不幸か、そういう体になっちまった。
「そうかガキ。てめえ、苦しんで死にてえらしいな。いいだろう、てめえは食う前に全身の骨という骨をぶち折ってやるぜ。首は最後だ。最後まで痛い思いをしながら俺に許しを――」
「うるせえってんだ、おっさん。俺がどんなにろくでなしでもな、同じろくでなしには殺されてやらねえよ。つべこべ言わずにかかってきやがれ」
スガロの額に血管が浮き上がる。瞬く間に蹴りが飛んできた。格闘家みたいな堂に入った蹴りだ。喰らったらやばい。それはわかる。だが、迫力不足だ。俺は後ろへ跳んでそいつを躱す。相手も手慣れたように、すかさず追って拳を放ってくる。俺は地面に落ちていたある物を拾い上げ、それを放り投げて相手の拳を迎撃する。
「うぐぁっ!」
バールを殴ったスガロを俺は再び左拳でぶん殴る。骨の芯まで痛みが響く。それでもスガロは倒れない。
「てめえ、調子に乗るなよ!」
再びスガロの拳が動く。胴体を狙われている。俺は咄嗟に身を引こうとして、直後に左足に衝撃を受ける。一発で立てなくなるほどの痛み。次いで腹部への大打撃。体がくの字に折れ曲がる。くそったれ。フェイントなんざかけてきやがって!
「馬鹿な野郎だ。そんなカスみたいなパンチしか出来ねえで、何でこんなところにいやがる。とっとと逃げ出しちまえば死なずに済んだのによ」
スガロがバールを拾った。どうやらあれで殴ってくるつもりらしい。ずんずんと、こちらに近づいてくる。
逃げときゃよかった、ね……。
「……あいつは、逃げなかったよ」
そっと、ポケットに手を入れる。すぐ傍にまでやってきたスガロに、俺はそう言ってやる。
「ああ? 誰の話だよ」
俺はポケットの中のそれを掴む。
「――あんたがお探しの彼女だよ、おっさん!」
直後、投げつけた灰ブロックがスガロの頭部に命中し、
「な……このクソッ!」
渾身の力で叩き付けた鳶の手の一撃が、スガロの顔を三度打ち抜いた。
「ぐう……っ、てめえ――」
呻き声を上げたスガロはよろめき、足を滑らせ、瓦礫の散らばる床へと転倒する。
そのまま、男は立ち上がらない。血は出ていないし、何よりこのおっさんもモンストロが体に入っている。気を失ったようだが、死んではいないだろう。
呼吸が乱れた。俺は深く息を吸い、汗を拭う。
『貴方を置いて逃げられるわけないでしょ!』
……あいつは戻ってきた。俺を見捨てれば逃げられたのに。
「何を……馬鹿な事を考えていたんだ、俺は」
自分が恥ずかしくなる。命を救ってもらっておいて、その相手を見捨てようとするなんて。
「逃げらんねえ。逃げちゃ駄目だ」
連れ去られてから、まだそんなに時間は経っていない。今からでも追わなければ。たとえ、俺一人だったとしても。
「行かなきゃ」
呟き、俺は歩き出す。しかし、どうする? 追うにしても、まずはここを出る方法を探さないと。それに、どうやって二人の跡を追えば。
そういえば爆発音がしない。断続的だった震動も今は止まっているようだ。これは、もしや……。
俺の思考は、しかし耳に届いたある音によって遮られた。もう嫌になるくらい聞いた放電音。次の瞬間、足を掴まれた俺はそのまま引きずり倒される。
「殺す、殺スッ……! 俺を侮る奴は皆殺してヤルッ!」
重たい体が俺の上に伸しかかる。微弱な電流がスガロの体の上で弾けている。まだ動くってのか。くそ、何とかしなきゃ。これ以上、こいつに関わる時間はないってのに!
「死ネェ! その頭丸齧りだァッ!」
血走った目のスガロが狂ったように口を開く。こいつ、まさかこのまま俺を喰うつもりか!? 反撃しようと腕を動かす。駄目だ。両肩を押さえつけられている!
肉を目にした獣のように、スガロが俺に喰らい付く――
いや、スガロの歯は俺には届かなかった。不意に脱力したスガロは何者かによって、俺の上からどかされる。
「お前……」
「大丈夫か、トビ」
傷だらけ男はそう言いながら俺に手を差し伸べる。俺はそっと右手を上げる。左手は痛んでいて力が入らない。
鳶の手を掴み、叉反は俺を引っ張り上げた。
叉反の姿はさっきまでの変身したものではなく、普通のそれに戻っていた。
「状況は……聞くまでもないようだな」
「探偵、レベッカは……」
言うべき事は決まっているはずなのに、言葉は上手く出てこない。
「あいつは連れて行かれた。……とても敵わなかった。でも」
切れ切れに俺は続ける。気持ちがせり上がってくる。
「俺は行かなきゃならない。あいつを助けたいんだ。助けてもらったのに、このまま見捨てていくなんて、そんなのは絶対に駄目だ」
俺は探偵を見た。その黒い両目がじっと俺を見返す。たとえ何を言われても、俺は俺の意志を示さなきゃならない。それが、俺のけじめだ。
「頼む、探偵。俺と一緒に来てくれ! 俺の命はどうなってもいい、だから、どうかあいつを! あいつを助けてくれ!」
探偵が目を閉じた。言い様のない緊張が急にもたげる。いや、今更なんだ。失態を詰られようが、ぶん殴られようが、俺は――
「さっきの変身のせいで、俺もあまり余力がない」
静かに、探偵は言った。
「白王相手に、お前を庇いながらレベッカを取り戻すのは不可能だ。自分の身は自分で守ってもらう事になる」
覚悟の上だ。守ってもらう気なんてさらさらない。
「さらに言えば、手が足りない。俺一人で彼女の奪還と仁の捜索をするのは困難だろう」
叉反が俺を見た。真剣な瞳で。
「俺を手伝ってくれ、トビ。今はお前が必要だ」
探偵は言った。血管の中で熱を帯びた、言い様のない感情が沸き立ってくる。これは、この感覚を何と言えばいいのか。心の底から力が湧いてくるような、この気持ちは。
――奮い立つ、だ。
「ああ。任せろ、探偵」
叉反は頷いた。真剣そのものの顔が、どこか微笑んでいるようにも見えた。
だが、それも一瞬だ。
「行こう。すぐにでも二人に追いつくんだ」
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