探偵尾賀叉反『翼とヒナゲシと赤き心臓』

安田 景壹

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『翼とヒナゲシと赤き心臓』28

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28


 無駄かもしれない、と思った。その逆に、まだ間に合うかもしれないとも思った。
 大急ぎでエレベーターに乗り込み、一階のボタンを押す。病棟から病棟を移動し、俺は正面玄関へと急ぐ。
 駐車場に、車が出入りしているのが見える。人影はまばらにある。俺は彼女の姿を探す。赤い髪にヒナゲシの花が咲いた後ろ姿を。
 だが、期待に反して、そんな人影はどこにも見当たらない。
「……トビさん?」
 声がした。子供の声が。
 振り返ると、小さな子が立っていた。少し大きめのパジャマを着て、片手にヨーヨーを持った男の子。
「仁……」
「何してんの? そんな急いで。……顔色悪いよ、大丈夫?」
「……なあ、レベッカ見なかったか?」
 答えずに、俺は言った。


「レベッカさん? いや、見てないけど……。ああ、そうだ。確か昼過ぎには退院してたと思うよ。叉反がそんな事言ってた」
「……そうか」
 それならもう、この辺りにはいないだろう。
「トビさん?」
「ああ、いや。悪い、部屋に帰るよ」
 胸の中が、さらに重くなった気がする。
 俺はゆっくりと今来た道を戻り始める。部屋に戻る。戻って眠る。それくらいしか、今は出来そうにない。


 結局最後に退院したのは、俺だった。
 入院費はそれなりの額だが、分割でいいという事なので、まあ、そう焦る必要はない。
 いや、焦るような元気がない。
 ねぐらのような小汚いアパートにだいたい十日ぶりに帰宅し、俺はまず部屋を掃除した。溜まっていたゴミを片付け、入院時に病院から買った下着と衣類を洗濯し、使う事のなくなった社名入りのツナギを仕舞い、冷蔵庫の中身を確かめ、インスタントのコーヒーを淹れて、テレビをつける。
 菊月の事件は、どこの局も報道していなかった。芸能人の結婚だとか、どこぞで起きた剣呑な事件だとか、そういうニュースばかりだ。


 こうして帰ってきてみると、あの日清掃工場で死にかけたのが嘘みたいに思える……と言いたいところだが、嘘じゃない事は身に染みてわかっている。だが、世間ではすでに過去の事件となりつつあるようだ。一局どころか一言も報道されていないとなると、さすがに何か不自然なものを感じる。
 ……いや、やめだ。
 俺はあの探偵とは違う。一般市民だ。妙だと思う事はあっても、首を突っ込んだりは出来ない。またサブマシンガンで穴だらけにされたり、ヘリにぶらさがったりしろっていうのか? いやいや、ごめんだね。
 テレビを消して立ち上がる。腹も減ったし、出かける事にした。



 例のコンビニは、半壊したまま放置されていた。立ち入り禁止のテープだけが張り巡らされ、人っ子一人いない。
 夕飯を買うのに便利だったんだが。
 俺は足を新市街へと向ける。退院祝いだ。一人だが、せいぜい楽しくやるとしよう。
 新市街は人で溢れている。いつもの光景だ。この小奇麗な再開発都市は、日に日に人口が増え続けている。道行く人に知り合いはいない。どこかで見た事あるような人でさえ、皆無だ。
 そういえば、仕事を探さなくちゃならない。
 今度はどこに行けばいいのだろう。また機械整備辺りを探してみるか。それか自動車工場か。俺に出来るのなんて、そのくらいだ。


 ポケットの中に手をやる。小さな紙切れを取り出す。
 表には、名前と電話番号。裏には事務所の住所が書いてある。旧市街のとある一画。
「いや、まさか……」
 行ってどうしろって言うんだ。本当に。
 でも、もし行けるなら。そこで、今度こそ踏み出す事が出来るなら――……
「――どこに目ェつけて歩いてんだこのガキ!」
 粗暴さ丸出しの怒鳴り声に、ぼんやりとした思考を中断する。
 十メートルくらい先だ。大柄の、いかにもチンピラというような二人組。でかいほうはいい歳したおっさんだ。その足元で、まだ小学生にもなっていないような子供が大声で泣いている。傍らの母親らしい女性が必死に頭を下げている。


 おっさんのズボンは汚れていて、下にはファストフードのドリンクがぶちまけられている。
 ああ、だいたい事情はわかった。
「ああ!? 謝られたって困るんだよ! どうしてくれんだよ、この汚れは! きっちり責任取ってもらわないとなあ、オカアサンよお!?」
 チンピラの剣幕に、母親はただ頭を下げるばかりだ。周囲の連中は動揺していて、一向に動く気配がない。
 ――ちっ。
 俺は駆け出していた。人ごみを掻き分け、騒ぎのほうへと近付いて行く。
 喧嘩はごめんだ。痛いのも、苦しいのも。だが見捨てるのはもっとごめんだ。


「おい――」
「やめなさい」
 俺の声と、母親ではない女の声が重なった。
 ――赤い髪に、白い花が揺れている。
「最初にぶつかってきたのは貴方でしょう? わたしは見ていたわ」
「何だテメエは!」
 チンピラの片割れが女に向かって怒鳴った。女はすかさずそちらを睨み返す。二つの、青い瞳が。
「馬鹿な事はやめろと言ったのよ。これ以上騒ぐなら、わたしが相手になるわ」
 彼女の言葉に、チンピラが下卑た笑いを浮かべる。
「ほお、そうかよ。お前が相手してくれんのか」
「フュージョナーだけど美人の姉ちゃんだな。なら、俺達がたっぷりと――」
「おい、やめろよ」


 チンピラども背中に向けて、俺は言った。
「子供の前で下品な話をするなよ。教育に悪いだろ、おっさん」
「……たく、次から次へと何なんだてめえらッ!」
 チンピラの片割れが俺に殴りかかる。遅い。いくら何でも見え見えだ。寸でのところで躱せば、大男が鉄パイプを振りかざす。
「トビ!」
 レベッカが叫んだ。俺は感覚を思い出した。鳶の手に緑電を走らせる感覚。ばちりという音とともに、強化された右手が鉄パイプを掴み取る。ステップして後ろに下がる。チンピラどもがすかさず突っ込むように構える。
「レベッカ! 二人を連れて逃げ――」
 稲光のような緑の発光とともに、放電音が耳をつんざく。二人のチンピラが同時に悲鳴を上げ、全く同時に道路へと倒れ込む。生きてはいるが、二人とも揃って呻いている。
「ふう……」
「ふう、じゃねえ!」


 小火竜を下したレベッカに、俺は思わず大声を上げた。きょとん、とした顔でレベッカは俺を見る。
「何よ、急に」
「何よじゃねえ何よじゃ。往来でそんなもんぶっ放してんじゃねえよ! 見ろこれ、漫画みたいになってんだぞ!」
「威力は最低だから大丈夫でしょ。動かなくなっただけよ」
「それが問題なんだよ!」
 不満そうな顔をするレベッカ。さっきまで泣いていた子供も、その母親も、ぽかんと俺達を眺めている。
 遠くから、サイレンの音が聞こえてくる。誰かが警察を呼んだらしい。明らかに悪いのはチンピラどもだが、悪い奴なので電撃喰らわせて黙らせましたと言って、警察が納得するとは思えない。
「こっちだ!」


 俺はレベッカの手を掴む。途端に抗議の声が上がるが、今は取り合っていられない。
「だいたい何でこんなところにいるんだ!?」
「いえまあ一度は街を出ようと思ったんだけど、外の街で逃げ回るのも大変だしここはナユタに留まって様子を見ようかと思ってって、トビ、それはいいから手を離して!」
「馬鹿言うな! 警官追ってきてるぞ! それにまた消えられるのはごめんなんだよ!」
「え、なに!?」
 構わず俺は走り続ける。これじゃ新市街にいるのはまずい。一旦旧市街まで戻らないと……。


「……しゃーないか」
 緊急事態だ。この際、頼りにさせてもらおう。
 住所はポケットの中にある。
「このまま走る! ついてきてくれ!」
 レベッカの手を引いて、俺は新市街の中を駆けていく。ナユタの空が赤く焼けている。盛る炎のような夕焼け。ごった返す人ごみを掻き分ける。目の前の道を、俺はただ全力で進み続ける。荒野を進むような足取りじゃない。駆け足は、決して止まらない。
 行き先は決まった。どうやら迷う暇はない。



 ――茂みの中で、男はついに獲物を見つけた。俺をコケにしたガキ。忌々しい少年の姿を。
 少年は疲弊し切っていた。自らを王と名乗った自信も気配も、今は欠片も感じられない。
 簡単な事だ。男はほくそ笑んだ。せめてあのガキの首くらいは取っておかないと。あの細い首を、この手にかければいい。面倒な一件だったが、少なくともそれが出来れば御の字だ。
 ゆっくりと、男は少年に近付く。体は本調子じゃない。一瞬で決めなければ……
「――一応言っておくぞ、スガロ」
 ぽつりと少年が言った。心臓が跳ねるかのようだった。思わず身を震わせてしまい、隠れていた茂みが音を立ててしまう。


「それ以上近付くな。大人しく逃げれば、命だけは助けてやる」
 ……何を言ってやがる。
 そんな体たらくで、俺をどうにか出来ると思ってやがるのか?
 なめやがって。
「もう一度だけ言う。消えろ。僕を煩わせるな」
 この……っ!
「クソガキィイイッ!」
 スガロは飛び出した。右手の一撃で相手の首をへし折る。それで終わりだ、それでこのガキは――――
 軽く、何かが胸を突いたような気がした。
 押されたかのような、そのくらいの軽さ。


「……っ?」
 スガロは目を違和感のほうへと向ける。少年の、細めの腕が胸元に突き刺さっていた。視界が濁る。よく見えなくなっていく……。
「馬鹿が」
 少年の手が引かれた。異物感が胸元から消え、真っ赤な液体が噴き出していた。はっきりわかったのはそれだけだ。あとはもう何も感じられず、スガロの視界は暗闇に閉ざされた。

 血が、男から溢れていく。地面の草々を濡らし、生々しい臭いが漂う。
 余計な体力を使った。白王は舌打ちする。もうしばらく、ここで休まなければ。
 手の中に、男の胸元から取り出した物がある。力を失った物。心臓のように真っ赤に濡れた、怪物の緑石モンストロストーン
「探偵尾賀叉反……」
 面白いじゃないか。腹の底から笑いが込み上げる。握り締めたストーンに音を立てて罅が入る。
 いいだろう。もう逃がさない。必ず思い知らせてやる。
「待っていろよ」
 周囲に取り付けた装置ごと、ストーンが手の中で砕ける。
「――次は地獄を見せてやる」
                                         


                             了

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