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『騒乱の街』11
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11
もっとも暗い時間を抜けると、空が白み始めてくる。
標識に、ナユタの文字が見えた。中央街道へと至る道。左右は木立に挟まれている。遠目に新市街の高層建築の並びが見えるその道を叉反達は走っていた。
ナユタは、もう目前だ。市内に入ったら、まず始めにするべきは依頼人達の行方を追う事だ。深田を無事彼女達の元へ届け、この依頼を達成する。
深田は眠っているようだった。微かに寝息が聞こえる。
ひとまず事務所に戻るか、それとも別の場所に身を隠すか、考えた時だった。
目の端に、黒い影が映った。辺りに車はない。人もいない。
その影は、叉反達が乗るセダンのスピードに追い付き、そして追い抜いて行った。
今、姿は見えない。
叉反は自然と襲撃に備えた。影の正体が誰かは、問うまでもないだろう。
車は走り続けている。周囲には人の姿はおろか、動物さえいない。
緊張感だけが、高まっていく。
「……探偵?」
いつの間にか、深田が起きていた。起き上がり、座席の背に背中を預けている。
「何かあったのか?」
叉反の雰囲気を察したのか、深田が固い声で言った。その瞬間だった。
雷でも落ちたかのような衝撃と共に、セダンのハンドルが一気に重くなる。上だ。何かが飛び乗った。
「掴まれ!」
一気に叉反はブレーキを踏み込んだ。急激に制動がかかったせいで、タイヤが悲鳴を上げながら路面を滑っていく。深田のくぐもった声が聞こえ、その体が座席から落ちる。
フロントガラスの向こうで、黒い影が路上に着地した。急ブレーキの衝撃など、物ともしていない。
来たのだ。予想される中で、おそらくはもっとも厄介な追手が。
「中にいて下さい。それから、隙を見て逃げて下さい」
シートベルトを外して、叉反は深田に言った。出やしねえよ、という返答が、少し間を空けて床のほうから聞こえた。
くすりと笑って、叉反はP9Rをホルスターから抜き、車を降りた。
目の前に、そいつはいた。ずっとその姿を隠してきたレインコートは、何があったのか、今や襤褸切れも同然だった。フードは脱げ、その素顔も露わになっている。瞳に、正気の光はない。忌々しげにコートの残骸を剥ぎ取り、唸り声ともつかぬ荒い息を吐き出す。巨躯を獣のように四肢で支え、飛び掛かる構えを見せている。
「嵐場……」
ようやく知り得た襲撃者の名前を叉反は呟く。
返答は、咆哮だった。獣の口がナユタの空に吼え猛る。全身の筋肉が撓み、震える。
黄金の鬣が昇り始めた朝日を受けて煌めく。
百獣の王、ライオンのフュージョナー。それが襲撃者、嵐場道影の正体だった。
「完全に回帰したのか……」
P9Rを構える。もはや素手で渡り合える相手ではない。相手は獣だ。それも規格外の体格を持った巨獣だ。
合図はない。待ったはなかった。
獅子が、跳んだ。その瞬間に引き金を引いた。
照準が追いつくスピードではなかった。弾丸の如き速さで迫る巨体を間一髪躱し、動き回る獅子を撃つ。銃声が、道路上に木霊する。当たらない。いくら何でも速過ぎる。
ライオンで考えられるスピードではない。鍛え上げた人間の肉体が獣と化したからこそ出る、常識の範疇を超えた速さ。
まともには戦えない。
叉反は走った。走りながら引き金を引く。もうすぐ、最初の弾倉が尽きる。だが、弾は掠りさえしない。路上では不利だ。場所を変える必要がある。
草むらに転がりながら、獅子の姿を捉える。追ってきている。車には目もくれない。よし。それならいい。車からなるべく引き離す。
暗がりの木立へ叉反は入った。迫り来る獅子に向けて銃弾を放ち、木々の間を移動しながら弾倉を落とす。息遣いが聞こえる。すぐそこまで迫っている。
弾倉を叩き込みざま、引き金を引き続ける。
銃弾が黄金の体躯に深くめり込む。血飛沫が暗い木立に飛び散る。だというのに、獅子の動きを止めるには至らない。落下しざまの剛爪が、間一髪叉反が立っていた土の上を抉った。すかさず撃った。九ミリの銃弾が腹と腕に食らい付く。だが、獅子の腕はすでに振りかぶられていた。
風切音。
轟風を伴った衝撃が叉反の腹部を抉り取った。黒い防弾チョッキが引き千切れて宙を舞っていた。この一撃だけだ。これでもう、あの爪を防御する術はない。
連射する。獅子の毛皮が血で染まっていく。痛みなどまるで感じていない。唸り声一つ上げて、すぐさま肉薄する。
距離が近付いた。銃口と、獅子の目の距離が。
撃った。
絶叫が響き渡る。獅子の巨体が、地の上でのた打ち回っていた。
マガジン・キャッチボタンを押す。音も立てずに落ちた弾倉に代わり、三つ目を即座にP9Rに押し込む。
照準する。痛みに耐えきれず暴れ回る獅子の白い腹が見える。
――迷いはない。
外さぬように両手で構え、引き金を引いた。
銃声。銃声。銃声。銃声――
着弾と同時に血が飛散する。赤い穴がいくつも空いた。それで、獅子の動きが緩慢になる。
やがて、獅子はもがく事を止めた。
動きが止まった後も、しばらく構えが解けなかった。
一分ほどして、ようやく叉反は銃を下した。
獅子が動く様子はない。かつて、人間と獣の狭間にいた者。今は、完全に獅子と化した者は、ぴくりとも動かない。
――……殺した。今度は確実に、殺意を以て殺した。
たとえ体が獅子となっても、人間を殺した事に変わりはない。
息を吐く。張り詰めていた神経が弛む。疲労が、どっと押し寄せてきた。
とにかく、車まで戻らなければ。深田が逃げているなら、それはそれでいい。
木立の出口を目指す。足取りが、重い。だが行かなければならない。全ては、仕事を終えてからだ。
――――がさり―――
物音が聞こえた。後方から。背を向けた戦場から。
かす。かす。足元に広がる草むらに何かが触れる音だ。一度や二度ではない。小雨のように、リズミカルに何かが落ちている。
何が?
決まっている。
破隠の時と同じだ。
走り出す。振り返る暇はない。すぐさま、来る!
駆ける。駆ける。駆け抜ける。木立を抜け――その時、羽ばたきにも似た音が聞こえ――太陽に照らされた影が見えた。瞬間、叉反は左へ跳んだ。
まるで隕石の落下だった。衝撃に地面が震え、土埃が立ち、そして――
グオオオオオォォオオオオオッ!!
咆哮と共に黄金の獅子が煙の中から飛び出してくる!
「おぉォっ!!」
もはや避けようがない。撃った。引き金を引いた。仕留めるしかなかった。今ここで外せば待つのは死だけだ。
銃声が続く。排出された薬莢が先に落ちた薬莢にぶつかる。
そして。
弾は、全て命中した。
車は、少し進んだ先で止まっていた。ちょうどエンジンが切られ、運転手が中から降りるところだった。
どうしました、と深田の背に声をかけようとして、叉反は止めた。停車した理由がすぐにわかったからだ。
目の前に、三人の人間がいた。若い女性と、女の子。彼女達は手錠で手を繋がれて、身動きが出来ないようだった。
そして三人目の、スーツ姿のその男は、これ見よがしに銃を女に突き付け、薄笑いを浮かべていた。
「あなた!」
女――深田美恵子が叫んだ。娘の凜は怯えきって声が出ないようだ。
「凜! 美恵子!」
思わず深田が走り出そうとする。だが、スーツの男がそれを制した。
「おっと。そこまでだ、深田。約束の物を渡してもらおう」
ヤクザらしくないその男の美顔が、醜い笑いに歪んだ。
「有礼……」
その名を呟き、叉反は一歩前に出た。
「生きていたのか」
「ああ。さすがにゴクマの奴らに爆撃を受けた時には肝を冷やしたけどね。逃げる手段はいくらでもあるさ。それより、よくやってくれたな探偵。無事深田を僕の元まで連れてきた」
「――話が見えなかったが、これでようやくわかった。深田さんを唆して計画書を盗ませたのは、お前だったのか」
「唆した、というのは言葉が違う。これは契約だ。計画書を奪取する代わりに、彼の家族の安全を保障した」
「俺は約束を守ったぞ!」
引き絞るような声で、深田が叫んだ。
「あんたの言う通り西島さんの誘いに乗った! 事務所から計画書を奪って、ゴクマの連中からも守り通した! 全部あんたの指示通りだ! 今、計画書を渡す。だから女房と子供を放せ!」
悲鳴にも似た深田の言葉を、有礼はにやけた笑いで聞いていた。
「ああ、いいとも。まずは物を見せてみろ」
頷き、深田は車に近付いた。一拍の間を置いて、ウィンドウに拳を叩き込む。
その場の誰もが呆気に取られていた。だが、深田は意に介さなかった。割れたウィンドウの破片を握り、トカゲ尾の根本にある縫合痕に尖った先を当てる。
「ぐうぅっ!」
歯を食いしばって、深田は縫合部分を切り裂いた。青光りするトカゲ尾から赤い血が溢れ出す。その傷口に深田は指を突っ込んだ。
「ぐうあっ……!」
勢いよく、傷口から指を引き出す。その先には銃弾にも似た小さな物があった。
「これが……あんたの欲しがってた、本物の計画書だ」
痛みを堪えるように肩で息をしながら、深田は言った。
有礼が、目を細めてじっとそれを見つめる。
「……なるほど。確かに本物のようだ。よくやったな、フュージョナー」
「御託はいい。美恵子と凜を放せ!」
「ああ。いいとも」
有礼の手が動く。美恵子と凜を繋ぐ手錠の鎖に手を掛け、深田のほうへと放るように引き摺り出す。
深田の視線は、二人に合せられていた。有礼が銃口を自分に向ける動きなど、まるで目に入っていなかった。
だから、叉反は撃った。
「――っ!?」
銃声が明け方の空に響き、金属音を立てて有礼が持っていた銃が路面に転がる。深田も美恵子も凜も、突然の銃声に反応が出来ていなかった。
トリガーにかかっていた人差し指が折れたのか、有礼が苦悶の表情を浮かべて膝をつく。
「探偵、貴様……!」
「深田さん、計画書を渡して二人を連れて逃げろ。あとは俺が引き受ける」
「あんたは!?」
「俺の事はいい。いいから早くナユタを出ろ。誰も追って来ないようなところまで逃げるんだ、早く!」
銃口を有礼に向けたまま、叉反は叫んだ。深田の判断は速かった。血に濡れた計画書を投げ捨てて二人を車に乗せ、運転席に散らばったガラスを払い、エンジンをかける。
「無事を祈る」
それだけ言い捨てて、セダンが来た道を戻り始める。
エンジンの音が聞こえなくなるまで、叉反は有礼と睨み合ったままだった。
「……で、どうする気だ」
右手を抑えたまま、有礼が言った。
「一つだけ約束してもらおう。今後一切深田さんの家族には関わらないと」
「お前、正気か? そんな約束を誰が守ると思っている」
「そうだな」
銃口を有礼の胸に向ける。心臓の辺りに。
「……ふふ、ははは」
有礼の口元が笑みに歪む。心底可笑しそうに、破顔する。
「随分汚い事をするじゃないか! 探偵をやめてヤクザにでもなる気か!?」
「勘違いするな」
素早く身を翻す。節くれ立った蠍の尾先が風を裂いた。
鈍い音がした。尾に痛みが走った。人一人の体が軽く飛んで、路上に倒れ伏す。
「銃なんか使わない」
脳を揺さぶられて瞬時に気を失った有礼に、叉反は言った。
十分後、刀山会の幹部有礼淳也は、ナユタ市警察の手によって保護された。
もっとも暗い時間を抜けると、空が白み始めてくる。
標識に、ナユタの文字が見えた。中央街道へと至る道。左右は木立に挟まれている。遠目に新市街の高層建築の並びが見えるその道を叉反達は走っていた。
ナユタは、もう目前だ。市内に入ったら、まず始めにするべきは依頼人達の行方を追う事だ。深田を無事彼女達の元へ届け、この依頼を達成する。
深田は眠っているようだった。微かに寝息が聞こえる。
ひとまず事務所に戻るか、それとも別の場所に身を隠すか、考えた時だった。
目の端に、黒い影が映った。辺りに車はない。人もいない。
その影は、叉反達が乗るセダンのスピードに追い付き、そして追い抜いて行った。
今、姿は見えない。
叉反は自然と襲撃に備えた。影の正体が誰かは、問うまでもないだろう。
車は走り続けている。周囲には人の姿はおろか、動物さえいない。
緊張感だけが、高まっていく。
「……探偵?」
いつの間にか、深田が起きていた。起き上がり、座席の背に背中を預けている。
「何かあったのか?」
叉反の雰囲気を察したのか、深田が固い声で言った。その瞬間だった。
雷でも落ちたかのような衝撃と共に、セダンのハンドルが一気に重くなる。上だ。何かが飛び乗った。
「掴まれ!」
一気に叉反はブレーキを踏み込んだ。急激に制動がかかったせいで、タイヤが悲鳴を上げながら路面を滑っていく。深田のくぐもった声が聞こえ、その体が座席から落ちる。
フロントガラスの向こうで、黒い影が路上に着地した。急ブレーキの衝撃など、物ともしていない。
来たのだ。予想される中で、おそらくはもっとも厄介な追手が。
「中にいて下さい。それから、隙を見て逃げて下さい」
シートベルトを外して、叉反は深田に言った。出やしねえよ、という返答が、少し間を空けて床のほうから聞こえた。
くすりと笑って、叉反はP9Rをホルスターから抜き、車を降りた。
目の前に、そいつはいた。ずっとその姿を隠してきたレインコートは、何があったのか、今や襤褸切れも同然だった。フードは脱げ、その素顔も露わになっている。瞳に、正気の光はない。忌々しげにコートの残骸を剥ぎ取り、唸り声ともつかぬ荒い息を吐き出す。巨躯を獣のように四肢で支え、飛び掛かる構えを見せている。
「嵐場……」
ようやく知り得た襲撃者の名前を叉反は呟く。
返答は、咆哮だった。獣の口がナユタの空に吼え猛る。全身の筋肉が撓み、震える。
黄金の鬣が昇り始めた朝日を受けて煌めく。
百獣の王、ライオンのフュージョナー。それが襲撃者、嵐場道影の正体だった。
「完全に回帰したのか……」
P9Rを構える。もはや素手で渡り合える相手ではない。相手は獣だ。それも規格外の体格を持った巨獣だ。
合図はない。待ったはなかった。
獅子が、跳んだ。その瞬間に引き金を引いた。
照準が追いつくスピードではなかった。弾丸の如き速さで迫る巨体を間一髪躱し、動き回る獅子を撃つ。銃声が、道路上に木霊する。当たらない。いくら何でも速過ぎる。
ライオンで考えられるスピードではない。鍛え上げた人間の肉体が獣と化したからこそ出る、常識の範疇を超えた速さ。
まともには戦えない。
叉反は走った。走りながら引き金を引く。もうすぐ、最初の弾倉が尽きる。だが、弾は掠りさえしない。路上では不利だ。場所を変える必要がある。
草むらに転がりながら、獅子の姿を捉える。追ってきている。車には目もくれない。よし。それならいい。車からなるべく引き離す。
暗がりの木立へ叉反は入った。迫り来る獅子に向けて銃弾を放ち、木々の間を移動しながら弾倉を落とす。息遣いが聞こえる。すぐそこまで迫っている。
弾倉を叩き込みざま、引き金を引き続ける。
銃弾が黄金の体躯に深くめり込む。血飛沫が暗い木立に飛び散る。だというのに、獅子の動きを止めるには至らない。落下しざまの剛爪が、間一髪叉反が立っていた土の上を抉った。すかさず撃った。九ミリの銃弾が腹と腕に食らい付く。だが、獅子の腕はすでに振りかぶられていた。
風切音。
轟風を伴った衝撃が叉反の腹部を抉り取った。黒い防弾チョッキが引き千切れて宙を舞っていた。この一撃だけだ。これでもう、あの爪を防御する術はない。
連射する。獅子の毛皮が血で染まっていく。痛みなどまるで感じていない。唸り声一つ上げて、すぐさま肉薄する。
距離が近付いた。銃口と、獅子の目の距離が。
撃った。
絶叫が響き渡る。獅子の巨体が、地の上でのた打ち回っていた。
マガジン・キャッチボタンを押す。音も立てずに落ちた弾倉に代わり、三つ目を即座にP9Rに押し込む。
照準する。痛みに耐えきれず暴れ回る獅子の白い腹が見える。
――迷いはない。
外さぬように両手で構え、引き金を引いた。
銃声。銃声。銃声。銃声――
着弾と同時に血が飛散する。赤い穴がいくつも空いた。それで、獅子の動きが緩慢になる。
やがて、獅子はもがく事を止めた。
動きが止まった後も、しばらく構えが解けなかった。
一分ほどして、ようやく叉反は銃を下した。
獅子が動く様子はない。かつて、人間と獣の狭間にいた者。今は、完全に獅子と化した者は、ぴくりとも動かない。
――……殺した。今度は確実に、殺意を以て殺した。
たとえ体が獅子となっても、人間を殺した事に変わりはない。
息を吐く。張り詰めていた神経が弛む。疲労が、どっと押し寄せてきた。
とにかく、車まで戻らなければ。深田が逃げているなら、それはそれでいい。
木立の出口を目指す。足取りが、重い。だが行かなければならない。全ては、仕事を終えてからだ。
――――がさり―――
物音が聞こえた。後方から。背を向けた戦場から。
かす。かす。足元に広がる草むらに何かが触れる音だ。一度や二度ではない。小雨のように、リズミカルに何かが落ちている。
何が?
決まっている。
破隠の時と同じだ。
走り出す。振り返る暇はない。すぐさま、来る!
駆ける。駆ける。駆け抜ける。木立を抜け――その時、羽ばたきにも似た音が聞こえ――太陽に照らされた影が見えた。瞬間、叉反は左へ跳んだ。
まるで隕石の落下だった。衝撃に地面が震え、土埃が立ち、そして――
グオオオオオォォオオオオオッ!!
咆哮と共に黄金の獅子が煙の中から飛び出してくる!
「おぉォっ!!」
もはや避けようがない。撃った。引き金を引いた。仕留めるしかなかった。今ここで外せば待つのは死だけだ。
銃声が続く。排出された薬莢が先に落ちた薬莢にぶつかる。
そして。
弾は、全て命中した。
車は、少し進んだ先で止まっていた。ちょうどエンジンが切られ、運転手が中から降りるところだった。
どうしました、と深田の背に声をかけようとして、叉反は止めた。停車した理由がすぐにわかったからだ。
目の前に、三人の人間がいた。若い女性と、女の子。彼女達は手錠で手を繋がれて、身動きが出来ないようだった。
そして三人目の、スーツ姿のその男は、これ見よがしに銃を女に突き付け、薄笑いを浮かべていた。
「あなた!」
女――深田美恵子が叫んだ。娘の凜は怯えきって声が出ないようだ。
「凜! 美恵子!」
思わず深田が走り出そうとする。だが、スーツの男がそれを制した。
「おっと。そこまでだ、深田。約束の物を渡してもらおう」
ヤクザらしくないその男の美顔が、醜い笑いに歪んだ。
「有礼……」
その名を呟き、叉反は一歩前に出た。
「生きていたのか」
「ああ。さすがにゴクマの奴らに爆撃を受けた時には肝を冷やしたけどね。逃げる手段はいくらでもあるさ。それより、よくやってくれたな探偵。無事深田を僕の元まで連れてきた」
「――話が見えなかったが、これでようやくわかった。深田さんを唆して計画書を盗ませたのは、お前だったのか」
「唆した、というのは言葉が違う。これは契約だ。計画書を奪取する代わりに、彼の家族の安全を保障した」
「俺は約束を守ったぞ!」
引き絞るような声で、深田が叫んだ。
「あんたの言う通り西島さんの誘いに乗った! 事務所から計画書を奪って、ゴクマの連中からも守り通した! 全部あんたの指示通りだ! 今、計画書を渡す。だから女房と子供を放せ!」
悲鳴にも似た深田の言葉を、有礼はにやけた笑いで聞いていた。
「ああ、いいとも。まずは物を見せてみろ」
頷き、深田は車に近付いた。一拍の間を置いて、ウィンドウに拳を叩き込む。
その場の誰もが呆気に取られていた。だが、深田は意に介さなかった。割れたウィンドウの破片を握り、トカゲ尾の根本にある縫合痕に尖った先を当てる。
「ぐうぅっ!」
歯を食いしばって、深田は縫合部分を切り裂いた。青光りするトカゲ尾から赤い血が溢れ出す。その傷口に深田は指を突っ込んだ。
「ぐうあっ……!」
勢いよく、傷口から指を引き出す。その先には銃弾にも似た小さな物があった。
「これが……あんたの欲しがってた、本物の計画書だ」
痛みを堪えるように肩で息をしながら、深田は言った。
有礼が、目を細めてじっとそれを見つめる。
「……なるほど。確かに本物のようだ。よくやったな、フュージョナー」
「御託はいい。美恵子と凜を放せ!」
「ああ。いいとも」
有礼の手が動く。美恵子と凜を繋ぐ手錠の鎖に手を掛け、深田のほうへと放るように引き摺り出す。
深田の視線は、二人に合せられていた。有礼が銃口を自分に向ける動きなど、まるで目に入っていなかった。
だから、叉反は撃った。
「――っ!?」
銃声が明け方の空に響き、金属音を立てて有礼が持っていた銃が路面に転がる。深田も美恵子も凜も、突然の銃声に反応が出来ていなかった。
トリガーにかかっていた人差し指が折れたのか、有礼が苦悶の表情を浮かべて膝をつく。
「探偵、貴様……!」
「深田さん、計画書を渡して二人を連れて逃げろ。あとは俺が引き受ける」
「あんたは!?」
「俺の事はいい。いいから早くナユタを出ろ。誰も追って来ないようなところまで逃げるんだ、早く!」
銃口を有礼に向けたまま、叉反は叫んだ。深田の判断は速かった。血に濡れた計画書を投げ捨てて二人を車に乗せ、運転席に散らばったガラスを払い、エンジンをかける。
「無事を祈る」
それだけ言い捨てて、セダンが来た道を戻り始める。
エンジンの音が聞こえなくなるまで、叉反は有礼と睨み合ったままだった。
「……で、どうする気だ」
右手を抑えたまま、有礼が言った。
「一つだけ約束してもらおう。今後一切深田さんの家族には関わらないと」
「お前、正気か? そんな約束を誰が守ると思っている」
「そうだな」
銃口を有礼の胸に向ける。心臓の辺りに。
「……ふふ、ははは」
有礼の口元が笑みに歪む。心底可笑しそうに、破顔する。
「随分汚い事をするじゃないか! 探偵をやめてヤクザにでもなる気か!?」
「勘違いするな」
素早く身を翻す。節くれ立った蠍の尾先が風を裂いた。
鈍い音がした。尾に痛みが走った。人一人の体が軽く飛んで、路上に倒れ伏す。
「銃なんか使わない」
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