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夜が明けたら新世界より

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 月が雲に飲みこまれ、文字通り空が真っ二つに割れた。
 たちまち暗雲が立ち込めて空を覆い尽くす。
 赤い竜みたいな稲光がその雲の波間を泳ぐように、時折狭間を切り裂くように轟いていた。

 昼間だというのにあたりは薄暗く、重たい空気を孕んでいる。
 この世界のすべての人々がその異様な光景を目の当たりにしていた。
 皆不安そうに空を仰いで家族を抱き締めている。

 誰かが小さく呟いた。
 世界が終わる、と。


 ◇


 ロードの暮らす離れに無遠慮な足音が響き渡り、寝室の扉が勢い良く開けられる。
 加減を忘れた獣人の力はただのヒトの数倍はある。大きくはない離れの家はみしみしと悲鳴を上げていた。

「ロード! アイツが居ねぇ!! 抜け出しやがったあの野郎!! それに何より世界がやべぇ!!!!」

 叫びながら入ってきたのは、神殿の見習いであるネコ科の獣人リオンだった。
 正しくは獅子族だけれど種族の入り混じる場所では大差なく扱われる。
 本人もさほど気にしていない。

「……リオン……?」
「……珍しいな、ロード……寝てたのか? こんな時間まで」

 いつもきっちり身支度を整えているロードの、その姿はまるで寝起きのそれだった。
 長い髪も乱れ眼鏡のレンズも心なしか汚れている。満月籠もりの後とはいえ彼らしくない。

 窓際に立ち、どこか覇気のない顔でリオンを迎えたロードは明らかに様子が違って見えた。
 だけどどう違うかと問われても上手く説明できない。

 その動きは緩慢でどこかぼんやりとしていて、この状況を理解していない事だけは一目瞭然だった。
 窓際に居るということは異様な空の光景を認めているはずなのに。

 それに、ひとりだ。探し人はここには居ない。

「こっちに帰ってきてるかと思ったけど……居ないみたいだな」

 ふんふんと鼻を鳴らし耳を向け、目当ての人物の不在を確認する。
 それから部屋に立ち込める独特の匂いに動きが止まった。
 ぴりりと無意識に毛が逆立ち、知らず喉が唸り声を上げる。この、匂いは――

「リオン……? どうしたんですか、そんなに毛を逆立てて」

 ロードに呼ばれ、はっと我にかえる。
 そうだ今はそんな事よりも。

「世界がヤバい! 明らかに尋常じゃないことが起こってるって街も村も大騒ぎだ。神官長さまは王宮に呼ばれていっちまったし。どうしよう、ロード……これって世界の危機ってやつ?」
「……伝承を、読んだことがあります……世界の危機を救うべく、“神子”を召喚する為の儀式……幸いにも今、その条件が揃っているんです。それに懸けてみるしかないかもしれません」
「……いいのか? 召喚と帰還はいっしょにはできないんだろ……? ずっとその為だけに、ロードも、アイツも……」

 三年前に“間違い”で召喚されて、それからロードと共に居た、ひとりの少女。
 正直リオンは彼女が気に喰わなかったが、ロードは彼女を無事帰還させる為にずっと心を砕いてきた。

 明らかな好意をひけらかしロードの善意に依存する彼女がリオンは好きではなかった。つがいでもないくせにロードの傍を独占して。
 性格の相性はともかくとして、顔を合わせる度にいつもケンカ腰になってしまう。
 ロードとの態度の差にも釈然とせず、子供じみたやりとりをいつもしていた。年が近い分まさに幼稚な関係だったのかもしれない。

 だけどいざここまで来て、その存在が蔑ろにされるのも納得はいかない。確かに魔力をほとんど有しない彼女は役立たずだろうけれど。

 むしろ姿が見えないだけで落ち着かない。いつもロードから離れなかったくせに。こんな状況で一体どこに行ったというのか。つい苛々としっぽの先が小刻みに揺れる。

「つーかその本人が居ないってどういことだよ……あいつの教育ちゃんとしとけよロード」
「……さっきから、あいつとは誰のことですか……?」
「誰って、ルーナだよ」
「……ルー、ナ」
「ホントにここに帰ってきてないなら、いったい、どこに――」



「……誰ですか、それは」

 

 ◇



 始まりは少し遡る。

 この世界に召喚されて、先生のところに保護され数日後。
 ちょうど先生が不在で家に引きこもっていたわたしの前に、デュークは現れた。

『――そう、“間違い”。きみをんだのは、おれなんだけど』

 突然現れたデュークは面倒そうに、一応は説明の姿勢を見せてくれた。
 第一印象が正直とって食われそうな最悪なものだったので会話での話合いが可能な事には感動した。

 そして彼によると。“神子”は“神子”でもどうやらわたしは。

『きみは、こっち・・・

 言って人差し指で自分を指差す。無邪気にもとれるその仕草。
 おそらく見た目よりも年齢は上であろうことは察せられる。その姿は少年の体躯だ。
 ゴツい角と尾と翼で大きく見えるけれど、わたしと同じくらいの体つき。

 結論としてどうやらわたしは、世界を救う系の神子ではなかったらしい。
 むしろ逆の立ち位置。

 そうして真の召喚者が迎えに来たというわけらしいのだ。

『い、行きたくない……わたし、先生が、好きなの』

 なけなしの抵抗にデュークの返事は『あ、そうなの』と軽いものだった。
 見るからにやる気がない。まったくもってどいつもこいつも。

『好きって? 異世界人のきみじゃ番にはなれないでしょ?』
『そうなのかもしれないけど……とにかく、離れたくない』

 この世界の温度差と違和感をじわじわと感じて始めてた頃で、かと言ってそう簡単に諦めもつかない。
 それを説明するのも難しい。伝える術を持たないことがもどかしい。

『うーん、まぁいいよ、ソッチ側の“創生の神子”が召喚されるまでくらいなら待ってあげても。今そんな乗り気じゃないし、世界征服なんて世襲制の恒例行事みたいなものだし』
『……乗り気……恒例行事……』

 いろいろとついていけない。深く考えたら負けな気がする。
 ひとまず猶予期間ができたことだけは確かだ。

『あ、あなたは、なんなの……?』

 ひとまずそれだけは確かめたかった。
 デュークは一瞬目を丸くして、少し考えて、かわいらしく笑う。
 見た目は少年のそれも、中身が伴わないことは一目瞭然だった。
 滲み出る気配は禍々しく、その存在感は隠しきれない。

『次期魔王、かな。いま引き継ぎ中』

 そうかなるほど。
 だから世界征服かぁ。

 そしてわたしは、コッチ側。
 魔王デューク側。

 つまりわたしと先生は本来なら、対立する立場にあるという事ではないのか。
 眩暈にも似た衝動になんとか耐える。

『何代前かの先代魔王が、勇者側の“創生の神子”に対抗して、コッチと相性の良い“喪失の神子”を異世界から呼び寄せてたらしくて、おれもそれに倣ってみたんだよねぇ』
『……はぁ……』

 召喚は成功したのにそこにわたしの姿はなく、一応、探してくれたらしい。
 いなかったらいなかったで別段不便はなかったと付け加えられる。

 なんとなく物悲しくなってくる。つい先日神殿での鑑定で“役立たず”のレッテルを貼られたばかりだったから余計に。
 せめて望んだのならもっと情熱的に欲してほしい。そんなほいほい代替えのきくものなんだろうか。神子というのは。

『条件が同じなら、三年かな。次の召喚まで』
『……三年……』

 それでいい。傍に居られるのなら。
 三年あれば、わたしの望みだってひとつくらい叶うかもしれない。



 ――そうして約束の三年が過ぎて、わたしは先生の前から消えた。
 文字通り、消えたのだ。

 その記憶から綺麗さっぱり。
 それがわたしにできる唯一のことだった。


 ◇



「――お、成功、したみたいだね。ルーナも見る?」
「いい、見ない、気分じゃない」


 デュークに連れ帰られたのは“魔王城”。思いのほか清潔だし眺めも良い。広過ぎて落ち着かないくらい。先生の家とはぜんぜん違う。

 大きな窓から身を乗り出して、デュークが双眼鏡を向けているのは遥か彼方の王城の方。神殿もその近くなのだ。
 特別な満月の夜。女神への祈りは捧げられ、大きな光の柱がたって、世界を救うべく“創生の神子”は召喚される。
 きっと人々の希望になることだろう。

 いいなぁ“創生の神子”。
 めっちゃヒロインじゃん。

 これで主要キャストは揃ったことになる。
 そして“神子召喚”を成し遂げた先生は、その処遇も大きく変わるはずだ。
 もはや先生の存在は必要不可欠。これまでみたいに蔑ろにはできないはず。

 いわゆる「勇者一行」に神官として加わり、勇者と共に世界を救い、英雄になるのだ。
 それがわたしの望むシナリオ。これから新しい世界がきっと待っているだろう。

 その旅の先で、世界のどこかで。
 “運命の番”にだって出会えるはず。
 今度は先生が、自分で選ぶのだ。
 運命を。


「魔法、ちゃんと効いたかなぁ……」
「大丈夫だよ、おれも確認したし。ただ範囲が狭過ぎて目の前の対象にほとんど注力してたから、ルーナを覚えているヤツも居るかもね」
「え、うそ、言ってよそういうことは!」

 でも、いいか。
 先生がちゃんとわたしを忘れてくれていれば、それで。

 あの場所でわたしを受け容れてくれたのなんて先生くらいだったし、わたしの存在なんて居ないも同然だった。きっとこの世紀の大波乱にみんな我を忘れてる。せいぜいわたしは引き籠るだけだ。

「やる気がないのは結構だけど、ちゃんと役にたってよね、ルーナ。約束でしょ」
「多少はね、でもわたしの魔法なんてそんな役にたたないよ」
「なに言ってるの、最悪ぜんぶ消しちゃえば良いんだよ、おれの魔力をあげるから」
「……いらない、やめとく」


 わたしにとってどんなに歪でも不幸せでも
 ここは、先生と出会えた世界だから。

 もう二度と会えなくても。
 わたしが覚えている限りはきっと、この“恋”はこの世界に存在し続けるのだろう。




 ――恋っていうのはきっと。

 あなたが傍に居る息遣いだったり
 すれ違って香る空気だったり
 知らず耳を澄ませるクセだったり
 ほんの僅かな隙間を埋めたいと思う焦燥だったり

 あなたが居るだけでこの世界の愛おしさを
 ひとりで噛みしめてたりする

 永遠に報われない想いなのかもしれない。
 
 離れているからこそ
 満たされないからこそ

 傍に居た時より今の方が、ずっと恋しく思ってしまう。



「……デューク、この空の演出、いつまで続けるの」
「飽きるまで」
「月が見たい」
「これで見えるよ、雲の向こうでも。万能だからこの双眼鏡」

 違うそうじゃない。

 あの夜の赤い月が見たい。
 降り注ぐ光にすべてを晒した夜。
 今はもうわたしだけが知るひみつの夜だ。

 想いを馳せて目を閉じる。

 寂しくはなかった。
 哀しくもない。
 恋はひとりでもできるものだから。

 わたしは絶対に、忘れないから。



 ◇



「――ロード……?」

 名前を呼ばれて視線の先から意識を引き剥がす。
 視線を向けると呆れた顔のリオンが目の前に居た。ここ数日この表情かおをよく見ている気がする。

「……いえ、なんでも。しばらく月を、見ていないなと思って」
「ずっと雲の向こうだもんな。それよりホントに行くのか? って言っても王命じゃあ、断れるものでもないけど」

 世界の危機に瀕した今、救世の神子に連なるその一行に、ロードの名前はごく当然のごとく挙げられた。
 勇者は募集制となり、明日にでも決まるらしい。決めるのは国王だ。
 それから国側が用意したメンバーを交えて世界を救う為の旅に出る。

 ロードはその旅支度の最中で、リオンは不服そうな表情かおでその様子を見つめていた。
 世界が一転してからここ数日、ロードの身の回りの変化は目まぐるしかった。
 周りも、ロード自身も。

 常に消極的で一線を引いていたロードの、旅立ちは意外でしかない。
 断れないのも勿論あるが、それでももっと食い下がると思った。ロードはあっさりと旅の同行を了承したのだ。

 世界の危機とは言うけれど、今のところ実害はない。相変わらず空が曇っているぐらいだ。
 魔物が現れ村やひとを襲うだとか、荒らされるだとか。一切の報告は上がっていないのだという。
 召喚された神子は有能で、国民からの支持も高い。けれど異変は人々の心を曇らせる。
 
 なので名目上は民の心を慰める為の形式上の旅立ちに過ぎない。根本の原因は未だ不明だった。

 ロードがこの離れで過ごすのもあと僅かとなるだろう。
 旅を終えたロードが戻ってくるとはリオンには思えなかった。

「ええ、いってきます。僕になにができるのかは……分かりませんが」
「……はぁ、じゃあ、俺も行く。一応許可はもらってるし」
「……リオン……」
「なんだかんだ世間知らずだろ、ロードは。いろいろと心配なんだよ」

 溜め息混じりに呟いたリオンに、ロードは僅かに微笑んで返す。
 それに一緒に居たほうが。会える・・・気がした。
 なぜだか自分以外に忘れられた彼女に。


 気が付くとロードは何もない空を見上げている。
 小さく編まれたみつあみは、不器用なロードの手には余る。
 その痕跡をいつも指先で手繰りながら。


「……いっしょ、に……」

 そう言った相手がいたはずなのに。
 見えない月を仰ぐことしかできず、焦燥ばかりが募っていく。
 けれどきっと必要なことだと自分に言い聞かせて。

 
 あの日の赤を探していた。




 ◇




 あの月をわたしだけが覚えているように。

 
 




 【完】


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みんなの感想(1件)

2019.07.03 ユーザー名の登録がありません

退会済ユーザのコメントです

藤原いつか
2019.11.25 藤原いつか

こんばんは、りおげんさん。
お返事が遅くなってしまい、本当に申し訳ございません…!

拙作、お読み頂きありがとうございます…!
手に取って頂けたこと、最後まで読んで頂けたこと、そしてりおげんさんにそのように想って頂けたこと、本当に有難く、そして嬉しく思います…

この作品は文字がぜんぜん書けなくなってしまった時に、とにかく自分の好きな物語を書きたいように書こうと決めて書き出したお話でした。
好きな設定、世界観、キャラクター、そして結末。
決してハッピーエンドではないけれど、バッドエンドでもないと思っております。
未来への余地を持たせたエンディングで、それは読者さんに、そして自分自身への未来への希望も込めたエンディングでした。
自分では一番思いの籠った作品です。

なのでりおげんさんにそのように言って頂けて本当に有難いです。
とにかくすべてをぶつける思いの、ある意味で自己満足でしかない物語でしたが、やはり作品は読者さんが居て完成するものだと思うからです。

読者さんに読んで頂いて、こうして感想を頂けて、またひとつ作品に希望がもてます。
いつか未来への希望をカタチにできたら良いなと思っております。

作品を読んで頂けて、こちらこそ本当にありがとうございました!

解除
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