夜伽聖女と呪われた王子たち

藤原いつか

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第八章

ひとすくいの未来①

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 非常に気まずいところ見られた、というより。
 どうしてアレスがここに居るのか分からなかった。

「どうして居るの…?」

 濡れたディアナスに抱かれた状態かたちのまま純粋な疑問をつい口にしたセレナに、アレスは眉根の皺を更に深くする。苛立ちと戸惑いの入り混じるひどく歪んだ表情《かお》で。

「おまえ…返事も寄越さずそれが答えか」
「…返事…?」
「…蝶を、やっただろう。おまえに何度か」

 ものすごい形相で睨まれて、半分怯えながらセレナは記憶を叩き起こす。
 思わず押し付けたセレナの肌にディアナスはその感触を堪能するに徹し、あえて口出ししなかった。つまりは怒れるアレスも戸惑うセレナも放置だ。自分を睨みつけるアレスの視線もこわくなどない。
 そんなふたりに気づかずセレナは必死に記憶を探る。

 ――アレスから届いた蝶。
 それは記憶にある。というか、最後に名前を書かないある種不作法ともいえる、要件だけの文章メッセージはだいたいがアレスだ。逆に記憶に残り易い。悪い意味で。
 いくつかあった内の最後、返答を求めるものにセレナはきちんと返したと記憶している。

 ――会いに行っていいか。

 アレスの問いはいつもこれだけだった。祭事の日、自分が倒れて意識を失ってから毎日。自分との対面の可否を問う短い文章が、毎日必ず送られてきていた。
 それは無粋に返事を急かすというよりも、おそらく自分の様子を心配しての思いが大きかったようにセレナは感じていた。
 最初返事を受け取ることもできなかった蝶の文章メッセージは、毎度書き換えられていたからだ。
 筆跡もそのまま写す魔法の蝶は、アレスの自分を心配する心も届けてくれていた。
 と思っていただけに、この対面はあらゆる意味で想定外だったのだが。

「…返事、送ったでしょう…? 来るなら、待ってるって」

 ――あの時の約束を、果たしましょう。その時が今ならば、待っています。

 修道院でアレスと思いがけず再会した時。アレスと交わした約束があった。
 祭事が終わったら、アレスがもう一度自分に会いにくると。
 だからそれを問われた時、その機会がおそらく今なのではないかとセレナはそう感じて返事した。
 会って話したいことがあったのはセレナも同じだったからだ。
 だから次に蝶が文章メッセージを持ってくるとしたら、日にちを決めるやりとりの為だと思っていた。
 だけどその返事は未だ受け取っていないと認識している。しかもこんないきなりだとは聞いていない。

「違う、その後だ。ディアナスの、みそぎに関して…タイミングをずらす手はずはしていたが、おまえの気持ちはどうなのかと、俺は訊いたのに結局事後とはどういう了見だ」
「…タイミング…?」

 ディアナスの“禊”に関する話はルミナスから聞いている。王族にとってそういう、避けることの叶わない儀式にも近い伽があるのだと。
 夜伽の一環としてディアナスがその相手に自分を選ぶかもしれないことも、そこにアレスが立ち会うかもしれないとも聞いていた。
 だけど、そこまでだ。
 実際にどうなったのかをセレナは知らない。
 あくまでセレナにとってディアナスとの対面は、夜伽を想定した上での個人的な場に過ぎなかったのだ。
 セレナは兄弟たちの魂胆や腹の内のやりとりなど知るはずもない。

「だからやめておいた方が良いですよって、言ったのに。せめて返事がくるまで待ってた方が良いって、ボクは言いましたよ」
「今日俺が来なければおまえらはまた、“禊”の為の場を設けなければならないだろう。ディアナス、おまえはわざと途中で返事を切ったな」

 ぼそりと呟いたディアナスが、今度はアレスの獰猛なの標的に変わる。だけどディアナスは全く動じる様子はない。
 意味が分らないといった表情かおをするセレナをディアナスは更に湯の中へとその体を抱き寄せた。開け放たれた扉から暖かい空気が逃げていくのを懸念してだ。下心ではない。

「ディアナスは、アレスが来ることを知ってたの?」
「…そうだね。今日セレナに会うって、ボクがアレス兄様に教えたから。だけどボクはべつに今日が“禊”じゃなくても良かったんだ。セレナが受けてくれるなら、別の機会に改めてでも」
「そ、それは…そういう、ものなの?」
「まぁ本来は駄目だけど」

 “禊”とは王子の通過儀礼。初性行の証明の場だ。
 だけどその目的は体の正常――つまりは子を為す為の男の機能が正常であるかを第三者によって確かめる為の場だ。
 あわせて今後の為に性技を学ぶ為の場でもある。いずれ妃を迎える時の為に。

「だけど条件さえ揃えば別に本当に初めてじゃなくたって問題ないんだ。まぁ今回は立ち会い人がアレス兄様だからこそできたかなり規則ルールから逸したやり方ではあったんだけど」
「えっと…、じゃあ、ディアナスの禊は済んだってこと…?」
「一応ね。立ち会い人であるアレス兄様の証言と、ボクとセレナの体液が混じった付属物の提出。それで正式に禊として授受されるはずだよ」
「た、体液の、付属物って…」
「最中ずっと、ドレスを下に敷いてたでしょう。あれはその為。あのドレスにはボクとセレナの体液および魔力が染み込んでる。ボクたちの魔力はイリオス兄様にも判別可能なはずだから、ボクたちが確かに行為をした証として十分なはず」

 確かにディアナスがドレスを避けないことには違和感があった。そんな横着をするようにもドレスを粗末ぞんざいに扱うようにもその性格からは伺えない。まさかそんな目的があったとは。
 途中からもう気に掛ける余裕もなかったけれど、あのドレスを自ら汚すことにはそれなりの抵抗があった。せっかく“シンシア”からの贈り物だったのに。
 複雑そうに表情かおを曇らせるセレナの頬に、ディアナスは苦笑いを零して軽く唇を寄せた。

「ごめんね、せっかく贈ったものを無断で利用してしまって。だけどドレスはもう一着あるんだ。シンシアからセレナへの贈り物。後でぜひ受け取ってくれる…?」

 ドレスが惜しいという気持ちだけじゃなく、なんとなくセレナの気持ちを置いて事を進められた気がしていささか納得いかない。
 だけど目の前の綺麗な少年に殊勝な表情かおをされてしまうと、強く言えないことも確かだった。
 ちゃんと確認しなかった自分も悪いのかもしれないけれど、おそらく意図的に誤魔化されたような気がする。

 結局アレスは、セレナとディアナスの禊の確認の為だけに来たということなのか。
 だけどおそらく律儀にアレスは、以前の自分との約束を守って先導あんないである蝶を使わずに、ひとりでここまで来たのだろう。彼の疲弊した様子からなんとなくそれが想像できる。
 広い城のなかで幾重にも魔法の結界に護られ隠されたこの部屋。どうやって辿り着いたのかは想像もできない。

「…本来なら立ち会い人は、そのすべてを確認しなければいけない。行為に不備や不届きがあってはいけないことだから。でもそれはあくまで、王家が義務的に用意した女性を監視する意味合いもあった。だけどボクには選ぶ権利が与えられ、ボクが選んだのはあなただった。だから、アレス兄様の配慮で…せめて事後の立ち会いだけで証言を約束してくれたんだ」
「…そう、なの…」
「イリオス兄様には内緒ね。流石に監視したりセレナに確認をするようなことはないだろうけど、念のため」
「…分かった」

 禊というものに関しては、セレナは上手く理解できていなかったのが正直な本音だ。
 ただ第三者が立ち会うというのには流石に抵抗があったし、夜伽との違いもその時はよく分かっていなかった。
 それでも“王子としての責務”という軽くは無い説明に、断れないような空気を察したのは事実だ。
 断ればディアナスが立場的に罰せられたりとか、不利益被ることになったら申し訳ないという気持ちだけのまま、漠然と不安には感じていた。
 流石にセレナにそんな趣味はない。王子たちとの夜伽にはもう抵抗は殆ど生まれなくても、かたちや立場を越えられるとは思えなかった。

 だからふたりの心遣いには感謝すべきなのかもしれない。
 おそらく意図的に禊に触れなかったディアナスと、その立ち会いに配慮を見せてくれたアレスには。
 最中に入って来られなくて本当に良かった。

 まだなお複雑そうに眉を寄せるセレナにディアナスは「むりやり納得しなくて良いよ」と笑う。彼なりの罪悪感を滲ませて。

「ただボクは、この夜の奇跡に感謝しているしきっとずっと忘れない。ボクを“王子”にしてくれて、ありがとう、セレナ」
「…な、なんか素直に受け取れない…」
「いいんだよ、セレナはそれで」
「おまえはいい加減そこから出ろ」

 ふたりの世界を引き裂くように、重たい溜息と鋭い声音で吐かれたアレスの言葉にディアナスは不満げな瞳をアレスに向けるも、それでも一瞬思案しようやくセレナからくっついていた肌を離した。途端にそこが肌寒く感じてセレナは浴槽の端に身を寄せ温かな湯の中に体を沈める。

「…イリオス兄様との約束は、ちゃんと守ってくださいね、アレス兄様。セレナ、あまり長湯しないようにね」
「…え…ちょ、ディアナス…?」

 それだけ言ってディアナスは、乳白色の湯を絡ませながら立ち上がりセレナを置いて浴室から出て行ってしまった。
 残されたのはアレスとふたり。
 セレナは咄嗟に後を追おうと立ち上がろうとして、自分の状況に気付きまた浴槽に慌ててしゃがみこむ。飛沫が勢いよくあちこちに飛んで視界に撥ねた。
 よく考えずともいまセレナは全裸の状態。お風呂に入っていたのだから当然だ。ディアナスはまったく気にせず上がってしまったけれど、流石にそこまで開き直れない。

 アレスはディアナスとすれ違うのとほぼ同時に身に付けていた衣服の上着と靴を脱ぎ捨て、腰元の剣を扉の所にたてかけた。それから肌に近いシャツとズボンはそのままに、浴槽の中にはいってきた。セレナになんの断りもなく。

 突然のその行為と光景にセレナは思わず目を瞠る。開いた口も塞がらない。

「…ア、アレス…?」

 せめて服は全部脱いだほうが良いのでは。
 いやそもそもどうしてこの人まで湯船に浸かってくるのか。
 これでは益々自分が出られない。もしかしなくてもそれが目的か。
 狭くは無いとはいえ無駄に広くもない浴槽内で、いつ素肌が触れてしまうのではないかと内心ひやひやする。
 触れたらまた、このひとにも。セレナの体は反応してしまう。

「…一応、訊くが」
「う、え、はい」
「ディアナスと、したのか」
「え…」

 それは答えなければいけないのか。流石に応えに躊躇する。
 だけどそもそもアレスは立ち会い人である立場なのだ。イリオスからの、それはつまり国の命で。
 それを確かめることは彼の義務なのだろうと思い直す。

「し、しました…」

 それでも何故こんな悪いことを報告させられているような気にならなければいけないのかやはり納得できる心でもない。いけないことを尋問されているみたいで居心地悪い。彼に悪意はないのだろうけども。
 せめて赤く滲む表情かおだけは見られないようにと、鼻先まで湯に沈める。小さなあぶくが沈黙を繋いだ。
 それからアレスはたっぷりと間を置いてから、再び口を開く。

「おまえ、は…嫌じゃないのか? 俺たちと体を重ねることが」

 まっすぐ。アレスはその赤い瞳をセレナに向けて、訊いていた。
 そんな正面から訊かれること自体が意外で、もっと言えばそれを訊くのがアレスであること自体も意外だ。
 おまえがそれを言うかという気持ちにはなる。だけど彼は至って真剣な面持ちなので笑い飛ばすことも誤魔化すこともできないような気がした。笑って話せることでもないけれど。
 でも、ようやく気付く。
 真実を暴きにきたのは、ディアナスだけではなかったのだ。

「嫌ではないよ、でも。望んでもいない。今はそれだけが確かな気持ちだよ」
「………そうか」

 その心にどのくらい響いたのか。セレナには分からないし、それを望んでいるわけでもない。
 それは彼ら呪われた王子たちだって同じなのだ。目的はあれど、本意ではないはず。
 だけど今回の夜伽で――正確には夜伽ではないのだけれど。ディアナスと体を繋げたことは、ディアナスに望まれたことは。セレナのなかで小さなきっかけになった。望むことの、その意義の。

 セレナの答えに頷いてアレスは再び黙り込んでしまった。
 気まずい沈黙にセレナが湯の中で泡を浮かべる。そろそろ出たいけど流石にこの状態のアレスを放置するほど彼を嫌ってはいない。彼がわざわざセレナの傍に来たことにはきっと意味があるのだろう。ふたりで話したかった理由が。
 
 それから普段の彼からは想像もできないほど、小さな声で。アレスは言葉を湯に落とした。

「……悪かった」

 ぱちんと、あぶくが大きく弾ける。セレナの鼻先で。
 なんのことかを考える前に、ようやくアレスが視線を上げてセレナを見た。

「…謝ったら、それで終わりになってしまう気がしていた。言わない方が良いのかもしれないと思っていた。それで報われるのは、俺だけだと。だけど言わないと伝わらないとも思った。許すかは別だ。許さなくて良い。だからせめて言わせてくれ」

 そこでようやく、何に対しての謝罪なのかをセレナは悟る。
 いちばん、最初。アレスとの最悪の対面、出会い。
 忘れたくても忘れられない。

「おまえを傷つけた。俺が、弱かったからだ。おまえは何も悪くない。……すまなかった。セレナ」


 でもそれは、アレスも同じだったのだ。

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