夜伽聖女と呪われた王子たち

藤原いつか

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閑話

むかし噺

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 ――むかしむかし。

 霧深い森の入口に、赤ん坊が捨てられていた。
 生まれてそう日は経っていない。上質な絹に包まれ汚れひとつない籠に入れられたその赤ん坊は、その出自が伺える。
 貧しい民のただの口減らしではないだろう。生活や金の為ならば、もっと賢いやり方があるはずだ。
 どの時代にもどの場所にも闇はある。だけど捨てた者は確実に、赤ん坊に生きていられては困るのだろう。
 この森ならば確実だ。生気を蝕むこの森ならば。

 金色の睫は伏せられていて、とても顔立ちの綺麗な赤ん坊だった。

 その小さな手には一枚の紙幣が握らされていた。国王の顔が刷られたこの国で一番高値の紙幣だ。
 せめてもの慰みにか冥界への賃金か、もしくは罪の代理の対価か。
 捨てた者は己の手で殺せずに他者にそれを委ねたのだ。

 誤魔化しきれない罪悪感と罪の意識に今頃苛まれているか、それとも胸を撫で下ろしているのかどっちだろう。
 赤ん坊をここへ捨てたのは、その風体から母親ではないことだけは確かだった。
 籠を置いて走り去る時の、金属がぶつかり合う音がひどく耳障りだった。その者が振り返ることは一度もなかった。

 生まれてきてはいけない子だったのだろう。
 誰が決めたのかは分からないが。

 泣くこともせずに赤ん坊は、ただ自分の運命を受け容れているようだった。
 嘆くことすら諦めたのかもしれない。それとももう抗う力も尽きたのか。

 ただ遠巻きに、そのすべてを見ていたモノたちがいる。
 溢れる好奇心と込み上げる懸念と抗えぬ引力を抑えきれず、そのモノたちだけが捨てられた赤ん坊のすべてを見ていた。


 ――どうする?

 ――ぼくたちはさわれない、しらせないと

 ――ほうっておけば?

 ――まだいきてるよ、かわいそう

 ――だって、にんげんのこ、でしょう?

 ――わるいことがおこるよ、かかわらないほうがいい

 ――でも、このにおいは…


 ざわざわと、森に棲むモノたちが色めき立つ。
 自分たちとは異なるその異質な存在に。なのに拒めぬ焦燥に。

 静かな赤ん坊の周りを取り囲むその気配にさえ、赤ん坊は声ひとつあげなかった。

「――ほんとうだ、人の子が捨てられている」

 ようやく現れた森のあるじの登場に、小さきモノたちはおしゃべりを止め距離を置き、その様子を影から覗いていた。自分たちの主がその命をどうするのか、息を潜めて見守る。捨てられた時点で一度は死んだも同然なその無垢な命を。

 森の主がそっと抱き上げた赤ん坊は、想像よりもずっと重たく温かい。
 まだ確かに“生きている”。
 命に触れるのなどどれくらぶりだろう。思わず感慨深さが込み上げる。
 久方ぶりの、感情が疼いた。

「“森の向こう”には連れていけないし、困ったことにまだ生きている。さてどうしようか」

 命の重みに慣れぬ手つきで触れて、腕の中の赤ん坊を男は覗き込む。
 うっすらと開いた瞳に男はどう映ったのか。仄暗い光はまだ潰えていない。
 だけど確かに赤ん坊は、男の言葉を理解しているようだった。少なくとも男の目にはそう見えた。

 すべての者から恐れられひとりになり、そして世間との関わりを隔絶してきた異界の森の王。
 人には受け入れられずとも、この森は彼を受け容れた。ただひとつの使命と約束の為だけに。
 
 そして、また。
 狭間に流れ着いたひとつの命を、森は受け容れようとしている。

「この森で暮らすかい? 人の体がつならば、だけど」

 赤ん坊は何も応えない。
 頷くことも拒否することもしない。
 ただ受け容れるのみだ。己が運命を。

「その代わりぼくの後継者になるんだよ。魔力の質は高いようだ。この森と波長も合うようだし何よりきみは運が良い。森がきみを拒まないのなら、その価値がきみにあるということだ」

 森が静かにざわめいた。
 言葉を持たないモノたちが、その意思を伝えるように。

 “それ”が行われるのは、随分久しいことだった。
 今の王の代替わりは、もう気が遠くなるほど昔のこと。
 ただし正確な時を把握する力量は無く、ただ永い時のなかでその歴史を見ているだけ。
 死を持たない森のモノたちだけが、永遠をただ見守り続けている。
 朽ちない代わりに力も持たず、ただ森の行く末を。

「そして、継いでおくれ。そろそろぼくも休みたい。これは、我ら森の王に代々継がれる命約」

 森の主はたのしそうに笑ってすべてを制する。
 森のすべてを。彼の魂と運命を。

 終わらぬ命はない。命が命である限り。
 だからこの森は、命以外のもので溢れていた。狂っていた。嘆き哀しみ求めていた。

「彼女が帰ってくるその日まで。繋いでおくれ、無垢な命よ」

 自ら望んだわけではない。だけどそれより他に選択肢はなかった。
 生きたかったのかも分からない。
 死にたくはないというそれは、ただの生存本能に過ぎない。
 心からの望みは――


 目の前の男が笑った。
 その男もまた、すべてを受け容れるかのように。


「いずれ君が、王となる」


 そうして王は、甦る。
 何度も、何度でも。




 むかしむかしの物語。



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