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第九章
月下の懺悔
しおりを挟む――もしも、叶うなら。普通に出会いたかった。
少し運命的な要素があっても良い。物語のように特別な、想像もできないような局面で。立場や責務や義務的でなく、なんの柵もなく縛られるものもなく、出会うべくして出会うように。
そうして出会って惹かれて。
恋に、落ちたかった。
自分がそうであるように相手にも、脇目もふらずにただ自分だけを追いかけて、そうして結ばれる結末であったならどんなに良かっただろう。
そうしたらきっと互いに揺るぎのない記憶と出会いと確信となって、何度離れても惹かれ合うはずだ。求め合う運命だ。それが理想の恋だった。
恋なんてとうに諦めていた自分の、それでも胸の底に沈めた夢。
だけど現実は思うようにはいかなくて、ただ残酷で理不尽で。
ただすれ違い食い違う歯車だけを、無力な自分に見せつけられているようだった。
物語と同じ部分があるとすれば、自分が“王子さま”であることだけ。
――王子だなんて、そんなもの。
きみの呪いも解けないのに。
***
夜の帳が下りた頃。
身支度と出かける準備を整えたセレナが、どきどきと高鳴る胸を押えて目の前の扉を三回ノックした。それが扉の向こうが繋がる合図だと、教えられた通りに。
それからドアノブをゆっくりと回して扉を押し開ける。最初の一歩はやけに時間がかかった気がした。
疾しいことがあるわけではないのに、扉をくぐるだけでそわそわしてしまうのは前科のせいだろうか。あの時は揺るぎない目的があった為か罪悪感なんて欠片ぐらいにしか感じなかったのに。
魔法の扉のおかげで目的地までは僅か一歩。扉を開いたその先が、既に目的の場所だ。扉を介するというイリオスの転移魔法が発動しているならば、だけれど。
セレナは目の前に現れた広がる本の海に、魔法は正しく空間を繋いでくれていたようだと悟り思わず息を呑む。
場所は、王城の何処かにあるという隠された部屋、“秘密の書庫”。
待ち合わせ相手はゼノスだ。
夜伽の為に与えられたあの部屋からセレナが公認で出るのは、これが三度目だ。
一度目は国王陛下との謁見の時。二度目はイリオスに連れられてゼノスの部屋に連れて行かれた時。そして、今日が三度目。
だけどひとりで部屋の外に出るのは――ただしくは城の内部だけれど、とにかくひとりというのは初めての経験だった。
無断で外に出ていた時とはまた違った緊張感がある。今回は無断ではなく公認なのに。
ゼノスとの面会の場を別の場所にしたいと、それをルミナスに相談したのはつい二日ほど前だった。
夜伽をするかは分からない。それでも会うことは問題ないのか。会うことに夜伽は必須項目なのか。その確認も込めての相談だった。
ルミナスの答えは、流石に一度持ち帰られた。それからイリオスと調整して、許可が下りたのは意外にもその日の内だった。ゼノスからの要望もあったお陰だろう。
結果として、夜伽以外の接触を禁じる理由は特になく、会うことに制限は設けない。ただ分別だけはわきまえるように、というのがイリオスの判断らしい。
呪われた王子と夜伽聖女という互いの役割を越えるのなら、相応の理由と覚悟を持てということだと解釈して返事を受け取る。
それからいつの間にかイリオスがセレナの部屋の扉に件の魔法を施してくれたのだ。おそらく目的の場所を告げたその日の内に、どうやらセレナの寝ている間に顔も合わせぬ内に。
部屋を出る時と帰り着いた時に、必ず蝶でイリオスに伝えること。それが条件で今夜の部屋の外での面会は許された。
緊張と好奇心が同じくらい胸の内で暴れていて、握りしめていた手が思わず汗ばむ。
人気の感じられない冷たい空気がセレナの僅かに上気した頬をくすぐって、暗闇に溶けていった。音も光も見当たらない。天窓から差し込む月明かりだけが唯一の光源として、部屋全体を浮かび上がらせている。
本は好きだ。
身動きできないベッドの上で出来ることなんて限られていて、その筆頭が読書だった。あまり体を起こしていられなくなっても、携帯やゲーム機を持つことすら億劫な握力に落ちてしまっても。紙の本だけは握り続けていた。
だからセレナにとって目の前の光景に胸が躍らないわけがない。
本の海。しかもゼノスが言うにはここは表の図書館では扱えない機密私書が多く収められているという。
好奇心がそそられる。ここは秘密の宝庫なのだ。しかも今の自分にはこの世界の文字が読める。
壁一面が本棚に埋め尽くされた、書庫というよりは雑多なもの置き部屋のようだ。広さはあるけれど不規則に並ぶ棚がまるで迷路のよう。奥まで誘い込まれるようにふらりと思わず足を向けたセレナを、小さく、だけどはっきりとした声で呼びとめる声が暗闇に響いた。
「――セレナ」
今自分が来た扉ではなく、入り組んだ棚の奥のほうから。
小さな灯りと共に近づいてくる、布掠れの音と潜めるような足音。
差し込む月明かりが彼の姿を照らしていた。まるで舞台の上の登場シーンのように。
「ゼノス」
降り注ぐ月の光が彼の銀色の髪を照らして煌めいていた。
想像していた姿とは異なるゼノスのその風貌に、セレナは思わず目を丸くする。
いつも目深に被っていた、印象的な闇色のローブが無い。王子の正装ほどではないにせよ、分厚く重たいローブ姿のシルエットの方が印象強かったせいで、なんとなくきちんとした服装のゼノスにセレナはどぎまぎしてしまう。他の恰好は裸くらいしか知らない。
「先に来てたんだ、ごめん、待たせちゃった…?」
「…いいえ、おれも少し前に来たところです。こんばんは、セレナ」
「こんばんは、ゼノス。会えて良かった」
ゆっくりと距離を詰めて挨拶を交わしながら、ようやくその表情がセレナにも届く。
笑ってはいる、なのに。どことなく複雑そうに自分を見つめるゼノスの視線が、首を傾げるセレナに注がれていた。いつもとどこか様子が違う。とっさにそう思う。理由も確証もないけれど。
戸惑うセレナに気づかずに、ゼノスはそっとセレナから視線を外した。
その理由は、ゼノスの内にある。それを振り払うように小さく頭を振り、慣れない作り笑いでセレナをこの部屋の更に奥の目的の場所まで促した。触れないように、気をつけながら。ゼノスが待ち合わせの時間よりも先に来たのはその場所の確認の為だ。
ゼノスが魔法で灯した明かりは炎ではなく、淡い橙の光の玉だった。
ゼノスの瞳の色と似ている気がする。ゼノスが目を合わせてくれないので、セレナは代わりにその灯をぼうっと見つめてゼノスの後を追う。
部屋自体が火気厳禁なのと場所が場所なので、ある程度高位の魔法を使える者と資格ある者しかこの部屋には入れないらしい。魔法のひとつも使えないけれど、セレナはゼノスの同伴という形だ。
今ここに自分たち以外は居ない。わざとその時間帯を狙っての待ち合わせだった。
本棚の迷路を少し進んだ先に、月明かりで照らされたテーブルと椅子があった。そこにいくつかの本と紙の冊子が既にいくつか積まれている。
テーブルの傍らまで促され、持っていた荷物をそれぞれ置いて隣りに並んだ。やはり僅かに距離を空けたまま。
「一応、それらしい物は出しておきました。ディアが描いたという、刻印の紙はありますか?」
セレナの身に現れた刻印については、ディアナスからゼノスにも伝わっていたらしい。
おそらくあの後――セレナがディアナスとアレスと三人で話したあの後。ゼノスへの報告も行われたのだろう。秘密の協定の場で。
「…持ってきたよ、これ」
失くさないようにと以前ゼノスに借りた資料の間に挟んで持ってきたそれを、ゼノスの魔法の灯りの下で差し出す。それを無言で受け取ったゼノスはその琥珀色の瞳を向け、暫し沈黙した。セレナも黙ってそれを見守る。
どこかで見たことがあるような気がする、と言ったのはディアナスだ。その場に居たアレスからの確証は得られていない。だけど王家にも関わる事柄である線が強くなり、ゼノスに調査を含む相談をする為に、ふたりはここで待ち合わせたのだ。
場所を指定してきたのはゼノスだ。呪いに関する調べものならおそらくここが良いと。ゼノスにとっては自室の次に馴染んだ場所らしい。
「……確かに、見覚えがあるような気もします…けれど、おれも…はっきりとは、分からないです。すいません…」
申し訳なさそうに声音を落とし表情を曇らせるゼノスに、セレナは慌てて首を振る。
期待していなかったと言っては失礼だけれど、そう簡単に分かるものだとも思っていない。
「う、ううん、謝らないで。ルミナスにも訊いてみたんだけど、やっぱりはっきりとは分からないみたいなの」
「…そうですか…神殿側も王家のすべてを把握しているわけではないですからね…」
瞳に影を落とすゼノスの表情とその空気にセレナは気圧される思いがした。
やはりどことなくゼノスの雰囲気が今までと違う気がする。僅かに空けられた距離がその証拠だ。
「…ゼノス…?」
つい、セレナから。彼の名前を呼んでいた。自分でも驚くくらいに情けない声になってしまった。
だって、彼が。セレナの方をちっとも見ようとしないから。久しぶりの体面のはずなのに、どこかずっとよそよそしい。むしろちょっと避けている。勘違いなら笑えるけれど、違っていないならもう笑えない。
セレナに呼ばれたゼノスが一度だけぴくりと肩を震わせて、ゆっくりと慎重にセレナの姿をその瞳に映す。
そこに滲む躊躇いに、セレナは何故か泣きそうになった。彼から距離をとられたのは、初めて会ったあの日だけ。ふと懐かしげに甦る出会い。
その後ずっとゼノスはセレナとの距離を詰めて来てくれていたから。まさかゼノスの方から距離をとられるとは思ってもいなかったのだ。
「わたし…何か、ゼノスの気に障るようなこと、した…?」
「……セレナ…?」
その震える声音にようやくゼノスは。セレナの歪む表情に気付いて目を瞠った。
指先から白い紙が零れてとっさにセレナの肩を掴む。セレナがびくりと体を大きく揺らして、慌てて無遠慮に触れてしまったことを詫びた。
「すいません、セレナ…! 違うんです、おれが、悪い…っ、セレナのせいじゃありません。おれが…」
「でもきっと、わたしが原因なんでしょう?」
「いえ、そういう、わけでは…」
「じゃあ、どうして。こっちを見ないの、ゼノス」
とうとう彼女の声音に非難と涙の色が混じる。その小ささにゼノスは胸を締め付けられるようだった。
ゆっくりと今度こそゼノスは、まっすぐセレナを正面から見つめる。
涙目で睨むように、だけど縋るように。自分よりも僅かに下がる目線の先から、セレナが自分を見上げていた。その目が合って、微かにセレナの瞳が揺れる。情けない顔をした自分を映して。
そうしたら、もう。
どうしようもなくなってしまった。
ゼノスはセレナに手を伸ばし、その小さな体を抱き寄せていた。腕の中でセレナの体が強張って、だけど拒否する素振りは伺えない。それを確認してさらにきつく境界を埋める。
「…すいません、セレナ……ごめん、なさい」
「…なにを…謝るの…?」
そっと、セレナの小さな手の平が。躊躇いがちに、だけど彼女の意思をもってゼノスの背中にまわされる。その感触にゼノスはかたく目を瞑って奥歯を噛んだ。
ゼノスの口から零れたのは、懺悔の言葉だった。
「…おれの…呪いが…苦痛が。あなたを、苦しめたこと…おれは、知らずに、ずっと…!」
夜伽によって消えたと思っていた呪いはずっと、本当はセレナの体にあった。残っていた。セレナが継いだだけだったのだ。
ほかの誰でもない、セレナに。自分の苦痛を背負わせた。
今は痛みは無いと聞いている。つまり、以前はあったのだ。
そこに確かに、ゼノスが与えた呪いの齎す痛みと苦しみが。
「おれの代わりに、あなたが…っ」
――傷つけた。
夜伽によって、彼女の体とそして心を。
その事実がゼノスの心の内を深く抉っていた。
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