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最終章
追憶の庭①
しおりを挟む母の魔法が好きだった。
母はその分野に置いて非常に稀有な才能を持ちあわせていたらしく、物心つく頃から自分と母の周りにはそんなもので溢れていた。病に臥してからはあまり体を動かすことがなくなったという母は、その生活の殆どを魔法に頼って生活していた。
後からそれが異常だと他人に指摘されるまで自分にはそれが当然だと思っていた。皆そんな風に生活にごく自然に魔法が用いられているのだと。自分も魔力を宿し魔法の概念を理解していた為何も疑問に思わなかったのだ。それが自分たちの日常だった。
だけど後に知る。異常なのは母の方だったらしい。
確かに家の中と外はまるで別の世界だった。
魔法を使う人間は限られその殆どは選ばれ恵まれた人間だ。自分たちのような存在が珍しく異質であったのだ。だから母は、殆ど外に出なかったのだろう。
魔導師をいう肩書を持つ母だが表向きは薬屋を営んでいた。ただし客は古くから付き合いのある知人ばかりで新規の客は殆ど見たことがない。どれも魔法によって依頼され魔法によって納品される。魔法は便利だけれど生活する上でやはり金銭は必要だ。母は意外と顔が広いようで、時折聞いたこともない異国の客が魔法で使い魔を飛ばしてくることもあった。基本的に母の気分と体調によって左右される調薬だが返品も文句も聞いたことがない。安定した生活は築けていた。
母は体の調子が良くないという理由で殆ど人には会いたがらなかった。自分が外に出ることを制限された事はないけれど、病気の母の傍を離れたくなかったし、真昼の自分は生まれつきの痣がもたらす苦痛と不調で母同様に人付き合いが苦手だった。友達と呼べる者はひとりも居ない。
だから基本的には母と一緒に家に居ることが多かった。家の炊事をし母の調薬の手伝いをする。外に出る機会といえば週に一度だけ都のはずれの修道院に勉強をみてもらい行っているくらい。神さまに祈ったことは一度もない。
学校にも行っていない。母は強く勧めたけれど自分でそう望んで決めた。勉強は家でもできるからだ。
母が外に出るのは特別な魔法で繋いだ森にだけ。調薬に必要な薬草をとりに行く為にその扉は繋がれる。表向きの扉ではなく裏用の戸口から。その瞬間が一番の楽しみでもあった。母の魔法も仕事も心から尊敬していた。
母は生活する上での知識も知恵も教えてくれたけれど、魔法だけは教えてくれなかった。
はやくいろんな魔法を覚えて母の手伝いをしたかったし、もしかしたら母の病を治せるかもと、子ども心にそんな淡い期待もあった。だけど母がそれに応えてくれることはなかった。
『興味があるなら自分の力で学びなさい。それを善く使うかはあなた次第よ、ノヴァ』
魔法も魔術も決して万能ではない。できることには制約と限りがある。
何でも自在に操る母の魔法に憧れていた。魔法を使えば何でもできるのだと思っていた。
だけど本当に欲しいものは手に入らないのだ。
『これならノヴァの体に少しは効果あるかもね、ツユリ草。痛みの根幹は違えども、体に作用する本質は同じはずだから』
痛みとはすなわち脳から体への電気信号だ。ツユリ草の根にはその信号…神経を鈍らせる効果がある。
本来であれば麻酔代わりにも使うそれは、量を調整すれば鎮痛剤にもなる草だ。そういった効能の草は複数あるが、ツユリ草は希少種だった。これまで試してきた他の薬草の効果が見込めない為にその草にまで手を出すことになったのだ。
昔はもっと手近な所に群生していたらしいけれど、根こそぎとられて以来人の手の届くところには派生しなくなったらしい。まるで草に意思があるみたいで面白いと思った。
『栽培条件が厳しいのよね、ウチの庭でも育てば良いんだけれど。そうすれば採り放題』
『でも、採るのは必要な分だけ、でしょう…?』
外に出る時の母はその身に補助と防護の魔法を幾重にも纏っている。ものすごく魔力を使う分効果は絶大だ。だから一時だけいつもより体を動かすことが可能になり、その時だけ母は大胆でいて快活になる。限られた自由を楽しむかのように。それがきっと母の本来の姿なのだろう。
自分の問いに母はどこか嬉しそうに笑って答えた。
『そうよ、よく覚えてたわね、ノヴァ。大地のものを人間の私欲に巻き込んではいけないのよ。特に私たち魔導師は』
母が魔法について教えてくれたのはそれだけだった。
程なくして母が倒れて起き上がれなくなった。
いよいよの時が来たらしい。
傍目には元気だった母の命の底を肌で感じて、普段母がそれを魔法で補っていたのだとようやく知った。部屋の中でしかもう母はその身を保つことすらできなかったのだ。
魔力の根源はいうべくもなく命だ。それが今尽きようとしている。
何もできずにただ母の手を握った。
『…どうして、お父さんは、一度も来てくれないの』
『…言って、ないから。言いたくなったの、私のこんな姿を、見られたくなかった』
『…嘘つき、お父さんは、死んじゃったって』
『やだ、そうだった。ノヴァにはそう言ってたんだった。ごめんノヴァ、最後まで嘘を、つき通せなくて』
母のそんな嘘、とっくに気付いていた。
だからこそ心のどこかで信じて期待して待っていた。
いつか父が現れて、母を迎えに来てくれて、そうしたら母も元気になるのではないかと。
夜自分がベッドに潜り込んだ後にこっそりと母が書いているあの日記が、実は魔法で父に繋がっていて、今でもふたりは想いを寄せ合っているのではないかとそんな淡い夢を見ていたのだ。
日記を書いている時の母が一番幸せそうでそして一番寂しそうだったから。
決して自分には見せることのない表情だったから。
自分にはできなくても、“父”なら。母を救ってくれるのではないかと思っていた。
父に会いたかったわけではない。顔も名前も存在の意義すらも知らない。
時折修道院で見かける家族を羨んだりする思いがなかったわけではない。だけど自分に必要かと言われればそうでもなかった。母がいれば自分の世界は事足りたのだ。父がいなくても自分は充分幸せだった。
だけど母には父が必要だと思った。
『恨むなら、私を恨むのよ、ノヴァ。あなたから父親を取り上げたのは私だわ。私の勝手な、自己満足なのよ』
『……』
『私が死んでも、ひとりで生きていけるわね? もうあなたに何も残してあげられない。でも、ノヴァ。死ぬ時は誰かが居た方が良いわ。私は今とても幸せな最期だから』
『…ずるいよ、お母さん』
『その内この国を出て、もっと広い世界を見た方が良いわ。世界はとても広いのよ、あなたと行ってみたかった』
細い手からそろりと力が抜けていく。それを必死に掴んで繋ぎとめながら、涙を堪えて母の言葉に頷いた。
母はゆっくりと笑う。部屋を満たしていた母の魔法の気配がさらさらと解けていく。
『ごめんね、ノヴァ。遺していくことが分かっていたのに。私、どうしても、お母さんになりたかったのよ。あなたに会いたかった。ごめんね母親のやり方も知らなかったくせに』
そっと、その冷たい指先が自分の目元に触れる。
母に親族は居ないと聞いていた。母はきっと“母親”を知らずに生きてきて、それでも母親を望んだのだろう。
ずるい、とまた零す。それまで母親らしいことなんて殆どしてこなかったくせに、今自分に触れるこの手は紛れもなく母親のものだと思った。
堪えきれずに涙が溢れた。そんな自分に母は微笑むだけ。
自分たちはただ限られたこの場所で、同じ時間を分け合ってきた。共に過ごし共に生きた。
抱き締められたことも愛を囁かれたこともない。だけど確かに自分の母はこの人だけだった。
自分はちゃんとこの人の子どもで在れたのか。ちゃんと母の望んだ家族でいられたのか。それを確かめたくてももう言葉にならなかった。
『…愛し合った、ふたりの子ども…魂の紡ぎ合った証。ふしぎ、どうしたって解き明かせないわ。良いところも悪いところも、分け合ったのね。あなたのその瞳はあの人に似てる、だからきっと自由に生きて』
母のいう自由が何なのか分からない。
不自由だと感じたことはない。母が居てくれればそれで世界のすべてだった。
だから母のいないそこは世界の外だ。そんなもの望んでいない。
『あの人にはできなかった事。私にもしてあげられなかった事。きっとこれから、出会うはず。だから、ノヴァ。これから会う人を恨んだりしないで』
その瞳から光が失われていく。そこに自分はもう映っていない。
握りしめていた手とは反対の手が虚空を彷徨った。そこに何を見ているのか分からない。
だけど母が最期に呼んだ名前は自分の名ではなかった。
『――愛してる、ライナス…』
――恨んでなんていない。
だけど、ただ、許せない。
『…ミラ…!』
母が最期に落とした呟きと同時に勢い良く部屋の扉が明けられた。出入りには殆ど利用しない表向き用の扉だ。外からはそう簡単に開かない作りになっていたはずだけれど、母が施した結界は今しがたすべて解けてしまった。もう守るものも身を隠す術も何もない。
母はもういない。自分は世界にひとりぼっちになってしまった。
息を切らした人物はゆっくりと部屋の奥の母を確認し、そして自分に視線を向ける。信じられないといった顔つきで。蝋燭の灯りが涙を照らしていた。
『……君、は……まさか…』
母の最期に現れたその男は、自分と同じ瞳の色をしていた。
------------------------------
かたり、と。小さな音を立てて秘密の庭の扉が開いて、そこから吹き込んだ風が部屋に溢れる水の匂いを掻き混ぜて四方に散っていく。
次の儀式の為に不在にしていた人物が戻ってきたらしい。ノヴァは思考に耽っていた重たい頭を持ち上げた。
王位継承の儀式は残りもう僅か。三日間休憩を挟みながらとはいえ通しで行われるこの儀式は基本的にこの部屋に篭りきりとなる。つまりもう丸二日以上も現国王である父親と同じ空間に閉じ込められた状態で流石に気持ちが不安定になっていた。だから遠い過去のことなんて思い出してしまっていたのだろう。
もうすぐ自分の血がこの国の王となってこの国を治める。例えたった一時だとしても、自分の悲願が叶おうとしている。感傷に耽っている場合ではない。
ちらりと音のした方へ視線を向けるとエレナを中に促すルミナスが見えた。
この部屋を出た時よりもどこか疲弊し物憂げな表情だ。彼も儀式には殆ど携わっているので疲れているに違いはないだろうけれど、そういった儀式には自分よりも遥かに耐性も精神力もあるはずの彼にしては珍しいくらいに感情が表に漏れている。
一方のエレナは事前に知らされていたとはいえ初めて訪れる場所と儀式の雰囲気にどこか緊張した面持ちだった。流石に侍女は連れていない。この場に入ることのできる人間は限られている。
「お帰りルミナス、遅かったね。エレナもようこそ。“秘密の庭”へ」
部屋の上座に位置する椅子に座った“現国王”がひらりと手を上げてふたりを迎えた。
エレナが陛下の言葉に恭しく一礼し促された端の椅子に腰を下ろす。
明かりのないこの部屋は、壁自体が白色の光を宿していて部屋の四隅まで真っ白だった。
“秘密の庭”と称される通り地面は柔らかなな芝が敷かれている。部屋に溢れかえる土と水の匂いがここが屋内だということを忘れさせるほどだ。
特別な造りの特別な場所。太陽の光など届かないのに部屋の中央には一本の樹が植えられていた。
「…ルミナス?」
すぐに儀式を再開すると思われたルミナスが、まっすぐノヴァの座る椅子へと歩み寄る。
訝しげな視線を送る国王・ライナスの方には目もくれずルミナスはノヴァの前で立ち止まった。
そのただならぬ気配と雰囲気にノヴァが僅かに怖気づいて視線を上げる。
「…先生…?」
ついもとの呼び名に戻ってしまうのは、過去のことなど思い出していたせいか。
この道を進むと決めた時にすべて捨てたはずなのに。
決意を確かめるように握っていた拳に力を込める。
「よく、聞いて。ノヴァ。セレナが――」
すべて、捨ててきた。
自分の過去も未来も希望も最上の想いさえも。
だから揺らがない。この道を選んだこと。後悔したら全部無駄になる。
死ぬ時はひとりで良いと決めた。誰も傍に居てくれなくて良い。
絶望に捕らわれていたその淵で誰かを愛することの歓びを知り、その為に犠牲にできる身の幸福さも知った。それでもう既に自分の望みはひとつ叶ったのだ。
そして最後まで捨てきれなかった自分の本懐。
その為に戻ってきてと泣く愛しいひとの手を自ら振り払った。
あの時にすべての覚悟が揃ったのだ。
だから悔やまない。後悔はしない。
その道を選ぶことを。
例えそれが最期でも。
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