夜伽聖女と呪われた王子たち

藤原いつか

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最終章

運命の兄弟

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 アレスが用意してくれた馬に跨り薄暗い道を駆け抜ける。
 時刻は夜明け前。西の空はまだ暗い。

 セレナの部屋にかかっていた結界がすべて取り払われたことによって、セレナは初めて自分の身ひとつであの部屋から出ることが叶った。心配そうなディアナスに見送られてただのひとつの扉をくぐる。いつも魔法が介在しなければ出ることの叶わなかったそれが、今ようやく初めて自分の足で部屋の外に出た。

 アレスの背を追いかけながら暗い廊下を進みいくつかの扉をくぐったそこは、手入れのされていない庭のようだった。草木が生い茂る中をかきわけて進み、ようやくひとつの石畳に出る。そこにアレスの用意した栗毛の馬が繋がれていた。
 西の森までは馬を走らせて半日かかるという。流石にそれでは手遅れだ。

「ゼノスの魔法でイリオスに俺たちが行くことは伝えてある。経由地点にいくつかイリオスがあらかじめ施しておいた転移魔法の中継ポイントがある。そこを通ればかなり道は省略できるはずだ」

 急だった為に二人乗り用の鞍が準備できず、セレナは手綱を握るアレスの前に横乗りになり上半身だけ捻ってアレスの体にしがみつく恰好だ。
 馬になんて初めて乗る上になかなか難易度の高い体勢だったけれど、途中アレスが何度もセレナの身体を片腕で抱え込み様子を気遣ってくれたおかげでそこまで不便はなかった。
 いくつかの場所で景色が変わり魔法によって飛ばされ、そうしてセレナとアレスが魔の森と呼ばれる西の森に辿り着いたのは城を出てから一時間ほど経った後だった。

 アレスに馬から下ろしてもらい、慣れない乗馬と魔力の消費に思わずへたりこむ。
 転移魔法の中継ポイントはその場所に術が組み込まれているだけで、発動に必要な魔力は使用者が負担するらしい。使用者が複数居る場合は必然的に優位な魔力保持者が選別されるとのこと。主に魔力が消費されたのはセレナの方だった。アレスも魔力がないわけではないけれど、術には相性というのもあるらしい。

「少し休んでろ。様子をみてくる」

 顔を蒼くして太い木の根に腰を下ろすセレナに言葉をかけ、それでも視界から外れない範囲でアレスは森の様子を見渡す。
 転移ポイントの関係で通常時に討伐で赴く森の入口とは違う方面からの到着となってしまった。おそらく前線とされているのはそちら側だろう。イリオス達が居るのも。
 城を出る前に聞いた現状から察するに森から距離を置いた場所に居る可能性も高い。このあたりに魔のモノの気配は殆ど感じない。

 アレスは自分たちの現在地を探る為空を仰ぐ。白けてきた空の星の位置は霞み思わず眉を寄せた。できる限り魔力は温存させておきたいけれどそうも言っていられないか。位置確認の魔法を使うか葛藤するアレスの視界に白い残像が掠めた。
 イリオスの蝶だった。

「…!」

 ひらひらとアレスの周りを旋回した蝶はやがてセレナのもとへと舞い降りる。
 そっとセレナの差し出した人差し指にとまり一度だけ羽を震わせた。

「…イリオスか?」
「……違う」

 この蝶の術者はイリオスだ。でも。
 今この蝶を操っているのはイリオスではない。何故かそれがはっきりと解った。

「いこう、この子が案内してくれる。――森の王の所へ」

 ――ブランだ。セレナにはその確信があった。

 セレナの様子にアレスは文句も言わずにただ頷いた。その指先からふわりと蝶が飛び立ち薄暗い森へとふたりを誘う。
 アレスがセレナの前に立ち先を行こうとするその手を、殆ど無意識にセレナは掴んでいた。アレスが一瞬大げさに体を揺らす。だけど振り払うことも言及もせずただその手を握り返して歩き出した。

 森に足を踏み入れるのと同時にセレナの体の刻印が疼いて存在を主張した。その違和感と得体の知れない感覚をセレナは必死に振り払う。
 彼女の記憶と意識に呑まれてはいけない。ここがどんなに泣き叫びたいほど恋い焦がれた場所に感じても、それは自分のものではないのだから。

 遠くで喧噪が聞こえたけれど、すぐに森の静寂に呑み込まれた。


 ***


 かたく瞑っていた瞼を持ち上げて、一瞬だけ飛んでいた意識をイリオスは引き戻す。
 それから僅かに離れた場所で絶えず攻撃魔法を発動し続ける弟に意識を向けた。

 前方で散る白い閃光がメガネのレンズに反射してその表情かおは見えない。ただ先ほどからこの前線でひとりで戦っているのは間違いなく彼だろう。
 共に来ていた神官は村人の避難誘導と怪我の手当におわれ、他の魔導師達は侵略する魔のモノたちをひとまず散らさないよう戦線と定めたこの村を囲む結界の制御と維持にかかりきりだ。

 自分たちがこの戦線に赴いた時には既に森から一番近い村は焼かれた後だった。
 魔のモノは瘴気こそ吐けどもその他の攻撃は確認されていない。殆どが物理的に襲うか食らうかだ。村は混乱し対抗しようとした村人によって焼かれたものだった。
 そこから場所を移し僅かに距離を置いたこの村に、追うように魔のモノたちは侵攻してきた。
 生者を食らうこのモノ達に理性も知識もない。ただ目の前の獲物を食らう本能の為だけに活動しているので行動範囲の限定に関しては御しやすかったと言える。

 そうして一ヶ所に集められた魔のモノに絶えず攻撃をしかけているのが今ここに居るノヴァだ。
 イリオスも隣りで補佐はしてるけれど、全体の指揮と状況把握の為の魔法を同時にいくつも発動してるので攻撃自体には加われない。ノヴァの魔力を信じて頼るしかない情況だ。
 
 永く封じられてきた森の結界は解かれた。その根幹には古き王家の血が関わっていたせいで、イリオスがどんなに試みても森への干渉は決してできなかった。
 だけど、今なら。助けにいける。

 ――ブランシェス。
 半分の血肉と魂を分けた兄弟。

 生まれた直後にあの森に捨てられた哀れな魂。
 生きる場所は分かたれてもその心はずっと繋がっていた。運命に翻弄され明暗を分けた自分たち。
 彼の体の寿命が残り僅かだと知った時、この体を差し出すことに何の抵抗も感じなかった。
 未練などなかったのだ。あの時までは。

 だけど今は違う。誰かを、何かを犠牲にするのはもうやめた。
 それしか術を持たなかった自分たちとはもう違うのだから。

「…じき夜明けだ。日の光の下での活動は森の中においても制限されている。結界は彼らの庇護でもあった。その森を出た今そう長引く戦線とは思えない」
「…ですが、あちらには魔法が殆ど効きません。この攻撃も所詮足止めにしか過ぎず、突破されてしまえば後は白兵戦となりますが」
「嫌なこと言うね。君のせいで女神には嫌われてしまった。もう加護も浄化の力も期待できないだろう。唯一期待できるのは…あれらを今まで制御してきたその存在――」
「…森の王、ですか」

 ノヴァの問いにイリオスが緩く笑う。
 一般的にはそれは、ただのお伽噺の中での呼び名だった。
 誰も知らない。だけど確かに受け継がれてきたその存在。
 この国での悪者の代名詞だ。その真実を多くの国民は知らない。

「その担い手に選ばれた者の体が弱まってきた為に、森の瘴気と魔のモノたちの暴走を抑えきれなくなってきていた。彼の肉体と共に国は遠からず滅びる運命さだめだったのかもしれない。魔のモノと瘴気を抑えるすべを持たない僕らに待っているのは亡びの道だけだ」

 ――本望だろう?
 イリオスが珍しく軽口に滲ませた。
 まさかもう諦めたのだろうか。イリオスのそんな表情かおも態度もノヴァは初めて対峙する。

 母の日記にも書かれていた。魔の森の王――それは王家を追われ森に封じ込められた哀れな血脈の末路だ。
 しかし現王家は彼を封じるだけでせいいっぱいだった。その異質な魔力は森に作用し魂をひきこみ変質させる。
 そうして魔のモノは生まれ森は瘴気を吐き出すようになった。
 それらを統括しているのが森の王だ。すべての諸悪の根源。
 そう王家としては認識していた。今の今まで。

 だけど今イリオスの口から聞いた言葉まるで逆だった。
 森の王は魔のモノたちを従わせていたのではなく、制御していたのだという。
 俄かに信じ難いがこの状況でイリオスが根拠のない嘘を言うとも思えない。

「…なら…その森の王の弱体化を防げれば、彼らを抑えられるということですか」
「…彼の体が、てばの話だ。永く受け継がれてきた使命と魂はそれを維持する為に宿主の生命いのちを食らう。これまでは体がつ内に後継者が現れて引き継がれてきたようだけれど、もはやその魂も限界のようだ。彼は長く待ち過ぎた」

 ここからでも見える、遠くの森が風もないのにざわめいていた。
 森の規模は大きい。村を越え距離があるのにかかわらず、その咆哮が鮮明に聞こえる気がする。
 それは歓喜か悲哀か、見捨てられた森の王の心なのか。闇を孕んだ森の木々が大きくさざないでいた。

「…なるほど、だから――」

 ノヴァは攻撃の手を緩めぬまま、ちらりと視線を後方に向ける。
 そこにはどんなに拒んでも帯同を譲らなかったひとりの少女が居た。
 これまでの一連の流れをその目で見ていた事態の関係者でもある。
 聖女と呼ばれた少女。白金色プラチナの髪が爆風に煽られて忙しなくはためいている。その瞳に強い決意を湛えてそれからノヴァを睨みつけていた。

「…だから、“果実”を…私に、ください。彼を助けたいのです」

 ――エレナ。国の窮地を救うべく現れた聖女。
 だが現状においてその立ち位置はまさしく微妙だ。
 ノヴァの婚約者でもあったのだがもはや“ヘルメス”を捨てたノヴァに王位はありえないし、その身から“王家の血”すら剥奪されている。
 彼女自身に聖女の浄化の力は殆ど期待できないと言っていい。この戦場においてはもはや邪魔でしかない。
 だけど彼女は自分達について来ると言ってきかなかった。まるでどこかの誰かのように。

 そして未だノヴァが持つ“運命の果実”を寄越せと言う。

「…“アベル”と呼ばれるその果実は、この国のすべての権威と力を宿しています。そうしてそれは次代の国王へと受け継がれてきました…しかし元はその果実は…あの樹は。この国のものではなかったはずです」
「…どういうことですか…?」
「私も、ブラン様から聞いただけなので、詳しくは分かりません。ですがブラン様が仰るには、“生命いのちの樹”から生まれるその果実が王家において“アベル”と呼ばれるのは、それが“信仰”そのものの象徴であるからです」


 たどたどしくも必死に紡ぐエレナの言葉にイリオスもノヴァもまっすぐ耳を傾ける。
 この国の――王家と森の真相を知っているのはもはや当人たちだけだ。
 そう、ブランがその肉体に宿す“ルシウス・カイン・フィラネテス”その人の魂。
 呪いから一番遠くに居たようでして、その実誰よりも一番近い場所に居た。

 ブランはエレナに何を託したのか。
 エレナは必死に言葉を続ける。

 ――はるか昔、王家の派閥争いの発端こそがあの“生命の樹”だった。
 聖なる森から王家へと奪われたあの樹は国の支柱へと据えられ永く王家はその恩恵を受けきた。
 その代わりに差し出す女神への絶対信仰。
 しかしそれは永い時の中で薄れ女神の力は及ばなくなってきている。
 女神が民を見離したのではなく、民が女神への信仰を置き去りにしてきたのだ。私欲の為に。

 そして代わりに森へと封じられた“カイン”は失った生命の樹によって均衡の崩れた森を制御し、いつしか森の王と呼ばれるようになった。
 しかし彼の持つ資質は生命の樹とはおよそ真逆。結界の作用もあり森はいつしか魔の森へと変貌を遂げた。

 そうしてゆっくりと、この国を蝕み始めた。 
 本来ならそこは聖域であったはずなのに――


生命いのちの樹の元――果実を森に返さなくてはなりません…森の王に届けるのです。まだ、間に合う内に…本当にこの国が滅びてしまう前に」


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