夜伽聖女と呪われた王子たち

藤原いつか

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最終章

いのちの灯

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「――わたしには無理だよ、ブラン」


 すべてを託して消えようとしているブランに、セレナは自分の思いを告げる。
 その時のセレナのなかには答えなどひとつしかなかった。
 重なり合った手からひいていく熱をセレナは必死に繋ぎとめる。

 彼の言う通り自分たちは死に損ないだ。それでもまだこうして生きている。
 彼の決意と自分の決意は別のものだろう。そう容易く受け取れるものではない。

「わたしはもう何にも縛られたくない。これからは自由に生きるの。そういうのは、やりたい人に任せることにする」

 もう自分の身体を支えることすらかなわないのか、膝を折って傾きかけていたブランの体をセレナが抱きとめて、なんとか地面に体を横たえる。
 仰向けになったブランは眩しそうに目を細めていた。遠い空はまだ薄暗いのに。

 彼はもうすべて終わる気でいるけれど…心からそれを望んで勝手に旅立とうとしているけれど。
 それを黙って見過ごせるほどお人好しではない。そんな抱えきれないもの大き過ぎるし重過ぎる。ようやくすべての荷を下ろせたというのに。

「このままあなたを見送ったら、きっとイリオスに怒られる。そんなの嫌だし、それにエレナにはなんて言えばいいの? エレナはきっと、あなたに会いに来たんでしょう…?」
「…エレナ…」

 そうだった。自分がこの場所に彼女を呼び付けた。
 その目的の為に彼女に頼みごとをして、こんな危ない場所ところまで。

 最後ならイリオスではなく彼女に触れておけばよかったと、こんな時にそんな事を思った自分に小さく笑う。
 その声すらもう出なかったけれど。

「疲れてもう休みたい気持ちも分かる。でも。本当に愛しているなら、ちゃんと最後まで見届けて。――おにいちゃん、なんでしょう? みんなの」

 力が抜けていくだけだった手の平がぴくりと動く。その手をぎゅっと握ってセレナは笑った。体はなんて正直だ。
 迷う心があるならまだ大丈夫。セレナはそれを知っている。
 人は確かに死にたがりだけれど、最後に捨てられないものが多いひとのほうが、いつだって強くて美しいのだ。

 棺の上に置かれていた青い果実をセレナは震える手で手にとった。必死に齧り取ったその一口を指先でブランの口に押し込む。
 誰も彼もみんな勝手だから。自分も思うようにする。
 彼に死んで欲しくない。

 呑み込んで、そう願う。
 けれどゆっくりと彼の瞼が閉じられていく。
 それをどうするかはもうブラン次第だった。


「あなたの魂もこの体も、最初から全部あなたのものなんだよ。ブラン、もう一度だけ、生きてみて」


 その瞬間に、世界が真っ白な光に包まれた。
 それはすべての終わりと始まりを引き連れて、遠くの空まで照らす光。
 すべてを許したくなるような、許されるような光だった。


 終りはなんてあっけないのだろう。
 一瞬ですべって攫って真っ白にして、そこにはもう何も残っていない。
 もうここには無垢な魂が彷徨うだけだ。遠くの空が、明けていく。

 自分たちの身を蝕んでいた“呪い”も“魂”ももうここにはない。
 あるのはたったひとつ、自分のこの身と生まれ持った魂だけ。


 だからきっと、最後まで。
 手離せないんでしょう? 自分の生を生きることを。


 涙に言葉は溺れてしまった。

 それから茨の壁の向こうで人の気配と声がした。
 自分の名を呼ぶ声にじわりと浮かぶ涙に視界が滲む。

 エレナの悲鳴のような叫び声。いくつもの気配が近づいてくる足音。
 涙に暮れたエレナがブランの傍らに縋り付く。セレナも必死に涙を堪えてそれを見つめた。

 こんな結末はきっと誰も望まない。
 それでも瞼を伏せたままのブランは一切反応を示さない。
 エレナの涙がとめどなくブランの頬を濡らしていた。

「…ブラン」

 僅かに距離をとった先でイリオスがその結末を見ていた。
 見上げる顔は翳っていていまどんな表情かおをしているのかはわからない。

 森の夜が明けていく。東のほうからゆっくりと。
 差し込む光がすべてを明るく照らしていた。
 まるでお伽噺のエンディングのように出来過ぎた瞬間に思えた。

 いつの間にかセレナの傍でゼノスとノヴァが寄り添いその肩を抱いてくれた。
 そのことにようやく気付いたセレナの目からも涙が零れる。
 もう自分には何もできない。それがこんなにも哀しいことだなんて知らなかった。
 見送り残される側の気持ちをいま初めて知ったのだ。

 エレナの隣りに膝をついたイリオスが、ブランの顔を覗き込む。
 静かに瞼を伏せる自分と同じ顔。唯一違うと思っていた僅かに色の異なるその瞳が見えないとまるで本当に自分がそこでそうしているようだった。
 自分なら、良かった。そうするつもりだった。彼の代わりに自分が死ぬつもりだったのに――

「君が、居なくなっても…僕はもうひとりでも生きていけるかもしれない。でも」

 いつからかもうずっと、ブランはイリオスに応えなくなっていた。
 身勝手に自分の思う時だけ呼びかけて、イリオスに成り代わって爪痕を残していく。
 その意味が今なら分かる。きっとずっと前から決めていたのだろう、この結末を。
 ――ひとりで。

「できるならまだ、君と居たい」

 双子として魂と肉体を分けた自分たちは、もとはひとつだったかもしれない。
 理不尽に生き方を分かたれた運命をずっと許せずに居た。その痛みすらも自分のもののように思えていた。

 だけど自分たちはもうずっと、別々のひとりの人間だったのだ。
 歩む道は別で良い。
 生きているだけでそれが希望だ。


「君と、生きてみたい……兄さん」


 一粒だけイリオスが涙を零す。
 その時、こくりとその喉が鳴り、一瞬遅れてブランの体が小さく動いた。

 傍らのエレナがはっと顔を上げる。涙で暮れた瞳でその顔を覗き込んで名前を呼んだ。
 誰もがごくりと唾を呑む。

 それからゆっくりとその瞼が持ち上げられた。
 笑った顔はどこかイリオスと似ていて、だけどまったく別の人のものだった。


「…仕方のない、子たちだね」
「…ブラン……!」
「また、死に損なっちゃったよ」

 囁いてブランはイリオスと目を合わせ、それから傍らのエレナにも視線を向ける。
 そっと伸ばした手をエレナが泣きながら握った。
 まるで夢物語のような光景だった。
 セレナの記憶の中では男女の配置が逆だった気がするけれど、こういう物語もきっと悪くないはずだ。


「おはよう、聖女さま。迎えに来てくれて、ありがとう」
 




 森が光を湛えている。
 世界が新しい日を迎えている。
 そこに命の欠片が芽吹いていた。


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