夜伽聖女と呪われた王子たち

藤原いつか

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最終章

光の導

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『――魂はどこへ還るのかしら』


 彷徨う無数の光を哀しそうに見つめながら、セレナがそう口にした。

 もはやそれは彼女の日課だった。何度止めてもききやしない。
 無力な自分を嘆いていたのははじめだけ。今は何かを考えながら見送るその横顔を見つめる。

 自分がこの森に追放されて以来――浄化のもとであった生命いのちの樹を失った森は日々穢れを溜め込んでいる。
 加えてここにはいくつもの魂が辿り着く。表に捨てられた主に双子の魂以外にも、魂を持ったまま迷い込んだ者が彷徨う場所。
 今日もまたそうしてひとつの魂が森へと呑み込まれてきた。

 いつしか森の外で“魔のモノ”と呼ばれるようになったモノたちは、その殆どがもとはこの森に捨てられた赤子の魂だ。
 自分の魔力でもって変質を抑えてきたけれど、広大な森のすべての監視は時折粗が出る。
 魂の不純を除き森に住まわせるのには膨大な時間が要る。その制御をすべて自分ひとりでしてきた。

 もともとの森の性質と王家が張った結界、そして自分という異質な存在の作用によって森事態が変質的な場所となってしまっている。
 自分の制御下を離れた魂が外で何をしているか知っていてももう対処のしようがなかった。
 〝外”の人間に任せるしかない。“表”の王家がどれほどその事実を把握しているのかも分からない。

 それでも森は日々彷徨う魂で溢れかえっていた。

『この子たちは皆、おかあさんお元へ帰りたいのかしら』
『…どうだろうね。ぼくには母が居なかったから分からない』
『わたしも居なかったけれど、あなたはおそらく想像力が足りないんだと思うわ』
『…きみ最近まったく遠慮がなくなったよね、いいけどべつに』

 くだらないやりとりにも彼女はおかしそうに笑う。自分の反応のひとつひとつに愛おしそうに。
 自分には大事な感情が欠けていて、そしてそのまま人の身すら捨てたと思っていた。
 だけどきみが教えてくれた。繋ぎ止めてくれた。まだ自分が人であるということを。

『わたしが本物の聖女だったら良かったのに…』
 
 気まぐれに出した自分の要望に従いこの森に捧げられた少女。
 結界の内側に連れてこられた魂は、決してここから出ることはかなわない。
 いずれ収まりきらなくなることは明白だった。その時国にどのような報復が返るのか。
 ルシウスは特になんの感慨もなくその事実を見守ってきた。

 何百年も前にひとりこの森に残されてから、どれくらいの時が経ったのかもはや覚えていない。
 だけどおかしいことに物事は朽ちていく性質なのだろう。
 流石の不変もこの森にはなかった。ゆるやかに自分の肉体も死へと向かっている。
 だから気まぐれに伴侶を欲した。永年自分を封じている王家がまさかその要望に応えるとは思ってもみなかったけれど。

 それでも彼女と自分の生きる時間は違う。間違いなく彼女のほうが先に逝くのだろう。
 だけどこの森は魂を逃さない。おそらくセレナの魂は自分の傍で在り続ける。

 ――それは、倖せなのだろうか。
 わからない。自分はもうとっくにまともな人間ではない。人間なんて呼べない。
 では自分はいったいなんなのだろう。

 やがて自分の死ねば永遠に、セレナと共に居られるのだろうか。
 行き着く先はきっと違う。だけどここでなら、永遠を分け合える。

 だけどきみはそれを望まない。きみの望みはいつだってひとつだった。
 ぼくはきみが聖女でなくて良かったと思っている。
 だって聖女の魂は女神のもとへと還っていくものだから。


『あなたはきっと怒るだろうけど、この子たちはもうわたしにとって、自分の子どもみたいなものなのよ。何もしてあげれなくても…ずっと傍に居てあげたかった。もしくはその魂のあるべき場所へ、還してあげたい』

 彼女の体の終りが近づいていた。
 ぼくの愛したただひとりの聖女。
 哀れな魂に慈悲の心を砕く彼女を聖女と呼ばずしてなんと呼ぼう。
 きみは紛れもなくその心で孤独だったぼくの心と魂を救ってくれた。 

『…セレナ。約束する。この結界は必ず壊す。そしてこの子たちの魂は必ず解き放とう。だからセレナ…置いていかないで。ぼくの傍に居て。ひとりじゃもう、この森を治めることもできないんだ』
『何言ってるの、いつもはあんな強気なくせに。それにあなたはもう、ひとりじゃないわ』

 ――きみが居なければ、何の意味もない。

 きみの望みを叶えたい。だけどそうしたら永遠の別れになる。
 それがこわくて哀しくて、きみの魂を繋ぎ止める術に“約束”を使った。

 この血にきみの魂を繋いだ。決して忘れないよう、離れないように。
 そうすればいつかまた巡り会えると思った。

 だけどきみの体を置いてもいけないぼくは、せめてその魂を外の世界に繋ぐことにした。
 同じ血を分けたかつての兄弟たちの血へきみの魂が受け継がれていく。ぼくの増悪と共に身を焦がして。

 そうしてゆっくりとこの体すらも失って、だけどきみとの約束の為に森の王としてここに在り続けた。
 彷徨うこどもたちをいつかあるべき場所に還す為に。

 だけど、もう。
 すべてが終わりに近づいていた。



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『――ちゃんと守ってくれたのね』

 懐かしい、声だった。

 少し呆れたような泣き出す手前のような。だけど最後はいつもすべてを包み込んでくれる穏やかで優しい声。
 その姿を探すけれど見つからない。ただ声だけがどこからか聞こえる。それとも自分の視界がもはや機能を果たさなくなったのか。
 それどころか自分が今どこに居るのかも分からない。

 永い永い時の中、その魂も意義も約束さえも磨り減って、魂の原形さえ留めておけず。
 誰かの体を依り代にすることでしか自分の役目も望みも全うできなくなっていた。

 その依り代の体に誰かが触れている。自分に触れる相手なんてひとりしか居ない。
 眩んでいた世界が色と輪郭を取り戻していく。 

 生まれたばかりのように拙い感覚を頼りに身を起こすと、そこには最愛のきみが居た。
 遠くで木々のざわめくそこは、懐かしい記憶の森だった。

 ――おかえり。
 ぼくらやっと、帰ってこれた。

 ずっとずっと探していた。
 どうしてきみは、ぼくの所から居なくなったんだっけ。

 だめだ、思考がもう、定まらない。
 それなのにきみのことだけは最後まで待ち続けていた。冷たい棺を抱きながら。

『あなたって本当に、ばかね。ルシウス』
『…きみには言われたくないな』
『やっと会えた』
『…そうだね、セレナ…』

 木々の隙間から降る木漏れ日にきみが目を細める。
 薄暗い霧の晴れた森が水と光を吸収してあちこちできらきら輝いていた。
 これは自分の記憶だろうか。それとも森の、記憶だろうか。

『ずっときみに、訊きたかったことがある』
『私もあなたに言わなければいけないことがあったの。ようやく思い出せた』

 森に彷徨う魂たちがゆっくりと出口へといざなわれる。そこにもう阻む壁はない。光のしるべが降りていた。
 穢れてカタチを変えたモノもいずれ森の浄化を受ければもとの魂に戻れるはずだ。救いは等しく誰にでも訪れるものだから。

 その中でひとつだけ、ふたりに寄り添うひとつの魂があった。

 ルシウスが泣き出しそうに顔を歪める。言葉にしきれない問いと、先回りして答えるセレナの声も震えていた。
 セレナはそっとその頬に両手を寄せる。苦笑いと共に涙が零れた。今ならようやく触れられる。

『そうよ、私たちの子よ、ルシウス。言ったでしょう、やってみなければわからないって。私の体がたなくて、ちゃんと迎えてあげることはかなわなかったけれど…大丈夫、また。巡り会えるわ。そうしたら…』


 森で生まれたその命は、始まることもなく終わってしまったけれど。
 ようやくすべてを抱き締めることができる。
 永かったふたりの時が終わる。


『今度こそずっと一緒よ』 



 眩いくらいに膨らんだ白い光が森と空いっぱいに溢れて爆ぜた。

 誰に見送られることもなく
 その魂は光に溶けて消えていった。



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