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閑話

夜のまにまに

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「――エレナは?」

 着席して開口一番そう口にしたのは、アレスだった。

 アレス・フィラネテス。この国の王位継承権第二位をもつ王子だ。
 赤い髪と赤い瞳。誰もが認める美青年だが、その性格は短絡的で直情的だ。
 伸ばしたままの長い髪は後ろでくくられ、彼が颯爽と歩くと赤い残像が残るほど鮮烈な赤が印象に残る。
 
 王族の、しかもごく一部の関係者のみが集められたこの部屋で、一番最後に着席したのがアレスだった。
 西の森の魔のモノ討伐から戻ったばかりで、帰城の予定より遅くなっての出席となったのだ。アレス以外の参加者は、既に席について待っている。
 不規則に開催されるこの場は、重要な議題がない限り設けられない場だと、この場に居る誰もが知っていた。

 アレスは王族の中でも軍を抜く剣の使い手だ。国軍に所属する騎士団にも籍を置き、時間を見つけては団員と剣を交えている。討伐隊や国境の遠征部隊にも率先して参加し、着々とその戦果を挙げてきた。
 フィラネテスの国内情勢は芳しくない。魔の森と呼ばれる西の森より流れ込む瘴気が年々その密度を増し、国民の生活への影響や被害が深刻になってきている為だ。
 数年前までは境界を越えることのなかった魔のモノたちが、近隣に住む民を襲うようになり死者まで報告されている。国民を護る砦が必要とされた。
 そこで結成された討伐隊を、まさに率先して率いているのがアレスだった。そしてその遠征頻度は日に日に数を増している。
 なのでアレスは疲れていた。機嫌もあまりよろしくない。それでもこの場に参加しないという選択はなかった。
 そんなアレスの問いかけに返事を返したのは、一番上座に座っていた人物だった。

「今日は体調が優れないらしい。部屋で休んでいるよ」
「なんだ、久しぶりにエレナの顔が見れると思って、わざわざこんなクソつまらない会議の為に、急いで帰ってきたのに」

 どかりと背もたれに体重を預けながら、アレスがその赤い髪をがしがしとかいて髪を乱し、長く息を吐く。それからテーブルの上に用意されていた、腹には溜まらない果実酒をいっきに煽り不満顔を晒した。
 王子たる振る舞いには欠けるアレスにいつも小言を言う宰相は、この場にいない。
 今この場に居るのは五人だけ。

 エレナとは、この国の窮地に現れた、聖なる少女の名前だ。
 数日前、アレスが遠征に出る直前に国王陛下および神官長よりその信託を受け、そして国民にもおひろめされたばかり。それはそれは盛大な儀式セレモニーだった。この国の憂いを吹き飛ばすような。
 アレスはそこで聖女の加護を受ける一番さいしょの王族として選ばれ、そして加護を受けた。
 透き通る肌と白銀の髪。穢れを知らないその瞳。アレスの心はあっという間にエレナでいっぱいになった。

「そもそも、エレナは親族でも関係者でもないからね」

 やんわりと。そう諌めたのは、この場において最も発言権のあるイリオス。
 イリオス・フィラネテス。この国の第一王子だ。
 いつも穏やかな表情を浮かべるイリオスの、荒げる声をここに居る殆どの者は聞いたことがない。

 聡明なこの兄は、いつも物静かに笑うだけ。アレスはそんな消極的な兄が時々疎ましい。
 兄には国を治める才はある。国民からの信頼も厚い。間違いなくイリオスは、国王の座を継ぐべき存在だろう。
 だけど自分にはこの国を導く才があると、アレスは心から思っている。
 国は今危うい状況だ。ただ城に居て笑うだけでは駄目なのだ。道を切ら拓く王が、この国には必要だと。
 城内にも城下にもそう思う者が少ないことを、自分はきちんと知っている。

「だけど妃になるんだろう? エレナは。兄上の一番の花嫁候補だと、そう噂されていることくらい俺たちも知っている。だったらそろそろ俺たちの秘密を知っておく必要があるだろ。それに…エレナなら、俺たちのこの痣も――」
「アレス」
「…っ、兄上にその気がないなら俺にその権利を譲ってくれ…! 彼女が聖女として現れその加護を受けた時…俺は確信したんだ。彼女なら…エレナならきっと、俺たちの呪いも…!」
「…彼女は聖女ではない。きみは彼女の加護を受けてすぐに遠征に出てしまっていたから、陛下の本意を知らせる役は僕が承った。彼女には確かに、浄化の力がある。しかし彼女に、僕たちの呪いは解けない。父上も了承済みだ」
「……!」

 思わず言葉を失うアレスに、イリオスはそっと視線を伏せる。
 いつも自分の心に真っ直ぐで、燃え盛るように熱いアレスの瞳は、言葉は。イリオスにとって眩し過ぎるのだ。
 アレスから視線を外し、イリオスはテーブルに座る他の者たちへと向き直る。
 時間には限りがあるからだ。

「今日の本題にはいろう。エレナは僕たちにとって聖女ではなかった。だが――“本物の聖女さま”が、見つかったらしい。ただしくは召喚の儀に成功し、今この城の離れに居るとのことだ。僕たちの呪いを解く、“夜伽聖女”が」
「…!」

 イリオスの言葉に、それまで上の兄弟の会話にはまるで無関心だった他のふたりの王子も思わず顔を上げた。
 第四王子のゼノス・フィラネテス、そして第五王子のディアナス・フィラネテスだ。第三王子の座は、空席である。

「…まさか、そんなあれは…伝承に、過ぎない儀式だったのでは…」
「夜伽聖女だなんて、そんなの…国に伝わる御伽話みたいなものでしょう? しかも王族の間にだけ」
「だが、事実だ。陛下と、そしてルミナス殿の裁定のもと、聖女として認定された」

 ルミナスは、国が抱える神官たちの長だ。しかしながらその立場はあくまで中立で、民との間に立ち神事や儀式の一切を取り仕切っている。
 今回の聖女召喚の儀も、彼らのもとで内密に執り行われた。ただしくは、毎回。成功に値するまで、王子たちの耳にはいれてこなかっただけだ。――イリオス以外。
 
「――ノヴァ。立ちなさい」

 静かに命じた、イリオスの言葉に。
 テーブルの一番端の席に座っていたノヴァが、無言で立ち上がる。

「…なんでこいつが、ここに居るんだよ」

 あからさまに不快を顕わにしたのはアレスだった。ゼノスもディアナスも特に反応は示さない。ふたりが部屋にはいった時から既に、ノヴァはこの部屋に居たのだ。
 この場に呼んだのは他でもないイリオスだ。いつも兄弟四人だけだったこの場に、ノヴァを呼んだのは。

「皆に、見せてあげなさい」
「…承知しました」

 ぺこりと、礼を欠くことを先に詫びるおじぎをし、それからノヴァが自らの衣服の紐を解く。上半身だけだけれど、それで充分だと知っていた。
 他の兄弟たちの動揺する気配にノヴァはびくともせず、自身の身体を顕わにする。
 蝋燭の明かりがその白い肌を夜の気配に浮かび上がらせた。

「……まさか」

 そう、零したのは。意外にもゼノスだった。
 いつも目深に被ったままのフードを自ら下ろして、晒されたノヴァの肌を食い入るように見つめる。
 アレスはみるみる顔色を失くし、ディアナスは一番最初に目を逸らした。

「ノヴァの身体の呪いの痣は、皆一度むかし見ているはずだ。その呪いを、あるいは血筋の証を確かめる為にその目で。そしてこれが、夜伽聖女の御業だ」

 宣言するように放つイリオスの言葉に、ノヴァはぐっと奥歯を噛みしめた。
 それからイリオスの翳した手に、衣服を整える。
 最初からそういう、算段だった。

「…さて。これから僕たちの、夜伽の順を決めなければならない。誰から彼女の、夜伽を請うか」


 大事なことは、いつも。
 闇の中だ。イリオスは知っている。
 だから僕たちは夜をおそれるのだろう。

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