夜伽聖女と呪われた王子たち

藤原いつか

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閑話

憂いの聖女

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「――どうして、殿下は…私を寝所に、呼んでくださらないのかしら」

 小さく零した呟きを、受け止めたのは幼少期から彼女に仕える侍女のナナリーだった。
 用意された豪華な部屋のベッドの上で、ナナリーの主であり友でもあるエレナは、寝間着姿でうつ伏せに寝転がっている。
 眠る準備はとうに終わり、眠れないという彼女の為に寝つけのホットミルクを持ってきたところだった。ひとさじの蜂蜜をいれたそれは、彼女の好物だ。

「…エレナ様。ここに来たお役目をお忘れですか」
「忘れていないわ、でも。司祭様も国王陛下もそのつもりで私をここに呼んだんでしょう? 国民にも祝福されたわ」
「…まだ、時期じゃないと。そうお考えなのかもしれません。この国は今とても危うい状況です。国民を脅かす瘴気に生活を侵す魔のモノ。兵士達まで討伐隊にまわされ国の兵力が削がれている今、隣国からは常に注視されています」
「大丈夫よ、また、私の力で…」
「あれは神官長殿の力添えもあったのです。あなたの力はまだ、聖なる浄化には及びません。国王陛下はそうして大々的にあなたをこの国の救世主として仕立てあげ、一時だけ国民に希望を示してみせたのです」
「…そんな…私の力は、あてにはできないということ?」
「今はまだ、です。大丈夫、エレナ様のお力は、紛れもなくこの国を救うお力です。その真価を示せば王子殿下もきっと…あなたを受け容れてくださいますよ」
「…そう、かしら…この国に来て部屋を与えられてから…殿下は殆ど、顔を見せてもくださらないわ」

 人里離れた深い山奥の修道院で、エレナは聖なる巫女の血をひく血統として大事に育てられてきた。
 最低限の安住とほんのわずかな自由と友だけを与えられ、日々祈りを捧げ身を清める毎日。それだけがエレナの世界のすべてだった。
 だけど幼い頃から周りの大人たちに、自分の役割を教え込まれてきた。何度も何度も、だ。

 やがてその身と力を以て、この国の王子の子を産むと。そうしてこの国を導く存在になるのだと。
 父や母はいなかったが、大人たちの言うことは絶対だ。幼かったエレナはただ頷いてすべて委ねて生きてきた。
 いつか、王子さまに会えるのだと。そう夢みて。変わらない毎日の中の僅かな希望。
 その人は自分を愛してくれるだろうか。ちゃんと迎えに来てくれるだろうか。
 ――そうして先日、その時が訪れた。
 王子さまが現れたのだ。エレナの前に。

 この人の子を産む。それが自分の役目。
 そうして私は――その後は?

 ふいに今まで考えてこともなかった疑問に胸がざわついた。
 今まではその先のことなど考えなくて良かった。ただ呼ばれる時の為だけに、身と心を神に捧げ清めてきた。
 だけど、今は。

 手渡されたカップの中に映る乳白色の自分がゆらゆら揺れる。
 突然湧いた不安をふり払うように、ほどよく冷まされたそれを一気に煽った。
 蜂蜜の甘い口どけに思考も解かされる。考えていたことが全部どうでもよくなってくる。

 自分の今の役目は、この国にとって救いの象徴である聖女を、演じること。
 今は仮初でもその内きっと、瘴気を払い穢れを浄化できる力はこの身に宿るはずだ。
 そうして役目を全うしていればいずれ、殿下の心は自ずと自分に向くだろう。
 私はその為にここに、呼ばれたのだから。

「さぁ、もう休みませんと。明日はお役目の日。城下におりて国民に聖女エレナさま慈愛の心を示さないといけません。王都で一番大きな修道院で、歓迎の場が設けられるそうですよ。楽しみですね」
「そうね、そうだわ。ご馳走もあるかしら。甘い果物のお菓子も。ふふ、楽しみだわ」
「…ほどほどに、してくださいませね」

 彼女が居た修道院では、甘いものは禁止だった。贅沢も許されない。着る物も食べ物も、すべて必要最低限のみ。年頃の少女が楽しむ娯楽もない。
 それに比べたらここは天国のようだとエレナは思う。ふかふかのベッドに煌びやかなドレス、食事やお菓子もまるで違う。希望すれば内密にだが、観劇にも連れていってもらえるという。
 身の回りの世話をしてくれる侍女も、共に山を下りたナナリーの他に部屋仕えの侍女が三人も居る。常に清潔に保たれる部屋。何より部屋についていた専用のお風呂がエレナのお気に入りだ。
 修道院では湯浴み程度。浴槽にゆっくり浸かること等そうそうあり得なかった。
 おかげでエレナはここ数日で、その身に纏う輝きが心身ともに増している。宰相さまも大臣さまもそう褒めてくれる。

 修道院の大きな後ろ盾は王家だ。だけど血筋の薄れと共に浄化の力は弱まり存在の意義を見失いつつある今、今の王家に遥か昔ほどの情は無い。
 先行きの見えない生活に、山を下りる者たちが居ることも知っている。エレナでその血筋は途絶えるだろうと思われてきた。
 ――あの王子が、目の前に現れるまでは。

「…大丈夫ですよ、エレナ様。きっと王子殿下は、あなたを選んでくださいます。…きっと」

 子守唄のように耳元で、ナナリーがささやき夢へと誘う。
 途端にとろとろと意識は崩れ、エレナはふかふかのベッドにその身を沈めた。

「あなたを本物の、聖女にして差し上げますからね」

 幼い頃から聞きなれた声。
 その声音の孕む不穏な響きは、エレナに届くことなく闇夜に消えた。

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