夜伽聖女と呪われた王子たち

藤原いつか

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第四章

暁色の王子

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 夢を見ていた気がする。だけどどんな夢だったのかは思い出せない。
 体調はまだ安定していることから夜明け前のようだ。
 束の間の安息に寝返りをうつ。ベッドがやけに広い気がした。だけどどうしてそう思うんだろう。
 考えないように、気付かないようにまた、目を瞑る。

 薄い意識の片隅で、ルミナスとの会話が反芻された。
 国王陛下が、ノヴァのお母さんと関係を持った理由をルミナスは分からないと言っていたけれど、わたしはその理由がなんとなく解る気がした。
 一度だけ会って言葉を交わした時の、陛下の顔が思い起こされる。
 あの日…それを問うたわたしに、陛下が返した答え。
 限りある夜伽のなかで、誰を優先させるか。誰を、選ぶか。

 国王陛下が選んだのは、ノヴァだった。

 きっと彼は彼女を愛していたんだと思う。
 自身の立場や責任や常識や理性など、何も敵いはしなかったのだろう。
 実際のところは訊いてみなければ分らないけれど、訊いたとしても本人は、きっと一生口にしないだろう。真実こたえなんて永遠に、わからないのだ。
 それが彼の、覚悟だから。

 少しだけ、羨ましいと思った。
 それほど誰かに愛されることも、愛することも。

 そうしてノヴァは、生まれてきたのだ。


 ――あぁ、そうだ。すっかり言い忘れちゃった。
 わたし、この世界でちゃんと。生きてくことに、決めたんだよって。
 ノヴァはわたしの、なげやりなところしか知らないから。諦めた部分しか、見せてこなかったから。たぶんそうして気をひきたかったのかもしれない。
 だから傍に居てくれたのだろうか。
 ノヴァの気持ちは、ノヴァにしか分からない。
 わたしは自分の気持ちすらも、わからないのに。

 …結局思い出して、泣いた。
 目覚めたらやっぱり、ひとりだった。


------------------------------


 夜明けの苦痛にひとりで耐え、時折様子を見にやってきたルミナスといくつか言葉を交わした気がする。
 なんとなく意識は朦朧としていて、だけどそのお陰かあまりノヴァのことを考えずに済んだ。

 ひとりで湯を浴び軽い食事を済ませ、ルミナスが用意してくれた服を着る。
 わたしの要望の通り、ひとりでもきちんと着こなせるもの。前回のよりも簡素で、だけど品のあるワンピース。
 フリルやリボンがあるものもルミナスは用意してくれたけれど、好みではないので丁重に断った。だけど半ばむりやりクローゼットにしまわれた。多分わたしは、着ない気がする。

 背中あたりで不揃いに揺れる髪に櫛をいれて、どうしようか迷ってそのまま流した。なるべく肌を出したくなかったし、髪を上げるには気持ちも追い付かない。
 それでもふとゼノスを思い出して、心の中で白い蝶を思い浮かべると、ルミナスの言っていた通りうす闇から蝶が現れた。そして差し出したわたしの指先にとまる。ゼノスに頼みたいことがあったのだ。

 ちょうど様子を見にきたルミナスに頼んで、ゼノスへの文字を代筆してもらった。
 ゼノスの部屋にある、先の聖女に関する記録。それをわたしも読みたかった。なのでそれを貸して欲しいと頼む意志を伝える。
 わたしの要望を聞いたルミナスは一瞬複雑そうな顔をし、それでも文字に起こしてくれた。蝶の羽に文字は吸い込まれ、やがてまた白い軌跡だけを残して暗闇に消えていく。
 それを見送ってからルミナスが、持っていたベールを差し出した。

「頼まれていたものよ。これは前のと違って術も何もかかっていない普通のベールだけれど…良いの?」
「うん、ありがとう。前のはゼノスの部屋に置いてきちゃったの。その内とりにいくから」

 姿隠しのベールと見た目は殆ど同じ、黒いベール。
 顔や姿をなるべく隠したいという最初の要望は、もう殆ど諦めていた。今日が対面だけで済むのかは分からないけれど、どちらにしろ夜伽を望まれたら意味などなくなる。
 それでもせめてもの気休めに、ルミナスに頼んだのだ。
 それから用意を終えたわたしの肩に、ルミナスがそっとその両手を置く。まるで母親の諭のように、真剣な表情かおで。

「これだけは覚えておいて、良い? 貴女にも身を守る権利はあるわ。嫌なことはきちんと嫌と、相手に伝えること」
「…うん、わかりました」
「あぁ、何故かしら貴女のその物分りの良さは、何故だか信用できないわ…!」
「ひどいルミナス、素直で良い子じゃない」
「自ら傷つくことなんてないのよ、自分の身は自分で守りなさい。じゃなきゃ…哀しむわ」

 誰が、とは言わず。ルミナスが僅かに顔を歪める。
 わたしはできるだけそれに気付かないふりをして、心配性なルミナスを安心させるようにその胸に抱きついた。
 体が弱かった頃のわたしは傷に障るからと、自分の母親にすらそうしたこともなかったのに。
 抱き締め返してくれるルミナスに小さく呟く。

「…大丈夫、ルミナス。わたしはそう簡単に、傷ついたりしないわ」

 …守ってくれるって言ったのに。うそつき。いつか絶対恨み言を言ってやる。
 心の中でそう零して、まだなお心配そうなルミナスを見送った。
 アレス王子の訪問の正確な時間は分かっていない。ただ今夜この部屋に来るとだけ。あとは待つだけの時間帯だ。

 テーブルの上にあった紙にふと視線を留める。そういえばルミナスに読んでもらおうと思っていたのに、忘れてしまっていた。起きたら紙の上にあった文字の事。
 流石に夜中に誰かが部屋に来たとは思い難いので、おそらくあの蝶が誰かからことづかってきたものだろう。
 だけど薔薇は白いままで、相手が誰なのかもその内容も分からないまま。
 …はやく文字を、覚えなければ。
 そっと、見知らぬ文字に指先を添える。
 ひとりだと思っていた夜に、気付かずとも誰かの心がここにあったことが、少なからず嬉しかった。
 この文字が最悪な内容でないことを祈るばかりだ。

 ――その時。
 コンコンと、部屋にノックの音が響き渡った。
 びくりと反射的に体が揺れる。手に持っていたベールをぎゅっと握って、一度だけ固く目を瞑り。息を深く吸って、吐いて、それからベールを頭から被って扉へと足を向けた。

 確認するようにもう一度、ノックの音。相手は王子というだけあって、返事もないのに扉を開ける不作法はしないようだ。
 そう思うと改めてイリオスの最初の訪問は不躾だったなと憤慨する。今度会ったら絶対文句言ってやると心に決めて。
 「今開けます」と返事をし、それからドアノブに手をかけた。
 
 ゆっくりと内側に、開く扉。
 一番に目に飛び込んできたのは暗闇に紛れることなく存在を主張する、赤の色だった。
 薄いベール越しにもその赤は鮮烈で、思わず目を奪われる。
 わたしを見下ろすその瞳までもが燃えるように赤い色。

 ――アレス王子。
 以前見た肖像画よりも成長した彼は、精鍛さを増した立派な青年だ。肖像画とは僅かに髪型が違っているくらい。伸びた赤い髪を肩元で結っている。
 ただ、その表情だけは。
 警戒心と疑念に満ちた顔をしている。あくまで印象だけれど。

「…取り次ぎ、感謝する。…中に入っても?」
「…どうぞ」

 短く答えて、言葉まで険しいアレス王子に身をひいて室内へと促す。
 わたしの横をアレス王子は無言で足早に横切って奥へと進んだ。すれ違う瞬間に金属音がわたしとぶつかって、漏れる舌打ち。
 内心カチンときたけれど流石にまだ冷静さはある。

 まるで治める意思すら感じられないその殺気立つ様子に、そっとわたしは心の中でルミナスに謝る。
 もう既に、嫌だとは思う。だけどそれは言えない。これがわたしの、役目だから。

 そしておそらく相手も似たようなことを思っているのであろうことがありありと分かる。
 好意的な様子は微塵も感じられない。
 そっと息を吐いてから音もなく扉を閉め、わたしも奥へと向かった。

 許可もなくソファに腰かけるアレス王子に、距離をとったまま声をかける。
 アレス王子はその腰から下げた剣を、下ろそうとはしない。それだけで彼の意思表示には十分だった。

「…何か、飲まれますか?」
「いや、いらない。一応挨拶をしておく。アレス・フィラネテスだ。…“聖女殿”」

 そうか、挨拶。自己紹介。初めて会う相手なのだから当たり前だ。
 やはり自分も、緊張している。
 冷静にと自分に言い聞かせるけれど、知らず鼓動ははやくなった。

「…セレナと、申します」

 ノヴァとも、イリオスとも、ゼノスとも違う。
 この人は今までの誰とも違う。
 当たり前に突き付けられるその事実に、やはりわたしはどこかで考えが甘かったんだなと思い知る。

「…どうして顔を隠している? 好都合だが」

 アレス王子は腰を下ろしたままのソファから、距離を空けたわたしを射抜く。
 その赤い視線。身動きもとれずに受け止めて、ひやりと背中を汗が滑った。
 その怯えを気取られないよう、必死に声音を取り繕う。

「…気持ちはあなたと、同じだからです」
「……無礼な女だな」

 わたしの態度にアレス王子の放つ空気が色を変える。
 冷静に、心でそう言い聞かせるもなかなか上手くいかないものだ。
 自然と湧く恐怖と、そして怒りにも似た感情。
 震える拳はどちらの感情が勝っているのものなのかは自分でも分らなかった。

 無礼はどっちだ。
 隠す気もなく敵意を振りまいて、従わせる為の凶器を見せつけておいて。
 今までの誰とも違う。
 彼にわたしの意を汲む意思はまるでない。
 
「身勝手にわたしを使うひとの、顔など見たくもないからよ」
「……それがお前の役目だろう。得体も知れない女を抱く気が起こるか心配だったが…顔が見えなくて都合が良かった。そうしていれば…背格好は似ているものだな。彼女に見えなくもない」
「…? なに、を」

 不穏なその気配にわたしが思わず一歩下がるのと、立ち上がったアレス王子が一瞬で詰め寄りわたしの腕を掴むのが、ほぼ同時だった。
 容赦なく掴まれた腕を思い切りひかれて、あっという間にベッドに放られる。

「クスリでも使おうと思ったが、及ばず済みそうだ。声は出すなよ、体だけあればいい」
「…!」

 ぎしりと、ベッドが鳴る。それから近づく気配と絹擦れの音。重なるように金属音。腰から下げられていた剣は、枕元へと置かれた。
 さっと血の気がひいて、一気に現実味を帯びる身の恐怖。
 声を、出さなければ。これでは強姦と一緒だ。
 わたしの意思など、気持ちなどまるで。

 反射的に逃げようと動いた体を、アレス王子が片手で捕まえて組み敷いた。
 頭の上で両腕を掴まれ体はもう片方の手で押えつけられて、身動きはまるでとれなくなる。
 どくどくと血が騒ぐ。耳鳴りがして距離感を見失い、近くで見下ろすはずのアレス王子がとても遠い場所に居るように感じた。
 だけどすぐ傍に迫る恐怖を肌で感じて鳥肌がたつ。

「…やめ、て…夜伽を…拒否をする気は、ないの。だけど、無理やりは」
「これが俺の責務だ。お前はただ、その体だけ差し出せばいい。この国の為、そして俺の為に」

 アレス王子の翳した手に、部屋の蝋燭が消されて暗闇に包まれた。この人も魔法を使えるのかと、追い打ちをかけられた気持ちになる。わたしの武器は、殆どない。

 わけも分らないままわたしは体勢を変えさせられ、うつ伏せにされた。それから後手に手首を布で縛られて、その痛みにきつく目を瞑る。
 いっそ抵抗しない方が、守れるものは多い気がした。それは一種の現実逃避にも近い逃げだけれど。

 背後で衣服を脱ぎ捨てる音。それに奥歯をきつく噛み締めた。


「…兄上に訊き忘れたな。何度抱けば、俺の呪いは解けるのか…彼女を抱ける、清らかな身になれるのかを」

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