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第五章
月夜の逢瀬
しおりを挟むシンシアに貸してもらった靴は、セレナの足にぴたっりと馴染みとても歩き易かった。
それからシンシアに連れられて食堂へと案内される。
食堂は明かりに溢れ見渡すほどに広い場所だった。桁組の天井と、両側の壁にはそれぞれ尖頭アーチ型の高い窓が並んでいる。
それから天井近くの高い壁にはステンドグラスがはめ込まれていた。昼間、日の光に照らされるそれはどれほど綺麗なのだろう。思わずセレナは息をつく。そんなセレナにシンシアはくすりと笑みを漏らして先へと促した。
「セレナ! こっち、サラの隣りにきて…!」
並べられた細長いテーブルの真ん中に居たサラが、セレナの姿に立ち上がり大きく手を振る。その隣りはひとり分の席が空けられていた。
サラの言葉とセレナの登場に、食事をしていた子どもたちの視線が一斉に向けられる。
思わずたじろぐセレナの腰にシンシアがそっと手を添えて、サラの隣りの席へと導く。
「サラ。食事中は私語を慎むように。話は後から、先に食事を済ませましょう」
子どもたちばかりだと思っていたけれど、大人の姿も何人か見られる。その内のひとり、白い修道服に身を包んだ女性に嗜められて、サラは口元を押えて椅子に座り直した。
それからその隣りに腰を下ろしたセレナに、サラの輝きに満ちた視線が向けられて、セレナも苦笑いを返す。だけど会話は控えた方が良さそうなので、目の前の用意されていた食事に向き直った。
「彼女はシスターのアリシア。怒らせると一番こわいから気をつけて」
シンシアがそっと耳打ちして、それからセレナの傍を離れたかと思うと、真正面の席に腰を下ろした。
夕食が始まってから時間が経ったのであろう、周りの子どもたちのお皿はもう殆ど空だ。セレナは目の前のスプーンを手にとって、声には出さずにいただきますと、両手をあわせる。更に集まる視線が痛い。
咄嗟にやってしまったけれど、そういえばノヴァにも不思議そうな顔をされたことがあった。食事の前に手を合わせるのはこの世界ではあまりしないようだ。女神と精霊への感謝を述べるのが流儀らしい。
修道院の食事のルールのおかげでその場ででは誰にもつっこまれずに済んだことに内心セレナはほっとして、スープを一口口に運ぶ。まだ温かさの残る、豆と野菜のスープが身に滲みる。寒さにかじかんだ体がほぐれていくように美味しかった。
それから食器の音だけが響く食堂にアルベルトが現れ、目の前の光景に思わず吹き出した。
誰も彼も皆、セレナの姿に釘づけだ。食事を済ませた者たちは皆、突然のその客人に好奇の目を向けてうずうずしている。
その視線を一身に受けるセレナはどこか居心地悪そうに、目の前の食事だけに神経を注いでいる様子が見てとれる。真正面の席に座るシンシアはそれを可笑しそうに眺めているだけだ。
その微笑ましい光景に笑わずには居られない。端の席で子ども達の様子に目を光らせる最年長のアリシアが、そんな司祭を呆れるように一瞥した。最年長と言ってもアリシアはまだ19だ。
アリシアの冷たい視線を受け流しながらアルベルトが、セレナがスプーンを置いたのを見計らって子どもたちに声をかけた。
「皆の食事が済んだようだね。今日はシンシアからの差し入れで、お菓子がある。皆で分け合って頂くように」
アルベルトの言葉で食事終了の合図となり、子どもたちがわっと顔を綻ばせた。
ある者は別のシスターがテーブルに並べたお菓子のもとへ、そしてある者は珍しい客人であるセレナのもとへと詰め寄る。
名前は? その髪はほんもの? どこから来たの? ここに住むの?
次から次へとぶつけられる質問と熱量にセレナは気圧されながら、まともに言葉を発することすら憚られた。
隣りに居たサラが「セレナが困ってる、みんないったんあっちに行って!」とセレナの膝に乗り上げて胸元に抱きつき周りの子どもたちを威嚇するも、誰もきこうとしない。
シンシアはとうとう声を出して笑い出し、最終的には子どもたちの口にひとつずつお菓子を詰め込むことで黙らせた。アリシアが「はしたないですよ」と叱るも、だけど仕方なさそうに笑っていた。
「彼女はセレナ。ここからすごーく遠いところから来たから、私たちとは違うところもいくつかある。だけど皆と変わらない。あまり困らせないように、そして皆が知っているものやことを、分けて教えてあげるんだよ」
シンシアが子どもたちに諭すように優しい声音で説明する。
子どもたちは口の中のお菓子を頬張りながらシンシアの説明に素直に頷いてみせた。
食堂から場所を移して大広間に子どもたちが雪崩れ込み、一時の休憩に思い思いの時間を過ごす。
割り当てられた当番の子どもたちは食事の片づけや就寝の準備におわれ、セレナに詰め寄る子ども達の数は大分減っていた。
それでも一通り挨拶や質問を終えると、サラがセレナをひとり占めすることに誰も文句を言わなくなった。
端に寄せられたソファで体を寄せ合いながら、くたびれた絵本を膝の上に広げる。サラのお気に入りの絵本らしい。読むわけではなくただ頁をなぞるだけ。
「しばらくここに居るの? サラとおなじおふとんで寝る?」
「まだ、分らないの。だけどもう少しだけ、ここに居させてもらえると嬉しいな」
「ずっとここに居たら良いよ! 足りないものはサラのものを半分こしてあげる…!」
言ってその小さな体がセレナに抱きつく。それをそっと受け止めて、それでもセレナは頷くことはできなかった。
長くは居られない。夜が明けたら…朝が、きたら。その身にはまた苦痛が訪れる。そうしたら自分の世話もままならないのだ。
そんな姿をここに居る子ども達に見せるわけにはいかない。
勢いのままに逃げてきてしまった自分だけれど、束の間の自由を得られたことは大きな救いだった。
子どもたちが寝たら、ここを出よう。アルベルトとシンシアにだけはちゃんとお礼を言って。
サラを胸に抱きしめながら、そう決意する。
「…セレナも…サラたちのことが、こわい? …きもち悪い…?」
そうぽつりと呟いたサラに、セレナは思わずその腕に力を篭めてしまった。弾けるようにセレナを呼んでいたその声音が、いまは潜められるように小さい。
それからそっと体を離したサラが、自分の腕の裾を僅かにまくってセレナに見せる。震える手で。
――そこに、黒い痣。瘴気を受け穢された痕だ。
気付かなかったけれどよく見ると、サラの服の隙間からは同じ黒い痣がちらほらと覗いている。そして隠すもののないその頬や首筋には、肌の色と馴染ませた化粧粉の痕。おそらく痣を誤魔化すように、隠す為に塗られたのだろう。
今は薄くなったその下にも、痣が浮き出ているのが改めて分かる。
「……ううん。こわくもないし、気持ち悪くもない。サラはわたしの、恩人だよ」
自らそれを晒したのは、きっと余計に傷つきたくない為だとセレナは悟った。
一種の防衛本能だ。どうせつく傷なら、浅いほうが良い。
セレナの答えにサラはその瞳を濡らす。彼女の傷の深さが垣間見える。所詮自分の言葉は、一時の慰めにしかならない。
セレナはそっと覚悟して、それからサラと目を合わせた。
「…サラ、みて」
言ってセレナは、そっと自分の服の胸元を広げる。言われるがままにそこを覗き込んだサラの、その瞳が大きく見開かれた。
セレナの肌を蠢く黒い痣。サラの体にあるものとは似ていても異なるそれ。
サラが咄嗟に息を呑み両手で口元を覆い、セレナを見上げる。
「…みんなには、内緒ね」
言って小さく笑ったセレナに、サラはこくりと頷いた。そしてその胸元に再び抱きつく。静かに涙を流したサラを、そっとセレナも抱き締め返した。
――違うところもあるけれど、だけど皆と変わらない。
シンシアの言葉が胸に響く。
「…セレナ…聖女さまと、名前は似ているのに…聖女さまとは、どこか違うのね…」
「…サラ…?」
「サラは、セレナのほうが良いな…ずっとここに居て、セレナ…」
セレナの胸に顔を埋めたまま、やがてサラが小さく寝息をたて始めた。
どうやらそのまま眠ってしまったらしい。
「…寝ちゃった…?」
そっと声をかけたのは、シンシアだった。困ったような苦笑いを浮かべて、それからサラを抱き上げる。いつの間にか部屋に居た子どもたちの姿は殆ど見えなくなっていた。
「ここ数日でいろいろあって、それでも気を張って疲れていたんだよ」
それから寝室まで運ぶというシンシアについて、セレナも広間を後にする。
その背中を追いながら、躊躇いながらも決意を切り出した。
「シンシア、わたし…戻ることにする。ありがとう、いろいろと」
「……そう。アルには言っておく。居なくなるなら今の内のほうが良い。…戻れる場所があるなら、それはきっと良いことだよ」
先を歩くシンシアの、その顔は見えない。セレナも上手く返事を返すことはできなかった。
だけど別れには慣れているその背中に、僅かに胸が痛む。改めて自分は浅はかだったのだと思い知る。
「私ももうすぐ迎えがくる。場所が分かるなら、送っていこうか? 外は暗いし、危ない」
「…シンシアはここに住んでいるわけじゃないの…?」
「時々泊まることもあるけどね。だけどそう頻繁に来れるわけじゃないから…セレナは運が良かったかもね」
言って少しだけ振り返り笑みを向けるシンシアに、セレナは心の中でそっと感謝した。
身勝手な自分を責めずにゆるしてくれる。結局何も、返せなかったのに。
「大丈夫、だけど、その…」
シンシアの提案を断りながらも、話の端を捕らえるセレナにシンシアは首を傾げる。
それからセレナは顔を上げた。
「もしも、ゆるしてもらえるなら…またここに、来ても良い…? 来られるのかは分からないけど…また、サラに会いにきたい」
胸元でぎゅっと手を握りそう切り出したセレナに、シンシアは僅かに目を瞠る。それから腕の中で眠るサラに視線を落とし、再びその瞳をセレナに向けた。
「身勝手にこの子の気持ちを掻き回さないでほしい。それが本音。…でも。今この子にはあなたが必要だとも思う。あなたは不思議なひとだね、まだ会ったばかりなのに…サラが泣いたのはあの時以来だ」
零すように落とした言葉の、その最後は上手く聞き取れない。
だけど聞き返すことも言及もできず答えを待つセレナに、シンシアは優しく微笑んだ。
「いいよ、ゆるす。私は女神なんて信じてないけれど、ここにあなたが導かれてきたことに、僅かな希望を託すことにする」
セレナもまた、女神なんて信じていない。
だけど幼子を胸に抱きながら目の前で美しく微笑むシンシアこそが、まるで女神のようだと思う。
本物の女神がいたとしても、慈悲も慈愛も許しもいらない。
セレナはそっとシンシアに微笑み返した。
――その、ふたりのやりとりを。
物影から見つめる人物に、シンシアとセレナは気付かなかった。
その男は、僅かに距離の離れた先に居るその人物に、ただ驚いて息を呑む。
見間違いかもしれない。距離もあるし暗くてはっきりと顔は見えない。
だけど何故だか自分は、彼女を見間違えることはないという確信があった。
それでも、信じられない。
彼女は決してここには居るはずのない人物だから。
「…おや、こんな所においででしたか…」
長い廊下の先から足音を響かせて、物影に蹲《うずくま》る男にアルベルトが声をかける。不思議そうに首を傾けながら。
「ご気分でも優れませんか?」
「い、いや…そういうわけでは…」
本来ならまっすぐこのアルベルトのもとへ向かうはずだった。その途中で、そのふたりを見かけるまでは。
視線はその姿から目が離せない。アルベルトが怪訝そうに視線の先を追う。
「シンシアと、セレナですね。やはりセレナは、帰ってしまわれますか」
「…! 今、なんて言った?」
「シンシアですか?」
「いや違う、あの黒髪の女のほうだ」
急に自分に食いつくその相手に、アルベルトは面白いものでも見るように口元を綻ばせる。男はその様子に悔しそうに唇を噛んだ。
絶対わかっていてやっている。自分が“シンシア”を迎えに来たことくらい分かっているだろうに。
「…セレナと、いうそうですよ、彼女は。少し前に、ここに来て…だけどやはり帰られるようです。戻りたくはなさそうだったのですが…何か事情がおありなのでしょう」
そっと細められるその瞳に映るのは、夜の闇にも紛れない赤い色。
いつも自分を崩さず隙など見せないその男が、今は余裕をなくした顔をして自分に詰め寄るその姿がアルベルトはおかしくて仕方なかった。
本当に今日は、おもしろい夜だ。
「彼女をご存知なのですか? …アレス殿下」
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