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第五章

西の子どもたち

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 シンシアの後を追って歩いていくと、建物を回り込み正面の入口へと案内された。
 セレナが居た場所はちょうど裏庭のあたりらしい。サラとシンシアは裏口から出たところで挙動不審なセレナと遭遇したという。

「まずは司祭さまに挨拶を。サラは薬草を届けてあげて、みんな待ってる」
「シンシア、セレナにいじわるしない?」
「失礼な、私はいつだって優しいでしょう。それは彼女次第だよ、いいから行きなさい」

 サラは「はぁい」と返事をして、セレナの腕の中からひょいと飛び降りる。それからセレナを見上げて笑った。

「もうすぐ夕食の時間なの。食堂で待ってるね、セレナ。今日は特別にお菓子もある日なの、いっしょに食べようね」
「…うん、わかった。ありがとう、サラ」

 それからサラはシンシアから籠を受け取って食堂へと走り去る。「廊下は走らない!」とシンシアが叫んでサラがまた「はぁい」と遠くで返事をして、その小さな背中は廊下の奥に消えていった。
 サラがいなくなりシンシアとふたりきりになった途端に、急に体が冷たくなったように感じてセレナは小さく身震いする。
 そういえば、なんの他意もなく。誰かと触れたのなんて久しぶりだ。
 誰かと触れ合うと自分の体温も知るのだと、セレナはその時改めて感じた。

「…一応、訊くけど」
「…はい」
「本当にあなたに、害はないの?」

 サラに向けていた声音とはがらりと変わった冷たい響きで、シンシアはセレナの顔も見ずにそれを問うた。
 だけどそれが当たり前だ。世界はそんなに生易しいものじゃない。
 その問いは以前、国王陛下にも訊かれたことがあったのを思い出す。問われたのはルミナスだったけれど。

 セレナに敵意はない。何かを奪ったり誰かを傷つける気も毛頭ない。
 だけど。
 自分の存在がこの場所に、サラやここに居るひと達にとってどんな価値に値するのかを、自分ではまだ分からない。

 真正面から向き直るシンシアの瞳は深い青。なんて綺麗な子だろうとセレナは思う。
 おそらくセレナより年下で目線も僅かだけれど自分より低い。だけどその美しさと迫力に混じる凄味は鳥肌がたつほどだ。
 蝋燭だけが灯る薄暗い廊下に、その存在は揺るぎない。
 
「…それはあなたが、判断して」
「……どういうこと?」
「わたしに傷つけるつもりはなくても、絶対に傷つけないという保証はできない。でも」

 世界をまだ知らない自分は、自分が傷つくことには敏感で、他人を傷つけることにはひどく鈍感だ。
 ――だから、きっと。
 ノヴァは自分の傍を離れたのではないか。セレナはいつからかそう思う自分に気付いていた。

 これまでの夜伽を経て分かったこと。
 それぞれが皆、胸に抱える楔がある。
 心の奥深くに食い込むそれは、自分が触れると嫌でも抉られるものだ。

 呪いは解けても、その傷は決して自分には癒せない。
 分っていた。傷つけ合うだけの関係だ。傍に居ないほうがきっと良い。
 そう思うのに。

「でも、わたしは…誰も傷つけたくはない。それにわたしも、傷つきたくない」

 まるで本当の聖女のように、自分を犠牲にできたら良かった。
 大切に思うひとのことだけを考えて、その身をすべて差し出せたら、きっともっと楽だった。
 だけど、それでも。

「だから誰よりも他人の為に泥を被ることを選ぶあなたなら、きっとわたしを正しく判断できる。あなたの判断に、わたしは委ねるわ」

 あの城から出て、今だから思う。
 自分はただの、ただひとりの人間だ。
 だから自分の望むままに生きる。
 生きていくと決めたのだから。
 それをまだ、伝えていない。

「…私に殺されても文句は言わないってこと?」
「あなたがそう判断したのなら、文句は言わない。ただ死にたくはないから抵抗はするかもしれないけれど」

 答えたわたしにシンシアの、その口元がようやく僅かに緩められる。ふっと静かに息を吐き出して、肩の荷を下ろすようにシンシアは笑った。

「ならここに居る間は、あなたの命は私が預かる。容赦なく使うから覚悟しといて」

 そう答えを出したシンシアの態度は初対面の時とは驚くほどに違っていた。

 シンシアはセレナの手をひき司祭の居る執務室へと連れていく。その途中でいくつか通り過ぎた部屋の説明を簡単に受けるも、足早なシンシアについていくのにやっとで上手く頭にはいったかは分からない。
 辿り着いた扉のノックの返事を待ち、それから躊躇なく扉を開けるシンシアのその様子は、慣れたというより無遠慮に近いようにセレナの目に映る。
 部屋の奥の机には、腰を上げたばかりの壮年の男性が居た。

「アル、今日から来る予定の新入りなんていなかったよね?」
「ええ、そのはずですが、シンシア…そちらの女性は?」
理由わけありなんだって。サラが裏庭で拾って気に入っちゃって」

 司祭といえば、修道院では上位の役職者だ。
 それなのにシンシアの態度は目上の者に対するそれとはかけ離れている。
 ずかずかと室内に足を踏み入れるシンシアのその様子は、院生としての態度とはとても思えない。
 
「そうですか、サラが…あまり見ない黒髪が、珍しく映ったのかもしれません。私はこの修道院で司祭を務めるアルベルトと申します。サラが何か失礼な態度をとりませんでしたか? 代わりに私がお詫び致します」
「い、いえ、そんな…! サラには…彼女にはわたしの方が、助けられました。彼女はわたしの恩人です」
 
 アルベルトが深く頭を下げて、セレナは慌てて首を振る。
 セレナの言葉に顔を上げたアルベルトが、安堵の表情でセレナに微笑んだ。
 初対面で敵視されたシンシアとのあまりの態度の違いに、セレナのほうが逆に狼狽えてしまう。

「セレナと、申します。事情があって…自分のことを多くは話せません。とても遠い場所から来て、この国のことも…まだよく知りません」
「…そうですか。帰る場所は?」
「……」

 アルベルトの問いに、セレナは直ぐには答えられなかった。
 帰ろうと思えば…来た道を辿れば帰れるのかもしれない。
 あの夜伽をする為の部屋に。

 本来なら帰るべきだ。自分の責務を果たすとそう約束したのだから。
 部屋に居ないと知ったらルミナスだってきっと心配する。
 ここに居たって迷惑がかかるだけ。
 ――でも。

 あそこが今のセレナにとって帰りたくない場所であることは、紛れもない事実だった。

「…それが答えであるならば、修道院ここは貴女を受け容れます。貴女がここに辿り着いたということは、きっと女神のお導きなのでしょう。貴女に女神の加護がありますよう…貴女の気が休まるまで、ここに居て頂いて構いませんよ」

 微笑みの中で浮かべられる慈悲の言葉を、セレナは感謝しつつも素直に受け止めることができなかった。
 お礼だけを述べてシンシアと部屋を後にする。
 それからシンシアに連れられた部屋で、足に合う靴を探してもらった。

「だめだ、ぴったりなのはないみたい。ちょっと詰めるから、足を出して」

 壁一面の棚に衣服や毛布や日用品で溢れる薄暗い部屋で、シンシアが靴の収納箱と袋を散らかしながら口を尖らせる。
 仕方なく近いサイズの靴をセレナの足に合わせて詰めてくれるということで、木製のスツールに座るよう促された。

 それから桶にはいったお湯とタオルを差し出され、足の汚れを落とすように言われて大人しくそれを受け取る。確かに足元は泥だらけで、ワンピースの裾も泥に塗れほつれている。こんな足で室内を歩きまわっていたことに申し訳なさを感じた。

「怪我は?」
「大丈夫。…ありがとう」

 幸い掠り傷が数か所できたぐらいで出血も痛みも殆どない。少しだけお湯が滲みる程度。お湯を絞ったタオルで丁寧に、自分の足を拭っていく。
 頃合いを見計らってシンシアが、スカートの裾を払いながらセレナの前に膝をついた。そしてセレナの左足にその綺麗な手が触れる。
 その様子にセレナは驚いて咄嗟に素足を引っ込めるも、シンシアに一睨みされて大人しく足を差し出した。美少女の凄味は本当にこわい。
 
 なんだかとてつもなく申し訳ない。こんな綺麗なひとに跪かせて、靴を用意してもらっていることが。
 シンシアは取り出した革の靴をまずセレナの左足に履かせて、爪先とかかとを確認してから一度脱がせる。セレナは黙ってシンシアの綺麗なつむじを見つめていた。

「…この国のこと、よく知らないって言ってたけど…じゃあこの修道院が、どういう場所なのかも知らないってことだよね」
「……うん」

 シンシアは作業の手を止めずに、セレナの顔を見ないままにそっと訊ねた。
 一番はじめの強気な態度とは打って変わって、しんと静まりかえる部屋にその声は小さく落ちる。
 大きな窓からは月の光が差し込んで、シンシアの美しい金の髪を照らしていた。

「この修道院には今、魔の森から溢れ出る瘴気にあてられた子どもたちが多く身を寄せている。瘴気の穢れによって家や家族を失い、自身も侵され…行く宛てをなくした子ども達がここに住む者の大半となっているのが今の現状。本来ここに務めていた修道士たちは殆ど去った。そうして子ども達ばかりになったこの修道院は、影では“西の孤児院”などと揶揄やゆされている」

 重たくそう語るシンシアの、唇を噛みしめる音が聞こえた気がした。
 だけど実際にその顔は見えないので、シンシアの表情は分からない。

 セレナはその説明を聞きながら、自分でも感じていた違和感を呑みこんだ。
 修道院とは本来、サラのように幼い子どもが通うことはあっても住まう所ではない。
 だけどサラはここを、自分の家だと言った。

「知っているか分からないから先に言っておく。子どもたちは皆、その身体に穢れの痣を持っていて、それが触れることで穢れや痣が移ることはありえない。だから、あなたは…子どもたちを、おそれないでほしい。…傷つけないで。それだけは、許さない」

 滲み出るシンシアの想いに、セレナは膝の上で拳を握った。
 自分の身にもある痣が、僅かに熱を訴える。シンシアの、それとも子どもたちの痛みに呼応するように。
 
 ――おそれないで。
 それがきっとシンシアの心のすべてなのだろう。

「…あなたも…そうなの…?」

 おそらく違うと分っていて、だけどセレナはあえて訊ねていた。
 シンシアの身なりや服装は、明らかに修道院に住まう者のものではない。どちらかというと貴族の令嬢のような恰好だ。
 動き易いように手を入れられているようだけれど、生地や装飾、それにシンシア自身の放つものが隠しきれない気品を漂わせている。隠そうともしていないので当然だけれど。

「…そうだね。立場や身分は違うけど、私もあの子たちと何も変わらない。“穢れ”に奪われ苦しめられ…私もあと少ししか、ここには居られない」
「……!」

 シンシアの答えに思わずセレナは息を呑む。
 瘴気の穢れというものをセレナはそこまで知らなかった。
 ただ聖女じぶんが召喚された理由の一端として、代を追って増す王家の呪いと、国を脅かす魔の森の瘴気については以前説明を受けていた。
 だけどそれが、命までをも蝕むものであったなんて。

 それじゃあ王子たちの呪いと、まるで同じではないか。

「とにかく、アルが滞在を許可した以上、私もあなたを歓迎する。ここではすべて分け合うのがルール。奪うことも奪われることもなく」

 言ってシンシアが、そっとセレナの足に詰めた靴をさしこんだ。先ほどと違ってぴったりと、セレナの足に馴染むそれ。
 シンシアが顔を上げて微笑む。

「あなたから分け与えられるものに、期待している。よろしく、セレナ」

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