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第五章
はだしの聖女と月の女神
しおりを挟むふと微かにいつもと違う部屋の空気を感じて、セレナは目を覚ました。
急な眠気に耐えきれず意識を手放してからどれくらい経ったのか。分らないけれど、そう時間は経っていない気がする。蝋燭の炎でそれを確認し、そっとベッドから身を起こした。
「…ルミナス…?」
いつもと違う気配を探る為、思い当たる人物の名前を呼んでみる。だけど返事はない。不在のようだ。
この部屋に何か異変があるならば、まず間違いなく彼が関わっているはずだ。
それから意識を手放す前にルミナスとしていた会話を思い出す。
――儀式の間。
そうだ、行けるようになったのだ。
ルミナスが苦痛を少しでも紛らわす為にと、その扉を開けてくれた。
探るように視線を向けたその先に、予想通り扉があった。いつもは隠されているその入口。それがあるだけで部屋の雰囲気もどこか違う気がした。
今は痛いわけでも辛いわけでもない。だけどセレナはそっとベッドから下りて扉へと足を向けていた。
扉が開いていたことに一瞬だけ意識がひっかかったけれど、すぐに思考の外に追いやられる。
部屋の空気がいつもと違う。それだけで心が少しだけ浮上した。
だからセレナは進んだその先の光景を見たとき、思わず言葉を失った。
目の前に広がるのは儀式の間。
最初に召喚されて以来何度かセレナも訪れたことがある。そのすべてがルミナスかノヴァと一緒だった。
おそらく特別な場所なのだろう。出入口は今自分が通ってきたひとつのみ。
――そのはずだった。
だけど今、目の前に。
泉を挟んで反対側に、もうひとつの入口が存在していた。
「……まさか…外に、出られるの…?」
思わず口をついて出た言葉を、自分でも受け止めきれなかった。
自分の願望が見せた幻だろうか。
だけど頬を掠める夜の風が、セレナの意識を現実へと引き戻す。
――風。
外からだ。
外に、繋がっている。
ここから、出られる。
どくんと大きく鼓動が鳴った。
そんなこと考えたこともなかった。考えても仕方のないことだから。
だけど、どうして。こんなにも心が揺さぶられてしまうのか。
外に出たって何もない。自分がここから出たって、ひとりで生きていけるはずがない。
それに、まだ。
自分の役目を果たしていない。
――わかっている。
でも。
次の瞬間にはもう、セレナの足は動きだしていた。
風の流れてくる道に向かって。
道は長くは続かなかった。すぐに外気に晒される。
季節は冬だったんだなと、その空気の寒さに初めて気付いた。
外は暗い夜の森。吹く風が冷たく部屋着のワンピースの裾を揺らした。
もとの世界でも篭りきりの生活だったので、外の世界にはいつも鈍感だった。
この世界にきて、あの部屋でまたひきこもりになって。だからこそ自由を夢見ていたはずなのに。
それが今、期せずして叶ってしまった。
あまりに突然過ぎて、自分でもどう表現したら良いのか分らない。
ただ笑い出したいような、声を上げて泣きたいような。
言葉では言い表せれない気持ちを必死に押し隠して明かりを目指す。
小高い丘に出たセレナは、草の道を選んで歩いた。
着の身着のまま出てきてしまったので、服も部屋着のままだし靴もない。我ながら考えなしだったなと反省する。
いったん引き返して上着と靴をとってこようとかとも考えたけれど、その時に入口がなくなっている可能性もおおいにある。それを思うと引き返す気は失せた。
大丈夫、なんとかなると、自分に言い聞かせる。
自分の足で歩いて、自分の目指す道をゆく。
あぁやっぱり、大きな声で笑い出してしまいたい。
そして思い切り泣き叫びたい。
ずっとこうして外に出ることを、この世界にくる前から夢みていた。とっくに諦めていた夢だった。
後のことはひとまず考えないでおく。
今、自分は。
紛れもなく自由なのだ。
…まずは、服と靴を調達したい。あとはやはり、お金も要るだろう。
この世界のお店とかお金とかの事情が一切分らないけれど、ひとまず人の居る所に行こうと決める。
RPGなら町か村が近いはず。希望的観測だけれど。
震える体を抑えながら十分ほど歩いた頃、ようやく遠くに建物の灯りを見つけることができた。
白い塀に囲まれた大きな建物。突き出た搭のてっぺんには鐘が見える。その周りは緑に囲まれていて、近くに小屋と泉のようなものも見えた。
セレナはそっと近づいて塀の傍に身を寄せる。
中からは大勢の気配と声がする。主に子どもの声が目立つ気がした。
どうしよう。建物の大きさから言って個人宅ではないようだ。
だけどお店という雰囲気でもない。自分が受け入れられる気が微塵もしない。
セレナは暫く逡巡し、それから別の建物も探してみることにする。
建物の灯りは他にもちらほらと確認できた。もしかしたら一軒くらい、昔話や童話のように突然訪ねてきた得体の知れない少女を手離しで招き入れ、事情も聞かずに食べ物と寝床を与えてくれる心優しい家があるかもしれない。ついでに服と靴。
いやありえないとは思うけど、一応。
今の自分はお金どころか身分証明も何もない。あの城を出れば何も持たない、ただの小娘に過ぎないのだ。
自分が聖女という肩書をもつのは、呪われた王子たちに対してだけ。その能力と価値は今ここでは何の役にも立たない。
しかもセレナはこの世界の情報を殆ど知らない。
改めて自分の状況を確認するとぞっと身震いした。
もしも人買いとか人攫いとかの家だったらどうしよう。そういうことも、ありえなくはないだろう。
ここは自分の生まれ育った世界とは違う。
勢いだけで外に出てしまったことを僅かながら後悔し、それでもここまで来てしまったんだからと腹を括り顔を上げた、その時。
自分の服の裾を、誰かがひいた。
ぎくりと体が強張って、固まる。
思い違いだろうか。そうであってほしい。
だけどそれを否定するかのように、再び服の裾が今度は少し強めにひっぱられた。
観念してゆっくりと、顔を向ける。
そこに誰も居ないと思ったのは一瞬で、すぐに視界の下の方、自分の足元から声がした。
「…お姉ちゃん、だれ…?」
――子ども、だ。小さな女の子。その手には草のはいった籠を持っている。
栗色の巻き毛が肩のあたりで跳ねている。おそらく四、五歳くらいだろうか。
厚手の上着と真っ白なエプロンにはところどころに泥が跳ね、なかなかのお転婆な性格が伺えた。
「…えっと、わたしは、その…」
せめて設定だけでも考えておくべきだった。自分が何者かなんて、自分が一番知りたいくらいだ。
だけど見つかった相手が子どもだったことには僅かながら胸を撫で下ろす。とりあえず襲われることはなさそうだからだ。
「もしかして、新しくきたひと?」
その女の子が、突然ぐいと距離を詰めた。服の裾は掴んだまま。その表情が何かの期待に満ちて輝く。
確実に違うけれど、否定するとじゃあ何者なのかという問いが再び向けられるのは明らかだ。
自分の浅はかさを呪いながら必死にぐるぐると思考を巡らせる。何か良いイイワケを。
この子はこの家の子なのだろうか。大人のひとを呼んできてもらって、なんとか家にいれてもらえないだろうかとも考える。
なにぶん寒い。凍えそうだ。できたら靴もお借りしたい。
だけども自分は、不審過ぎる。
返事できずに居るセレナに、女の子はその手でセレナの手を握って続けた。
その小ささに、冷たさに。セレナの胸がぎゅっとした。理由はよくわからない。
「行くところがないなら、サラのお家においでよ。みんな、歓迎してくれるよ。みんな家族だから」
――みんな。その言葉の意味を、ようやく理解しかけた、その時。
「――サラ?」
建物の方から声がして、女の子が呼ばれた方へと顔を向ける。掴んだその手は離さずに。
明かりを背負いながら現れたのは、金色の巻き毛の美しい少女だった。
その美貌を引き立てる豪華なドレスを身に纏いながら、腰に巻かれた白いエプロンだけが僅かに浮いている。
「シンシア」
「みんな待ってたんだよ、何処まで行ってたの。薬草なら畑にもあったのに」
「でも、泉の近くのほうが、新鮮でしょう?」
サラと呼ばれた女の子が、持っていた籠を誇らしげに翳して見せる。
その仕草にシンシアと呼ばれた少女が苦笑いを返して籠を受け取り、それからすっとその瞳でセレナを鋭く見据えた。
その美しさと視線にセレナは微動だにできない。
警戒心が刃となって、セレナの身に突き刺さる。思わず体が小刻みに震えた。
「…サラ。いつも言っているでしょう。知らない人にはついて行っちゃ駄目だし、ましてや拾うのも駄目。もとのところに返してきなさい」
「ここに居たんだよ、だから新しくうちに来たひとかなって」
「……ここに…?」
その瞳が更に細められて、それから自分の姿を確認される。頭のてっぺんから爪先まで舐めるように。それから隙をみてサラを奪い返そうと伺う気配が伝わってきた。握って離さないのはサラの方なのだけれど。
薄着で靴も履いていない、得体の知れない女。
怪し過ぎる。怪しさは世界共通だ。そして子どもの警戒心の無さと無邪気さもまた世界共通なのだとセレナは学んだ。
もはやここまでかと覚悟した、その時。
セレナの手を握っていたサラが、シンシアに向かってほほ笑みかける。
「シンシアいつも言ってるでしょう? 足りないものがあるなら、分け合いなさいって。お姉ちゃんに、分けてあげようよ。ここは寒いよ、おうちに入ろう?」
サラの言葉にシンシアは虚をつかれ、それから一瞬迷った後、長い溜息を吐いた。その相貌に似つかわしくない盛大な溜息だった。
「…武器を持っていないのなら、いれてあげる」
「あ、も、持って、ないです」
「…こんな時間にそんな恰好でうろついていたっていうことは、理由ありってこと? 新入りがくるなんて聞いてないし」
「えっと…」
「シンシア、お姉ちゃん怖がってるよ。あまりこわい顔をしちゃだめ!」
またもや助け舟を出してくれたのはサラだった。
こんな小さな子に、何度も助けられて。
そうでもしないと自分は、信用ひとつ得られないのだ。
セレナは苦い笑いを零しながらそっと身を屈めて、未だ自分の手を握ってくれているサラと視線を合わせるように膝をついた。
きょとんと見つめ返される、その無垢な瞳。シンシアの見下ろす視線が頭のてっぺんに突き刺さる。
「…ありがとう、サラちゃん。わたしは、セレナ、です。それ以外のことは、話せないというか…事情があって、自分のことは話せないの。すごく遠い場所から来たから、この場所のことも殆ど知らなくて…サラちゃんの心に甘えさせてください。助けて、ください」
後半は、シンシアに向かって。頭を下げたセレナにシンシアは面倒くさそうにがしがしと頭をかいた。それから仕方なさそうにまた吐き出される溜息。
「わかった、とりあえずはいって、風邪をひく。ほら、サラも。滞在を許すかは、司祭さまに聞いてみてからだかね」
「…! ありがとう…!」
セレナはそのまま、目の前のサラを抱き上げた。きゃあと嬉しそうにサラは声を上げて、セレナの首元に抱きつく。セレナもその小さな体をそっと抱きしめた。
見た目より子どもって重いのだとセレナはまたひとつ学ぶ。
小さな温もりと草の匂い。まるで小さな女神のようだとセレナは思った。
それから先を行くシンシアが足を止め、何も知らないというセレナに説明するように振り返る。
その金色の髪が月明かりに煌めいていた。
「ここは、王都の端のセントヴェロニカ修道院。理由あって今はその他の役割も担っている。ここに居る者たちを、傷つけることは許さない。それを守れるなら、靴ぐらいは貸してあげる」
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