夜伽聖女と呪われた王子たち

藤原いつか

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第五章

枯れない、まじない

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 ずっと信じてきたおまじないがあった。

 術後や薬の副作用で痛みに耐えきれなくなると、ふとんの中でそれを繰り返していた。今は遠い記憶に感じるから不思議だ。

 ぎゅっと握った両手の平に、痛みとか苦しみとか哀しみとか絶望とか。自分の中のありったけの負の感情を、吐き出したいものをかき集めて、ぎゅっとかたく握りしめる。
 それから両手を解いて、ふっと息をふきかける。ぜんぶぜんぶ、吹き飛ばすように。
 そうしたら今度は、空っぽに見える手の平の中を、深く吸い込み自分の内へと呑み込む。吹き飛ばした絶望の代わりにそこに神さまが勇気を与えてくれるのだ。
 そう教えてくれたひとが居た。子どもだましのそのおまじないは、わたしがまだ子どもだった頃に教わったものだ。

 痛いのとんでいけ。勇気よここに。すべての希望は夢のなか。

 ――だから、眠ろう。朝になったらきっと痛みもなくなるから。それまでずっと傍に居るから。
 それでも越えられない夜は、一緒に痛みを分け合おう。僕を傷つけて構わない。僕は決して、傷つかない。
 そう言って頭を撫でてくれたひとがいた。

 握りしめた手に爪が食い込んで、その手に幾つも痕を作った。それでも彼は笑っている。
 ちょっとマゾなんじゃないかと思ったこともある。自ら望んで傷つけられるなんて。
 もしくは先の短いわたしに誰かが同情で宛がってくれた聖人君子。わたしを慰める仕事を与えられたひと。
 だって出来過ぎている。こんな人がわたしの、傍に居てくれるなんて。

 だから耐えられなかった。彼の人生を犠牲にすることが。
 だから手を離した。これ以上傷つけたくなかったのだ。

 わたしが、わたしを。


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 薄暗い闇の中での目覚めには意外とはやく慣れた。
 昼間はほとんど意識がないので仕方ない。
 はじまりはいつも夜だ。

 流石にそろそろずっとこの部屋に居るのにも息が詰まりそう。薄く視界に天蓋の天井を映しながらぼんやりと思う。だけどそれ以外の選択肢はわたしにない。

 アレス王子との夜伽から丸二日。わたしはベッドの上から殆ど下りられなかった。
 繰り返す痛みと浅い眠りの合間にルミナスと僅かな会話をしたのはなんとなく覚えている。
 ようやく痛みが馴染み起き上がれるようになった頃、広いベッドでひとり目を覚ますことにも慣れてきたことに気付く。

 どうしてだか分らない。
 もうノヴァは戻ってこない気がした。

 シャワーを浴びて身支度を整え軽い食事を済ませた頃、ルミナスが部屋を訪れた。

「体調はどう? 何か体にはいれた?」
「今は大分楽になったよ。果物もスープも食べたし、シャワーも浴びてすっきりした」

 この部屋に来る度に同じことを訊くルミナスに、ようやくわたしは笑って答えることができた。
 それまではそんな余裕もなくただ「無理きつい」を繰り返すばかりだったのだ。
 そんなわたしにルミナスも、ようやく安堵の息を漏らす。
 あの夜からずっと心配させ通しだった。ルミナスも自分の仕事があって忙しいのに、時間を見つけては様子を見にきてくれていた。

「…これ、扉の外に置いてあったわ。たぶん、ゼノス王子じゃないかしら」

 言ってルミナスが、抱えていた荷物をテーブルの上に下ろす。
 薄く束ねられた書類がいくつかと、わたしがゼノスの部屋に忘れてきた黒いベール。それから丁寧に包装された小さな箱。そこに綺麗なカードと花が添えられていた。

「前頼んでいたやつだ。それに、ベールも。届けに来てくれたんだ」

 先の聖女に関する記録を見たいと、交信用の白い蝶を使って頼んでいた。
 ふと白い薔薇に目をやるも、今は静寂を白く保っている。もしかしたら何度か色を変えていたかもしれない。今は姿の見当たらない、白い蝶も。
 扉の前にまで来てくれていたということは、おそらくノックがあったのかもしれないけれど、ぜんぜん気付かなかった。

「ゼノス、部屋から出るのすごく大変なのに…」

 苦痛を緩和する結界の施された部屋から、ゼノスは殆ど出ようとしない。初めての対面も自分から赴いた。
 なのにわざわざ苦痛をおして、自分に会いに来てくれたのだ。
 おそらくアレス王子との一件が、ほかの王子たちの耳にも入ったのだろう。ルミナスとイリオスが下した処置をわたしも聞いていた。
 アレス王子とは、もう二度と会う必要はない。会う気もなかった。

「ディアナス王子との対面も、先に延ばしてもらったわ。とにかく今は、休みなさい」

 ルミナスの言葉にわたしは素直に頷いて、ゼノスからの贈り物を手にとる。
 箱に綺麗に結ばれた紐をほどいて包装を解き、それからカードを手にとりルミナスに文面を向けた。代わりに読んでもらう為だ。

「これ、なんて書いてあるの?」
「…“白く穏やかな女神の加護が、貴女にもありますよう”…定型文だけれど、お大事にってことね。王子たちには体調不良だって伝えてあるから。ゼノス王子らしい生真面目な文字だわ」

 くすりと笑ったルミナスが、「借りた言葉だけれど、ちゃんと手書きなだけ評価に値するわね」と違った顔を覗かせる。そういえばルミナスは、王子たちを幼少の頃から知っているのだ。ルミナスはあらゆる面においての師だと、以前ノヴァが言っていたのを思い出す。

 片手サイズの小さな箱の蓋を開けると、可愛らしい丸い焼き菓子が四つ綺麗に収まっていた。
 お見舞いの品ということだろうか。そういえば次に会うときは、ゼノスがお菓子を選んで用意してくれるって、言ってたっけ。

 見た目はマカロンみたいだけれど、この世界ではなんというのだろう。
 ひとつ手にとって、ぱくりと口に入れてみる。
 口どけの良い軽やかな甘みが柔らく広がって、口の中がふわりと軽くなった気がした。

 甘いもの、ほんとうに久しぶりだ。
 ゼノスのその心が甘く溶けて荒んだ身に滲みていく。

「…美味しい…!」
「…良かったわね」

 神さまがくれたご褒美みたいだ。ちょっとおおげさかもしれないけれど、甘い物ってそれくらい癒しの力がある。勇気をもらえる。
 残りはとっておこう。それからゼノスにもお礼の言葉を蝶に託そうと決めて。

「…この花は…?」

 カードと一緒に添えられていた花を手にとって訊いてみる。
 マカロン(と仮定することにする。見た目も味もほぼ同じだし)と同じサイズの、ころんとしたシルエットが可愛らしい白くて小さな花。
 どこかで見たことがある気がするけれど思い出せない。

「…セントポーリアね。この国では女神の化身とされ浄化の力があると信じられているの。形や色にいろんな種類があるけれど、純白のものが一番その象徴ね」
「…そうなんだ…」

 セントポーリア。覚えておこう。できれば枯らさないでとっておきたい。

 心と体が癒されて、そしたら途端に眠気に襲われる。まだ目が覚めてからそう時間は経っていないのに。ようやく夜でも痛みがひいて、少しは動けるようになってきたのに。

 そんなわたしの様子にいちはやく気付いたルミナスが、そっとわたしを抱き上げた。そしてそのままベッドに運ぶ。

「貴女はもう三人分の呪いをその身に受け入れている。その負荷はまだはかりしれないわ。今後貴女自身にどのような影響があるのか、分らない。とにかく今は、休みなさい。苦痛に堪えきれなくなったら、アタシがくるまでの間は儀式の間に居たほうが少しは紛れるかもしれないわ。あそこは聖女あなたの為の場所だから」
「…わかった」

 なんとか返事だけを返し、それからもう瞼を開けていられず意識を手放しそうになる。
 ずっとこの部屋ばかりだと思っていたから、少しでも違う場所に行けるようになるのは確かに気が紛れる。とはいえ儀式の間にあるのは泉だけだけれど。私は意外とあの場所が好きだった。
 わたしが最初に召喚された場所。
 ――聖女わたしの為の場所。

「そうだ、ゼノスに、お礼の蝶を…」
「アタシから伝えておくわ。いいから寝なさい」

 それ以上の反論をゆるされず、ベッドに横たえられてそっと指先で瞼を伏せられる。
 そうしたらあっという間に意識は深く沈んでいった。



 ――セレナの寝息を確認して、ルミナスがそっと自らかけた毛布をセレナから剥がした。
 それから服の隙間にゆっくりと手をいれて、袂を開いてセレナの肌を晒し、その光景に顔を歪める。

 ぎゅっと一度固く瞼を閉じてから、手早く衣服を戻してまた丁寧に毛布をかけた。
 セレナは身じろぎひとつしない。とりあえず今は、苦痛はないようだ。
 
「……白く穏やかな…女神の加護を」

 思わず呟いたその借りた言葉に、自分で嘲るような笑いが口元に浮かんだ。
 ゼノス王子がセレナに贈った言葉とは、あまりにもかけ離れた言葉。

 女神はルミナスたち神官が崇め仕える存在で、国民にも広く崇拝されている。
 だけどルミナス自身はその存在が絶対ではないと思っている。無論心の内だけで。

 女神が本当に居るのなら。
 この少女を犠牲にする仕打ちを自分は受け入れられないからだ。

 王子たちから継いだ呪いの痣は、今やセレナの体の半分を覆っている。
 僅かに蠢きその身を蝕みながら。

 聖女は女神の申し子とされる存在だ。
 不可視のその存在からの信託を受け、現世に遣わされた清らかな存在。
 いずれ女神のその元に還るとされている。
 伝承上に過ぎなかった存在が、しかし現実に現れた。
 
 それならば、何故。
 これだけの罪を、彼女ひとりが背負わされるのか。
 王族の代わりに呪いを負ったその身を、はたして本当に女神は受け入れるのか。

 ルミナスは自分の代で聖女召喚に成功したことに深い憤りとやるせなさを覚えていた。
 本来なら名誉であるそれが、彼女の犠牲と引き換えなのだ。

 それから本来ならここに居るべきその存在を思い、そっと瞼を伏せる。

 自分は誰よりも呪われた王子たちに接してきた。幼少の頃から知っている。彼らの生立ちも境遇も抱えるものもすべて。
 その苦しむ様を見て、だけど手を差し伸べることは許されなかった。それが自分の立場だからだ。

 彼らを救えるのはただひとりの存在だ。
 だけど彼らはまだ知らない。その救いの果てにあるものを。

 女神は誰を、何を試しているのか。

 疑念に駆られながらも結局、最後にはその存在に縋る他ない。
 それ以外の救いの偶像を自分たちはもたない。
 …ただ今は、安らかに。
 それを祈ってルミナスは部屋を後にした。

 
 ――入れ替わるように部屋の薄闇から、白い蝶が現れた。
 薔薇にとまると思われたそれが、進路をかえてテーブルの上に残された白い花の上にとまる。
 勿論その花が色をかえることはない。だけど蝶はしばらくそこから動かなかった。

 それからふわりとまた薄闇に舞い、今度は眠るセレナのもとへと向かう。
 ふわふわとその上を旋回し、やがて蝶は姿を消した。

 今度は何も、残さずに。


 暗闇の中、儀式の間へと続く扉が、ぽっかりと口を開けていた。
 その先から夜の匂いがした。

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