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閑話
異端の黎明
しおりを挟む「おまえがそこまで愚かで浅はかな弟だとは思わなかったよ、アレス」
普段から極めて温厚で怒ることのないイリオスのその明らかな怒気に、その場にいる殆どの者が固唾を呑んだ。
それを真っ向から受けているアレスは言い訳せず兄からの叱責を受け止める。
場所は兄弟たちのみ集められた秘密の部屋。兄弟間における議題があがると招集がかかるそれは、前回からそう日を開けずに再び開催された。
主に招集をかけるのはこれまでイリオスだけだった。今回はゼノスからの議題もあるという。
だが集められた兄弟たちは何よりもまず、長兄であるイリオスの今まで見たことのない空気にあてられることとなった。
理由はアレスのルール違反だ。
“夜伽”に関する取り決めに、アレスが反する行動をした。“無理強いはしない”というそのルールを破り、アレスが聖女にとった行動は強姦に等しい。
ルミナスからその報告を受けたイリオスは、アレスにセレナとの接触を禁じ、そしてこの場が早々に設けられた。
「…弁明する気はない。反省も、している。だからせめて、謝らせてほしい。…でなければ俺の気が済まない」
「何故傷つけられた側がおまえの気持ちを汲む必要があると思う。彼女がもう、おまえの顔は見たくないと言っている。おまえにはもうそれを拒否する権利も資格もない。それに…もう会う必要も、ないのだろう…?」
一度深く溜息を零したイリオスが、その冷たい藍色の瞳をアレスに向ける。
アレスはそれを受けながら、膝の上で拳をかたく握った。
「おまえの呪いはもう解けたと、彼女が言っている。…相違は?」
やはり、と。改めてアレスは視線を落とした。
だけど確信はなかった。朝を迎えその苦痛が自分の中から消えていたとしても、消えない痛みがアレスの胸にずっと在ったからだ。
あの時彼女が――セレナが。
自分に乱暴され本来なら一刻もはやく自分と離れたかったであろうセレナが行為を続け、自分を何度も果てへと導いた理由。
なんとなく感じてはいた。だけどようやく確信に変わる。
それ以外の意味など何もなかったのだと、突き付けられる。
自分と二度と会わない為だ。彼女がそう宣言した通り。
あの場で呪いをすべてなくし、自分の責務を最後まで果たし。
そして自分と会う理由を作らない為に、セレナは“夜伽”を続けたのだ。
「…彼女が、そう言うのなら…相違はないのだろう」
「ならばもう会う必要も理由もない。おまえがまだ呪われた身であったなら…おまえが望めば彼女はそれを、断れなかった。僕がそう命じていたからね」
イリオスの言葉に顔を上げたのはアレスだけではなく、僅かに離れた席に座るゼノスもだった。
初耳だった。自分たちが聞いている夜伽に関するルールとして、無理強いはしないというものが前提だったはず。双方に、だ。
セレナにも夜伽を断る権利があると、そう認識していた。そのルールを無視したアレスとは違い、お互いの気持ちが尊重されて然るべきだと思っていたのだ。
「…どうして…」
「断られたら彼女を喚び出した意味がないからだよ。それにそれは、彼女の目的の為でもある」
「……目的…?」
イリオスの言葉に、ゼノスはその琥珀色の瞳で問う。
いつも目深に被ったフードが今日は珍しく下ろされていた。いつも見えないその表情が、今ははっきりとイリオスに縋る。見えない何かに拗れて焦がれながら。
「僕たち全員の呪いを解き、そして彼女は自由を手にいれる。それが彼女自身と陛下が交わした約束だ。それまで彼女は、この城から出られない」
「……!」
思わず言葉を失うゼノスから、イリオスは視線をディアナスに向けた。ディアナスがそれを受けて姿勢をただす。
この中でまだ唯一セレナと会っていないのは、末の弟のディアナスだけだ。
「本来なら明日、彼女との初対面の場を設けていたのだが…セレナの体調が良くないからと、再調整の要請がルミナスからあった。どうする? ディア」
「…ボクは構いません。ついでに、確認なのですが…その対面自体も、本当にしなくてはいけないのですか? 前から言っている通り、ボクはこのままで不便は殆どないし、夜伽っていうのを受ける気もない。兄様たちだけで勝手にやってもらいたいくらいなんです」
まだ幼さを残したディアナスの、はっきりと通る声が部屋に響く。
ディアナスは兄弟の中でも一番呪いが軽く、実生活にそれほど支障をきたしているわけではない。痣も殆ど目立たず本人は気にも留めないほどだ。
「…ディア。一度はきみも、了承しただろう」
我儘を言う困った弟を、イリオスがその瞳で諌める。だけどディアナスは怯まず続けた。言うなら今このタイミングしかないと思ったからだ。
「何故赤の他人に、そんなものを委ねなければいけないのですか」
「委ねるかどうかは自分で判断するんだ。最初の対面は、その為の場だ」
「ボクにその気はないと言っているんです。呪いを解くその真意は、王位継承の為なんでしょう?」
ディアナスの放ったその言葉に、しんと場が静まり返る。
誰もが思って、だけど誰も口にはしてこなかった。
むしろそれを言えるのは、おそらくこの中ではディアナスだけだったのかもしれない。
「ボクに王位を継ぐ気はない。だから、聖女とやらに会う気も――」
「ディアナス」
言葉を遮った、イリオスの声音に。思わずディアナスは口を噤む。
ディアナスも軽い気持ちでそれを言っているわけではない。だけどそれ以上のものがイリオスの制止から伺えた。
「それを父上の前でも言えるなら、きみの意見は考慮しよう。どちらにせよ彼女の体調を考慮して、少し時間は置くことになる。それまでにきちんと、考えなさい」
兄ではなく王族として。第一王子としての命令をイリオスから向けられて、ディアナスは渋々ながら頷いて了承した。
王子としての教育は受けてきたけれど、ディアナスはここに居る兄弟たちと、家族としての時間は殆ど過ごしていない。
幼少の頃から王立学院の付属寮にいれられ兄弟たちと顔を合わせるのは公式行事でのみ。この場に呼ばれるようになったのもまだ数えるほどだ。
だからこそディアナスは、兄弟として、弟としての距離を未だにはかりかねている。もっと言えば、王子としても、だ。
「では、次だ。ゼノス、きみも何か話したいことがあったんだろう?」
殺伐とした空気を切り替えるように、イリオスがいつもの声音をゼノスに向ける。
びくりとゼノスは体を揺らし、飛んでいた意識を引き戻す。
「…あ、いえ…もう、良いです。たいしたことでは、なくて…何でもありません。忘れてください」
「…ゼノス…?」
それきりゼノスは黙り込んでしまい、イリオスの問いかけにも答えなかった。
ただぐるぐるとその内には、先ほどイリオスから告げられた言葉が蟠《わだかま》っていた。
セレナは夜伽を断れない。
そして王子たち全員の呪いを解くまで、自由はない。
だけどつまり、逆を言えば。
全員の呪いを解いたら、セレナは――自由だ。
居なくなるということだ。少なくともこの城からは。
呪いは少しずつ確実に、解放されている。
本当は今日この場で、自分の痣が僅かながら減っていることを報告するつもりだった。経過報告は義務だからだ。
それから“夜伽”に関して、どれくらいの接触と行為で呪いが浄化されるのか。それを尋ねたかった。
自分たちの行為が“夜伽”の対象となるのか、それが知りたかったのだ。
セレナと約束したのでそのすべてを言うつもりはなかったけれど、ゼノスははじめ“夜伽”とは、体を重ねなければ意味のないものだと思っていた。
アレスの件は論外として、イリオスは既にセレナと対面している。だけど浄化を受けたという報告はない。最初の対面は本当に顔合わせに過ぎなかったのかもしれない。
だけどこの場には、もうひとり。セレナの“夜伽”を受けた者がいる。
「…では、最後に…これは表で正式に通達があると思うけれど、せっかく全員が揃っているのでこの場で先に僕から報せておく。一週間後に先日エレナの体調不良により延期になった祭事の仕切り直しが行われる。今回は諸々の事情から、王家が表だって取り仕切ることになった。それに伴い王子は全員参加するよう陛下から命が下るはずだ。陛下も僅かだが出席される」
「…全員、ですか」
不満を顕わにしたのはディアナスだった。その愛らしい顔が分かり易く歪められる。
ディアナスはその特殊な事情から、公式行事の参加を極端に嫌う。
ディアナスの特殊な事情は既に周知の事実だが、公式行事は正装が義務だからだ。
「そこで陛下からとある発表もある。それは今は伏せておくが…」
そこでイリオスはいったん言葉を区切り、それから兄弟たちが座るテーブルの、一番端に目を向けた。
息を潜めて存在を殺すことが既に板についた、異端の弟。
イリオスの藍色の瞳がほんの一瞬だけ陰る。
「…きみは、どうする…? ヘルメス・ノヴァ」
最初から最後まで、そこに居たはずなのに。
ノヴァの心はまるでここには無いように、イリオスを通り越して別のものを見つめているようだった。
爪が食い込み血が滲むほど固く握られた拳には誰も気付かない。
誰にも気付かせはしない。ノヴァは誓う。その心の内だけに。
「僕は僕の、責務を果たします」
――まだ、会えない。
この呪いを、この国を。
壊すまで。
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