夜伽聖女と呪われた王子たち

藤原いつか

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第六章

それぞれの再会

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 突如セレナの体に現れた変化は、大きく分けてみっつあった。
 
 呪われた王子たちから夜伽によって継いだ呪いの痣と、苦痛の低減の代わりに現れた刻印しるし
 所構わずセレナを襲う眠気。
 それからもうひとつ――

「……読める」

 読む事も書くこともできなかったこの世界の文字が、セレナは何故か急に理解できるようになった。

 事実を確認する為にルミナスが紙に書いた文字を、セレナはそっと口にする。
 ――セレナ。自分の名前。

「…どういうことなのかしら…」

 突如襲われた眠気に負け、イリオスと会話していたにも関わらず意識を手離し、次に目を覚ました時には既にルミナスが部屋に居た。
 ルミナスと入れ替わるようにイリオスは部屋を後にし、それからセレナが目を覚ましたのはおよそ一時間後だったという。自分ではよく覚えてない。ただ急激に眠くなったことだけは確かだった。

「体への作用と共に、確実に夜伽と呪いが関係しているんでしょうけど…なにせ“夜伽聖女”に関する資料も記録も殆ど少ないから…ごめんなさい、アタシにはなんとも言えない」

 申し訳なさそうに向けられるルミナスの視線に、セレナはふるふると首を振った。
 夜伽聖女に関する詳細は不明な点が多いとは以前聞いていた。ルミナスを責める理由はない。

 それからルミナスがテーブルに肘をついて長い溜息を零す。

「眠気に関しては、おそらく体からの信号じゃないかしら。それだけ負担がかかっているのだということ。苦痛が減ったのなら、楽になる部分もあるでしょうけれど…」
「そこはちょっと、微妙かも…」

 確かに苦痛よりは眠気の方がましなような気はするけれど、自身で制御できないのは大変困る。
 時と場所を選ばず眠ってしまうのはある意味危険だ。自分だけでなく、他人にも迷惑をかけることになる。
 そういう意味では会話の途中で眠ってしまったイリオスには多少の申し訳なさはあった。それまでの経緯があるので素直に謝る気にはなれないが。

「ただ…ある種での適応のかたちとも言えなくもないわ。その眠気も、そして急に文字を読めるようになったのも」
「…適応…?」
「貴女は異なる世界からこの世界へと召喚された存在。それが夜伽を通して呪いをその身に受け容れ…この世界の人間として、体が馴染んだ、ということよ。憶測でしかないけれど」

 ――この世界に、体が馴染む。
 適応する。
 それは生きていく上では大事なことなのでは。

「それ、は…良いこと、だよね…?」
「…貴女に、もとの世界へと戻る気がないのなら、悪いことではないはずよ。ただ、アタシも経験のないことだから…貴女にとって害はないとは、言い切れないわ」
「でも、わたしはこの世界で生きていくと決めてるわけだし、この世界に住みやすくなるなら特に問題はないと思うけど…」
「…それだけ、ならね」

 セレナが楽天的なのか、ルミナスが心配性なのか。ふたりの現状へと抱く思いには随分温度差がある。
 ルミナスは懸念の表情を崩さずに、セレナの胸元へとその視線を向ける。
 今は衣服に隠されているが心臓の上に現れた刻印は、むかしから良い意味合いは殆どない。

 魔術においても儀式においても、刻印とは印。力の強い者が対象に刻む、所有物である目印だ。
 誰かがセレナに印を刻んだ。もしくは――

「…とにかく、その刻印についてはアタシの方でも調べてみるわ」
「え、いいよ、今はとても忙しいんでしょう? 特に今のところ眠気以外の弊害はないし、調べるのは表が落ち着いてからで」

 相変わらず危機感のないセレナの台詞にルミナスは重い溜息を吐く。
 確かに現状表はとても慌ただしい状況だ。ずっとこの部屋に篭りきりのセレナにはおよそ想像もつかない出来事が王家には起きている。
 自分も立場上かかりきりの状態でセレナの様子を見にくる時間を作るのも困難で、その状況を先日イリオスに相談したばかりだった。

「文字の読み書きもできるようになったから、蝶の返事も自分でできるようになったし」
「それは駄目」

 とっさに口にしたルミナスに、セレナは目を丸くする。ルミナス自身も思わず口から出た言葉で、取り繕う暇もなかった。

「…今は。王子たちも表の公式行事でかかりきりになるはずだから…それが終わるまでは、夜伽を頼む暇も必要もないはずよ。ゼノス王子の体も、今は安定して公式行事に臨めると判断されているわ」
「…そう、なんだ」
「もし誰かから夜伽の依頼がきたらすぐにアタシに報せること。いい?」

 いつになく真剣な顔でルミナスがセレナに念を押す。その迫力に気圧されつつ、セレナは大人しく頷いた。
 束の間のお休み。だけど素直に喜べない気がするのはどうしてだろう。
 ルミナスはセレナの返事にようやく固い表情を崩して席をたつ。

「…落ち着いたら…陛下に貴女の外出許可を申し出てみるわ」
「…え…?」
「これまでの貴女の働きの、成果に見合った褒美を少しくらい望んでも良いはずよ。いろいろと制限はされるでしょうけれど…ずっとこの部屋に篭りきりだなんて、体に悪いわ」
「…ルミナス」

 その気遣いと優しさに胸を打たれると同時に同じ胸が鈍く痛む。
 既に一度この部屋を抜け出し、そしてまた隠れて外に出る気でいることを、それでもセレナはルミナスに言えない。
 目の前の相手が自分をどれだけ思ってくれているか、知っているのに。

「…ありがとう、ルミナス。楽しみにしてる」

 いずれ彼を傷つける言葉を吐いて、それでもセレナは笑ってルミナスを見送った。
 それからそっと、テーブルの隅に寄せておいた書類の束を手にとって、めくってみる。
 
 以前ゼノスに頼んだ、先の“夜伽聖女”に関する記録。閉じられた薄い冊子が数えるほどの、少ない情報だ。
 いずれ文字を習い時間がある時に読んでみようと思っていたそれを、こんなにはやく実現できるとは思ってもいなかったけれど――
 
 今夜は日暮れと共にあの修道院に行くつもりだった。
 昼の内は心配性のルミナスがまた様子をみにくる可能性がある。だから部屋を抜け出すなら夜になってからと決めていた。
 日暮れまではまだ時間がある。それまでこれに目を通そうと思ったのだ。

「……“過去の歴史において、ただひとり”…」

 今のセレナには、読める。この世界の、この国の文字が。

 この国の歴史においてただひとり現れ、そして国を救ったという、“夜伽聖女”。
 今は自分の役割となったその存在のことを、少しでも知りたいと思った。
 せめてこれ以上周りの人たちに心配と迷惑をかけずに済むよう。自分のことぐらい自分で知っておきたい。

「…“その、名前は”…」


 過去の記憶がふと脳裏を掠める。
 “夜伽聖女”としてこの国にばれた時。
 そこに居たのはただひとり、ノヴァだけだった。
 
 ――『新しい名前はあなたがつけて』

 すべての始まり。
 ふたりの出会い。
 どうしてそれを今、思い出すのか。
 自分でも分からない。
 指先が微かに震える。

 ――『…セレナ、と。そう呼ばせてください』

「……“セレナ”」


 夜伽聖女を…わたしを。
 セレナと名付けのは。



 ――セレナ。
 それが、夜伽聖女の、なまえ。


------------------------------


「…何やってるんですか」

 うんざりとした声音と顔を隠す気もなく目の前の相手に向けたシンシアに、向けれた相手はまるで開き直ったように胸を張って応えた。

「何ってなんだ。言っただろう。手伝う、と。これはどこに運べばいい」

 その態度も存在感も大きすぎて目立ち過ぎて。この修道院ではとても隠しきれない。
 仮にも一国の王子であるアレスが、厳格な騎士団の隊服の上から腰元に白いエプロンをつけて大きな籠を抱えているのだ。
 もはやどこからつっこんで良いのかシンシアは頭を抱える。

 騎士団にも籍を置くアレスが、隊服を着ているのは別に変わったことではない。むしろ王子としての正装よりも訓練や鍛錬の為に隊服で居ることの方が多いアレスだ。
 白いエプロンは汚れる作業場のささやかな防御だろう。アレスは服が汚れてもまったく気にしないだろうが、おそらくアレスに付く周囲の者が申し訳程度に付けさせたのが想像できる。
 という名目でアルベルトが面白がって付けさせたことくらいシンシアには容易に察しがついた。アレスの後方で笑いを堪えるのに必死そうだからだ。
 おそらく言っても効かないアレスに切り札として差し出したそれを、アレスは厭わずあっさりと付けた結果が今の現状だろう。子ども達には大うけのようだが。

 問題なのは、何故ここに居るのかということだ。
 第二王子でもあり王位継承権第二位を持つこの兄が、何故この王都の外れの修道院に。
 城からも騎士団の本拠地からも距離のあるこの場所に、供も殆ど付けずに、だ。
 外はじき暗くなる。夜にひとりで出歩いていい身分ではない。自分とは違って。

「あなたに手伝わせたなんて知れたら、教皇がお叱りを受けますよ。帰ってください」
「父上には言ってあるし許可も頂いている。それに今回の祭事の延期は俺の独断による進言のせいでもある。俺が後始末に手を貸すのは当然の役目だろう」

 つまり祭事の準備を手伝うことは、ていの良い尻拭いでもあると言いたいわけか。
 延期になった理由はシンシアもアルベルトから聞いている。
 “聖女さまの体調不良”という表向きの理由ではなくその本当の理由を。“聖女”が子どもたちを拒絶し傷つけたその事実をシンシアは口には出さずとも軽蔑している。

「王子が雑用だなんて、聞いたことないですよ…」
「何を言っている。お前だってそうだろう」
「私は、良いんです」

 全く意に介さないアレスの態度にシンシアは舌打ちしそうになるのを堪えて後方のアルベルトにその矛先を向ける。
 アレスを追い返さなかったのは最終的にアルベルトの判断だ。現状この修道院の最高責任者は彼なのだから。
 アルベルトは距離を詰めながら、非難混じりのシンシアの視線に笑って応えた。

「これも社会勉強だと思い、準備の手伝いをお願いしたのです。陛下から許可を頂いているのであれば、こちらは邪険にはできませんから。実際人手不足なのは事実ですし」

 そういう問題ではない、のはシンシアにとってだけの問題であるからだ。
 単純に、シンシアは。この場所に王族である兄に不必要に居て欲しくないのだ。
 シンシアで居られるのも、あと少しだからこそ――

「兄上、まさか本当にひとりですか?」

 ふとアレスの周りにいつも居るはずの者が居ないことに気付いて声音を落とすシンシアに、アレスはそっと外の小屋を目配せした。

「流石にそんな不用意な真似はしない。時期が時期だしな。最低限の者だけ連れているが、外で見張りだ。子どもたちを怖がらせても悪いしな」

 一応の心配りを見せる兄に僅かならがシンシアは安堵する。
 シンシアも王族の身であるが、ここに来るときは護衛も世話役であるシルヴァもすべて距離を置かせている。この修道院自体が女神の神聖な庇護下にあるとされているので、修道院そのものが異質な場所でもあるのだ。
 他の者を寄せ付けず孤立した修道院。今や頼るものは不可視の女神の加護だけ。シンシアはその事実を皮肉に思っている。
 それはつまり、すべてから見離された場所でもあるからだ。

「とにかくここでは、他人で通してくださいね、アレス王子。あと呼び方にはくれぐれも気をつけてください。ほんっとうに!」
「わかっている、こちらはこちらで勝手にしている。俺のことは気にするな」

 無理を言う。それだけ目立つ風体で、気にするなという方が無理だ。
 そんなふたりの兄弟喧嘩を微笑ましく見ていたアルベルトが、ふと表情を変えたことに気付いたのはシンシアだった。

「アル?」
「…どうやら来客のようです。例の結界に、ひっかかりましたよ、シンシア」
「…!」

 アルベルトの言葉にシンシアは、何を言っているのかすぐさま理解し裏門へと走った。

「お待ちください、シンシア。ただ、どうやら…ひとりでは、ないようです」

 制止するアルベルトの言葉に目を丸くするシンシアに、アレスが怪訝そうに首を傾げた。
 何やら予想外の事態が起こっているようだと感じて、一応の護衛のつもりで早足に歩き出すふたりの後をアレスも追う。シンシアもアルベルトもある程度の魔法は使えるはずだが、戦闘向きではない。

「ここに訪れたことのある者は、結界の対象外にと術時に組み込んだはずなのですが…」
「…来たのはセレナじゃないってこと?」
「分かりません。結界が拒否をしたわけではない以上、害のある者ではないはずですが…」

 裏口に辿り着き、そっと身を建物の影に寄せながら扉を開ける。先を行ったのはアルベルトだった。シンシアとアレスがその影から息を潜めて覗き込む。
 アレスは腰の剣に手をかけていた。呼べばすぐに護衛は駆けつけるが、大事にしたくないのもそれぞれの胸にある事実だった。この場所で揉め事を起こしたくない。これ以上。

 外は完全に日が落ち暗闇に包まれていた。
 すぐ目の前にある裏庭には、子どもたちの世話する薬草が生い茂っている。
 そこに並ぶ、ふたつの影。
 その光景にその場に居た男たちは皆目を瞠った。

「……セレナ?」
「……エレナ?」

 シンシアと、そしてアレスが口にした自分の名前に、それぞれひかれるように顔を上げる。


 ふたりの“聖女”がそこに居た。


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