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第六章
ふたりの聖域
しおりを挟む「――魔の森について?」
セレナの口から出た単語に、思わずアレスは眉を顰める。
互いの利害関係が一致して、ようやくそれぞれの本題にはいった。
先にセレナの用件を促したのは、アレスにまだ迷いがあったからだ。エレナから託されたという“宣託”をセレナに確認することに。
この国の未来に関わることならば、王子として個人の範疇を越えるおそれがある。場合によっては父である国王陛下の判断を仰ぐことにもなるだろう。
エレナの言っていたことすべてを鵜呑みにするわけではないが、時期が時期なだけに慎重になった方が良いと判断したのだ。
そしてセレナから出てきたのが、先の単語だった。
魔の森。国の西に位置するその森は昼夜問わず暗い霧に覆われている。異形の魔のモノが棲みつき日に日に瘴気を増す死の森だ。
魔のモノと瘴気の影響で命を失った者は少なくない。
「ここに居る子ども達は、魔の森の瘴気にあてられて身体が穢れ、町をおわれてここに身を寄せている子たちが多いって聞いた。穢れは、死に至るの…?」
セレナは異世界より召喚された人間だ。この世界の、この国の情報には疎いのだろう。
これまで殆ど外に触れてこなかったのなら、尚更。
アレスは僅かに思案し、顔を上げる。
「穢れには個人差がある。多くあてられれば無論その度合も大きいが、性質による個人差というのも認められているのが現状だ。穢れへの耐性や体質がそれだ。瘴気そのものに致死性はない。だが人によっては病や身体の不和といった思わぬ弊害を生じさせる」
「…個人差」
アレスの説明を受けて、セレナも視線を落として考えこむ。
サラの体の穢れの痣が増えているということを、アレスに言うべきか悩んだ。少なくともサラ自身は、周りに知らせることを望んでいない。今は。
瘴気そのものは害ではあるが致死性はないということは、それで死人が出たという実例はないということだろうか。
例えそうであったとしても、現在もなお穢れの痣が増えているということは、体への害もそれだけあるということだ。
どちらにせよどうにかしたい。ちゃんと確証のある情報が、方法が知りたい。
「…瘴気にあてられた体は、どうしたら、良いの…? 穢れた身体はもう元には戻せないの?」
「…穢れは、払える。だけどそれを払えるのは“聖女の浄化”と“女神の加護”だけだ。この修道院は女神の加護を受けている。だから子ども達は、ここに集う」
女神の加護。
そんな目に見えないものに縋らなければならないのが実情なのか。
――聖女。
そんな、救えもしないものに。
アレスの言葉に再び黙り込むセレナに、アレスは伺うように視線を向ける。
この国で表向きの“聖女”といえば、エレナのことだ。
先ほどふたりは知り合ったというが、どこまで関係を明かしているのか。
少なくともセレナの方から自身の正体を明かすことはないだろう。
そして今目の前の反応から察するに、やはりエレナもセレナに自身の正体を明かしたわけではないことが伺えた。
それならはエレナが託したという“宣託”は、おそらくそのままの形ではないと推測される。
出会ったばかりのセレナに託すほどの何かが、ふたりの間にあったのだろう。
互いに共通する“聖女”という役割以外に。
「…おまえは」
ふと思わず。
アレスの口から零れた言葉にセレナはひかれるように顔を上げる。
まっすぐと自分を見つめる眼差し。その瞳に一筋の光。
「おまえは、払えないのか…?」
アレスにとってもそれは、思いつきにすぎない言葉だった。
ただ、セレナとエレナふたりに共通することといえば“聖女”だと考えて、それから。
自分はセレナの“浄化”によって呪いから解き放たれた身であったことを思い出したのだ。
自分たち王子が長く身に宿していた呪いも、いわば穢れと同等ではないか。
その相貌も苦痛も絶望も。
まるで、同じではないか。
「おまえは、俺の呪いを浄化しただろう。その本質に、違いがあるとは思えない」
「ま、待って、アレス王子」
「アレスで良い、イリオスのことも呼び捨てのくせに俺にだけ敬称をつけるな。そもそも呪いを浄化する力があるなら、瘴気の穢れを払うこともできるんじゃないのか?」
自分の推察にみるみる興奮するアレスの様子に、セレナの心はみるみるひいていく。
この人の邁進的な突き進み方はある意味馬鹿なのではないか。流石にそれは口にはできないけれど。
「わたしは、“夜伽聖女”なんだよ。子ども達相手に夜伽をしろと?」
「う、いや、そういう意味ではなく…!」
隠しきれない軽蔑と冷たい目を向けるセレナに、アレスはぐっと言葉を詰まらせる。
アレスがそんなことを考えているとセレナも本気で思っているわけではない。ただ短絡過ぎる思考に呆れただけだ。
それに、自分は。
「少なくともわたしは、夜伽以外の方法を知らないし、自分にそんなことができるとは思えない」
セレナの“夜伽”は浄化ではない。
王子たちの身体から呪いを受け継いだだけだ。
自分の身体が受け皿になっただけ。
アレスが浄化されたと思っている王子たちの呪いはまだこの身にある。
それをアレスに言うつもりは無いのでこれ以上の問答は無用に思えた。
…でも。
自分の身体には、受け皿となる資質がある。
それは紛れもない事実であった。
王子たちに対するその仲介が、“夜伽”であっただけで…
「…夜伽以外の、仲介があれば…」
浄化はできない。穢れは払えない。
だけどもしかしたら、取り除くことだけなら、できるのではないか。
セレナの胸に、その粟粒のような可能性に。
光が灯る。
馬鹿げた推察かもしれない。先ほどのアレスを嗤えない。
だけど希望も何もないよりずっといい。
「…おい?」
急に黙り込んだセレナにアレスは若干控えめに声をかける。
流石に自分の短絡的思考には反省しているらしい。僅かながらしおらしくなった態度でセレナの様子を伺っている。
セレナはふと、香る花の香りに気が付いた。長く庭園に居たせいで自分の身に移っていたものだろう。
――セントポーリア。
女神の化身とうたわれる、浄化の花。
ここは女神の加護を受けた場所。
「…やってみたい、ことがある」
“夜伽”が、身体を繋げるだけではないことを、セレナは知っている。
ほんの僅かながらでも、繋げずともゼノスの呪いを継いだことがあったのだ。
あの時は触れていただけ。そして分け合ったものがある。
王子たちの呪いが自分に反応するのに対し、サラの穢れの痣がそんな素振りを見せたことはない。
見た目は似ていても、やはりその本質は違うのだろう。だから可能性は薄いかもしれない。
でも。
一握りでも可能性があるのなら。
「協力して、アレス」
誰も何も失わず、自分にできること。
やってみる価値はあるはずだ。
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「――セレナ?!」
締め切られていた扉を勢いよく開けて中に押し入る。
ドレスの裾を掴みながら肩で息をするシンシアの視界に映ったのは、ただの空っぽの室内だった。
おかしい。アルベルトによるとふたりは確かにここに居たはずだ。
この修道院に結界を施しているアルベルトには、結界内に居る人物の居場所特定など造作も無かった。
室内庭園の世話をサラとしていると思っていたセレナの姿が見当たらないことに気付いたのはつい先ほど。
ようやく自分の用件に一区切りをつけた時には既に夕食の時間だった。だけど食堂に居ると思っていたその姿が見当たらず、サラに聞いても分らないと言う。
そして姿の見当たらない人物が、もうひとり。
エレナが城に戻ったことは既に報告を受けている。もうひとりのその人物が修道院に残ったことも。
シンシアにはふたりは一緒だという確信が何故かあった。
だから急ぎアルベルトにふたりの居場所を確認し、急いでこの部屋に来たのだが――
「いない…?」
部屋の中は既にもぬけの殻だった。
だけど部屋に微かに香るセントポーリアの残り香が、セレナが確かにここに居たことを物語っている。
確かにふたりはここに居たのだ。つい先ほどまで。
「もしかして…」
再度アルベルトに訊けばふたりの居場所はすぐに分かる。だけど戻る時間も今のシンシアには惜しい。
シンシアは自分の勘を頼りに再び廊下を走り出す。
普段はそれを諌める立場であるはずなのに、今はそれを気にしているどころではなかった。
セレナは一般人だ。自分たち王族とはなんら関係のない。
何かしら理由ありの素性の知れない娘ではあるけれど、それでも王族である兄とは関わってほしくないのがシンシアの心情だ。
自分が王子の身分を未だ隠しているように、知れればその関係性は変わる。
シンシアにとって今はそれが一番こわかった。
アレスが誰彼構わず手を出すような人物ではないと知ってもいる。女遊びよりも騎士団に出入りすることの方が多いのがアレスだ。
だけど何故だか胸が騒ぐ。
自分がまだ正体を明かす気ではない以上、不必要に兄であるアレスには近づかないようにしようと思っていたはずなのに、それでもじっとはしていられなかった。
自分の中でセレナの立ち位置が、変わってしまった今だからこそ。そしてまだ消化しきれない想いがあるからこそ。
シンシアとして過ごす時間を、セレナと共に居る時間が大事だった。
だけどもうあまり時間は残っていない。
だからこそ今は誰にも邪魔されたくない。
それだけは確かだった。
そうして辿り着いた建物の真反対に位置する屋内庭園に、シンシアの予想通りふたりの姿を見つけることができた。
一部の廊下側の壁を大窓に差し替えているので室内の様子は廊下からもよく見える。
一日中、日の光に恵まれた場所。祭事にあわせて咲き誇る、セントポーリアの純白が室内に溢れている。
そこにセレナとアレスは居た。ふたりの距離は驚くほどい近い。
「…? なにを、して…」
ひとまず上がる息を整えようと足を止め、シンシアは窓の影から室内の様子を伺った。
おかしい。ふたりに面識はないはずだ。なのにそのふたりが何故、こんなところに揃って居るのか。誰にも行先を告げずに隠れるように。
セントポーリアの水生花壇を覗き込むセレナは、裾が汚れるのもそのままに水路の傍に屈みこんで何やら手を動かしている。
その傍らに王子であるアレスも地面に膝をつき覗き込むその様は、普段であれば到底人に見せられないだろう。
王族が人前で膝をつくなどと。イリオスが知ったらどれだけ怒られるか。
シンシアの王子としての教育はイリオスにも一部任されていたので、イリオスの王子としての振る舞いに対する厳しさをシンシアはよく知っている。アレスも知らないはずはない。
それから、状況を理解できないまま半ば混乱するシンシアの視線の先で。
ふたりの影が、ゆっくりと距離を縮めていく。
「……!」
思わず窓についた手に、力が篭る。
さっきまで上がっていた呼吸は、今度は別の意味ではやくなる。
背を向けたままのふたりはこちらには気づく様子もない。
鼓動が知らずはやくなり、もう片方の手で思わずドレスの裾をきつく握りしめた。
頭も体も追い付かない。ただ呼吸が苦しくて胸が痛い。
どうして。
今、自分は。
これはどっちの、感情なのか。
ふたりの影が重なって、その境界が見えなくなって。
ようやくシンシアの手が、足が動く。
ただ、それだけは。
ゆるせない。
相手が誰であっても。
――神聖な場所。
おそらく自分でも気づかない、心の拠り所。
誰にも触れさせたくないそれは、誰にも理解されることのない聖域だ。
それは自分だけのものだ。
だから、誰も、触れないで。
──自分以外。
そしてふたりの秘密の花園に踏み入ったシンシアのその目に映ったのは、予想外の光景だった。
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