僕の恋愛スケッチブック

美 倭古

文字の大きさ
1 / 57

1.The Voice

しおりを挟む
 ポケットに手を入れエスカレーターに乗り込んだ橘直人26歳は、不安気な面持ちで自身が降りる3階を見上げた。

『7歳の女の子の好みなんて俺に分かるわけないじゃん。姉ちゃんが付いて来てくれればいいのに・・』
「はぁ――」
 心の不安が口から溢れそうになるのを、大きな溜息で誤魔化す。
 重い足取りでエスカレーターを降りた直人の目に、子供服のディスプレイが飛び込む。

『うわぁ~ リトルマダムだなー』
 直人には、到底キッズ服には見えないマネキンの足元で、表示されている価格にも愕然とした。
「うひょ~ さすがディライトンプラザのショップだわ」
 直人は小言を並べながら不安な面持ちで、名高い子供服店に足を踏み入れた。
 
 分厚いカーペットが敷かれたフロアーと整った照明。壁に沿って1列に並ぶハンガーラックには、ずらりと子供服が掛けてあった。それらは左右で男女に別れており、店内の中央にはお洒落な鞄やアクセサリーが、ガラス棚に丁寧に置かれていた。

「値段はデカイけど、ちっさくて可愛いな~ さてと、由香にはどれが似合うかなぁ」

 直人は先程までポケットに閉まってあった手を取り出すと、少し真剣な目つきで入口付近のハンガーラックに近寄った。

 由香とは直人の姪で、姉、綾香の長女である。人付合いの苦手な直人は、他人の好みなど知る由がなかった。それが例え家族であってもだ。そのため、今年小学校に入学する由香の祝いは、現金で済ませるつもりだったのだが、直人自身でプレゼントを選んで来てと姪の由香直々にお願いされ、ここに来店したのだ。

「え~と・・・これ?」
 丁寧にハンガーに掛けてある小さなドレスを1つ手に取ってみる。

「由香の好きな色ってなんだっけ? ・・はぁ~」
 手に取ったドレスを暫く眺めたあと、元の位置に戻す。

「俺って、いつまで経っても服のセンスないな~。店員さんに選んでもらうか」
 そう考えた直人は、服選びに集中していた意識を店内へと移動させた。すると、直人の耳に何故か心地良い声が飛び込んできたのだ。

「うん、それで完璧だよ。さすが僕の部下だね。有難う。お疲れ様」
 電話口で男性がそう告げると、電話の向こう側では労いの言葉に声が弾んでいる。

「一番大変な時に抜けちゃってごめんね。式が終わったら直ぐに戻るから・・・。そう言ってくれて助かるよ・・予定通り進んでいるみたいだし、今日はもう終わっていいよ。中田さん達と美味しい海鮮物でも食べて・・勿論僕のおごりだから・・うん・・皆に遠慮しないでって伝えて・・・・うん・・じゃあ本当にお疲れ様。何かあったらいつでも電話してくれていいからね」

 無意識に直人の耳が、その声に吸い込まれていく。
【この声・・この話方・・・・】

『直、愛してる・・・・』
 優しい声が耳元で囁かれる。

 どこか遠くに置いてきた記憶。
 忘れていた心の痛み。
 それらが呼び起こされた感覚に陥り、声の持ち主の方へふと目線を移す。

 直人はハッとして思わず口を右手で覆った。

 電話を切った後、携帯の画面を暫く見つめていた男性は、スーツのポケットに電話を入れながら、ふと顔を横に向けた・・

 直人と男性の目線が重なる。

 店内が酸欠したかのように二人とも息をするのを忘れ、2つの心臓の鼓動が辺りに鳴り響いた。

 直人は口元を覆っていた手を身体の横に戻すと、拳をぐっと握りしめた。そして、1つ大きいが静かに深呼吸をすると、呆然と立ち尽くしている男性に向って歩を進めた。

「ようさ・・」
「パパぁ~」

 直人が勇気を振り絞り口にした言葉は、小さな愛らしい声にかき消される。

 直人の姪、由香と同じ年頃の小さな女の子が、男性の足に抱き付いた。
 しかし男性の耳には何も届かないのか、未だ直人に目を向けたままで立ち尽くしていた。

「パパぁ~」
 先程の弾んだ声と異なり少しトーンを下げた少女は父親の目線を辿る。
「知ってる人?」
 少女は男性のスーツの上着の裾を引っ張りながら尋ねた。

 まるで違う世界から帰還したかのようにハッとした男性は、ようやく娘の試着が終わり自分の所に戻って来ていることに気が付いた。
 男性は、足元に抱き付いている娘に愛おしい眼を向け優しく彼女の頭をなでる。
 娘は嬉しそうに満面の笑顔を父親に送ると、抱き付いていた手を離し数歩後ろに下がった。

「パパ、どう?」
 少女が両手でドレスを持ち、少ししゃがんで父親に彼女の姿を見せていると、少女の背後から女性の声が近づいて来る。

美来みくぅ~、お靴もちゃんと履かないと・・」
 ゆっくりとした歩調で苦笑いを浮かべながら現れた女性は、男性のまわりに漂う不思議な空気を感じ取った。そして、ふと自分達の傍らで自分達を眺めている直人に気付く。
「陽一君? お知り合い?」

 男性の名は、陽一
 長女の美来が小学校入学祝いパーティーで着用するドレスを買いに来ていた。
「あ、否」

 咄嗟に飛び出た陽一の言葉が、その場に未だ立ち尽くしていた直人の心を突き刺した。
【・・・・陽さん!】
 心で叫ぶ声は陽一には届かないと悟る。

 喉の奥に何かが詰まったように、それ以上の言葉が出せずにいる陽一に、少し頬を膨らませた美来が父親に声を掛ける。
「パパぁ~ このドレス美来に似合ってる?」

 陽一は、一瞬頭が真っ白になっていた自分の意識を取り戻すと、愛らしく膨れっ面をした美来を直視し、ニコリと微笑んだ。

 陽一のその優し過ぎる微笑みが、直人をその場から追い遣ったのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

はじまりの朝

さくら乃
BL
子どもの頃は仲が良かった幼なじみ。 ある出来事をきっかけに離れてしまう。 中学は別の学校へ、そして、高校で再会するが、あの頃の彼とはいろいろ違いすぎて……。 これから始まる恋物語の、それは、“はじまりの朝”。 ✳『番外編〜はじまりの裏側で』  『はじまりの朝』はナナ目線。しかし、その裏側では他キャラもいろいろ思っているはず。そんな彼ら目線のエピソード。

【完結】毎日きみに恋してる

藤吉めぐみ
BL
青春BLカップ1次選考通過しておりました! 応援ありがとうございました! ******************* その日、澤下壱月は王子様に恋をした―― 高校の頃、王子と異名をとっていた楽(がく)に恋した壱月(いづき)。 見ているだけでいいと思っていたのに、ちょっとしたきっかけから友人になり、大学進学と同時にルームメイトになる。 けれど、恋愛模様が派手な楽の傍で暮らすのは、あまりにも辛い。 けれど離れられない。傍にいたい。特別でありたい。たくさんの行きずりの一人にはなりたくない。けれど―― このまま親友でいるか、勇気を持つかで揺れる壱月の切ない同居ライフ。

ショコラとレモネード

鈴川真白
BL
幼なじみの拗らせラブ クールな幼なじみ × 不器用な鈍感男子

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

ジャスミン茶は、君のかおり

霧瀬 渓
BL
アルファとオメガにランクのあるオメガバース世界。 大学2年の高位アルファ高遠裕二は、新入生の三ツ橋鷹也を助けた。 裕二の部活後輩となった鷹也は、新歓の数日後、放火でアパートを焼け出されてしまう。 困った鷹也に、裕二が条件付きで同居を申し出てくれた。 その条件は、恋人のフリをして虫除けになることだった。

借金のカタで二十歳上の実業家に嫁いだΩ。鳥かごで一年過ごすだけの契約だったのに、氷の帝王と呼ばれた彼に激しく愛され、唯一無二の番になる

水凪しおん
BL
名家の次男として生まれたΩ(オメガ)の青年、藍沢伊織。彼はある日突然、家の負債の肩代わりとして、二十歳も年上のα(アルファ)である実業家、久遠征四郎の屋敷へと送られる。事実上の政略結婚。しかし伊織を待ち受けていたのは、愛のない契約だった。 「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」 過去に愛する番を亡くし心を凍てつかせた「氷の帝王」こと征四郎。伊織はただ美しい置物として鳥かごの中で生きることを強いられる。しかしその瞳の奥に宿る深い孤独に触れるうち、伊織の心には反発とは違う感情が芽生え始める。 ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。 孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

処理中です...