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4章 元自衛官、休みに突入す

68話

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 休んだのか休んで無かったのか判らない中で、俺は身支度をしている。
 一度だけ日用品や装備の一部を展開して、その在庫を確認しているのだが──。

「お着替えは大丈夫ですか?」
「問題なく沢山有る」
「武器や装備はちゃんと数を数えとくのよ? 後になって困るのはアンタなんだからね」
「自分の商売道具を疎かにする奴があるか。大丈夫だって」
「歯を磨いたり、お身体を洗うものは大丈夫ですか?」
「それも準備してある、問題ないよ」
「正装とか、ソレっぽいのは準備してる? デルブルグ家、ひいてはヴィスコンティの恥になるような格好はしないでよね」
「俺は子供か! 一応制服ぐらい用意してあるわ!」

 マーガレットとミラノに管理され、助かるといえば助かるのだが、忙しなくて落ち着かない。
 マーガレットは落ち着いて周囲の荷を見て居るのだが、ミラノはまるで遊園地に来た子供だ。
 あるいは、大雑把に種類のみで把握しておこうとしているのかも知れないが、右へ左へと大忙しだ。
 本来ならカティアが居ただろうが、アリアの面倒を見ていて来られない。
 それに、ミラノが「準備できてるの?」という話から流れに流れてここまで来たのだから仕方が無い。
 何が悲しくて七時から荷物検査されなきゃいけないのか。
 昼食後に出発だとしても、余裕は──あまり、ないか。

「荷物そのものは問題なし。と言うか、元々長期行動可能な物資量が保管されてるから、確認する間でも無かったんだけどさ」
「そうですか? 私はちょっと楽しかったですけど、ミラノ様はどうでした?」
「ん? え、あ、うん。そうね。色々持ってるのが分かっただけでも良しとしますか」
「って、おい! 俺の旅路の準備じゃなくて二人の興味好奇心を満たす為の準備かい!?」

 スタックさせて品をストレージに突っ込んで行く。
 目の前で粒子と化して消えていく品々と、足の踏み場にも困るくらいに圧迫されていた空間は一気に元通りになった。
 メモ帳に書き込んだページを眺めて一息吐くと、マーガレットがお茶の準備をしてくれる。
 ……昨日の夜、衝撃的な事を言った割には余り変わって見えない。
 あるいは、既に自分の心の中で整理はついていて、それを言い出すのに勇気が要っただけなのかもしれない。
 ベッドに座り込んでメモ帳越しにマーガレットを何度か見て、ペンで頭を搔いていると肘で突かれる。

「ん、なに?」
「片道で十日みたいだけど、大丈夫?」
「山篭りで十日以上居た事があるから、あの環境に比べたら全然楽」
「けどそれって訓練としてでしょ?」
「旅よりはきつい環境だと思うけどな。酷い時は一日と半分を不眠で過ごした事だってあるし、その間も突撃だの攻撃だのしてたんだぞ?」

 あぁ。懐かしき自衛隊時代。
 あの頃を思えば大体の辛い事は乗り越えられます、実際にそうやって乗り越えてきてるから何とかなるもんだなあ。

「──ま、口喧しいのが居なくなってせいせいするよ」
「はいはい。せいぜい強がっておきなさい。アンタが屋敷に戻ってきた時に『やっぱこっちの方が良い』って言い出すのがもう見えてるし」
「軽口を軽口で返されるのは良い兆候?」
「さあ? それはアンタが決めなさい」

 以前であれば額面通りに受け取って、喧嘩していてもおかしくなかったが。
 まあ、軽口に軽口で言い返されるのは悪い気はしない。
 帰国子女校で出来た仲間達のようだ、気の良い気持ちの良い奴らだった。
 ただ、周囲の目線で語るのなら『オタク』であり、仲間はずれでもあったのだが。

「ちょっとは寂しい?」
「まあ、近からずとも遠からず」
「十点満点で、何点くらいかしらね」
「三……いや、四点?」
「四!? せめて八くらいにはしておいたら?」
「いや、四だね。八は……話す相手が居ないまま長い時間拷問のような時間を過ごした時」
「じゃあ、何が十点なの」
「十点は……自分が意味無く死んだ時かな」

 そこまで言えば全部理解してくれたらしいが、ミラノは不満なようだ。
 チョップをかまされ、頭の上に肘をついてきた。その為にベッドに登って膝立ちするのだ、周到にも程がある。

「ま、辛くなったら帰ってきなさい。アンタは意味も無く逃げ出したりしないでしょうし、逃げたら逃げたでちゃんと屋敷まで来ること」
「なんで逃げる事前提なんですかね……」
「アンタの身分と、まだ自分が何者なのかも分からないまま他国に行くのは辛いことだろうし。アンタが逃げるって事は、不測の事態が起きたか、相手が到底飲み込む事ができない要求をしてきたって事だから。そこらへん、後で父さまから説明されると思うけど、私の事や父さまの事を思い出して逃げられないのなら、許可を出すからさっさと逃げる事」
「──……、」
「返事」

 今度は耳を引っ張られる。俺が返事をすると彼女は満足そうな声を出した。

「カティア越しに話が出来るから、何かあったら──いえ、何も無くても色々言いなさい」
「それ、手紙のやり取りと同じじゃね? まあ、そんなお安い事なら幾らでも。ただ、カティアにもあまり負担をかけてやらないで欲しいかな。今でさえアリアの件で世話になりすぎてるんだ、暫く俺が居なくて所在なさげになるかも知れないけど、もし良かったら我儘も聞いてあげて欲しい」
「それじゃ、貸し一つね。帰ってきたら返してもらうから、そのつもりで」
「あ~、うん。俺に出来る事で、許容できる事なら何でもやるんで……すいません許して下さい」

 俺はメッチャ下手に出る事で少しでも要求される事柄のランクを下げようと試みる。
 しかし、そんな俺の努力もむなしく「バ~カ」と楽しげに言われてしまった。
 容赦する気が無いと言う事だろう、俺の努力はむなしくも消えたようだ。

「ちゃんと、無事に、元気で帰ってくる事。アンタが元気なら、とりあえずはそれで良いんだから」
「──……、」

 胸にグサリと、嫌な言葉が突き刺さった。
 トラウマではないが、ただ悲しい記憶に繋がる一言。

『貴方が無事で元気なら、それで良いから』

 母親の、俺への言葉だった。
 俺は立派にやっています、頑張っています。だから心配しないでくださいと、連絡があるたびにそう返していた。
 四年目、俺が陸教に行って陸曹になる事を電話で告げたが、母親は喜びながらも、優しい言葉でそう言ったのだ。
 世界情勢は、あまり良くなかった。曹になると言う事は、数年毎に日本を移動しまくる事にもなる。
 そして、海外派遣にも従事する可能性は高くなるし、実際に俺が除隊して数年後に自民党政権でそれが成された。

 認められたかった、だから頑張った。
 長男は立派にやっています、だから……ほんの少しでも認めてください。
 骨折だの脱臼だの、負傷と言う負傷の大半は体験してきた。
 自衛隊ならではの、叱責だの反省だの連帯責任だのを体験しながらも、俺は何とかやって来た。
 
 しかし……親には分かってしまうんだろうな。
 強がりなんだと。その理由は分からないだろうけど、踏みとどまっているんだと思われたわけだ。
 逃げても良い、それでも元気で無事ならそれが一番良いと言ってくれたのだから。

 無防備だったから、モロに来てしまった。
 動悸が激しくなるが、それでも涙と言う感情として現れないだけマシだった。

「──大丈夫さ。今まで、何とか上手くやってこられたんだ。なら、また上手くやれる、だろ?」
「もう少し、自分を大事にする事」
「それは命令?」
「命令しても良いけど、聞いてくれないだろうから独り言」
「なんだそりゃ……」

 ミラノとのやり取りをしていると、お茶の準備が出来たようだ。
 ミラノも俺もベッドから降りて席につくと、マーガレットにお茶を振舞われる。
 そしてマーガレット自身も最後に自分の分も淹れ、場に加わった。

「そういや、マーガレットはマリーが不在にしている間はどうするの?」
「私は、一度お屋敷に戻ってからまたこちらに来ようと思っています。色が分かりますから、お屋敷で自分がしてきた事が、色々と気になったので」
「成る程」
「それに、徐々に冬が近づいてますから、使用人の方含めて襟巻きを編むのも良いかもしれません。もし宜しければ、ヤクモ様の分も用意しますが」

 ここで、すんなりと「有難う」と言えるのがイケメンなんだろうな。
 しかし、俺は「いや~、自衛隊で使ってた防寒セットがあるしなあ」と考えてしまう。
 ネックウォーマー、目だしマスク、イヤーウォーマー。
 リフレックスインナー系もあるので、それこそ雨と雪、風と言うものに晒され続けなければ大丈夫なのだ。
 だが、俺が返事に困っているのを見て即座にミラノが俺の頭を叩いた。
 衝撃で飲んだお茶が逆流して鼻から出てしまう。虐めか。

「ゴメン、マーガレット。もし手隙だったらお願いしても良い?」
「はい、分かりました。ミラノ様もいかがですか?」
「そうね、是非」
「それでは、お二人の好きな色などがあれば聞いても良いですか? 出来れば要望に応えたいと思います」
「俺は……」
「緑は無しね、それ以外」
「……水色」
「分かりました。ミラノ様はどうしますか?」
「私は桃色が──桃色が……」

 成る程、桃色がすきなのか。つまりはピンクなのだが。
 しかし、彼女の天敵マリーを思い出してしまったのだろう。
 マリーはピンクを基調としたブロンドヘアーをしている、坊主憎けりゃなんとやらだ。
 ミラノは言い淀んだが、暫くしてから「桃色で」と言い切った。

「あはは……マリー様に関わる色が嫌なんですね」
「い、色では流石に難癖つけてこないだろうし! こない、でしょ?」
「俺をみて助けを求めるな……。と言うか、桃色が好きなのか」
「一年生の時にね。ふふ……ヒューガとかミナセったら、何を勘違いしたのか一日目で『国から持ってきました』なんて言いながら、風呂敷を広げたの。その時に貰って食べてみたんだけど、甘くて美味しかったし、学園に行く前から庭の一角に桃色の花があるんだから」
「あぁ、あれか……」

 椿……なに椿だっけ? 漢字三文字だったのは覚えているんだけれども、曖昧でしかない。
 大きな花なんだけれども、匂いがきつかったりしないので……なんだっけ?
 謙遜だとか、控えめの美とかの花言葉があるってのは覚えてる。
 ミラノの体格だのを踏まえると、髪飾りみたいにしたら大分花の占有率が上がって映えそうな気がしないでもない。

「なに? 人の事ジロジロ見て」
「いや、べつに」
「嘘。何か考えてたでしょ」
「いや、ほんとに。ただ──髪飾りにしたら案外似合うのかもって」
「それを本気で言ってるならアンタの美的感覚には異議を唱えたくなるわね。私の髪の色だと、あの花を髪飾りにしても色合いで埋もれて可愛そうでしょ? 似合うとしたら、もっと目立つ色か、対立する色じゃ無いと」
「青とか、赤とか?」

 頭の中では七色の魔女だとか、七曜の魔女と言う単語が浮かんでくる。
 髪の色合い的に言うのなら七曜の魔女が近いのだろうが、ミラノはリボンで飾り立てるのを好かないだろう。

「あの色だったら、マーガレットの髪の色に似合うかもね」
「あとで、どの花か見ても良いですか? 似合うといわれたら、気になって来ちゃいました」
「ええ、大丈夫」

 何だかんだ、ミラノとマーガレットの仲は良好なようだ。
 俺としては嬉しいのだが──嬉しいと思ってしまうあたり『兄』としての自分が出ているのだろう。
 妹も日本では馴染めなかった口なので、重ねてみてしまっているのだろう。
 まあ、悪い気はしないし、そこらへんを気遣えるのも『下々』の役目なんだろうな。

 ~ ☆ ~

 公爵の部屋に招かれて、俺は最後の話し合いをした。
 今回の目的や、相手がどう出るか等を考える。
 その上で公爵は「もし自分に背負いきれなくなったら、検討を建前に言い逃れしなさい」とまで言われた。
 どうやらミラノが言っていたのは本当のようで、公爵も逃げて良いと言ってくれた。
 言外に、直接的な表現はしなかったが『自分だけで対処出来なければ、屋敷まで逃げなさい』と言うことでもあった。

 そして最後に、デルブルグ家の家紋の刻まれた指輪を預かったので、ドッグタグとまとめて首から提げることにする。
 咄嗟には出せないが、ポケットだの荷物だのに無いぶん所在が常に把握できて楽でもある。
 最後の言葉は、生々しいもので「価値観も思考も違う英雄達と一緒で大変だろうが、頑張って欲しい」と言うものだった。
 執務室を後にした俺は、腕時計を見て出発までの時間が無くなって来ているのを確認した。
 
 昨日の夜、マーガレットに不意打ちを受けた事で俺は一つやるべき事を思い出した。
 だからその足でアリアの部屋まで向かい、ノックをする。
 部屋の戸をあけたのはカティアで、一瞬表情を明るくした。

「ご主人様、遅くないかしら?」
「アリアの体調を考えてたけど、出発が今日だからさ。──アリアは?」
「落ち着いてきたみたいだけど、疲れてるみたいだから」
「──長居はしないから、アリアを気にかけてくれ」
「ん、わかった」

 カティアが退いてくれて、俺は部屋に入った。
 そして椅子を一つ掴んでアリアの傍で前後逆で座り込み、アリアを眺めた。
 アリアは身体を起こして読書をしている最中だったようだが、俺が来た事で読書を中断していた。

「ヤクモさん。お久しぶりですね」
「あ~、あんま身構えなくて良いから。直ぐに去るし、今日出発するから顔を見に来たんだ」
「あはは……、大変ですね」
「さあ、どうかな。アリアも大変だろ、熱が出たり身体が痛かったりするって聞いてるし」
「でも、以前よりも良くなってる気はするんです。だから、乗り越えれば……きっと──」

 きっと、よくなる。そう言っているアリアの表情は若干痛々しい。
 クラインから聞いた、アリアを騙して飲ませたのだと。
 無理矢理拘束し、自分が頼み込んでもらったものだと偽って。
 つまり、今のままではクラインに全てが行ってしまう訳だ。
 苦しみ、悲しみ、辛さ──。回復したとしても、その過程で憎悪を育んでしまったら意味が無い。
 だが、俺は遮った。

「──悪い。クラインとミラノが持っていった薬さ、あれ俺のなんだ」
「──……、」
「ミラノに頼まれたんだ。いや、最終的には命令されたんだけど、それはどうでも良いか。回復の効果は、ミラノが誕生した時の作業でアリアの魔力回路とやらが歪んだ事から生じている不調の回復と、その結果また無系統が使える事。咳き込んで詠唱できなかったりするのは、言葉にしてその意味で魔法を使う詠唱術式だから、魔力回路の不調から来るものだった、だから──これからは、ミラノと同じ事が出来るし、出来るはずの事が出来ないだなんて事は無くなる」

 全部叩きつけるように吐き出してから、少しばかり考え込む。
 だが、俺はここで道を間違えない。

「つまり、だ。俺は恩を売り込めた訳だし、ミラノやクラインは大事な妹が回復して万々歳。俺の将来は安泰って事だ。別にアリアには何も要求はしねえよ。そこら変はミラノに融通してもらうんでね」
「嘘、です……」
「嘘じゃねえよ。今度ミラノに聞いてみな? 夜遅くに部屋に来て、自分に出来る事なら何でもやるって言って頼み込んできたんだ。あの時の泣きそうな顔、今でも覚えてるね」

 悪くなれ、精神をメコメコにしろ。
 こういった事は自衛隊で慣れてるだろ?
 候補生の時にたんまりと浴びてきた罵声や怒号、それらを真似するように──意味を履き違えずに、遂行しきれ。
 ミラノやクラインを憎ませるな、彼女が辛いのは俺のせいだと思わせろ。
 頼み込んだのはミラノかもしれない、それにクラインは乗っかったかもしれない。
 だが──ミラノが言い出した「なんでもする」という言葉に釣られて乗っかったのは俺だと、欲に塗れた俺だと思わせることが出来たならそれで良い。
 
 自衛隊でも、内部にその役割を担う曹はいる。
 嫌われても良い、指摘しまくる事で部隊内を更に精鋭化させることに尽力する人。
 俺は、そういう人の世話になってきたんだ。だから、同じ事が出来るようになれ。

 さあ、侮蔑しろ。感情や表情に出して嫌えば良い。
 多分……下手すると関係の修復が不可能なまでに拗れるかも知れないが、そんなものはどうでも良い。
 公爵はミラノですら想っている良い父親だ、公爵夫人はミラノだけじゃなくアリアのことも気にかけている。
 クラインは五年間寝込んでいたけれども、ミラノとアリアの二人を大事に想い続けたまま寝続けてきた。
 ミラノだって、俺なんかを相手に『なんでもする』と言い放つ程までにアリアを想っていたのだ。
 
 家族だ、紛れも無い──家族愛だった。
 そこに不幸なすれ違いから亀裂を入れるのはダメだ、それくらいなら亀裂の入るほどの力を外部に向けさせれば……デルブルグ家は良好な関係のままで居られる。
 クラインに生じている五年の空白は無視して良いものじゃない。
 ミラノが背負いすぎたが為に生じた対人関係や個人における空白も無視しちゃいけない。
 公爵は急激な変化に対応するには時間が足りない、公爵夫人はまだ回復しきっていない。
 なら、その時間は誰かが買ってこなきゃいけない。
 対価は、色々なものだが。

「ま、悪かったな? まさかそこまでとは思わなかったんだが、良薬は口に苦し……。元気になれるのなら、安い対価だろ? それじゃ……またな」

 下手に言い分を聞いてしまうと、対等だと思われてしまう。
 違う。偽りであったとしても、この場においては俺が上に居なきゃいけないんだ。
 一方的であればあるほど、上手くいく。
 部屋を出る時にカティアがついてきたが、彼女が何か言う前に俺はため息を吐いた。

「──それじゃ、後宜しく」

 カティアにも知らせる訳には行かない。漏れてしまっては、今度は誰も責められなくなる。
 誰も責められない人は、衰弱しやすい。自己嫌悪だとか、自己評価の低下とか、色々だ。
 つまり、憎悪であれなんであれ、活力になるのならそれで良いのだ。
 カティアの頭を撫でてから、俺は部屋に戻る。
 ミラノやマーガレットの姿は無く、まるで除隊日に自分が六年間生活してきた営内を眺めるような心持だった。
 
「嫌われ役って、きっつ……」

 曹になっていれば違ったのかも知れないが、俺は半端な士長でしかない。
 ちょっと齧っただけで、その本質は下っ端なのだ。
 もっと大人になりたいなと思ったが、その為には沢山の経験と時間が必要だった。
 運がよければ返って来る頃には許してくれるだろうし、そうじゃなければ関わらないほうが良い。
 しかし、やっちまったものはもうどうしようもない。
 引き金を引いて銃弾が吐き出されたなら、もうどうしようも無いのだから。


 ──☆──

 ヤクモが去り、後を追いかけたカティアが直ぐに部屋へと戻ってきた。
 アリアは俯いたまま、閉じた本の表紙を眺めていた。

「──ごめんなさい、ご主人様が酷い事言って」

 ヤクモが憎しみを煽った事を、カティアは詫びる。
 しかし、アリアは苦笑するだけだった。

「ううん、ヤクモさんの嘘が、雑だなぁって……」
「──……、」
「魔力回路って、メイフェン先生が言ってるだけで、まだ一般的に広まってない話だもん。けどね、そこを邪魔したりする事で相手を妨害したり、気絶させたり出来るって聞いたから、多分辛い思いをしないで治す方法なんて無かったんじゃ、ないかな」

 ヤクモが失念していた事。それは、学園での授業への理解度だった。
 四年間学園に居た上で得た情報と、たった一週間授業に同行しただけでえられた情報には差がある。
 ヤクモはメイフェンのいった事を事実だとして認識していたが、生徒達は別の認識をしている。
 
 ──優秀でも、若いパッと出の教師の発見が、直ぐに流布するわけが無いのだ──

 そういう意味では、クラインの嘘の時点で失敗しているのだが。
 二人とも、真っ直ぐすぎてアリアは苦笑する事しか出来ない。
 アリアの為にミラノを庇ったクライン、そんなクラインですら庇おうとしたヤクモ。
 似てるんだなあと、アリアはかみ締めながら言葉を続けた。

「それに、ヤクモさんは『最終的には命令された』って言ってた。つまり、最初は姉さんは言ったとおり『お願い』しに行ったかも知れない。けど、命令になったから──無償で、薬を渡したんじゃないかなって」
「アリア様は、そこまで分かるの?」
「分かるよ。私が、ただのアリアだったら分からなかったかも。けど、私はミラノでもあって、あの子の頭は私の頭でもあるんだから」

 そういわれると、カティアは納得するしかなった。
 ミラノはミラノなりに背負ってきたが為に学年最優秀の席に座っている。
 しかし、彼女の歩んできた道の足跡には、アリアの足跡も同じように存在しているのだ。
 ただ詠唱が出来るか否か、無系統を扱える状態か否か──。
 双子の妹だから、体が弱いから、大人しいから。
 様々な要因で隠れてはいるが、彼女もまた同じくらい優秀だという事である。

「みんな、忘れがちだよね」
「──そうだったわね」
「だから、心配しなくて良いよ。それに、ヤクモさんと長い時間を過ごしてるのは”ミラノ”で、”アリア”じゃないから」

 その言葉の意味を知っている人物は、三人だけだ。
 今名前の上がった二人と、カティアだけである。
 しかし、カティアは大きくため息を吐いた。

「ご主人様も難儀だこと。自分の仕える相手が時々入れ替わってるだなんて」
「やだなあ、カティアちゃん。私、屋敷では一回しか入れ替わってないよ?」
「学園ではそれなりに入れ替わってたようだけどね」

 カティアの指摘に、アリアはペロリと舌を出した。
 事実、ミラノとアリアは何度か入れ替わっている。
 ミラノとしての立場でヤクモを知り、アリアとしての立場でヤクモを見る。
 そんな事を何度かやって来たのだ。
 アリアの言葉は、アリアという観点のみでヤクモを判断していたなら鵜呑みにしていたかも知れないという話なのだから。

「カティアちゃんには匂いでばれちゃったけどね」
「だって、アルバート様が蹴飛ばした食事の匂い、消える前に入れ替わったら分かるもの。そういう意味では、ひもじい思いをしただけの成果があったって事よね」

 等と言いながら、二人は先ほどのヤクモが悪ぶった意味でさえも吹き飛ばしてしまった。
 本人は部屋で「嫌われ役演じるのきっつ」等と、自分のメンタルをメコメコにしてしまい不貞寝をしている。
 アリアは微笑みながら、ゆっくりとその笑みを消していった。

「私は恵まれてるね。兄さんが帰って来て、姉さんは私を思ってくれて、その影ではヤクモさんが助けになってくれてる」
「なら、早く元気にならないとね。じゃ無いと、入れ替わる事も出来ないんだし」
「あら、カティは私がこうやって強気に振舞ってるほうが好きなの?」

 そう言って、アリアはミラノを演じた。
 それを見たカティアは笑ったが、一息ついてから真面目に返す。

「ええ。元気の無いアリア様に頼られるのも楽しいけれども、元気になったアリア様がクライン様やミラノ様と一緒に何かをしている所を見るのが楽しみですの。クライン様も魔法の勉強を始めたみたいだし、そこにアリア様も加われば敵は無しね」
「──じゃあ、早く治さないとね」

 そう言いながら、アリアは本をゆっくりと開いた。
 そこに描かれているのは荒唐無稽な物語。
 自分はただの人だと信じている騎士が、行く先々で騒動に巻き込まれたり──或いはおこしたりしながらも旅を続けるお話。
 普通の人だと言い張りながらも騒動を越える度に民衆や貴族に名が知れ、時には病や金の持ち合わせを無くして空腹にあえいでいる時に人々に支えてもらっている。
 
 これを美談だと一般的に言われているが、デルブルグ家の祖先の一人が好事家であり、新たな解釈もされている。


 ──この話を美談だと思えるのは、他人事だからだであり、この話を異常だと思えるような頭を持ちなさい──


 当然、本に挟まれた一枚のメモ用紙に綴られた書きなぐりだ。
 だから少しでも、色々な考え方が出来るようにアリアもミラノも本を読む。
 体調は……大分回復してきていた。

 ──☆──

 昼食後、最後の晩餐のような気持ちで少しばかり豪華な食事を済ませ、俺はメモ帳の一枚を折り込んでから部屋に隠してきた。
 カティアに初めての命令をしたが、その内容は条件付きで拘束力は強。
 内容は特に大した事じゃないが、万が一俺に何かあった時にそのメモ帳を見るようにと言う奴だ。
 当然、無事に帰ってきたら回収するものなので、そこらへんも全て踏まえた。

「さて、と。坊、準備は良いか? 長旅になる、途中でバテるんじゃねえぞ?」
「準備は万端。悪いけど、頼りにさせてもらうからな? 英雄の皆さん方」

 屋敷の玄関口、ホールにて英雄達全員と集合する。
 ヘラ、マリー、ロビン、アイアス。四名の英雄たちがその場に集う。

「マリー、ちっちゃいね?」
「こっちの方が的として小さいし、足りない魔力を補填できるから楽なのよ」
「──わたしと、おなじ」
「アンタは成長出来なかった、私は成長した姿がちゃんとある。その差は、埋まらないわ」
「──いっちゃいけないこと、いった」

 そして何故かマリーとロビンが臨戦態勢に入る。
 ロビンの周囲に緑の何かが浮かび上がり、弓を取り出してマリーへと狙いをつける。
 対するマリーも魔導書を出して、自動的に捲れるページを前に良い笑顔邪悪な笑みを浮かべながらロビンを見据えている。
 見送りに来ていたはずの人々がざわめきだし、俺はマリーにチョップを叩き付けた。
 ロビンの方もアイアスが槍を逆にして頭を叩いていた。それで場は収まる。

「おら、ロビン。やめろや、旅に出る前に終わっちまうぞ」
「──それ、こまる」
「マリーもやめえや! 魔力の補填が済んでないって言ってるのに、何でドンパチ賑やかな事にしようとしてるんだよ!」
「やめて……挑戦されたら受けて立てという家訓が……」
「時と場所と場合を考えろ!」

 なんて、出立前に一騒動おこりかけたが、何とかなっている。
 そんな俺達を別に、ヘラは公爵達に頭を下げていた。

「私の名に賭けて、皆さんを無事に連れて行きます」

 だのなんだの、政治とか外向とは面倒臭いんだなと思っていた。
 アルバートやグリム、ミラノにマーガレットが見送りに来ていて、そこら変はちょっと心温かい光景だった。

 そして、出発の時が来る。
 ヘラが先んじて歩いて行き、皆がついて行くようにして出て行った。
 俺は最後尾で、後ろ髪を引かれる思いで屋敷を後にしようとする。

「背中が丸まってる、ちゃんと背筋を伸ばして堂々と行って来なさい!」

 ミラノにそんな事を言われた。

「帰ったら、今回の事で色々聞かせて欲しいな」

 クラインがそんな希望を言ってきた。

「気負いすぎず、自分に出来る事をやる事。難しく考えなくて良いんだよ」

 公爵に励まされた。

「無事に、元気で帰ってらっしゃい。貴方が元気なら、それで良いから」

 ──公爵夫人に、そんな事を言われた。

 アルバートやグリムにも応援のような言葉をかけられて、俺は屋敷を後にしようとする。
 しかし、マーガレットが小走りで近づいてきて、こんな事を言ってくる。

「水には気をつけてくださいね」

 水……?
 また彼女は何かを見たか、聞いたか、知ったのだろう。
 何だろう……、乾きに苦しむとかそう言う事だろうか?
 感謝していると、そのまま頬へとキスをされた。
 呆然としていたが、余韻に浸る間も無くミラノの喧しい声が響き渡る。
 杖を取り出して、言葉に聞こえぬ詠唱が始まったので慌てて屋敷を飛び出した。
 
 それでも、最後にもう一度だけと屋敷を見る。
 窓からアリアとカティアが身体を覗かせて手を振っているのが見えた。
 ……アリアに酷い事を言った筈なのに、おかしいよな。
 それでも俺は手を振り返すとヘラたちに追いついて旅路へとつく。
 
 最初の一歩は、近場の町で必要なものを購入する事。
 アイアスやロビンの情報で、町や村などの位置は把握できている。
 ヘラも神聖フランツ側での旅路を知っているので、行程の分かりきった旅路だ。

「けどさ、一つ聞きたいんだけど、良い?」
「はい、なんでしょうか?」
「特使とは言え、ある種外向なのに、何で俺達の移動は徒歩が多いんだ?」

 素直な疑問だった。
 二日ほど船に揺られるのは良い、それが最短経路だからだろう。
 しかし、それ以外は蓋を開けてみたら馬車移動が無くなっていた。
 完全に徒歩の旅であり、全員荷物を持たないから身軽とは言え楽観視できる距離ではなかった。

「あれだろ。たいそれた事をしてるんだ、移動中にも目立っちまったら意味が無いだろ」
「それって対外的なもの? それとも対内的のもの?」
「両方じゃね? まあ、オレは良いんだわ。身体を自分の好きに動かせるし、口うるさい奴はいねえ」
「──おそと、たのしい」

 ロビンとアイアスは徒歩での旅に前向きな意見を聞かせてくれた。
 じゃあマリーやヘラはどうだろうかと思ったが、二人とも若干楽しげである。

「私も、こうやって自由を満喫できるのは好きだから、アリだと思ってます」
「たまにはこういうのも良いかもね。それに、外なら魔法の実験も出来るし」
「満場一致って訳ね……」

 マリーが一番愚痴を言うだろうなと思ったのだが、その歩きは若干テキパキしている。
 体力が無くて、ダルくて、散々文句を言うだろうかと構えていたが、杞憂だったようだ。
 実際、屋敷から最寄の街まででもそこそこの距離はあったはずだが、彼女は息も切らさずに歩ききった。
 流石は英雄、と言った所か。死線を潜り抜けていれば、それなりに危うい状況も多かっただろう。
 近接戦闘が不得手だと言っても、平均値で見れば高いほうかも知れないが。

「あ~、それじゃあ俺は必要な食材とか買ってくるから。長くて一刻は時間はかかるから」
「そうか。ならヘラ、酒場にでも行くか」
「行かないよ? 行くとしても、お一人でどうぞ~」
「傷つくねえ……。ま、合流場所は噴水の場所で良いか?」
「アイアス。私もお酒が良い」
「その外見で……?」
「外見は関係ないから」

 アイアスとマリーは、買い物に時間がかかると踏んで酒を飲みに行ってしまう。
 残るのはヘラとロビンだが、俺はメモ帳を見ながら必要な食材を割り出し、マップ画面と店の位置等を確認していた。

「俺は一人で大丈夫だから、ヘラもロビンも好きにしたら良いと思うぞ」
「いえいえ。私は好きでついていくだけですから、どうか空気とでも思って自由にしてください」
「──ん。めーわく、かけない」
「あ、手伝ってくれるとかじゃないんですね……」

 まあ、楽しかったよ。
 買出しと言うのは富士野営でも散々やったし、急いで必要なものを最短時間で買って戻る。
 或いは休日やコミケで、特に目星もつけずにローラー作戦で一列ごとに全てを眺めて、良いなと思ったものをとりあえず買う。
 しかし、ヘラやロビンが一緒でよかった。
 買い物の時に、ヘラを見て安く売ってくれる人がいたし、ロビンが品質や産地を言って値切り交渉をしてくれた。
 俺は言われた値段で買うつもりだったが、どうやら交渉と言う概念をそもそも持っていなかったようだ。
 一時間半ほどで買い物自体を終えて噴水前で待っていると、アイアスを負ぶって引きずりながらマリーが帰って来た。
 アイアスは酔い潰されており、マリーは若干頬を紅くしていたが平気なようであった。
 マジかよと、一日目で旅路の計画が頓挫してしまったが、起きる気配の無いアイアスを責めるわけにも行かなかった。
 そのまま屋敷までアイアスを背負って帰り、みんなの引きつった表情は忘れられない。
 昼の時の立派な見送りは何だったのだろうか? 俺は首まで赤くなりそうだった。
 出発したはずなのに屋敷に引き返して夕食を食う、こんな恥ずかしい話があるか!
 俺は部屋で自棄酒を飲んでいたらミラノとマーガレットに踏み込まれ、「旅立ちだったんだ……」などと愚痴を漏らしながら担がれてベッドに放り込まれた。
 陸教に行って原隊復帰した時の事を思い出してしまい、やり切れない思いが溢れてしまったのはどうしようもない。
 
 ミラノとマーガレットにあやされながら翌日、若干二日酔い気味で勢いの無いアイアスと、ヘラによってメタクソ怒られたマリーを引き連れて朝日が出たくらいに出発した。
 それでも歩いている途中で立ち直ってきたのか、歩きながら雑談をする。
 一日目はプレストンと呼ばれる村で、酒場の部屋を借りて休む事となった。
 運悪く別の店になったが、そこら変はどうでも良いだろう。
 俺はアイアスと同じ店だし、ヘラ達女性組は別の店だ。
 ただ、食事は一緒に摂るのだが。

「かはぁ! たまんねえ!」

 アイアスは今朝の二日酔いはどこへ消えたのか、食事が来るまでの一杯目をおいしそうに飲んでいた。
 当然のように俺も酒を頼んでいるし、マリーとヘラもお酒を頼んでいる。
 この場において酒を飲んでいないのはロビンだけであり、理由は弱いからだそうだ。
 アイアスが肩を組んできて、絡まれながらも俺は酒を口にする。
 ──堂々と飲める酒は美味しい、しかも遠慮しないで飲めるから尚更良い。
 二日酔いまで飲もうとは思わないけれども、少なくとも隠れながら飲まなくて良いから楽だ。

「どうだ? 一日目の感想は」
「そうだな……。魔物の襲撃とか数回だったし、道も一応舗装はされてたから楽で良かったよ」

 二度……いや、三度か? モンスターの襲撃が有った。
 しかし、覇気と言うものは無く、殲滅されるまで戦い続けた集団は居なかった。
 一番酷いのはアイアスにけしかけられて四百m位の距離で、相手を撃ちぬいたときだろうか。
 一体倒れたら距離を詰める事無く逃げ出していったので、なんだか心が痛んだ。

「安全ならそれで良いんだよぉ……。何もわざわざ、危ない道を選んで進むこたぁ無えさ」
「お代わり」

 アイアスがご機嫌な隣で、マリーは二杯目を頼んでいた。
 俺は苦笑しながらも酒を飲んで、アイアスよりは先んじて杯を空にする。

「明日はお昼くらいには港に到着すると思いますので、今日は程ほどに」
「んじゃ、明日は楽できそうだ。今日みたいに三食は地味にきっついしなあ……」
「いやいや、美味しかったぜ? ヘラとマリー、ロビンは良く覚えてたな、懐かしい料理だ。遠い昔の、美味しかった料理──」
「カレー、シチュー、それとハンバーガーな。本当なら簡単に出来るんだけど、ルゥが無いからなぁ……」

 小麦粉は入手できるし、バターも割高だが入手できる。
 自衛隊の炊事班では色々な横紙破りが横行しており、本来は存在しない材料を独自に搬入する事で別の料理を勝手に作る事だってある。
 メニューで指定されていない料理を作って添えることで前線部隊の指揮を維持したり、高める。
 当然自分達も恩恵に与るわけだが、そういった事をしていると地味に料理を覚えたりもする。
 ルゥを買うと怪しまれるから、ルゥから作るとか良くやった手だ。
 それで喜ばれたら万々歳である。

「まあ、みんなの口に合ってくれたならそれが一番。ただ……せめて、洗い物は手伝ってくれ」

 こいつら、マジで料理関係手伝ってくんねえのな。
 皿洗いとか、調理器具とか洗わないと衛生の観点から恐ろしい事になるんだぞ?
 まあ、ストレージに突っ込めば時の流れから隔絶されるから「なんか、味が混ざってる気がするけどいっか」と思えるのならそれでも良いが。

「皿を割っても良いなら手伝うぞ?」
「──鍋、ゆがんでもい~なら、てつだう」
「いや、やっぱ良い。俺が一人で全部やる。調理器具は宝なんだぞ? それを壊されてたまるかってんだ……」

 調理器具は、料理人にとっては武器だ。それと同じように、俺にとって料理における武器だ。
 長年愛用しすぎて使い物にならなくなるのは、仕方が無い。
 だが、酷使や無理を強いて壊すのだけは我慢なら無い。
 
「配慮はする、けど手を出せないから触れないでいるんだ。感謝してくれ」
「──りょ~り、あらいもの、わからない」
「はいはい、りょ~かいですよ。ったく、お前らを支えてきた奴らの苦労を少し理解した気がするよ……」
「一人だけ、料理が出来る方はいましたよ? 今となっては、忘却に沈んだ方ですが」
「あぁ、消えた二人のうち、一人か……」

 庶民だったらしいし、料理を知っていて当然……なのか?
 まあ、貴族は料理人に全部任せてるらしいし、料理名を知っていても調理法までは知らない可能性はある。
 とはいえ、昔は存在していた料理が文明ごと放棄されて消えるとは考えづらいのだが……。
 あるいはその銀髪の女性の居た地方での料理であり、壊滅して彼女しか知らなかったかだ。
 
「アイツは材料があれば色々な料理を作ってくれた。それこそ、まだオレ達が矢面に立つ前からな。ってか、良く考えたらオレは指揮だの作戦だのでそんな余裕なかったじゃねぇか!」
「あはは、アイアスくんは兵士達を束ねるので大忙しだったもんね。けど、私は負傷者を見たりだったから、そこまでじゃなかったかも」
「わらひは──んぐっ──ひとりだったし」
「──ゆみへー、指揮してた」
「というか……アイアスが興味もたなさ過ぎなだけ。アイツは何度かそういった話をしてたと思うけど」
「記憶から欠落してるんだろ」
「嘘ね、嘘。アンタ、興味が無い事は全然覚えなかったじゃない」
「いらねえ事だけは覚えてんなぁ!」
「私を誰だと思ってるの? 世界唯一にして、最高で最強の魔女よ? 頭が良いの、お分かり?」
「あ~、へいへい。テメエはそういう奴でしたよ! ……と言うわけだ、坊。絶対にこんな性悪な女にだけは引っかかるんじゃねえぞ」

 アイアスは戦況悪しと見て、俺を巻き込むことに決めたようだ。
 俺は酒を飲んで即座の返答を拒否した。そうすれば、誰かが口を挟むだろうと思って。

「ははぁ~? アンタもしかして、私にフラれた腹いせにそういうこと言ってる? だとしたら、笑えない話ね」
「バカ、ちっげぇよ! 転ぶと分かってる奴を見過ごすだなんてありえるか? これから一つ月が巡る間一緒なんだ、忠告くらいしたってバチはあたらねえだろ?」
「だとしても、私を持ち出して貶める理由にはならないんじゃない?」
「余計な事言うんじゃ無かったぜ……。どうせ既に、頭の中ではオレを言い負かす言葉が百ほど用意できてるんだろ?」
「おしい、百八つよ。アンタの想像してる私より、一歩常に先を行ってると思いなさい」

 マリーがドヤ顔してるが、アイアスはむしゃくしゃしたのだろう。
 酒を飲んでお代わりを頼んだが、その間にマリーは二杯目を空にしていた。
 マリーの飲酒ペースが速すぎる。俺はどんなペースで飲むべきか判断に迷ったが、目の前でマリーとほぼ同時に同じだけ杯を空けている奴が居る。
 ……ヘラだ。姉だと言うが、彼女もまた酒に強いようで酒をドンドン胃袋へと収めていた。

「てか、アイアスがマリーを昔好いていたけど、振ったのか。むしろ吊り橋効果で突き進むと思ったんだけど、違うんかなあ」
「その可能性は一握り……いえ、砂糖の一粒くらいじゃない? 私を落とすくらいなら、そこら変の女性に声をかけた方が見込みが有ると思うけど」
「オレは思えが好きだったんだっつの……。──ま、既に好いた相手が居て、割り込む余地が無かったんだよ。それでも、望みを賭けて、体当たりして、砕けただけだ」
「なんだマリー、色々言ってたワリに好きな相手が居たのか」
「気になる? 聞きたい? 聞きたいでしょ?」

 マリー、滅茶苦茶絡んでくる。
 地味にお酒の匂いが吐き出されて辛いし、隣の席に座らせたのを後悔してきた。
 頬ずりしてまで擦り寄ってくるので、それを引き剥がすのに苦労する。
 社交性スキルが低いと、距離感が把握できないのかも知れない、俺も気をつけないといけないな……。

「凄いのよ? 本来は兵で囲んで魔法をぶつけなきゃ倒せないゴーレムを一人で相手をして倒したり、相手が十倍以上居ても『逃げろ』って言いながら果敢にも突っ込んで行ったり、怪我をした仲間を背負って帰還するまで半日歩いたり。ホントに、も~……凄かったんだから」
「ヘラ?」
「妹の言ってる事は一部ですが、正しいですよ。ツアル皇国の言葉で言うなら『滅私奉公』と言うもので、騎士の中の騎士と呼ばれるくらいに在り様が語られてました」
「元は傭兵だけどね。それでも、魔王軍が侵攻を開始した時から最前線に居たから戦いについては文句無しだったし、人を指揮する能力にも長けてた──良い人だった」

 どうやら妄想や美化ではないようだ。
 だが、元傭兵なのか……。マリーたちが家柄とかを気にしている出身であるにも拘らず、そんな相手を好いたのか。

「そいつの名前は、どこかに刻まれてるのか?」
「──いえ、その方は魔王の僕と相打ちになって亡くなられました。避けられない戦いで、あの時街を喪失していたら人類は散り散りになって負けていたでしょう。言いたくはありませんが、避けられない犠牲でした」
「オレに戦い方を教えてくれたり、兵の扱い方を教えてくれたりな。気の良い奴だった。だが、良い奴ほど先に逝っちまう。現実であっても、受け入れ難い話だがな──」

 ……なんだか場がしんみりしてしまった。
 そして「ヒック」という声が聞こえたのだが、どうやらロビンは匂いだけでも駄目なようだ。
 あまり長居させるのも酷だが、そこら変は上手くやってくれるだろう。

「立派な奴だったんだな。生きていたら、きっとみんなの支えになっただろ」
「そうですね。ですが、言っても仕方の無い事です。過ぎた事は、受け入れていくしかないのですから」
「そゆこと。けどアンタ、ソイツに似てるからこれから頑張れば私のお眼鏡には叶うかも知れないわよ?」
「何言ってやがんだコイツ……」

 マリーが腕を回して、俺の頬を突いてくる。
 こういうのは第三者として見るのは楽しいだろうが、当事者になるとウザい事この上ない。
 酒臭いし、密着しすぎだし、絡み酒にしても程がある。
 アイアスはそんなマリーを見て呆れ返っているし、先ほどまでの飲酒による上機嫌はどこに行った?

「ロビン。助けろ、助けろ!」
「──ん、うけたまわった」

 ヘラは姉妹だから助けてくれなさそうなので、ロビンに助けを求める。
 俺だけじゃ頬ずりしてくるマリーを抑えるので精一杯だが、ロビンが居れば何とかなる。
 そう思ったのだが、マリーが指を鳴らすとロビンはコテンと地面に転がってしまった。
 服の下でマリーの身体が淡く光っているのを見てしまい、魔法を使ったのだと理解する。

「んふ~ふ……。私をどうにか出来ると思った?」
「マリー、流石にそりゃやりすぎだろ……。何したんだ」
「束縛の呪文よ。短時間だけど、相手を拘束することが出来るの。どう、凄い? 凄いでしょ?」
「──うごけない。ヤクモ、たすけて……」

 ロビンが床に転がったままに助けを求めてくる。
 俺はマリーにくっつかれたまま立ち上がり、ロビンを助けおこす。
 椅子まで連れて行くとヘラが杖を構えていて、杖先でチョンとロビンをつつくと束縛は解けたようだ。

「あに助けてんのよ~」
「場所を弁えろって言ってんだよ。魔法をこんな場所で使ったら目を引くだろ。なんで徒歩で来てるか分からなくなるっての」
「困る? 困っちゃう? お願いしたら考えないでもないけど──」
「お願いなんかしないね。お前ら勝手すぎるんだ、命令や強制でも良いくらいだね」
「なら、してみたら?」

 なんかだんだんイライラしてきた。
 いや、イライラなのか? 不愉快? 良く分からんが、負の感情である事は間違いない。
 精一杯の良い笑顔悪い笑みでマリーを見る。顔の距離は近いが、構うものか。

「もっと、お前ら、慎め。怒るぞ」
「怒ったら、どうする?」
「必要なら何でもやる。尻でも叩いてやろうか? それとも、旅の間ずっと簀巻きにして担いで運んだって良い。嫌がることなら何でもやるぞ?」
「やれるもんなら、どうぞご自由に?」

 脳裏では様々な手段や行為を思い描くが、そのどれもは実際にやった事は無い。
 無駄な知識として様々な事を知っているだけで、実際にやれば死人だって出るだろうが──。

 とりあえず、鼻を摘んで上へと引っ張った。

「いひゃ、いひゃい!?」
「人体のツボってのは、こういう下らないけど痛いことも出来るんだよぉ!!!」

 マリーが痛みに悶えて離れ、それを見ていたロビンが「ざまぁ」と無感情に言った。
 それから俺は酒を飲んで、頭を抱える。

「本当、やっていけるのかな俺……」
「気にすんなよ相棒。なんとか野郎同士で、やっていこうぜ」

 坊から相棒に格上げですか、アイアスのお兄さん。
 けど、冷静に考えたら男二人に女三人なんだよな……。
 やっていけるか自信は無いけど、もう出立してしまったからどうにでもなるしかない。

「妹が楽しそうでなによりです」
「楽しそう? あれが?」
「お酒を飲んでも、そのまま不機嫌そうに眠るのが私の知っている最後のマリーでしたから。酒を飲んで、誰かに絡んで、楽しそうにしているのは久しぶりに見ます」
「そんなもんかねえ……」
「オレもそれには賛成だな。久しぶりの面子で集まって、一人はちと違うがオレ達と似たような感性の持ち主だ。そりゃ、楽しくならない訳が無え」

 そう言ってアイアスは俺の杯が大分減っているのを見ると、すかさず酒のお代わりを頼んだ。
 それから立ち上がって、みなを見る。

「ま、どうなるかはわかんねえけどよ。せいぜい楽しんで行こうや。新しい仲間との出会い、それと久しい仲間の為に乾杯だ」

 杯が高々と掲げられる。
 俺は呆然と見ていたが、ヘラも杯を持って同じように掲げる。
 マリーも悶えるのをやめて同じように杯を掲げ、ロビンも同じようにした。
 俺は全員の目線と好意的な笑みを受けながら、そっとため息を吐く。

「──だな。とりあえずは、新しい出会いとこれからの無事を祈って乾杯だ」

 立ち上がり、杯を掲げると『乾杯!』という合唱が起こる。
 俺は一歩遅れてから「乾杯」と告げて杯を重ね、酒を思い切り飲んだ。

 さて、どうなるんだろうな? これから。
 アイアスに肩を貸して寝かしつけた俺は、窓から外を眺めながらそんな事を思った。

 ……少しだけ、生かされているのではなく、生きているのだと思えてきた。
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