元自衛官、異世界に赴任する

旗本蔵屋敷

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7章 元自衛官、学園での生活を満喫す

百十二話

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 課業後に訓練をしていると言う事で、それを聞いたクラインは行軍訓練後のヤクモ達を見に来た。
 此方に関してはヤクモがアルバートと行う”お遊びに対する独自の物”で、訓練期間中になにをするかそれぞれが決める。
 武技の授業だと英霊による指導から逃れられず、生徒じゃない事がヤクモにとって枷になっている。
 お遊びでやる事だからこそ生徒であるか否かは関係なく、関係ないからこそクラインはなにをするのかを楽しみにしてきた。
 しかし、楽しいと言うよりもゾクリと来る光景しかなかった。

「それじゃ、現時点での健康状態」
「「「「なし」」」」」
「念の為に言っておくけど、虚偽申告で負傷や異状を誤魔化すのは良くないからな? ただ、お前らを信じてその申告を受け取る。残念ながら筋肉痛、運動や訓練のしすぎで身体が悲鳴を上げてるのを魔法ではどうこう出来ないからな。その代わり、最近良い事を聞いた。運動疲れや訓練後に飲むと痛みを和らげてくれる香草の存在を教えてもらった。今回の訓練後皆に配布するから、皆好きに持って行ってくれ。あぁ……マルコには淹れに行くから気にしなくて良い。それじゃあ、寮で座学をやるから移動しよう。今日は冷える、お前らが風邪を引いたら拙いからな」

 様々な事を言いながら、ヤクモは指揮を取っていた。
 それはかつて軍事演習の時には見る事の出来なかった、クラインの見たかった部分でもあった。
 全員に背嚢を背負わせるが、カティアが手を上げる。

「ご主人様、いいかしら」
「ん、なに?」
「マルコ様の荷を……5から7.5くらい移しても良いかしら?」
「なっ――馬鹿な、僕は未だ……」
「なるほど。移動に時間がかかりそうだから? よし、なら――カティア候補生。お前が誰にそれを負担してもらうか決めてくれ」
「――ミナセ様、宜しいかしら?」
「え、僕?」
「ミナセ様は本日の訓練、上々だったとの評価でタケル様ほど振り回されたりして居りませんでしたもの。本日の疲労具合は軽めと見てお願いしたいのだけれど、どうかしら?」
「――そうだね。マルコ、くん。今日は僕が受け取るから、早く移動させよう。遅れて皆で罰を受けるのはヤダよね?」
「くそっ……」

 使い魔が、貴族が、オチコボレと言われた二人が。
 それぞれの身分や待遇を感じさせず、仲間のようにやり取りをしている。
 ヤクモが一番重装備で重い荷物を背負い、一番幼く見える使い間のカティアが二番目くらいに重い荷を背負っている。
 なにがそれを成させているのか、クラインには理解が出来なかった。
 しかし、一人だけ被り物をして目元しか見えないヤクモからは、幾らかの重圧が滲んでいた。

「――終わったか?」
「えっと……」
「えっとは不要だ、どうなんだ」
「失礼しました。二名の荷物詰め替え作業、完了しました」
「なら、そのまま隊形を組ませて寮まで指揮者として前進させろ。寮に到着後、改めて整列。では、かかれ」

 そう言って、ヤクモは一人で荷物を背負って場を去っていってしまう。
 闘技場を出れば雪の降り積もった学園敷地が広がっており、光の反射から余り暗く見えなくなっている。
 クラインは滑って倒れかけるも、何とかヤクモに追いつく。

「ねね、あれで良いの?」
「良いの、ってのは」
「寮まで来させるっての。丸投げじゃないの?」
「いんや。あれはあれで良い。そうしろと言う命令を俺はカティアに下したし、それを他の面子も聴いてる。ガチガチに統制するってのは初期段階で必要な事だけど、それが出来たら今度は自主性も必要になる」
「おかしくない? 統制するのに自主性も育てるの?」
「上に立っていると判断する事や考えなきゃいけない事で頭が一杯になる、そう言うときに下についた連中が色々な事をあれはどうか、これはどうかと進言や提言をしてくるようにするのも必要になる。もっと高度になれば部隊を別け、時間を定めて別行動を取れるようにもするし、その際に何かあっても独立行動出来るような能力をつける事も出来る」
「――けど、それって指揮官に何かがあっても~って事でも有るよね?」
「その通り。俺が倒れれば次級者が、その次級者が倒れれば更に次級者が纏める。そうじゃなくても、常に上が指示を出せるとも限らない訳だし、そうなると自主判断に迫られる。つまり、責任を持つのは上級者だが、ただの言いなりの駒ではなく意志を持った兵隊が敵を鏖殺する。それも、誇りだの体裁の為に死んでやるのではなく、泥に塗れようが一時は逃れようがしぶとく生き延びて反撃の機会を窺い続け、敵に圧力を加え続ける。まさに最後の一兵までと言う奴だが……」
「君の居た国では、最後の一兵まで死ぬのが当たり前なのかい?」
「いんや、そんな事をしたら何で教育してるんだって話になるだろ。死なせる為の兵ならもっと教育も考えるけど、出来る限り生かしてそいつらが偉くなって自分達の兵を持つようになったら――。その兵が偉くなったときに~という、循環する物だ。中にはワリを食って死ねと言われるような予断の許さない状況もあるだろうけど、それでも――死力を尽くして任務や目標を達成しようとしながら、一人でも多くの部下や仲間を生かして返さなきゃいけないのが辛い所でな……と、雑談はこれまで」

 そう言ってヤクモは感情を幾らか浮かべた顔をまっさらにする。
 目元から下しか見えず、眉が隠れてしまっているので余計に無表情なのが際立つ。
 そんな彼らの下に、カティアが全員を引き連れて寮までやってくる。
 ヤクモは黙って腕時計を眺め、カティアが引率を終えて報告するまで黙っていた。

「引率、終わります」
「ん、お疲れ。明日からは今カティアがやったのを、全員に一日交代でやってもらう。それと雪と、雪解け水が再度凍ると歩き辛いし、足が冷えるってのは理解できたと思う。急ぎたくても雪は重いし、その下の氷で滑る。急ぐあまり事故や怪我をするのは本末転倒なので、状況に合わせた行動や考えが出来るようにして欲しい。それじゃ、寮内にて集合、別れ」

 まるで本当の軍隊みたいだなとクラインは思う。
 偉くなる為に教育を受けていた……みたいな所まではクラインも聞いていた。
 しかし、やらせてみれば”似合う”。
 黒い半長靴、迷彩上下、鉄パチ等々の”慣れた装備”に身を包んでいる。
 そして感情と言うものが見えなくなり表情が固定され、余計に”らしく”なっているのだ。

 クラインはついて行き、座学でなにを教えているのかを少しばかり見る。
 其処では相手に応じた行動の取り方の例を出している。

「ミナセは手足に魔力を帯びさせて、それで相手の魔法が迎撃できる事が分かった。これによってマルコやカティアが常に対魔法警戒をしないで済むから、攻撃や支援、妨害に注力できる事になる。今の所前衛にミナセとヒュウガ、中衛にカティア、後衛にマルコと言う構想に変化は無いけど、状況を見て中衛のカティアは前衛の援護だけじゃなく、後衛の防衛にも移動しなきゃいけない。これは身軽なカティアにしか任せられない」
「うんうん」
「ヒュウガとミナセは当初二人で前衛を抑えてもらう想定だったけど、場合によっては鏃のように相手の前線をこじ開けて、其処からマルコの魔法やカティア自身が突撃すると言う戦い方も考えられるから、決して自分らが勝ちを取るんだと言う固執はしないように。相手に押し切られず、かといって離れられないように意識してくれればそれだけで役割は果たせる。勿論相手を崩してくれればそれに越した事は無いけど、拘らなくて良い」
「了解」
「わかった」
「で、マルコは――アルバートのそろえてくる人材によっては魔法での戦いを激しく行う可能性がある。大まかな目的は相手を自由にさせない、行動の束縛、足を止めたらそこを叩くと言ったやり方で、行動量は他の三人に比べたら少なめだけれども責任は同じくらい重い。マルコが状況を的確に見抜いて前衛を妨害しないと二人が抜かれるし、そうなるとカティアは防衛の為に右へ左へ大忙しになる。それがどういう事か? 敵に好き勝手されてる、蹂躙されてると言う事だ」
「それを僕が抑えて見せれば、良いんだろう? その為にお前は――ふん――気に入らないが、詠唱の仕方とかも色々教えてくれた訳だしな」

 そう言う言葉を全て聞いて、クラインは妹から聞いた”最近ちゃんと寝てないかもしれない”という話が事実なのだろうと思った。
 目の下に隈が出来始め、その目は以前よりも細められている。
 口調や声は変わりないようではあるが、些か低くなっている。
 夜遅くまでこういった訓練に時間を割いていて、不慣れだから余計に時間がかかる。
 そう言うものだと本人は言うだろうし、クラインは色々言っているヤクモが少しでも肩が丸くなるたびに内心が透けて見えるのを感じた。

――何偉そうな事言ってるんだろうな――

――今の言い方で正しかったのだろうか――

――間違ってないよな――

 言葉にならない悩みが、漏れる事の無い溜息が肩や背中の丸まり具合で見て取れた。
 それでも、屋敷に居た頃の彼とは違うのもクラインは知っている。
 悩む事を諦めるように頷いたり息を吐くと、それで良いのだと前を見た。
 そして自分に付き従ってくれている四人がいる。
 四人を見て、彼は逃げる事をやめていたのだ。

 クラインはそっと寮を後にする。
 男子寮を出ると、直ぐ近くに出来ている人型の穴に気がつく。
 何だろうかと思って覗き見ると、誰かが倒れているようであった。
 気にかけはしたが、それよりも先に正面から来た二人に声をかけられる。

「兄さま、ここにいたのね」
「探しました」
「二人とも……」

 雪が深々と降る中、クラインを探していた二人の妹。
 ミラノとアリアである。

「どうか、したのかな?」
「ちょっと兄さまにお話があって。――けど、ここじゃ寒いし、部屋に行かない?」
「流石に外で立ち話は辛いもんね~」
「あぁ、うん。僕はいいけど――」

 チラリと、人型の穴を見やる。
 先ほどまで見えていたような人の存在が見えなくなっており、気のせいかと彼は思いなおした。

「けど、なに?」
「い、いや。何でもないよ。二人は寒くて大丈夫? 体を冷やしたりしてない?」
「私はぜんっぜん平気! アリアは大丈夫? 風邪引いたりしていない?」
「私も大丈夫だよ? 心配性だな~……」

 活発そうに大丈夫だと答えるミラノと、今までのように心配されて苦笑しながらも大丈夫だと答えるアリア。
 今までであれば寒くなれば身体を冷やしてしまい、風邪を引いてしまっていた。
 けれども、流石にそこまでじゃないよとアリアは否定したのだ。
 
 二人に連れられたクラインは、ミラノの部屋にまで向かう。
 そして学園に住む自分の妹の部屋を見て、クラインは呆れ返る事になる。

「みら、ノ……? なにこれ?」
「あ~、ごめんなさい。夕食前に散らかしたまんまだった。直ぐに片付けるから」
「生活が荒れてきてるんじゃないかな? こんな所、他の人に見せる訳には――」
「学生の本分はお勉強! その為に引っ張り出した資料や本の山は恥ずかしくないッ!」

 そうミラノは兄の言葉を叩き斬った。
 クラインは言葉を失ってアリアを見ると、アリアは苦笑している。

「ごめんね? 今日の授業を見てからまた張り切っちゃって」
「今日の授業? 何かあったのかな?」
「マリー様が新しい魔法の実験を私達の授業に幾らか食い込む感じでやっててね? それにヤクモさんが相手してたんだけど、それを見てから――かな」
「マリーが……」

 クラインは数秒、その言葉の意味を飲み込みかねた。
 マリーが他人に対して拒絶的で、見知った相手か部屋に篭るかの二択しかないだろうと思っていたからだ。
 新しく編み出した魔法の練習とは言いながらも授業にまで食い込ませたのも驚きだが、その相手にヤクモが選ばれているのもまた驚きだった。

「兄さん、あの人の事呼び捨てにしてるの?」
「え? あぁ、うん。なんか、初対面の時に、そうして欲しいって……言われて」
「なにそれ」
「ヘラ……も、同じことを言ってたよ。なんか、似てると様付けされるのがこそばゆいんだって。他にもアイアスとロビンも同じこと言ってた」
「全員だね」
「全員……。あぁ、そっか。そうだね」
「はぁ……」

 実の兄もボンヤリとしながらも突拍子の無い事になっていて頭を抑えるミラノ。
 これじゃあ二人も頭痛の種を抱えてるのと同じだと思いながらも、机を綺麗に片付けた。

「で、兄さま。話が有るんだけど」
「ん、良いけど。なに?」
「――普通、順序が逆じゃない? 何かなって聞いてから良いよって答えるんじゃないの?」
「だって、僕には断る理由なんか無いし、妹が態々声をかけてくれたんだからそれを無碍にする訳が無いじゃないか。それに、たまには兄らしい事をさせて欲しいな、なんて」

 そう言った言い回しにミラノは言葉を失う。
 頭の中で容易く”誰か”の言葉に置き換えられ、それでも否定できなかったからだ。

――だって、俺には断る理由なんか無いし、ミラノが態々声をかけてきたんだからそれを無碍にするわけが無いだろ。それに、少しくらいは恩返しをさせてもらえれば、な~んて――

 直ぐにその幻聴を振り払い、ミラノは一枚の紙を叩き付けた。

「アイツがアルバートと何人かで戦うのは知ってる?」
「あ、うん。初めて聴いたからさ、今日その様子を見に行ったんだ」
「――どうだった?」
「どうって言われても、ヤクモ自身は淡々としてたよ。昼間の授業で英霊の相手をしている時の方が凄いと思うけど、こっちは怖いくらい静かさ」
「静か、か。それはそれで怖いけど、とりあえず話を進めるわね。私とアリアも、アイツと戦う事にしたの。それであと一人手が足りなくて、それで兄さまならどうかって思って声をかけたんだけど」
「ふ~ん、なるほど……。え、なにそれ?」

 クラインはミラノの”お願い”とやらに驚く。
 それを気にもかけずに、ミラノは話を進める。

「予定は週三つ後、週の最後の授業をやったら闘技場でやる事になってる。ヤクモの方の面子はこの四人ですでに決まってる。私達はこれに挑むの」
「挑むのって、僕は今それを聞かされたばかりなんだけど……」

 あまり乗り気ではないクラインだったが、ミラノの話を聞いて幾らかやる気を見せる。
 アリアも少しずつではあるが補足するように、或いは提示するように言葉を付け加えた。
 
「――で、改めて聞くけど、どう?」
「そうだなぁ……。やっては見たいけど、ヤクモ怒らないかな?」
「怒らないでしょ。むしろ、どんな相手が出てくるか分からないのに、怒るなんておかしいって追求してやれば良いし」
「……逞しくなったね、ミラノも」

 クラインはもはや否定も疑問も挟むべきではないと判断し、前向きにミラノの提示した紙切れを指で叩く。
 そして始まるのは「どのような人材が相手にはいて、どれくらいの戦力比率なのか」等といった踏み込んだ話である。
 
 翌日、アルバートはミラノからの報告を受け取り、ようやく自身の部隊が完成したのを理解した。
 アルバート・グリム・ミラノ・アリア・クライン……。
 ヤクモ・カティア・ミナセ・ヒュウガ・マルコ……。
 
 互いに五名の人員が揃ったのは二つ目の週に入ってからではあるが、どちらが一概に強いとも言えない状況であった。
 リーダーを務めるヤクモとアルバートは実質ただの司令塔であり攻防に参加できないと言う縛りがある。
 それだけじゃなく、ヤクモ側はミナセ・ヒュウガ・マルコと言うどれもパッとしないメンバーだ。
 対するアルバート側はグリムだけじゃなくミラノとアリアが居て、未知数ではあるがクラインも居た。
 期待値がそもそも違いすぎるのだ。
 
 このお遊びがどうなるのか、それに期待をするのは何も生徒だけではなかった。
 


 ――☆――


「なんだ、これ」

 ヤクモは座学を終えて男子寮を後にする所だった。
 カティアはヒュウガやマルコ等と訓練後の話し合いをする為に残り、彼だけが一人女子寮の自分の部屋へと戻る所だったのだが――。
 寮を出て直ぐに、人型の穴が雪に出来ているのを見つけてしまう。
 
「誰かここに倒れたのか?」

 彼は警戒しながらもその人方の穴を確認すると、その中に倒れこんでいる人が確認できた。
 それがまさかの英霊のヴァイスであり、死んでるのではないかと思えるくらいに冷たくなっている。
 ヤクモは大急ぎで自室まで連れて行くと、出来る限り雪を拭うと保管していたタオルで彼女を包むと暖炉前に置く。
 死語硬直しているかのようにすでに固まってはいるが、プリドゥエンの報告で仮死状態に陥っている事が理解できた。
 ヴァイスが目を覚ましたのは大よそ一時間ほど経過してからであり、第一声がくしゃみであった。

「や~、面目ない。まさかここまで身体が寒さに弱いとは思わなくてな。しかも寒くなりすぎてパタリと意識が途絶えるとは思わなんだ」
「龍ってのは寒さに弱いものなのか?」
「さてな。吾も龍と遭遇した事は無い。じゃが、生まれ育った環境と対になる地域等では絶対に見かけぬという知見はある。寒さに強い龍は夏や暑い地域には現れず、逆に暑さに強い龍は冬や寒い地域には出ぬという奴じゃな」
「ふ~ん。はい、お茶」
「うむ、助かる」

 ヴァイスはプリドゥエンに関して多くは言及せず、そして出されたお茶も有り難く受け取る。
 ヤクモであれば「あつっ」と言って飲めないような熱さのお茶だったが、彼女はそれを難なく口にした。

「ぷはぁ! やはり茶は良いな。身体が温まる……。そう言えば、ヘラが居らぬな」
「ヘラは授業が終わったら外の教会までお祈りを捧げに行ってる。日課らしいから、そこには触れてない」
「ほむ。そうか」
「それで、何故あそこで?」
「う、む。お主の部屋にまで行こうと思ったのじゃが、部屋を思い出せなくてな。考え込んでおったら身体が冷え切って雪の上にばたんきゅ~しておった。あのまま埋まったなら、発見も遅れておったじゃろうな」
「厚着は?」
「したいのじゃが、帯に短し襷に長しというか。こう、吾の体格に、じゃな?」
「なるほど。その羽根や尻尾、腕の関係で上手く納まってくれる物が無いのか」

 そう言いながらヤクモは彼女を見た。
 普段は羽根を畳んでいるので余り意識はしないで済むが、感情と連動しているかのように羽ばたいたり動いたりする。
 お偉い様が身に付けるような材質では容易く裂けてしまい、或いは糸が切れてしまうだろうとヤクモは見立てた。

「全身じゃなくて、上半身だけ~とかなら、考えないでもないが」
「ほほう、そう言うものが有るのか?」
「俺が貰ったような、外套と似たような物だけどさ」

 そう言ってヤクモはミリタリーポンチョを出す。
 ボタンやフックなどで自由度を調整できる上に、降雨降雪に対しても防御力のあるものだった。
 それをヴァイスに着せてみながら、彼は色々と説明する。

「流石に羽根を思い切り広げられたらどうなるかは分からないけど、多少で有ればこの背中の空間内で耐えてくれる。それに所々でこうやって引き絞る事が出来るから温かい空気を逃さない防寒着にも出来るし、片腕をこうやって露出させれば多少の戦闘行動も出来る」
「ぬほっは!!! なんじゃ、この軽くて温かいの!」

 ヴァイスが思いのほか喜んでしまい、出した本人が戸惑ってしまう。
 それから頬を搔きながら、ヤクモは自分が着ていた分を片付ける。
 ヴァイスも一通り着こなしを堪能しながら、部屋の中に眺めた。

「ほむ、なにやら沢山の資料が有るな」
「ん~、お遊びでやってる事に、何処まで俺のやってきた事が順応できるか色々試しててね」
「なるほど。部隊の運用や指揮、管理じゃな」
「――分かるのか?」
「吾はこういった事はせなんだ。じゃが、一人が、こういう小難しい事をやっておった。ただ、あの時に管理されて居ったのは物資、兵員、装具、兵力――もっと実戦的な物じゃったが」
「管理しなきゃ戦いは破綻してただろうな……」
「うむ。しかし、吾とてあの時のままでは無いのじゃぞ? 真似事では有るが、多少は兵を気にかけるようにしておる」
「へえ?」
「む、真に受けては居らぬな?」
「実際に目で見て、耳で聞いたもの以外は”事実”として認識しない事にしてるんだよ。この学園の生徒たちが良い例でさ。俺がクソ雑魚下っ端だった時は威圧的だったけど、今じゃ背景に成り下がってる。分かりやすいねえ……」

 ヤクモは「箸にも棒にも引っかからない有耶無耶」の事を述べた。
 召喚されたばかりの時はアルバートの取り巻き等をしていた連中も、今ではもう見かけないものだと言っているのである。
 魔法を、武器を、爵位をチラつかせていたその多くが既に姿を見せなくなったので、当時それらを武器として色々語った大半が「今の自分以下だったのだろう」と。

「嗅覚に優れている、とせめて褒めてやらねばな」
「確かに。そこは褒める点か」
「最悪なのは力量の差を弁えず、感情と己の利のみの為に言い掛かりをつけてくるような連中よ。負けても認めず逆恨み、勝てば己が正しいと勘違いして腐敗をまく」
「そう言うのが居ないだけマシか」

 ヤクモが良い面を教えられて一息吐くと、彼の部屋の戸がノックされた。
 返事をして来客者を招き入れると、そこに居たのはマーガレットであった。
 小さな壷に封をして、それを持ってきたところであった。

「すみません、ヤクモ様。いらっしゃらなかったので、持ってきてしまいました」
「あ……。そっか、時間――」

 ヤクモは腕時計を確認すると、即座に両手を合わせて頭を下げる。

「ごめん、申し訳ない。本当なら俺がそっちに行くのが筋だってのに――」
「いえ。私も香草の選定が早く終わって御手隙でしたから。それに、ヤクモ様が忙しいのも分かってましたし」
「あぁ、すまなかったなマーガレット嬢。吾が寒さに耐え切れず倒れておってな、その回復に努めてくれたのじゃよ」
「そうだったんですか」
「いや、たまたまだから。たまたま」

 善意の大安売りをかましてきたせいでまるでバカか真性の善人であるかのように思われつつある。
 それが嫌で否定するヤクモでは有ったが、余りそう言った言葉は受け入れてもらえない。

「えっと、滋養強壮。お身体の疲れや気持ちの落ち込みに対して効果的な香草です。それと、特に疲れが酷い時は更に熱いお湯で淹れて、蜂蜜を入れると更に効果的になります」
「それは初耳だな……」
「はい。私のお屋敷に仕えていた方が特別に教えてくれたんです。伍長さん、お手伝いして貰っても良いですか?」

 そしてマーガレットは早速お茶を淹れ出す。
 試し飲みに付き合うのだろうとヤクモは受け入れて、それから自身も暖炉前で火に当り始める。

「良い女子じゃな」
「まあ、そりゃ。勿体無いくらいだよ」
「言ってやるな。それは侮辱に等しい。己の好いた相手こそが世界で一番素晴らしいと思うような物でな。それを受け入れるのが度量であり度胸だと吾は思う」
「重い……」

 ゲロリと、ヤクモは吐き出すように言う。
 個人的に期待されたり評価されるだけでなく、好意を向けられる事にそもそも不慣れすぎた。
 その結果、良かれと思いやった事全てで自分の首を絞め、順調にグッタリし始めている。

「なんか、こう……。もっと、気楽な物だと思ってたんだけどな、はぁ~あ……」
「結果に対して評価は付き物じゃ。もしそれが嫌だと言うのであれば、覆面の騎士にでもなるか、世界の果てで人知れず善行を積み重ねるしかあるまい」
「そもそも分散しなさ過ぎるんだよ。もっと頑張れや人類」
「いや~、それもどうかと思うぞ。お主の活躍っぷりを聞いておると、それを真似できる輩が果たしてどれ程居るかどうか」
「分かってるよ、言ってみただけだよ……」

 ヤクモ個人としては突発的な行動での評価であり、その下敷きにチートがある。
 更には『現代社会における無関心さ』を前提とした思考だったが為に、余計に今の状況で息苦しくなっているのであった。

「はい、どうぞ。熱いので火傷をしないように気をつけてくださいね」

 そしてマーガレットが話の中身を知らずにお茶を出す。
 蜂蜜を一掬い垂らされたお茶だったが、ヤクモは舌の先で舐めて早速火傷する。

「あまっ」
「甘くて良いんです。香草の香りや味と絡んで、冬の寒さにも良いんですよ」
「――あぁ、本当だ。少し身体が温まってきた気がする」
「今月でもこれだけ冷えますから、来月になるともっと冷え込みますし、こういった物が有るのと無いのでは大分違うと思いますよ」
「やっぱ、まだ冷えるのか……」
「ヤクモ様は寒いのがお嫌いですか?」
「慣れてるけど、寒いのは嫌い。寒い時期が終わるまで寝床から抜け出したくない」
「あはは、その気持ちは良く分かります。朝起きるのが一番勇気が必要で、日が沈んでからも床に早く入りたくなってしまって」
「雪が降らない地域出身でさ、雪が降るとか子供の頃ははしゃいでたけど、もう今じゃ嫌気しかささない」
「雪が降らない地域なんてあるんですか」
「どうだろう。大分南下すると赤道とかあった気がするけど……」

 赤道と言いながらも、ヤクモは自身の知る世界と同じ季候環境を維持しているのだろうかと疑問を抱いた。
 そもそもヤクモからして見れば自分の知っている世界が一旦破滅し、人類史ごと滅亡した後である。
 今傍に居るミラノだのアルバートだのは「かつての人類が適応できない環境と、凶暴化しながら進化した生物に抵抗する為に生み出された新人類」でしかない。
 イギリスとフランスが地続きになってしまっているのもそうで、固定観念で全てを断じる事が出来ずにいた。

「”せきどー”とは、何ですか?」
「ん~、あんまり言いたくは無いけど。地動説と天動説ってあったりする? 何故日は沈み、昇るのか~ってお話」
「神がこの世界を御作りになり、世界の周囲に日と星々を作られた……と言うお話なら知ってますが」

 そう言ってからマーガレットは「すみません」と答えた。
 ヤクモが彼女の返答によって満足して無いだろう事を、マーガレット自身が理解してしまったからである。
 
「たぶん、こういう答えじゃないんですよね、ヤクモ様が求めてるのって――」
「――いんや、十分良い回答だったよ」
「そうでしょうか?」
「一つ、日と星々の中心に世界があるということ。二つ、それが神によってもたらされたと言う事は、つまりはそれが大衆にとって当たり前である思考であると言う事。三つ、下手な事を言うと俺が死にかねないから触れない方が賢いと言う事。今の言葉だけでこれだけの教訓が得られたから、良い回答だったよ」
「――有難う御座います」

 マーガレットはヤクモの言葉に胸を撫で下ろした。
 しかし、その様子を見て本当に胸を撫で下ろしていたのはヤクモで、マーガレットが困ったような表情を浮かべたのに対しての苦し紛れの言葉だった。
 それを見て気付いたヴァイスが笑みを浮かべる。

「色々言ってはおるが、それなりに大事に出来ておるではないか」
「致命傷ですけどね……」
「それだけ真摯に向き合っている証拠じゃろうが」

 そうなのだろうかとヤクモは首を傾げる。
 そうなのじゃよと、ヴァイスは重ねた。
 何にしても経験が絶対的に不足し、そのせいで思考が中々に到らないヤクモ。
 多くの艱難辛苦を前にしても、これほどまでに悩んだりする事は無かった。
 首都丸ごと敵の監視に置かれた状況でも、かつての英霊の一人が仲間を手にかけようとしていても、魔物の群れに放り出されようとも。
 
「出来れば、こういった事で知識に長けた人が居れば、色々教わりたいもんだな」
「色々知見を広げたとて、結局は戦術を学ぶのと大差ない。この意味が分かるか?」
「状況と手持ちの兵と相手の兵を見て、則した戦術を使う他無い……。つまり、結局の所俺が彼女を見て答えを出さなきゃいけないって事だろ?」
「――聡くて助かる。もっとも、ここで愚鈍な回答を出すとは毛頭期待しておらんかったがな」
「流石にマーガレットを相手に馬鹿な回答は出来ねえって」
「ほほう。では、嬢以外であれば愚鈍な回答も厭わぬと」
「――……、」

 喋りすぎたなとヤクモはマーガレットの淹れてくれたお茶に口をつける。
 幾分冷めた為に猫舌でも辛うじて飲め、一息に飲み干すと彼は息を漏らす。
 先ほどまで建物の内部だったとは言え、談話室に居たのだから体はそう温まらない。
 しかし、マーガレットの淹れた一杯のお茶が身体の芯から彼を温めてくれた。

「こういう一杯のお茶だけで元気付けてくれるんだから、やっぱりマーガレットが凄くないとは思わないけどなあ」
「えへへ、そうでしょうか?」
「美味しいご飯、温かい家、疲れた時に差し出される一杯のお茶……。そう言う物が結構重要なんだよ」
「縁の下の力持ち、でしたっけ」
「本当は”持ちつ持たれつ”を引用したい所だけど。城無き兵は戦い続けられず、兵無き城は守り通す事もできず――」
「帰るべき場所のある兵は強く、帰る者を待つ家に煙立つと言う事じゃな」
「あ~、ん?」
「薪じゃよ、薪。暖を取る取らぬにしても、飯は食うじゃろ?」


 そう言ってヴァイスは暖炉を指す。
 誰かの帰りを待つ家からは常に煙が煙突から昇ると、そういう言い回しをした。
 ヤクモは聞きなれない言葉に首を傾げたが、成る程なと納得した。

「そう言えば、以前約束していた襟巻きですが。今度巻いてもらっても宜しいでしょうか? 良い塩梅に紡げていて、一度長さを確認しておきたいと思いまして」
「それって、今でも大丈夫かな? 今度とか、次回って言ってると機会を逃しそうだし」
「けど、それだとヤクモ様のお時間を取らせてしまいますが?」
「良いよ。今日は……少し目処がついたし。時間はあるから」

 ヤクモの言葉に幾らか迷いを見せていたマーガレットだったが、ヴァイスの言葉に背中を押される。

「なに、こういう事は殿方の懐に思い切って飛び込むくらいが良い。後悔は先に立たず、出来ることを――悔いの無いように生きた方が良い」
「――はい、分かりました。では、直ぐにお持ちしますね」

 マーガレットが足早に去ったのを見送り、そっと息を吐き出すヤクモ。
 それを見て再びヴァイスはニヤリとする。

「余計なお世話じゃったか?」
「いや、正直助かった」
「やれやれ、不器用な男じゃな」
「どうにも発言が重くなりがちで、それで空気の軽やかさを殺してしまうのが気になっててさ……」
「もう少し自分を乗せた発言をした方が良いな。真面目さだけでは誰もかもが息苦しくて仕方が無い。ふざけて見るのも、うまく周囲の者を笑わせた分だけ得をする」
「そういうものかねぇ」
「真面目なだけならお主よりも上手くやれる輩は沢山居るじゃろ。きっとお主は誤魔化せぬくらい状況を把握する事もあるやも知れぬ。じゃが、死地に行く事を決心した相手に笑いの一つも浮かべられぬのであれば、それは寂しさが過ぎるとは思わぬか」

 ヴァイスの言葉にヤクモは黙る。
 そして自衛隊生活を思い返し、思い当たる様々な記憶を掘り返した。
 士長では僅か、三曹以上からそう言った事の出来る人物が多かったなと思い出したのだ。
 中隊長以下副班長に至るまで、そう言った事が出来る人が”多めだったな”と、理解したのである。

「――まさか、教わるとは思わなかった」
「お? おぉ? それは吾に喧嘩を売ってるのじゃな? 喧嘩じゃな!?」
「じゃなくて、こんな何でも無さそうな時にって事。だいたい何かを教わる時ってのは、身構えさせられる物だけど、それが無かったから――」
「あぁ、それはきっと吾の血のなせる技じゃな」
「血が?」
「人徳と言っても良いぞ? 相手の無意識の懐に滑り込み、警戒させずに肯定させるというか――そういうものらしい。本来はもっと違うものらしいが、それを聞く前に父を喪ったからのう」
「どういう血なんだ……」
「敵には威圧を、味方には頼もしい声に聞こえるらしい。吾には良く分からんが、それが事実であれば随分助けられてきておる。吾が演説屋と言うのはその為でな。多少であれば声をかけてやれば弱兵ですら威武堂々とした兵士となり、痛みに呻く兵は痛みを忘れ戦線に復帰するとか」

 範囲支援バフでもついているのだろうかとヤクモは首をかしげた。
 しかし、彼のシステム画面には何ら補助効果が発生しておらず、謎は謎のままであった。

「あとは、吾の愛い声と外見のおかげじゃな」
「それを自分で言うか?」
「じゃが、実際お主は警戒しておらぬじゃろ?」
「寒さで仮死状態になって、雪に埋もれる姿を見たら警戒したくても出来ないっての」
「褒めるな褒めるな」
「褒めてない!」

 そう言いながらも、ヤクモは確かにと考え直す。
 仮死状態で雪に埋もれていたとは言え、彼女は英霊の一人だ。
 神聖フランツ帝国での一件もあり、更にはユリアからの声かけも忘れていない。
 むしろ警戒して然るべき相手なのだが、それが出来ないのだ。
 
「そう言えば、オタクの所の姫さん」
「む、ユリアがどうかしたのか?」
「アイツさ、俺に引抜をするような声掛けをしてきてるんだよね」

 止めてくれないかねえ? と、彼は遠回しに刺激する。
 これでどのような反応を示すのか試しているのだ。
 もしこれでユリアに同意し乗っかってくるのであれば警戒する。
 そうでなくとも惚けたりするのであれば、同じように警戒すれば良い。
 相手の考えや立ち位置等を測ろうとしたのだが、ヴァイスは眉を顰める。

「声をかける? 何故ユリアがお主に声をかける?」
「どうしてって……。身分や階級を引き合いにして、来ないか~って言われたぞ」
「馬鹿な。吾は確かにこの学園のお主に幾らか興味を示しはしたが、引っこ抜けとは断じて言っておらぬ!」

 感情的になったのだろう。
 ポンチョの下で羽根が大きく開かれたが、それでも引っかかったり許容性を超える事無く耐える。
 それを見たヤクモが「あ、大丈夫みたいだ」等と場違いなことを考えながらも、咳払いをして立ち上がり激昂した彼女を諌める。

「どうどうどう――」
「吾は馬か!」
「ヴァイスの指示とかじゃ、無いんだな?」
「仮に吾がそれを指示したとして、何故それが上手くいくと思う! 貴様に敬意を払いこそすれども、そのような軽んじるような真似をするものか!」
「軽んじる?」
「当然、貴様の事じゃ! ――よいかっ! 英雄も傑物も、手間をかけ、慈しみ、大事にした兵士の中から生じるもの。たとえお主がこの世界に召喚された際には既に英雄として完成していたとしても、その才を発揮したいと思える者の下で無ければ芽を出す事も無かったじゃろう。つまり、名を挙げたからと野菜のように買い付けた所で、同じように結果を出す訳ではない!」

 ヴァイスの言葉に幾らか感銘を受けるヤクモ。
 少なくとも、そういう風に言ってくれる相手は居らず、そしてその上で何故彼女に対して警戒し辛かったのかを理解する。
 ヴァイスと言う少女は真っ直ぐ過ぎるのだ。
 アイアスやマリーだのも十分真っ直ぐではあったが、そこに愚かさはなかった。
 目的の為であれば味方すら騙すような強かさを持っており、出し抜いて自分が得をするような思考もするのだ。
 
 しかし、ヴァイスはそうではなかった。
 隠し事が苦手だとかそういうレベルではなく、思った事をそのまま口にしてしまうくらいに真っ直ぐだった。
 そう”バカ正直”なのだ。
 彼女の言葉や、感情に任せ色々言っているのを見てヤクモは肩の力が抜ける。
 肩肘を張って警戒する事に意味が無く、もし騙されたのだとしたら彼女の方が上手であり自分がバカだったのだと、受け入れる事にした。

「済まぬ! 明日、ユリア嬢には吾から言って聞かせる! どうしてこうなったのか……」
「気にして無いと言えば嘘になるけど、そこまで重く考えなくていいからさ」
「ほ、本当か……!?」
「こんな事ですったもんだしても仕方が無いからなあ」

 そう言って、ヤクモは「どうでもいい」と切り捨てた。
 脅威度が低くなったり興味・関心が途切れると直ぐにどうでも良くなる。
 自衛官をやっている内に身についた物でもあり、彼本来の”周囲への興味の薄さ”も相まって上手く完成した特質であった。
 雨や雪の中、掘った蛸壺でン時間と立哨をしたり、雨水が貯まりつつある蛸壺の不潔さを無視したりと、そう言った”非日常”への耐性を高めてくれている。
 本来であればかつて地震が発生し、少なくない死体を見た時に動揺やパニックを起こしかねない時もあった。
 だが、そういう時にも役立っているのである。
 
「ただ、背後関係は明らかにしといてくれよ?」
「うむ、約束しよう」
「ならいいや」

 そう言ってヤクモは周囲を見る。
 いつもであれば既にワインボトルを開けている時間だが、マーガレットを待たせている上に来客有りだ。
 ワインボトルを片手に直飲みをしながらボードを睨み、本を開き、メモ帳とノートを睨むという事が出来ないのであった。

「どうした、忙しない」
「いつもなら、もう酒を飲んでる時間帯だったから。酒を飲んで、程好く温まったらさっさと寝るに限る」
「あぁ、そうか。学園は灯りの落ちる時間は決まっておるが、寝るなとはのたまっては無かったな」
「消灯後に灯りを燈して勉強するのが通るんだから、消灯前に寝るのだって通るさ」
「して、飲むのか?」
「マーガレットがそろそろ戻るだろ。それなのに一人だけ一日を終えたつもりになるのは気が引ける」
「律儀じゃなあ」

 暫く暖炉で焔が揺らめき部屋を温めるのを黙って眺めていると、ノックが響き渡る。
 マーガレットが少し息急きながらも編み掛けのマフラーを持って来た所であった。
 彼女は立ち上がりかけたヤクモを制すると、そのまま軽く首に巻く。

「やっぱり、この色が似合うと思いました」
「あの~、参考がてら何で鼠色か聞いても宜しいですかね?」
「高潔と清潔を程よく混ぜたような、それで居てなんだか――落ち着く色、だからでしょうか」
「鼠色?」
「はい。灰色です」

 ヤクモの脳裏で「コンクリート?」と、市街地演習場が想起される。
 予備自の訓練で窓の一つも無いあの建物の中で銃監視で一晩明かした時の辛さを思い出してしまい、彼としては複雑な心境であった。
 しかし、その色合いを眺めていると落ち着く自分を否定できず、了承した。

「それで、どれくらいの長さにするのかな?」
「え、あ。そう……ですね。少し、垂れるくらい……でしょうか」
「どれくらい?」
「腰くらいです」
「――……、」
「それくらい有れば、二人で温まれますよね?」

 マーガレットはホクホク顔で二人でマフラーを巻く光景を思い描いている。
 その光景にたどり着いたヤクモは梅干を口に含んだかのような酸っぱい表情を浮かべる。
 乙女っぽい夢を思い描くマーガレットに対して、恋愛スキル皆無でリアル年齢が三十に差し掛かっていたヤクモは脂汗を流すしかない。
 どう言えば上手く切り抜けられるか、それを考えている間にも彼女の妄想は強化されていっている。
  ヴァイスはそれを眺めながら楽しく笑うだけだった。

「ヴァイス、助けて……」
「そう言った贅沢は出来る内にしておけ。日常と非日常、気がつけばお主が怠惰に、或いは自堕落的に享楽しておった事が後に懐かしくなる事だってある。それに、男女の仲ほど贅沢な物は無い。それは、吾には手に入らなかった物だ」
「ヴァイス様――」
「ま、過ぎた事じゃな。今は少しでも強固な軍を作り上げ、一人でも多くの人が救われる世界を作らねばならん。国を富ませ、民を餓えぬ様にする術は知らんのでな。そればかりは、どうしても歯痒い……」

 そう言ったヴァイスは暫く暖炉の焔を眺めていたが、立ち上がるとヤクモに向き直る。

「さて、世話になったな。しっかし、女子寮に居るとは思わんかった。次からはここに来るので、今度は飲み交わしてみるか」
「酒は――」
「酒は用意してくる。マーガレット嬢、済まなかったな、まるで邪魔をしたみたいで。先ほどのように、これからも遠慮ない関係が続くのを望む。それではな」

 ヴァイスは最後に「この上着、ありがたく頂戴するぞ」といって去って行った。
 それを見送ったヤクモは、自分の首にまだ爆弾が絡み付いていて何の問題も解決していない現実に気がつく。
 
 暫く考え込んだヤクモは妥協案として「そ、それじゃあ。一人用のも貰おうかな」と言って、それをマーガレットに飲ませたのであった。
 そしてマーガレットが”恋愛脳”と言うものに傾倒していて、これから更に胃に穴が開くのだろうなとヤクモは戦慄する事になる。
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